Sunday after noon


別れ際にワタルはポツリとこぼした。寂しくなるな、と。まるでわたしが遠くにいってしまうような言いぶりだった。








間が悪かったようだ。ダイゴへとかけた電話は、本人にとられることはなく留守番のサービスへと繋がってしまった。しょうがなくわたしはメッセージを吹き込む。


です。いきなりだけどわたし今、公園にいるの。ホエルコウォッチングの出来る公園って言えば分かるかな。あなたの悪行の数々、償ってもらいます」


最後にいたずらを組み込んでわたしは電話を切る。古ぼけた携帯電話。そろそろ換え時かもしれない。

日曜日の午後。
“ホエルコウォッチングの出来る公園”。そのワードで知られているこの場所はベンチからも青青とした海が見える。
クロバットと空を飛んでいた間は風が冷たく、もう少し着込んでくれば良かったと後悔していたけれど陽のあたるこの場所は十分暖かい。春が近づいているのだとも思った。
ちらほらと見える人影もみんな軽そうなコートの前をあけている。短パン小僧や虫取り少年までいる。さすが、虫取り少年は元気だ。もう上を白いTシャツに変えている。


ん? 元気いっぱいだなぁと微笑ましく見ていたその少年が、気づけばじっとこちらを見つめている。
明らかにわたしを見つめる熱い視線。何か用でも、という風に小首を傾げてみると虫取り少年は目を輝かせてようやく言葉を発した。


「ほんもの!?」
「え?」
「あの、チャンピオンのさんですよね!」
「うん、です」


名乗って見せれば、虫取り少年は声変わり前の高い声を小さいのどから爆発させた。


「すごい、すっごい! チャンピオンがなんで!?」
「もうチャンピオンじゃないけどね」
「あ、スミマセン! なんか、チャンピオン、イコール、さんっていうイメージがあって!!」
「あはは。……とりあえずこっち、座って落ち着いたら?」


ベンチの横を示すと、虫取り少年は一度驚いて、何故か左右を見回して、でもすぐに飛びついて座った。虫取り少年の純粋な目もぐっと近づいた。
キラキラと光るつぶらな黒目が可愛くて、わたしはますます彼に心を許してしまう。


「ダイゴさんとさんのバトルビデオ、見ました! ぼく、すごく感動して、何回も何回も見直したんですよ!」


ダイゴとのリーグ戦。少年が熱く語り始めたのはわたしのチャンピオン生命に終わりを告げたあのバトルだった。


さんが強いのは知ってたけどダイゴさんも強くって、強い人同士のバトルってやっぱりすごくて。あと、さんのクロバット、相性が悪いはずなのにダイゴさんのポケモンを翻弄していて、鋼タイプをあそこまで疲れさせる飛行タイプって初めて見ました!」
「ありがとう。わたしもあの時のバトルは良いバトルだったと思ってたから、嬉しいな」


本当に。彼の言う通りあのバトルは素晴らしかった。心残りはひとつだけある。そのバトルが世に知られなかったことだ。キスとか誰かの恋模様とか、そんなくだらない話題に囲われて盛り上がるべきでなかった。
こんなに楽しいんだもの、トレーナーをやめられるわけがない! わたしにこんな思いを抱かせた名勝負だったと思ったのだけれど、世間やわたしの周囲で話題に上ることは結局無かった。

一度他人の言葉で言われてみたかった。あの一戦は何かを遺したんだと。
それは今日になって叶った。予想外にも語り手は幼い少年で、と思うと苦笑いをしてしまう。
わたしのシニカルな心境には気づかずに、虫取り少年の語りにどんどん熱が籠もっていく。


「すごかったし、それに、その時ぼく友達のスバメがどうしても倒せなくて、ぼくのポケモンじゃダメなのかなって思ってたけど」
「うん」
「あのバトルを見てたらぼくもできるんじゃないかって思ったんです! ぼくの虫ポケモンでもスバメを混乱させれば、って。そしたら!」
「そしたら?」
「次の日ぼく友達に勝ったんです! まぐれかもしれないけど、でも虫ポケモンでも飛行タイプに勝てた!」
「すごいね、苦手なタイプなはずなのに」
「はい!! あの、さんは!」
「ん?」
「いつチャンピオンに戻るんですか? 今日はもしかして打倒ダイゴさんのための修行ですか!?」
「わたしは……もうチャンピオンに戻らないよ」
「そんな、どうして?」
「わたしがなりたかったのはチャンピオンじゃなくてポケモントレーナーだって気づいたから」
「ええ……?」


明らかに虫取り少年は残念そうな、納得できないという顔をした。
一気に曇ってしまった笑顔。ごめん、と言いそうになるけどやっぱり心の中にとどめておく。
自分の選んだ道を謝る必要なんて無いし、謝られる筋合いも彼には無い。


「チャンピオンとポケモントレーナーって同じじゃないの?」
「全然違うんだよ。チャンピオンは結果でポケモントレーナーは生き方なの。……ちょっと想像しづらいかもね」
「うーん……。じゃあ今のさんは? 何してるの?」
「今日はただの人との待ち合わせ。あ、やっぱり待ち合わせじゃないかな。わたしが勝手に待ってるだけだし」
「……その人、来ないかもしれないんですか?」
「どうしてそう思うの?」
さんの雰囲気が暗いから」
「うん、実はちょっと不安なんだ。自信が無くて」
さんがですか!?」
「わたしにだって自分に絶対の自信があるわけじゃないよ。誰だってそうだと思うよ。……こんなこと言われても困る?」


ぶんぶん、と首を振って否定された。いちいちこの子は反応が純粋だ。


「その人はさんと友達?」
「うーん、友達って言葉はちょっとおとなしすぎるかな。もっととんでもない仲だけど、大切な人だよ」
「じゃあ恋人?」


おませさんめ。心の中でつぶやく。


「まだ。でも好きになりかけてる」
「ふーん……」
「うん。一緒にいてみようかなーって思ってる人」
さん、幸せになるんですか?」


子供だから、なんだろうか。不思議なくらいにわたしの心を射抜くのは。
わたしもなにをこんな正直に話しているんだろう。トレーナーの先輩後輩としておしゃべりを始めたはずなのに、わたしと虫取り少年はいつの間にか友達のようにベンチに肩を並べていた。


「何その言い方」
「お母さんが言ってました。結婚は女の幸せ~って」
「そう、そうなの。結婚は違うけど、幸せになろうと思って」


わたしがなりたいのはトレーナーだった、だから向いてないチャンピオンはやめた。こんな言い分はどれだけの人に通じるのんだろうか。
何年もチャンピオンの座を独占しておいて、名前も売って有名になってしまって、結局向いてなかった。なんて、いったいどれだけの人に理解できないと言われるだろうか。
これからのことを考えると頭がズキズキと鳴り出してくる。けれど、もうわたしは自分に嘘をつけなくなってしまったのだ。


さん」
「なあに」
「……チャンピオンがダイゴさんに変わった日から、ぼくずっと寂しいって思ってました。あんまりテレビとかで見なくなって、ポケモン講座もやめちゃってみんなさんの話もしなくなって、さんはどこにいったんだろうって。でも、幸せになるんだったら良かったなぁって思えました」
「……君、いい子だね」
さんは結構フツーの人ですね」


率直に言われて思わず吹き出して笑ってしまった。


「そんなもんだよ」
「もっとすごい、怖いトレーナーだと思ってました」
「今日だけ“トレーナーの”はお休みなの。プライベートだから」


茶化して言えば、ようやく虫取り少年に笑顔が戻った。
この冗談は彼にも通じたようだ。


「話、聞いてくれてありがとう。わたし、頑張るね! お礼にバトルにつきあいましょうか?」
「ありがとうございます! でもさんはぼくにとっての最終目標なんです。今のぼくはまだまだ未熟だから……。ぼくが今のチャンピオンを倒して殿堂入りしたら、その時にぼくとバトルしてください! 全力の! 真剣勝負で!」
「了解。じゃあいつか、会いに来てね」
「はい!」
「……ちょっと待って、連絡先をあげる」


純粋な夢を蓄えた瞳のトレーナー。彼になら教えても良いと思った。連絡をとるのはいつになるだろう。
名刺を取り出そうとして今日は置いてきたことを思い出した。仕方なく、手帳からページを一枚切り抜いて代わりにする。


「はい。いつかのために、ね」
「ありがとうございます! ポケナビに登録します!」


そうか。時代はポケナビなのか。
紙を握りしめた彼は今日一番、未来に燃えた顔で去っていった。わたしはその背中に、いろんな想像を巡らせる。彼はいったいどんなトレーナーになるんだろう。いつかダイゴを倒すんだろうか。



「色々と楽しみ。いったいどうなるんだろう。ね、ダイゴはどう思う?」
「………」


ベンチのわずか数歩後ろ。いつまでも立ちっぱなしの彼はそう問いかけても返事を返さない。言葉選びに迷っているということは、話を聞いて何か思ったことがあるのだろう。案外照れているのかもしれない。
体を向けると予想がぴたりと的中していて、わたしは思わず苦笑してしまった。
顔を赤くさせたダイゴに、そして彼の感情の予測がついてしまう自分に、苦笑したのだ。