四天王のみんなとは気心の知れた仲だ。
忙しいときも、暇なときも一緒に過ごした。個人的な悩みも、トレーナーとしての悩みも分かち合った。もしかしたら一番多く手合わせしたポケモントレーナーは四天王かもしれない。
彼らがわたしをチャンピオンとして認めているという確信がどれだけわたしを支えただろう。
四天王が信じるというチャンピオン。その意地で勝ち取った白星がいくつあっただろうか。
わたしにとって彼らは戦友であり、家族だ。
……難しそうな事を並べてしまったけれど、結局言いたいのは、
「ああもうっ、わたし、四天王のみんな大好き!!」
そういうことだ。
というわけで、普通はしめやかになるはずのお別れ会の席、わたしは思いっきりはっちゃけていた。
「っわたしは、リーグが大好きだー!!!!」
人の家で何やってるんだろう、と思わないでもないけど、今のところ止めてくれる人はいないのでわたしのエンジンはかかるばかり。
だってだって、お料理おいしいし、ゲンジさんの奥さん美人だし、お酒もおいしいし……。
ゲンジさん、プリムさんは大人の余裕ってやつでスルーしてくれるし、フヨウは「ちゃん、かっこいー」なんて合いの手を入れてくれるので、ますますわたしは調子に乗ってしまう。
「わたくし、はリーグを愛してるであります!!」
「フられたけどな」
「カゲツ、うっさい!」
マイク代わりにケータイ握りしめ、テンションうなぎ登りのわたしにカゲツは呆れた視線を送ってくる。
くそ、カゲツのやつ、フられたとかそんな事実を言うなんて!
「認めよう! そう、フられたのだよわたしは! 8年間の通い婚の結末がここに……!」
「通い婚ってことはポケモンリーグは女なのか?」
「女っぽくない? なんかどーんと待ちかまえているところとかが」
「いや、リーグは男だろう!」
「えー、女の子っぽいですよ?」
「男だ。これは譲らん!」
リーグは男だとちゃんと主張してくるあたり、ゲンジさんもノリノリだ。
「ていうか通い婚歴、長いね~」
「なぜフられたんだ! わたしの何がいけなかったというのリーグちゃん!?」
「男だと言ってるだろう!」
ギャグのつもりで、「うわーん!」と目元に腕をやって泣いたマネをしてみる。それが、マズかった。
「本当、あなたと8年以上のつきあいだなんて信じられないわ」
「こ~んな小さかったのにな」
「アハハ、何それ!」
「ふふ、それじゃあまるで“おやゆび姫”ね」
冗談でカゲツが人差し指と親指を広げたらしい。
まったくもう、カゲツってば言ってくれるな。そう思ってもわたしは溢れてきたもののせいで顔を上げられない。
顔に腕をあてたままのわたしの様子のおかしさにいち早く気づいたのはフヨウだった。
「ちゃん、どうしたの……?」
「うん、ちょっと待って」
「気分でも悪いの? ちょっと騒ぎすぎたんじゃない?」
「そうじゃなくて、あの、笑わないでね」
「何だよ」
「どうしよう、ま、マジモンの涙が……」
「ああ!?」
にわかにアタフタしだしたカゲツに、吹き笑いしながらもわたしの目は熱いままだった。
ことごとくわたしのストッパーは外れてしまったらしい。泣きマネが、マネでとどまらないなんて。
叫んだり泣いたり忙しいヤツだ。良いじゃないの、あなた。そんなゲンジさんと奥さんのやりとりが聞こえる。
「バッグ、わたしのバッグどこかな……」
「ここにあるよ」
「そこにハ、ハンカチが」
「……あったよ。はい」
「ありがとう……」
受け取ったハンカチで涙を拭こうと腕をはなした瞬間、押さえるものが無くなった一瞬を見計らって水がボタボタと膝へ落ちた。
この場の空気がさらに固まったのを感じた。
「ご、ごめんなさい、ちょっと待ってね」
急に静まり帰った食事の席にわたしは焦る。せっかくみんなで集まったんだから、一分一秒でも長く笑って楽しく過ごしていたいのに。
私物を片づけていたあの日、ダイゴの前であんな顔を見せたばかりだというのに、またわたしは人前で泣いてしまっている。情けない。わたし、最近泣いてばっかりだ。この前のも今日のも意志に反する涙ばっかり。そして、どうして最近のわたしの涙は簡単に止まってくれないんだろう。
「泣けばいい」
流れを断ち切ったその声色には呆れも、いらつきも、喝するような色も籠もっていなかった。
ただ粛々と、ゲンジさんはわたしの涙を肯定した。
「恥じるような涙なら断るがな」
そうじゃないんだろう。もしくは、その涙を恥じるな。
ゲンジさんの言葉は暗にそう言っていた。
「泣くがいい。むしろ誇れ。それはお前さんが真剣に戦ってきたという証だ」
言い放たれた言葉はどれも胸の内に入ってきた。すんなりと、しっかりと。
ゲンジさんの言うとおりなのかもしれない。そうか、思わず涙がこぼれるのは、泣かずに片づけられない思い出たちがあるからなのか。
「うん、真剣にやってきたよ。わたしにできる限りのことを尽くしてきた。それは嘘じゃない」
嘘なわけがない。わたしは自分でそう信じている。
苦しみも喜びも、自分が抱いてきた感情はどれも強く焼き付いていて、決して嘘や冗談としては扱えない。
「でも、苦しい……」
誇るべき証だと、ゲンジさんは言ったけれどそれならばなぜこんなにも胸が痛いんだろう。心を直接、切られているみたいだ。痛い、痛いと心臓が叫んでいる。
うなだれるわたしに、またもゲンジさんは厳粛に言った。苦しくて当たり前だ、と。
「ちゃん、苦しいの……?」
「うん。まあ、ね」
「苦しそうでかわいそう、と言って上げたいところだけど――」
冷ややかに口を切ったのはプリムさんだった。
「あなたにそれを言うのは失礼にあたるわね。本当、まだ若いのに見上げた子。私があなたに送って上げられるのは申し訳ないけど、尊敬だけね」
「プリムさん……」
「あとは、少しうらやましい。私は苦境の中でこそ人は成長できると考えているから、その苦しみを手に入れたあなたがうらやましいわ」
氷タイプを鍛えぬくためにあえて、温暖な気候のホウエンに来たプリムさんらしい言葉だ。この人はほんと、強い。プリムさんはいつもこうだ、目先の感情にとらわれない。
「何かを乗り越えたときに手に入れられるものは栄光や成功ばかりとは限らない。達成感を手に入れたとしてもそれはすぐに過去になる。もし、それらを手に入れたとしても、その先には新たな苦悩が待っていることをあなたはよく知っているわ」
「うん……」
プリムさんの厳しい言葉。それに頷いたのはわたしじゃなく、フヨウだ。
「ちゃんだけにしか分からない気持ちなのかもね」
「フヨウ……」
「ちゃんだからこそ、手に入れられたものなのかも。苦しいのを喜んで、とは言えないけど」
「うん……」
フヨウの想いに、わたしの涙腺はますます緩んだ。それを押さえようとしたときだった。
「分かるような気もする、けど、分からない気もするな……」
涙腺じゃなく、気が緩むようなカゲツの一言。
この空気の中でも「よく分からない」と正直に物を言うあたりがカゲツらしい。久しぶりにカゲツに不意をつかれた気がする。
「あら、まあ……」
「カゲツ……」
「ただ、言いたいんだが」
一瞬流れたしらけた視線に気づかないままカゲツは続けた。
「、おめーは何を遠慮してんだよ」
そのセリフとともに、柔らかなげんこつが降ってきた。そしてわたしのこめかみで、こつん、と音を立てた。
「カゲツ……」
「良いんだよ、。いまさら泣き顔がなんだっての! 泣きたいときは泣け!」
「それはその通りね」
「でも、なんかかっこわるいし……」
「だからその遠慮がいらねえって言ってるんだ!」
「ちゃんは変なこと気にするなぁ。ずっと一緒にやってきたんだから、ちゃんのかっこいいとこもかっこわるいとこももう、見慣れちゃったよ」
「みんなぁ……っ!」
「ちゃんっ! アタシもなんか泣けてきた!」
「フヨウーっ!!」
ちょっと調子を取り戻したわたしとフヨウ。ふざけた気持ちも交えて、わたし達は抱き合った。泣き笑いしながら、いたずらに力を入れたり緩めたりしながら。
そうすれば、少し苦しみから抜け出せた。
「みんなありがとう、ちょっと楽になったよ……」
「そういうもんだ」
苦しみも永遠には続かない。威厳のある声でゲンジさんが言った。その言葉を、四天王それぞれも受け取ったみたいだ。机の周りはにわかに静まり、呼吸する音だけが流れた。
苦しみは永遠には続かない。この言葉も含めて、わたしに送られた言葉は決してわたしだけのものでは無いようだ。
「あの、さん?」
空気を裂くように入ってきたのはゲンジさんの奥さんだった。
「ってどうしたんです、みなさん……」「あ、いや、これは、何でもないんです!」
「でも、目が潤んでますわよ。まあ、あなたまで顔が赤いわ」
涙目を指摘するその言葉で、みんな気恥ずかしくなってしまったようだ。
ゲンジさんは咳払いを、プリマさんはさりげなく目頭を拭き、カゲツはネクタイを直した。
わたしとフヨウも、お互いにパッと腕を解いた。
「あの、わたしに用事ですよね! どうされたんですか、奥様」
「ああそれが」
ゲンジさんの奥さんが告げたのは、頭の中からすっかり抜けていた人物のことだった。
「ツワブキさんって方からさんへ、お電話が……」
ダイゴが電話?
わざわざゲンジさんの家に?
こんな時間に、いったい何のようで?
奥さんに案内されて廊下を歩く間、考えてみたけれど、思い当たるものは無かった。
渡されたのは艶やかな黒の受話器。黒電話を現役で使ってるなんて、ゲンジさんらしいや。
「はい、です」」
「もしもし、?」
「ダイゴ? どうしたの?」
「……なんか鼻声だね? 大丈夫? 風邪でもひいた?」
「そんなことないよ、電話のせいじゃない?」
「そうかな」
「電話だと、声の印象変わるよね」
ほんとはさっき盛大に泣いてたからなんだけどね。
本当の事を言っても心配させるだけな気がして、なにより四天王たちとのやりとりは自分の胸の中にしまっておきたい気がして、わたしはとっさに偽った。
それにダイゴだから厄介なことになりそうな気もするしね。
ここで電話越しに鼻をズビズビやったらダイゴに泣いてることがバレるので、必死にハンカチをあてて我慢する。
「で、何のよう?」
「ちょっと聞きたいことがあって。今日、君は正式に退職ってことになったらしいけど」
「そうだね」
「リーグチャンピオンの権利、その全部は僕が手渡された。そういうことで良いんだよね?」
「何よ、わざわざゲンジさんの家まで電話してきて、聞きたかったのはそれ?」
「うん」
返事に迷いが無いので、わたしはますます困惑した。
「変なこと聞くね」
「良いから」
なにも考えず、わたしはアッサリと折れてやる。彼の意図が読めないのはいつものことなのだ。
「もちろん。今日からあなたがホウエンリーグの完全なるチャンピオン。わたしにあった様々な権利はもう無い。全部ダイゴのものだよ」
「そっか」
「……言っておくけど、リーグに変なことしたら承知しないからね」
「心配しないでよ」
「しっかりね。わたしにできることがあるならいつでも言ってね。できる限りのことはするからね」
「有り難いけど……、それってリーグのことに限るんだろ?」
「あったりまえでしょ!」
さんってほんとリーグ大好き人間なんだね。
電話越しにそう苦笑するダイゴの声でわたしが思い出したことがある。些細なことだ。
(ダイゴの就任祝い、まだ考えてなかったな)
それだけのことである。