男が泣くなんて情けないと思う。
でも、今日だけは泣かせて欲しい。
だって僕は初恋に破れたから。
大好きで大好きで仕方がないあの娘に見事フられたから。
『ありがとう。でもごめんなさい』
思い出せば悔し涙。そして果てしない羞恥心でいっぱいになる。
なみだなみだの反省会。出席者はミクリ。会場ももちろんミクリの家だ。
「フられただけならまだしも! あんな風に告白するなんて!」
「フられたのは良いのか……」
「いや、良くない! 良くないけど!!」
ミクリの前だからだろうか。僕はいつもより激しく感情をさらけ出していた。
「まったく。僕が少し遅れて着いたと思ったらそんなことになってるなんてね」
巻き込まれたミクリの方は話を聞きながら半ば呆れている。
呆れるミクリの気持ちは分かる。でも、今日だけは精一杯悔やませてほしい。この痛く自分を苛む感情を焼き付けておきたい。
そうじゃないと僕は立ち上がれないんだ。立ち上がって、次の手を考えられない。
「そんな、泣くほどのことかい?」
「だって! あんな、考えなしに告白するなんてバカじゃないか! バカのすることだ! そうだ僕は馬鹿者だ! 大馬鹿者なんだ!!」
「ま、まあまあ」
何度自分をけなしても足りない。どんな言葉も、僕の愚かさを言い表すのには足りない。
そう、失恋したくらいで泣く僕ではない。
涙している理由は彼女じゃなく自分にある。切なさよりも悔しさ、羞恥心の中にある。
報われなかった自分よりも、自分のしたことの数々を僕はもっとずっと後悔していた。
「フられて当然だ、あんなの……!」
「どうしてそう思うんだい?」
冷静に聞いてくるミクリに僕はなるべく丁寧に話し始めた。彼なら最終的にちゃんと理解を示してくれると、分かっているからだ。
「彼女、パーティーの中でひとりだった。つまらなそうにしていた。少し疲れた表情もしていた……。なのに僕は、物憂げなさんを可愛いと思った。彼女に欲望をかき立てられた。そして告白した」
問いかけに反応して、もはや取り返せない昨日の出来事が思い返される。そして浮かび上がった愚かな自分にまた身悶える。
彼女は確かに美しかった。けれど、あんなに大勢の人が集まった社交場のなかだというのに、彼女は独りだった。
窓の外をそっと見つめていたのは、大人の中に一人放り出され退屈だったから。その顔が憂いを帯びていたのは、会場に心の在処を見つけられなかったからだ。
彼女と僕は同じだったんだ。その痛みを僕は知っている。なのに僕は君を追いつめた。
「彼女の寂しさに気づいておきながら、なんで僕は欲望を押しつけたんだ?」
なんで、なんで、なんで。その言葉が残響する。
「ああいう場所で独りになる苦しみを、僕はよく知っているはずなのに……!」
あの時、僕には彼女にしてあげられることがもっとあった。
笑顔になれるような話題を持ちかければ良かった。
退屈から、連れ出してあげれば良かった。
疲れを忘れさせるような一時を作ってあげれば良かった。
あの時、僕の目の前にあったのは物言わぬ写真なんかじゃない、生のさんだ。
僕には与えられていたのだ。大好きな女の子に、ほんの少しの良い時間をプレゼントするチャンスが。
でもそれを僕は棒に振った。したことと言えばたったひとつ。独りよがりの幻想を抱いた告白。
彼女を目の前に舞い上がった僕は、彼女を知ろうともしなかった。
彼女に見惚れて、その勢いで想いを告げたことを悔いている。
こんな自己中心的な男を選ばなかったさんはとても正しい。
「僕は本当に最低なことをしたよ」
何もなかった。何もできなかった。
そのことが最悪だ。
彼女にとって僕はまだどうでも良い他人だ。舞い上がった末に愛を告げたバカな男のひとり。
今日明日にはもう、僕のことなんて忘れているだろう。忘れてほしいと思っている。あんな最低な男のために君の時間を使わないでと思ってしまう。だって、もったいないだろう。
「男として、本当に情けない……」
「………」
僕がだいたいを言い終えたと判断したのか、ミクリはふう、とため息をひとつついた。
失態を犯した僕にあきれているのかと思ったら、その口元には柔らかな笑みがあった。予想もしてなかったミクリの笑みに涙腺も驚いて、一瞬涙がひく。
「ダイゴはのこと本当に好きだったんだね」
「なんだい、今更……」
「いや、だって恋と憧れは違うものじゃないか。てっきりホウエンのアイドルとして好きなのかと」
きっとそうだった。度を越した愛情を僕は抱いていたけれど、結局それは夢を見ていたに過ぎない。
でも今は……。
渦巻く感情を言いあぐねる僕に、ミクリは晴れ晴れとした笑顔で告げた。
「でも、そうじゃないみたいだ。君は一人の女性としてのに恋してるようだね」
そうなんだよ、ミクリ。僕は彼女が好きなんだ。そしてフられた瞬間に、僕は彼女のこと、本当の意味で好きになってしまったんだ。これは恋でもあり、愛でもあるんだ。
「正確には、変わったんだ。彼女が、そのままさんが変えてくれた」
「そうか」
自覚していくほど、すーっと涙がひいていく。
「今までも彼女のこと、すごく好きだった。心の底から好きだった」
という人間が僕の中で姿を変えていく。
ずっと心の中に住んでいた存在に芽生えたリアリティ。それもひっくるめて、という人間に僕は心奪われている。
「今の僕は、好きって気持ち以上にさんを幸せにしたいと思っている」
おこがましいそれが、今、僕が新たに描いた願いだった。
「この手でさんを笑顔にしたい。彼女に少しでも多く、笑っていて欲しい」
おかしなことに、彼女に何かしたいと思うのは初めてのことだった。自分のためじゃなく、ただ、彼女のために。
大勢の人の中で感じる孤独の薄暗さを僕はよく知っている。その感情が確実に人を泥沼に引き込んでいくとも、憂鬱に浸かる苦しさも僕は経験している。
ダイゴという人間に生まれて知ってきた苦しみの分、彼女に優しさをあげたい。そういう存在に僕はなりたい。
見返りは望まない。
が望むこと、僕の手で叶えたい。
「あ、また独りよがりになってる」
さんに笑ってほしいなんてのも、綺麗な言い方をすれば願いになるけれど、結局は僕の欲望じゃないか。勝手なわがまま。
彼女の望みを叶えたい。それも結局、僕が勝手に抱いた感情。
自分というやつは本当にしょうもない人間だな。と苦笑した僕に、いいや、というハッキリとした否定が届く。
「いいや、違うんだよダイゴ」
「………」
「権利も無いくせに、相手を導こうとする。ただ自らのために相手の傍にいることを望む。そんなある種のエゴイズムを、私は愛と呼んでいるよ。ダイゴは愛に目覚めたんだね。それでこそ、私の友だ」
生き生きと言い切ったミクリ。
意識、特に美意識の高いミクリらしい台詞に、僕は率直な感想を漏らす。
「君は……、恥ずかしいことを言うな」
ミクリは笑った。僕も涙ながらに笑った。こんなぐしゃぐしゃの顔を見せられるのはこいつだけだ。
今だけは泣こう。泣かせてくれ。次に立ち上がるために。
過ちをバネに、僕は立ち上がらなくちゃならない。
独りよがりな僕で終わらないために。
「……そういえば、ミクリ。どうして君がさんを呼び捨てにしてるんだ?」
「今日の君ってほんと、めんどくさいよ。うん」
ジムリーダーなんだから関わりがあって当たり前だろ。ミクリは目の笑っていない笑顔で、新しい彼のハンカチを押しつけてきたのだった。
そのハンカチで顔を洗いながら、僕は僕に語りかけていた。
さようなら、青かった僕。
初恋はとても楽しかったね。
けれど、僕には好きな人が出来てしまったんだ。
だからホウエンのアイドルともお別れだ。お別れなんだよ、って。