数時間、空の航海を経て、わたしはカントーへ入った。ホウエンに比べるとジョウトやカントーは幾分か早く秋が訪れている。思わず、肩にひっかけていただけの上着の袖に腕を通した。
「お疲れさま、トロピウス」
着地後も、上空の風に当たった寒さが身にしみた。トロピウスを戻したボールをおにぎりみたく両手で握る。
くさ・ひこうタイプのトロピウスは気温の変化に弱い。特に寒さには。手で暖めてもボールに大した影響は無いだろうけど、トロピウスは大事なパートナーだ。愛しさからわたしはボールを握り込んだ。
背中の方向にはカントーリーグがある。わたしは振り返るのを一呼吸待つ。心に鎧をつけさせるための一呼吸。
振り返らなければ。荒れる心を鎮め、“”にふさわしい表情を張り付け。
わたしが心の準備を終えたとほぼ同時だった。不意に二の腕を捕まれた。豪快な男の手は早急にわたしを引き寄せ、くるりと方向転換をさせられた。
向けさせられた方向にいたのは、顔に微笑の張り付けたワタルだ。
「やあ!」
「わっワタル」
「待ってた。元気だったか。とりあえずすぐに行こう。時間が惜しい」
矢継ぎ早にワタルは続ける。
「案内するよ、新しいチャンピオンの元へ」
カントーリーグで生まれようとしている新しいチャンピオン。
それがわたしのカントー上陸の目的だ。
「……まだチャンピオンじゃないでしょ」
「そうだな。歩きながら話そう。彼についていろいろ話しておきたいが……まあ実際会うのが一番早いな。年が、電話で話した通り10才なんだ」
ワタルは強気な笑顔を崩さない。
かなり心配していたけれど、思っていたより元気そうだ。わたしは胸中安心のため息を漏らす。
新しいチャンピオンが生まれようとしている。それはつまり、ワタルが敗北をきしたということだ。
ドラゴン使いとしてポケモントレーナーとして極限の強さを誇っていたワタル。そのワタルが、カントー地方の王者がその孤城を崩した。
彼がたたきつけられたのは幾年ぶりの敗北だろうか。しかも自分の半分ほどのも年しかとっていない才能に、今までの全てを覆されたのだ。
新たなチャンピオンに関する一報を聞いたときに、驚きとともにワタルのことが気になった。
とりあえずはワタルはいつも通りだ。この状況なのに通常と同じように振る舞っている。ぎゅう、と胸を握られた気がした。
「なあ」
「何?」
「俺、少し恐ろしいと思ってるよ。タイミングが良すぎる」
「わたしもそう思うよ」
「時の流れか時代の流れか。何にせよ驚いた」
「……その子の名前は?」
「グリーン、だ」
新たなチャンピオンになろうとしているグリーンは10才の年齢そのままの子供だった。
通された間で、待たされたことにふてくされているあたり、まだ幼い少年が、そこに立っている。
「こんにちは、グリーンくん」
「誰だ、お前」
いきなりお前呼ばわり。ませた男の子だなぁ。10才でリーグ制覇をしようと思ったらこれくらいの強い心持ちが必要なんだろうか。
わたしは思わずうなってしまったが、ワタルは気にした様子はない。マントを翻しながらグリーンくんにわたしを紹介した。
「グリーンくん。彼女はだ」
「初めまして、グリーンくん。わたしはヒワマキシティの」
「……初めまして。オレはマサラタウンのグリーン。……ヒワマキってどこ?」
「ホウエン地方。ここからだいぶ離れたところにあるわ」
「はそのホウエン地方ポケモンリーグのチャンピオンだ」
「ふーん」
グリーンくんはわたしの肩書きを鼻で笑い、挑戦的な目をにらみつけてきた。
「で、なんでここにホウエンのチャンピオンが? よそものが何でここにいるんだよ? ここはカントー地方だろ」
「それはわたしが、重大な決定権を握っているから。あなたの未来を左右する権力をね」
好戦的な態度の彼をわたしも鼻で笑った。
子供。子供だ。身体も精神も成長途中の。10才なりに粋がっている。けれどこちらから見ればやっぱり、もうわたしたちが過ぎてしまった成長の過程をたどっている子供でしかない。
だからわたしは振り降ろす。刃のような権力を。
「ごめんね、理不尽だと思うけどグリーンくん、あなたをこのままチャンピオンにするわけにはいかないの」