I escaped with my neck


リーグ内でかくれんぼ、ないしは鬼ごっこをする日が来るとは思わなかった。どちらも懐かしい遊びだが、だからといって童心に帰れたりはしない。なぜって鬼役が鬼役だからだ。追ってくるのは言わずもがな、ツワブキダイゴだ。

ツワブキダイゴと鬼ごっこするくらいだったら、ボスゴドラとする方がマシだと思う。真剣に。ちょっとボーッとして、気がつくとすぐ横にいるて心臓に悪いし、成人男性がニコニコと早足で寄ってくる様子は正直言うと気持ち悪い。
わたしにとってはボスゴドラの方がはるかに身の危険を感じなくて済む。ツワブキダイゴはあの笑顔の裏で、何か考えていそうなところがイヤなのだ。

相変わらず、リーグで彼の笑顔に悪寒を感じているのはわたしだけだ。支部長も受付の女の子もジョーイさんもフレンドリィショップのアルバイターまで、ツワブキダイゴを良い人だと思いこんでいる。
わたしへの好意を隠さない彼には苦笑しながらも、結局は誰も彼を止めようとはしない。わたしと彼の鬼ごっこを、一部の人間は微笑ましいとまで感じ始めているようだ。

わたしも少し彼に慣れてきたところもある。けれど、綺麗すぎる笑みに含みを感じずにはいられない。彼の頭の良さが見せかけでないことを知ってしまってからはなおさらだ。


「お疲れさま」
「……お疲れ」


ついに捕まったか。時間をずらし、出口をバラつかせることで神出鬼没な彼からここ数日は上手く逃げ仰せていたというのに、ツワブキダイゴも学習したようだ。


「運が良いってのは本当なんだね」
「運の力じゃなくて、今回は実力。さんって案外行動パターンが決まってるんだね」


ツワブキダイゴに思考パターンが読まれてるとか、なんて悪夢だ。
思わず出た、彼に聞こえるほど大きなため息。付きまとわれるうちにすり減った精神とともに、彼を気遣う気持ちも小さくなっていってしまったように思う。
当初あった、後継者として彼を支えてやらねば、という気持ちも今はどこへやら。


「あの、あんまり女性を追いかけ回すのは止めた方が良いと思うよ」
「あれ、ヤキモチ?」
「違うから……」
「冗談だよ」


だって僕が追いかけてるのはさんだけだものね。恋情と少しの狂気を謡った言葉でつむじがゾワリ、萎縮した。

誰か、助けてくれないかな。この人をわたしから遠ざけてほしい。
そんな視線のSOSを受け取った女の子は、あからさまに視線を反らした。わたしは見ていませんよ、そんな風に下を向いて彼女はわたしを捨て置く。


(困ったな……)


この空気は、ここ数日でツワブキダイゴが作り上げたものだった。

もはやポケモンリーグに、彼とわたしの会話を邪魔する人間はいない。
彼が爽やかな表情に、少し甘みを含ませる。そうすればわたしにどんなに気が無くたってこの場は変わる。同僚の顔合わせがまるで恋人同士の逢瀬みたくなる。誰も視線を向けない。誰もがみな、素知らぬ顔でわたしたちをすり抜けていく。一途に片思いを続ける彼の恋路を邪魔するなんて野暮なことはすまい、と避けていく様は浅瀬の小魚のようだ。

ツワブキダイゴが懲りもせずにわたしを追いかけ回した結果が、このよそよそしいリーグの空気。
これが計算の上に行われたのかどうかなんて誰にも分からない。
ツワブキダイゴならやりかねない、という気持ちもするが、傍らで見る彼は完全なる純朴青年。

なんて器用な男だろう。犯しがたい、密やかな空気を彼は無意識ながらも作り出せるのだ。

わたしはツワブキダイゴに体を向ける。逃げることは諦めた。どんなに辺りへ視線をまわしても、絶望が深まるだけだったから。


「ほんとに止めてくれないかな。正直ちょっと、気持ち悪いから……」
「人には絶対に譲れないものっていうのがあるだろ」
「譲らなくて良いから、諦めて」
「諦めきれるようなモノじゃないから」
「そんなにわたしの恋人になりたいわけ?」
「なりたい」
「………」


この人は、どうしてここまで他人を好きになれるのだろう。そして自分を好きでいられるんだろう。


「いまさらだけど、ツワブキくんは自分勝手だね」


彼がただただわたしを想う人なら、わたしももう少し考えが変わったかもしれない。そう思う時がある。
変な話だけど、彼が彼じゃなければ恋に落ちていたかもしれないと思ってしまうのだ。
ああ、ツワブキダイゴ。どうしてあなたはツワブキダイゴなの?

彼の言葉をそのまま信じるならば、ツワブキダイゴは猛烈にわたしを想ってくれているようだ。けれどツワブキダイゴのそれは、とても図々しい。彼の行動の端々にはいつも彼のエゴイズムが隠れてる。


「何を考えてるの?」
「何にも」
「………」


初めて会った時もそうだ。初対面のくせしてわたしを襲った。そして我慢できなかった、なんて呆れた言葉を抜かした。どう見ても私欲のかたまり、エゴイストじゃないか。
わたしが好きだと言いながら、彼は決してわたしの望みに従ったりはしない。いつだって自分の望むようにわたしを引き寄せようとする。

結局、彼は憧れの“”を好きにしたいだけなのだ。そうとしか思えなかった。



「……騒ぐような人が少ない場所ならうれしいわ」
「……!」
「どうせそういう用件なんでしょ。どこへ連れてってくれるの?」


ワタルを含めた三人で行ったあの日以来、ツワブキダイゴからの食事の誘いは十数回あった。今日も同じこと言い出すのは目に見えていた。
もし外れていたとしても、今まで全ての誘いを断ってあるのだ。彼ならチャンスを逃すまいとのっかってくるだろう。

ほら見なさいよ。ツワブキダイゴのこの、うれしそうな顔。


こうしてツワブキダイゴの誘いに乗ってしまうほど、わたしは気が滅入っていた。お腹が空いているせいもあるんだろう。けれどほとんど先日の仕事のせいだった。ちょっと無神経だったオダマキ博士、無粋なジャーナリストに、鈍感だったワタルとの別れ。すべてがわたしの中で尾を引いている。
さらにツワブキダイゴが生み出してしまったこの環境のせいで、正直溺れそうだ。
目の前の彼は言わば、溺れる猿の前に現れた藁なのだ。

わたしの拒絶には聞く耳を持たない彼でも、自分に頼ってくるのであれば喜んで受け入れるだろう。
きっと甘やかしてくれる。指定すれば、蜂蜜のようにも、粉糖のようにもしてくれる。わたし、疲れてる。