過ぎ去りし日々は今、無言で思い出に変わろうとしている。静けさ満ちるそのさなかに、わたしは居る。
別れ際のフヨウの潤み目と笑顔。お酒で見事真っ赤になったカゲツに、微笑むプリムさんのルージュ。わたしを送り出したゲンジさんのあたたかな家庭の団らん。
ずっと近くに感じていたい、思い出になんてしたくない。
そう思うのに、幸せの瞬間と今の間にあらがえない距離があいていくのをわたしは感じている。
そんな、お別れ会のかすかな名残に浸っていた夕暮れの出来事だった。
「やぁ」
「な……っ」
ピーンポーン。余韻もへったくれもないベルの音に呼び出されて玄関へ出れば、そこにいたのはもう会うことはあるまいと思っていた男・ダイゴだった。
……何のためにこの男はわたしの前に現れたのだろう。
ああ、冒頭の雰囲気をぶち壊しにするためか。それなら納得……、できるわけが無い!
「なんで!?」
「なにが?」
「わたし……ダイゴに住所教えたことなかったと思うんだけど……」
住所どころか電話番号だって教えていない。
ダイゴがどれだけわたしのことを知っているかは別として、こちらからは極力個人情報を受け渡さないよう努力していたつもりだったのに……。何か記憶違いでもあったんだろうか。その心配は次のダイゴの台詞であっさり解かれた。
「元リーグ職員の住所情報はもちろんリーグのデータベースから見つけたに決まってるよ」
この男は……!
「~っ職権乱用反対!! リーグに変なことしたら許さないって昨日電話で言ったばかりじゃない!」
「変なことしてるのはリーグに対してじゃなくてに対してだから」
「開き直るなっ!」
そう叫んでから、わたしはダイゴの後ろにいる人物に気づいた。なんてことはない、ただのおばちゃん通行人だ。問題なのはそのおばちゃんがわたしとダイゴを凝視していること。
通行人の顔にはありありと「あら、良いもの見ちゃった……!」と書いてある。
これは、やばい……。
「ダイゴ」
「なに?」
「……今日だけだからね」
渋々だけれどわたしはダイゴに道を開けた。
「あまり綺麗じゃないけど、どうぞ」
「え?」
「近所の人に見られてるの! とにかく中に入って」
「お、おじゃまします」
背に腹は変えられないとはこのことだ。
このまま玄関で話し続ければ、明日……いや数時間後には根も葉もない噂が近所一帯にあふれてしまうだろう。
わたしとダイゴの間の雰囲気が何色だろうとおばちゃんには関係無い。彼女ら特有のおばちゃんフィルターにかかれば、二人の関係は薔薇に包まれたものに見えてしまうのだから。
だいぶ前の話、わたしの家にワタルが訪れたときはひどい目にあった。
当人としてはただ親しい人を家に招いただけだったのに、「はワタルの恋人」に始まり「ワタルはロリコン」「のあの家はワタルに買ってもらった」などの卑しいものもあった。
どこをどう間違えればそう見えるのかわたしにはさっぱり分からない。
最終的に噂は「はワタルの隠し子」まで進化して、人の想像力とはすごいものだとわたしは感心したものだ。
ドアを閉める瞬間のおばちゃんの頬こそ薔薇色だった。ああもう、これは手遅れかもしれない。
「元気そうで良かった」
「……昨日電話したばかりだったと思うけど?」
「その電話がちょっとからげんき気味だったと思ったけど」
「気のせいだよ」
「元気なら良いんだ」
「………そんなことより、」
聡い人間は素直に尊敬するけれど、聡い上になれなれしい人間はいけ好かない。
わたしは話題を反らした。
「いきなり家に来るってどういうことなの? 普通手順っていうものがあるでしょ」
「………」
「そんなの考えたこと無かったって顔してるわね」
「いやぁ、電話くらいはしようかなと思ったんだけど、断られたら傷つくなと思って」
そりゃあ断るだろう。適当な理由をつけて、なにが何でも回避しようとすると思う。
口でダイゴにはほとんど勝てないと分かっていても、精一杯の抵抗をしたことだろう。
(ほんと、勝手だなぁ……)
自分が傷つくからって理由がもう、自分勝手だ。
傷つきたくないという気持ちは分かるけれど、ダイゴの手段はされる側としてはいただけないと思った。
「わたしにも考える時間をくれても良いでしょ」
こうやっていきなり自分の都合を突きつけてくるのはずるいと思う。
「……それは、そうだね」
「次からはよろしく」
分かったよ、なんて優しげな返事が返ってきたけれど、とうていわたしは信じる気になれなかった。
チャンピオン戦をした時からずっとそうだ。選択肢を吟味する時間もなければ、選ぶことのできない状況が続いた。
差し迫ったステージばかりを用意して立たせて、あっという間にあらがいの無いような状況へわたしを引き入れる。ダイゴはわたしの考える時間を奪うことばかりする。
意識的にやっているのかどうかは知らないけれど、これはダイゴの常套手段だ。そうわたしは思っている。