あなたにつきあってあげても良いわよ、なんて高慢さを隠さない言葉遣いでの誘いでも、ツワブキダイゴは簡単に乗ってきた。
ずっと彼の方がわたしを誘っていたというのに、結局わたしから誘ってしまうとは滑稽な話だ。
「じゃあ貸し切りで良い?」
個室じゃなく、貸し切りなんて言葉がアッサリ出てくるとは……。
こいつ、本当に本当のボンボンなのね。
いつものわたしなら自分の身にあったものを望んだだろう。
けれど、スイッチの入ったわたしはどこまでも図に乗って遠慮知らずになっていく。
「あなたと二人っきりはイヤ」
「了解。他に何か言いたいことがあるなら言ってほしいな」
ワガママを従順に飲み込んて、その上次なる言葉を待つツワブキダイゴにわたしは機嫌を良くする。
彼もまんざらじゃなさそうだ。こうなったらとことんツワブキダイゴを利用してやる。遠慮は損よね。
そんないやしい衝動のまま、わたしは思いつくままを言葉にしてみた。
「……美味しいものが食べたいわ」
「それはもちろん」
「あったかい料理を出してくれるとこ」
「近くに良いところを知ってる」
「お酒はいらない。あんまり感傷的な気持ちになりたくはないから」
「僕がいるから大丈夫だよ」
「………」
ほんと、自分に自信がおありのようで。そう想いながらももうわたしは言い返す気力も無い。やがて歩きだした彼にただ続いた。
いつも隣に並びたがる彼は、今は少し先を歩いてくれている。前を見ていながらもわたしの歩調を感じてる後ろ姿。それを追いかけるだけの遊歩はなんてラクチンなんだろう。
上を向くのに疲れたら、ツワブキダイゴの靴の裏を追えば良い。姿勢を正したくなったら、上を向いてかすかに目に入る彼のつむじを追えば良いのだ。よく光を集める明るい髪色。それはすっかり暮れた空の下でもとても見つけやすい。
ツワブキダイゴがいきなり足を止める。それは考えることを放棄したわたしの不意をついた。
「さん、寒くない?」
振り返る動作、音を紡ぐ口の動き、首に伸びてくる手の動きを追うことももうしてられない。
「これ、あげるよ」
頷くよりも、いや、わたしが言葉を理解するよりも早くツワブキダイゴが動いた。
うつくしいえがおで、ツワブキダイゴはコートだけで身を守っていたわたしにマフラーを巻いてくれた。それはそれは上等な弾力を持ち合わせた、どこか厚かましいマフラーを緩く結ばれる。
「ありがと」
彼の顔を見たくなくて、わたしはツワブキダイゴの露わになった喉仏ばかりを見つめ、そう言った。
どの道を通って、わたしはこの席にたどり着いたのだろう。よく覚えていない。ホウエンの夜景がずいぶんと遠くまで、それこそチリほど細かい明かりも窓からはよく見えるけれど、いったい今自分は何階にいるんだろう。エレベーターに乗った覚えはわたしに無かった。
確かなのは、ツワブキダイゴの背中をただ追いかけてここにたどりついた、ということだけだ。
(あれ、わたし、何やってるんだろう……)
お水をいただいて、スカスカの胃にパンと前菜のオリーブが転がって、ようやくわたしは意識らしい意識を取り戻しつつあった。体が暖まってきて、もやついていた思考もスーッと流れを取り戻していく。そしてようやくツワブキダイゴの、あの涼やかな目を見れるほどわたしは回復した。
「落ち着いてきたみたいだね」
「……っごめん」
目の前に座る彼を見れば、どんどん今までの経緯が思い出された。
帰り際ツワブキダイゴに捕まって、どうせどこかへ連れていってくれるんでしょみたいな失礼なこといって、細かいとこまで注文つけて……。
(うっわぁぁ……!)
どっ、とわたしを飲み込んだのは汚水の色をした後悔の念だった。
さっきまでほとんど物を考えられなかったというのに、今は自分の過ちが自動的に浮かんでくる。なんていうんだろう、走馬燈の人生の汚点すべて集めましたバージョン。イヤすぎる。
思い出せば思い出すほど、自分のひどさを痛感して、顔を覆わずにはいられない。
恥ずかしさで急に昇ってきた熱で一気に体も暖かくなっていった。
なんであんな卑屈に物事を考えていたんだろう。どうしてツワブキダイゴのこと、エゴイストだなんて見下したりできたんだろう。悪夢だ。けど、わたしがしてしまったことは夢でも何でもない。なんてみっともないまねをしてしまったんだろう。
どの行動も、今となっては恥ずかしいばかりだ。
さすがに心配をかけてしまったらしい。こちらを気遣う優しい笑みにすぐ申し訳ないという気持ちになった。
「なんて言ったらいいか……、本当にごめんなさい!」
「良いよ。さんが最近疲れてるのはなんとなく分かってたから」
弱ったことに、恥じて悶絶する心も見透かされているらしい。
自分が正気じゃなかったというのを分かってもらえたのはうれしい。けど、浅はかな自分を見られてしまったという事実にまたわたしは悶える。
「わたし、すごく失礼だったよね。ごめんなさい、気が滅入ってて……」
言いながら思った。なんて言い訳がましいのだろう。
いくら泥のように疲れていたからといって、やって良いことと悪いことがある。わたしの行動は普通許されるであろう範囲を軽々越えていた。
無礼であり、下品であり……。とにかく、異性の前でやっていいことでは無かった。
「気にしてないよ。今の時間を過ごしていられるだけで、僕は得した気分だ」
「ごめんなさい……」
今度はちゃんと、彼の目を見て言う。
サラリとした彼の表情とは真逆に、わたしの顔はどんどん青くなっていってることだろう。
今になって周りが見え始めたわたし。彼がなるべくわたしのオーダーにならってお店を探してくれたこと。
気を回してわたしにミネラルウォーターを注文してしてくれたのも彼だ。わたしにグラス一杯の水が必要だったのを彼は見通していたんだ。
わざわざマフラーを巻いてくれたのは、寒さだけが理由じゃない。優しくされたがっていたわたしへのサービスだ……。
「今更だけど、すてきなお店に連れてきてくれてありがとう。マフラーも、ありがとう……」
いまさらお礼の言葉を言うなんて、さっきまでのわたしはどこまで思いやりが欠けていたんだろう。
ああ、申し訳ない。
「もし、僕に申し訳ないなんて思っているんだったら」
もし、なんて言葉を最初においておきながら、彼はわたしの心中を言い当てる。
「今日は、僕とたっぷり話をしてほしいかな。それくらいは期待しても良いよね?」
軽い彼の提案に、わたしは重く頷いた。
その重苦しい頷きが彼の不意を突いたらしい。思わず発せられた笑い声を、やわく押さえた顔でツワブキダイゴが言った。
「笑ってくれるだけ、それだけで良いよ」