Waiting for you


ダイゴはそっと、手を伸ばした。灰皿に散らかった思い出の残滓へ。
元は写真であったその亡骸を指先にとる動作は、蝶を誘い込むようで美しかった。またダイゴの視線もまるで慈しむよう。

この状況下で、全くもって理解出来ない“静”をまとったダイゴに、またわたしの視界で赤色が強さを増す。


「ふざけないで!!」


怒り狂う今のわたしには激昂の二文字がふさわしい。

この手に何か持っていたら、迷わず投げつけていただろう。もしくは切りかかっていたかもしれない。握っていたものが何であれ、それを相手を傷つける武器として使ったのは間違いない。

本能は自分を守るために、彼を傷つけることを選ぼうとしている。
気づけばわたしはダイゴにつかみかかっていた。


「もう言い逃れはさせない。全部わかってるんだから……!」


ギリギリと服を、襟元を締めあげてもダイゴは動じない。わたしがヒステリックに叫んでもただ黙って目を細めるだけだ。


「あなた、何がしたいの!? これは何の嫌がらせなのよ!! 分かっててやってるんでしょ! 全部計算なんでしょ!! 人を追いつめるのがそんなに楽しい!?」


何か言ったらどうなの? そう虚勢で嘲るも、ダイゴは自分の汚れた指の先を見つめたままだ。焼けた思い出の煤で汚れた自分の指と指とで擦り潰している。


「いったいどこまで手を出すつもりなの? わたしの仕事なくして、人のデータをいじくり回して、あげくの果てには壊した! わたしの大切なものを壊した!! あなたにとってはたかが写真一枚かもしれないけれど、わたしにとっては違うの……! 写真だけじゃない。あなたはわたしの全てを狂わせようとしている。これ以上、わたしから何を奪うの……っ?」


ツワブキダイゴさえ、居なければ。
ダイゴさえこの世界に存在しなければ日常は日常のままであった。似通った日々が繰り返されて、その中で時には笑いながら、時には悩みながら生きていただろう。

一度壊れてしまったもの。わたしがそれらを取り戻したとしても、もうあの頃には戻れない。失ったものを思えばダイゴをとらえ憎しみに染まっている視界にやりきれなさが染み込んでくる。目がかーっと熱くなって場面に合わない涙がこぼれそうになった。


「一番壊れてるのはあなた自身よね」
「………」


今の一言は効いたらしい。灰となったわたしの記憶をいじくりまわしていた指が、彼の動きがピクリと止まった。
何も面白くは無かったけれど、わたしは笑いながらまくしたてる。


「あなたがこんな、壊れた人だなんて思わなかった」
「………」
「壊れてて、イカれてる。神経を疑う。気持ち悪い。わたしがあなたに何をしたって言うの」


何も、覚えは無い。
わたしは、わたしの立場なりに出来るだけの情けを彼にかけたつもりだ。
それ以上、わたしはダイゴに何もしていない。
なのに……。


「あなたはわたしをどうしたいのよ……っ」


彼の首もとへつかみかかっているわたしの手を、ダイゴがまた包み込む。いつもさらさらとした心地だったダイゴの手も今日ばかりは汗ばんでいた。

近い位置で、視線がかち合う。ようやく、彼がわたしを見たと感じた。


「僕が――」


観念したのだろうか。ついにダイゴが口を開く。沈黙が、破られた。


「僕がチャンピオンになった理由、聞いてくれる?」
「それと今の話、何の関係があるのよ!」
「関係あるさ」


今まで黙り込んでいた分だろうか。
堰を切ったように、ダイゴは言葉の波を吐き出し始めた。


「成り立ての10才でもない僕がどうしてこの年になってリーグを目指したと思う? トレーナー以外の生き方もいくらでも用意されているこの僕が。もう一生遊んで暮らせるこの僕が、道楽でチャンピオンを目指したと思うかい? そんなわけ無いだろ。理由は全部、君だ。君なんだよ。全ては、という人がチャンピオンだったからなんだ」

「何、言ってるの?」
「そもそも、僕は元からチャンピオンになりたかったわけじゃない。僕は君から、チャンピオンの称号をはぎ取りたかったんだ」
「それなら! あなたの目的は達成されたじゃない。わたしはもう、ただのトレーナーになったわ。これ以上何の恨みが……」
「恨みなんかじゃない!」
「じゃあ何だって言うのよ」
「僕はが好きだ。頭がおかしくなるくらいにね」


恨みからの行動では無いと必死否定するのだから何だと思えば、ダイゴはわたしに愛を囁いた。


からチャンピオンの称号をはぎ取って、そして自分のものにしたくなったみたいだ」
「気持ち悪い言い回しをしないで……っ」


虫酸が走った。
ダイゴが自分の欲望をまるで他人事のように言うからだ。こんなつもりじゃなかった。そんな弱腰の言い訳が台詞が滲みでている。


「言い逃れは許さない……」
「たとえ本当のことを言ったって、君は信じないよ」
「言いなさいよ!!」
「……君を解放したかった」
「何よ……、わたしのためだとでも言いたいわけ?」
「その通りだよ」
「馬鹿言わないで。何が、わたしのためよ……!!」
「ねえ僕と君は前に会ったことがあるんだよ。テレビ越しじゃなく、そのまま君に会って知った。君の中に孤独があることを」
「妄想はやめて! でたらめを言わないで!」
「君が、解放されたがっていた。そうだろ?」
「どうして……!」
「だから僕は来たんだ」
「どうしてあなたがそれを言うの!?」
「僕は君を救いたい!」


互いが互いの主張を大して聞いていなかった。ダイゴが言っているのが彼の本当の想いだとしても、理解なんてとうてい出来なかった。
ただただツワブキダイゴは酔狂な男だという認識だけが強まる。

けれど、形勢は逆転しかかっていた。わたしがつかみかかって彼を追いつめていたはずなのに、いつの間にかわたしは後ろへと体を引いている。

気づけばわたしはまともな言葉を返せなくなっていた。
状況の見極めも、ダイゴの言うこともかみ砕けないわたしに比べれば、ダイゴの方が冷静に見えるのが癪に障る。
支離滅裂な言い分を繰り返す自分、惨めになっていく自分を感じて、それでもわたしは彼を負かす手段を闇雲に探した。

全く同時だった。わたしが彼をにらみ付けながら攻撃手段を探したのと、ダイゴがわたしの肩をつかみあげたのは。

次の瞬間わたしたちを襲ったのはお互いの攻撃、では無かった。




「ミロカロス ハイドロポンプ!」



叩きつけられた冷たい水。わたしは背中に、ダイゴは主に顔面にそれを浴びる。
いきなり襲いかかった大量の冷水にわたしたちはひるみ、気づけばわたしの手は自分の顔の前にあった。ダイゴも同様に、わたしの肩から手を離し自分の顔を守っている。


「ミロカロス、止め」


わたしたちが離れたのと同時に、また男の声がかかる。

何が起こったの? 誰がミロカロスを?
前髪の張り付いた視界で辺りを見回すと、たくましさと共に美しさも兼ね備えたミロカロスが映った。
そしてその横に毅然と立つトレーナーの姿。呆然と、ダイゴがその人の名を呼んだ。


「ミクリ……」


ミロカロスの持ち主は、ルネのジムリーダー・ミクリだった。


「大丈夫か? 力加減はしたはずなんだが」


駆け寄ってくるミクリは、すぐに上着をわたしにかけてくれた。

全く視界に入ってこなかった周りがようやく見えてくる。
水浸しになった室内。いつから見ていたのか分からないけれど、ミクリの後ろからも数人がこの部屋の中の状況を心配そうにのぞき込んでいた。


「何をやっているんだ」


全身ずぶ濡れになったダイゴに向かってミクリが言う。たしなめるような声色。

前髪から顎の先から水を垂らしながらも、ダイゴは痛々しい笑みを浮かべていた。
もう一度、ミクリがダイゴの名を呼ぶ。けれどダイゴは止まらなかった。


「僕が心底嫌いになったかい」
「おいダイゴ、いい加減にしろ! 冷静になれ!」
「隠さなくたって良いよ。嫌われるのも、想像の範囲内だ」


想像の範囲内。また気持ち悪い言葉遣いに、頭から被せられた水の衝撃なんてすぐに忘れた。


「わたしの為だとか、わたしを救いたいだとか」
も落ち着いて!」
「あなたに……」


ダイゴからわたしをかばおうとするミクリ。その腕の中から、わたしは叫んだ。


「あなたみたいな人にそんなこと、言われたくない!」
!」
「言われたくなかった……!」


ミクリが来たからといって、リーグの人間が見ているからといって、わたしたちは止まらない。


「ダイゴなんて嫌いよ」


わたしを押さえ込もうとするミクリを振り切って、彼にかみつくようにわたしは叫んだ。



「大嫌い!!」