I'll find my voice


ホウエンリーグにはゆったりとした平和が戻りつつあった。

世間の話題の中心もまた、リーグの変動についてから別のものへと移り変わっていき、鳴りっぱなしだった問い合わせの電話も今はない。プルルルル……という呼び出し音は、リーグ職員の耳の中だけで残響するのみ。
しっかりとダイゴを中心に回り始めたホウエンリーグ。わたし無しでも全く問題無く動くその姿を見ていると、良かったと思いながらも寂しい気持ちになってしまう。それが正直な気持ちだ。

ここ数日はかたちだけの出勤が続いていた。本当にわたしにやるべき仕事らしい仕事は残されていなくて、まるでリーグに毎日お茶を飲みに来てるみたいだ。
朝しっかりと起きて、今日も働くぞ!という気分でリーグに入ってきても、わたしを待っているものが無いとすごく肩すかしを食らう。それで事務の女の子に「何か手伝うことあるかな?」なんて聞くのは立場がなくてちょっと恥ずかしい。その恥ずかしさを耐えたとしても、それでお願いされる仕事は大抵、誰にでも出来る仕事だ。別の部署への届け物だったり、郵便の宛名シール貼りだったり、倉庫から資料を抜き出してくることだったり。

別に雑用自体には何の問題もない。どんなに小さなことでも、やることがあるならわたしは大歓迎だ。だけど、60パーセントの確率で言われるこの台詞。


「大丈夫ですよ。私たちがやりますので、さんはどうぞ、座ってお茶でも飲んでいてください」


これを言われてしまうとわたしはしょんぼりしてしまう。まるで部外者の、お客様のように出された緑茶でぼんやり指を暖めながらわたしはにわかに落ち込む。
わたしに出来ることはもうないのか、と気づいてしまうとむなしく、もうここにわたしの居場所は無いのか、と分かり惨めな気分になるのだ。
最終的には、もしかしてわたしってすでに邪魔者?なんて卑屈な気持ちに陥ったりする。

時間があるって時には残酷だ。暗い考えを持つ時間なんて無くなってしまえば良いのにと思うのに、やっぱりわたしに出番はやってこない。

落ち込んでもしょうがないので、「そこまで卑屈になることも無いよね、問題なく事が回ってるんだから喜ばしいことじゃないの」、なんて自分に言い聞かせ暗い気持ちを振り切る。次の日、気持ちも新たに意気揚々とリーグに出勤する。で、また「座っててください」なんて言われてしまう。最近はこのループだ。


さん? さん!」


気づけばさっきとは別の女の子がわたしの前に立っていた。
無視されたと思ったみたいだ。その子の不満は、引き締まった眉間に表れていた。


「え、あ、はいっ! なんでしょうか!」
「ダイゴさん知りませんか? ちょっと見つからないんですけど……」
「ツワブキくん? 知らないよ?」
さんなら分かると思ったのに……知らないんですか?」


いやいや。そんな知ってるのが当たり前、な顔されても……。確かによく一緒にいるけどさ。


「ツワブキくんがいないんだったらわたし、」
「分かりました」


じゃあいいです。そう素っ気なく言い捨てて、彼女はカツカツとヒールを高鳴らせ去って言ってしまった。
トゲトゲしく床を突くヒールの音が、一緒に探そうか、と言おうとしたわたしを気後れさせて、代わりにわたしはため息をひとつこぼす。

この手の質問はよくある。ダイゴさん知りませんか、あれ、ダイゴさんと一緒じゃないんですか、ダイゴさん呼んでもらえませんか。
確かに外から見たらわたしはほとんどダイゴホイホイなのかもしれないけど……。

あ、良いこと思いついた。ダイゴ発見器の役を買って出ればみんなの役に立てるかも!
……いや、やめておこう。さすがにダイゴに依存してまでしてリーグにはしがみつきたくない。


前はわたしのサイン無しにはたくさんのことが動かなかった。各地ジムへの指示も、調査報告書を読むのも、チャンピオンロードの管理もわたしの仕事の内だった。なのに今は違う。、と呼んでいた声は代わりにダイゴを呼ぶのだ。


(……あれ、また考えが後ろ向きになってる)


違う。勘違いするな。必要だったのはわたしのサインじゃない。リーグチャンピオンのサインだ。

頭では分かっている。実際のところわたしはもう何の権限も持たない部外者で、相手からの敬いによって地位を保たれている“お客様”でしかない。


「はーあ……」


20年間生きてきたなかの8年間、つまり人生の4割をリーグで過ごしてるけど、窓際でこんなにまったりとお茶を飲んだのは初めてだ。窓の外ではフエンの赤茶色が今日もきれいです。

でくのぼうとしてリーグにいる時間は楽しいわけがない。けれど、この時間のおかげでわたしは自分の心はある程度整理されたと思う。
そっけなくリーグの人たちに突き放されてなんとなく、諦めがついた。いやがおうでもここにいられないと分からせられたのだ。

今日までずっと心血注いできた仕事を、一回バトルで負けましたからハイ止めます、と簡単に切り替えられるかというとそうじゃない。いや、自分でしっかり切り替えたつもりだった。けれど、未練は残されていた。それはわたしがリーグの行方を心配するというかたちで表に出ていた。

少しでもリーグの役に立ちたい!
そんな気持ちの半分は、リーグへの未練で形成されているんだろう。

案外わたしをお客様扱いするのは、みんなの優しさなのかもしれない。
リーグ大好きトレーナーのわたしが、未練無くちゃんとこの場を去れるように、という優しさ。後腐れ無く次のステップを踏めるように。

そう思ってしまうのは自分に都合の良い妄想だろうか。証拠らしい証拠は無いけれど、全くの的外れでもないと思う。そっけない態度をとる人の中には、四天王がいるからだ。仕事以外の、友人としての関わりがある彼らの人柄の良さは知っている。
みんな、わたしがチャンピオンじゃなくなったからって離れていくような人間じゃないのは絶対だ。


(あーあ。こんな風にされたら、諦めるしか無いじゃない……)


けれどもう、歩む道が別になってしまった。
トレーナーズスクールを卒業すれば、それぞれの道を歩き出さなきゃいけないのと同じように、リーグを卒業したわたしはまたリーグのみんなとは違う道を歩き始めなくちゃいけない。

しょうがない事なのだ。でも、寂しいと思う気持ちも本当だ。
チャンピオン業は楽しいことばかりじゃなかった。でも、手に入れた居場所は何ものにも代え難いものだった。現実を受け入れなくちゃならないと分かっていても、やっぱりわたしはツワブキダイゴがうらめしい。


「あ、」


また、間違えた。
ツワブキダイゴ、じゃなくて……。


「ダイゴ、だ」


また、やってしまった。

先日のやりとりから、彼とわたしは名前を呼び捨て合うことになった。フルネームや名字じゃなく、敬称も無くして彼の名前だけを呼ぶことになったんだけど、実を言うと未だその響きになれていない。あの時は自然と口に出来たのに、今のわたしはどうにも親しみを込めてその名を呼ぶことが出来ない。

ダイゴはなんだか収まりが悪いのだ。実際ツワブキダイゴの方が語呂が良いと思う。慣れもあるんだろう、気を抜くと頭の中ではついフルネームを呟いてしまうのだった。


「ダイゴ、ダイゴ、ダイゴ……」


暗唱で、繰り返してみた。こうして何度も練習すればその内、口が慣れて気恥ずかしさも消えてくれるだろう。


「ダー、イー、ゴ!」


うーん、やっぱりまだ違和感がある。短すぎて慣れないこの音を早く、自然に口にできる日が来ると良い。



「呼んだ?」
「!」


この時、自分がお茶を口に運んでいたことにわたしは心底感謝した。
口の中にお茶が無かったらわたしは、驚きのあまり叫んでたと思う。


「ねえ、僕のこと呼んでたよね?」


驚いた拍子に口いっぱいに入れてしまったお茶を一生懸命、飲み下す。
その間に整えた表情で、わたしはニッコリと返した。


「ううん、気のせいだと思うよ?」
「おかしいな。呼ばれたと思ったんだけど」
「おかしくないよ」
「……怪しい」
「怪しくない、怪しくない」


本当は君の名前を呼ぶ練習をしてました、なんて恥ずかしい事は絶対に言えないので、「さっき事務の子が探してたよ」という言葉でわたしはこの場を濁した。