Not there, it's here


「なぁーにが、“君が消えたかと思った……”よ! 月9ドラマかっ!」
『うん、ドラマみたいだね!』


フヨウにかけた電話の最初の目的は、単にお母さんにたーんと持たされたおみやげを食べてくれる人を探してのことだった。このままでは腐らせてしまいそうな野菜や総菜系のもの。それらのお裾分けを、フヨウとフヨウのとこのおじいちゃんおばあちゃんに持ちかけていた。
なのに、いつの間にか話題の中心はダイゴになっていた。わたしの頭を悩ますダイゴと、この前の出来事についてだ。


『ねえねえ、本当に抱きしめられたの?』
「抱くっていうよりあれは締めあげてたよ。ほんと、潰されるかと思った……」


あの抱擁の感想を告げると、フヨウは電話越しに、きゃあ!なんて可愛らしく悲鳴をあげた。
こちらは実際に遭遇したまさかの仰天ニュースを報告しているような感触だけれど、どうやらフヨウは恋バナとして聞いているらしい。


「言っておくけど、そんなに良いものじゃないからね?」


“嫌われたのかと思った”

“僕はずっと、消えそうだと思ってた。消えちゃいそうだ、って”

思い出しただけで、ざわざわとしたものが背筋を上ってきて、抱きしめられた時の痛みがよみがえってくるような心地がする。思わず受話器を持っていない方の手でわたしは自分の肩をさすった。


「ああもう、ダイゴはいちいちセリフがロマンチックすぎる!」
『ちょっと現実離れしてるけど、ダイゴくんなら言いそうだよね』
「うん、さらりと言ったよあいつは……」


今でもあの時の言葉を並びあげては、現実離れした言葉たちだなと思う。けれどきっと嘘じゃなかったともわたしは思っている。
ごく自然に言われたからこそ、ダイゴの心からの声だったように感じるのだ。


『そういえばこの前さぁ、』
「うん?」
『支部長がダイゴくんに“テレビ出演の依頼来てるけど興味無いの?”って聞いたんだ。そしたらダイゴくん、なんて言ったと思う?』


なんだろう。自分の容姿にある程度自覚のあるダイゴなら、自信を持って出ていきそうだけど……。
答えに詰まるわたしにフヨウは嬉々として告げた。


『正解は、“テレビに出たら趣味の時間が減りそうなのでいいです”だって!』
「うっわー……」


なんてマニアっぽい台詞なんだ。
マニアっぽいけど、すごくダイゴらしい。だってすぐに頭の中に何の違和感もなくそのセリフを言うダイゴが思い浮かんだもの。


ちゃんはダイゴくんの趣味、知ってる?』
「石集めでしょ?」
『そう! テレビに出るより洞窟に通う方が良いって言い切っちゃうなんて、すごく変わってるよね』


同感だ。別にダイゴが好きなものについてとやかく言うつもりは無い。ただ、有名になることにそこまで興味がないのも珍しいと思う。
人と違う価値観をはっきりと持っている。それが、ダイゴという人なんだろう。


『そっかぁ。今日は妙に機嫌が良さそうだと思ったら、ちゃんが帰ってきたからだったんだね』
「ええ? 関係あるかなぁ?」
『絶対あるよ! だって最近すごく疲れてた顔してたよ。挑戦者もいないのに』
「ふーん」


確かに玄関でうなだれていたダイゴは思い詰めた表情をしていて、顔色は真っ青だった。
生気が無いように見えたのに、わたしの体に回った腕、うなじを押さえてきた手のひら、それに首筋に押しつけられたダイゴの首筋は熱かった。カーッと、まるで血の巡りを感じるような熱さだった。

そんなことを考えていたらふと、会話が途切れてしまった。


『どうしたの?』
「いや、なんでこんなにダイゴの話してるんだろうと思って」
『楽しいからじゃない?』
「っえぇ?」


フヨウがあっけらかんと返した予想外の返事。
不意を突く解答に、わたしは変な息の飲み方をしてしまい、ありえないよ!と返した声は一部が裏がえってしまった。


『でもちゃんは、ダイゴくんの話するときすごい楽しそうだよ!』
「そ、そんなことないって!」
『アハハハ!』


否定してるのにからからと笑うフヨウ。勘違いはやめてほしくって、わたしはますます躍起になった。


「ただ、ダイゴとは頻繁に会うから、ダイゴのことしか話すことが無いだけで!」


って、あれ?
言ってしまったことの内容に気づいたのは、口走ってからだった。

ダイゴのことしか話すこと無いって、何を言ってるんだわたしは!


ちゃんそれ、言い訳になってないよ?』
「うん。我ながらちょっと悲しくなってきた……」


でも実際、最近のわたしを包む要素のほとんどはダイゴだ。
実家に帰っても「ダイゴくんは?」なんて言われちゃったし、仕事がある中、あんなに甲斐甲斐しくわたしの家に来る暇人はダイゴだけだ。
ダイゴ、ダイゴ、ダイゴ。
それしか外部からの刺激が無い。振り返ってみると、なんて寂しい状況なんだろう。

仕事がなくなって、急にわたしの世界は狭く、静かなものになった。活動範囲も、人間関係もそうだ。
リーグの人たちとは仕事だけで繋がっていたわけじゃない。でも、ちょっと生活が重なり合わないだけで距離というのは開いてしまうのだ。

代わってダイゴは引く手あまた、のようだ。わたしを取り囲んでいる男の状況は、わたしとは天と地ほどの差があるみたいだ。


「そっかぁ、やっぱりダイゴにはいろいろ話が来てるんだね」


思わずため息が出てしまった。
ダイゴのことに加えて、もうひとつ悩みがわたしにはある。それは一向に次の働き口が見つからないことだ。
ワタルは絶対話を持ってくると言ってくれたから信じて待っているというのに、一向にその気配はない。
リーグ外の仕事だってそうだ。現役だった頃にはあんなに忙しかったのに、今はまるで潮が引いていってしまったようにピタリと止んでしまった。

何か声をかけてもらえるだろうなんて考えは自惚れだったのかと思うと恥ずかしいし、期待が裏切られるしでちょっと落ち込んでいる。
わたしは、仕事については何か自分で活路を見いだすしかないんだろうと思い始めていた。
受け身でいて、うまく行くほど人生は甘くないようだ。

そろそろ切り替えようと、していたのに。


『そんなこと言って。ちゃん人気だってまだまだ、衰え知らずじゃない!』


最初は、フヨウがお世辞を言ったのだと思った。


「そんなこと無いよ? だって、辞めてから一個も仕事無いもの」
『うそ!』
「嘘じゃないよ。すごいよね、小さな仕事も何もないんだよ?」
『……なんで?』
「え……? なんでって、なんで?」
『だって、ありえないよ……』


次第にフヨウの声色が沈んでいく。
一気に深刻さを増して、凍ったように堅いフヨウの語調にわたしも悪寒を感じた。


『一個も仕事が無いなんて、本気で言ってる?』
「嘘ついて、どうするの? この際だから言うけど……異動の連絡だって、ひとつも無い」
『そんなはずないよ! だって、ちゃんに仕事依頼の電話来てた』
「………」
『アタシ、この目で見た』
「フヨウ。それ、いつの話?」
『一昨日だよ』


受話器を握りしめながら、わたしはじっとりと手に汗をかいていた。


『本当に、本当に何も仕事無いの? ポケモンだいすきクラブ会報紙の写真付きインタビューの依頼は?』
「なにそれ知らない……」
『ホウエン新旧チャンピオン対談……』
「聞いてないよ」
『そんな、どうして?』


どうしてなんて、そんなのわたしが聞きたい。
湿った手の平から、するりと受話器が落ちていった。