リーグすぐ近くのホテルに戻ったのは日付が変わってからだった。
薄い眠りを妨げるもの。ばすばすと廊下を踏み抜く例の足音。起きるのはめんどくさい。ので再びシーツを引き寄せて顔を埋めた。のだけれど、すぐにインターフォンが連打に遭ってしまいわたしは嫌々体を起こした。
「ちょっと色々突っ込みたいところが……」
「なんだよ」
「いやもう、女性の部屋に朝っぱらから? とか、今早朝なんですけど? とか。そんなに鳴らしたらお隣が可哀想でしょうが、とか……」
「また明日って言ったのはあんただろ」
それで律儀に今日、来たらしい。そうか。妙に納得してしまった。
リラックスモードすぎてシャツの下の下着をさっき引き抜いてしまったんだけど、まあ子供だし良いか。幸い、散らかすほどの荷物を持ってこなかったおかげで部屋は片づいていた。
「分かったよ。どうぞ。入って」
「え゛」
「紅茶とコーヒーどっちが良い? あったかいの、煎れてあげる。あ、お菓子もあるよ。キクコさんがくれたやつだから絶対美味しい」
「………」
「ねえどっちにする?」
「お茶ください」
「レモンとミルク。どっちもシロップだけど」
「……ミルクで」
わたしはお湯の量を絞って、濃いめのコーヒーを入れた。そうしないとグリーンくんの前で絶対寝てしまう。
「良いんですか?」
「何が?」
素直に返すとグリーンくんはじっと、湯気のたつカップを見つめたまま何も言わなくなってしまった。
「ごめんね、わたし、グリーンくんの怒るの分かってやってるんだ。横暴なことしてる自覚はあるし、文句くらいは受け付けるよ」
まあ、彼の言い分を聞いたあとはもちろんこちらの言い分を聞いてもらうつもりだ。
ワタルの力強い言葉が頭の中で反芻される。
『彼に説明して、分かってもらうんだ。その方がずっと柔軟に動ける。ここまで頑張ってきたじゃないか。ならできる』
一応ワタルとはグリーンくんを一人前のトレーナーとして対等に話してみると約束したけれど、正直気が引ける。
リーグの未来を制限したいだなんて考えは、どこかで理解されなくて良いと思っているからだ。自分を批判する声で心安らぐことがあるなんて、自分でも驚いた。
「あんた、何者なんですか……?」
「ホウエンリーグのチャンピオン」
「そういう肩書きじゃなくて。あんた……、さんは何をしたい人、なんだ?」
その一言で彼は頭がきれるタイプなのだと分かった。彼はただ反抗して暴れるだけの子供じゃない。根本の欲望を知ろうとしている。
「うわー! グリーンくんって頭良いねってよく言われるでしょ!? まさかそんなストレートに聞いてくれるとは思わなかったなぁ!」
「っいいからオレの質問に答えてください!」
ちょっと耳が赤くなった。可愛い。
「んー、わたしは肩書きもチャンピオン、やってることもチャンピオンだよ。でも、チャンピオンって言われても具体的に何してるか分からないよね。チャンピオンの仕事もピンキリでいろいろあるし」
「そうなんですか?」
「うん。とりあえずチャンピオンとして手にした権力を元に、世界がもっとよくなるように活動中、かな」
我ながらうまく言葉に収まった。にんまりと笑ってしまう。グリーンくんは胡散臭い人間を見る目をしている。
「チャンピオンってさ、なったら分かるけど、いっぱい権限もらえるんだ。もうほんと、びっくりするぐらい。しかもなった瞬間にホイって。あのノリの軽さは今でも忘れられないなぁ」
思い出すように言うとグリーンくんの目線のじっとり度がだいぶ上がってきた。
「いやもちろんリーグ側のノリは軽くないよ? でもわたしの腕にそんなものが飛び込んでくるなんて思ってもいなかったから、ぽいって投げられたように思ったの」
「………」
「きっと前チャンピオンに勝つほどの強さと、そこまでポケモンを育てた人への信頼の証なんだろうね」
確かにポケモンを育て上げるのは並大抵のことではない。トレーナーは寝ても覚めてもポケモンのことを考えた生活を送る。
トレーナーとしての腕を上げるためには自分の好きなポケモンや得意なポケモン、同じようなポケモンを育てているようではバッジ集めは容易じゃない。
多様なポケモンを育て、旅の過程で多様なバトルに対応していく。
攻守のバランスを考えながらポケモンを育て上げ、最高の成功を修めたもの。それがチャンピオンだ。
ポケモンのようなある意味素直な生き物を従えるのにはもちろん愛情が必要だ。
それらを加味して、リーグの人々はチャンピオンに信頼を寄せるのだと思う。
確かに今までのチャンピオンに人格破綻者はいなかった、と思うけれど。
わたしは結局、自分が絶対の信頼を寄せられる人間だなんて思えなかったな。
「まさに勝てば官軍。リーグでは勝ったトレーナーが正義なんだよ。ジムリーダーの指名に任命、ジムの予算足したり切ったりとか、もちろん人事も握れる。四天王をクビにしたりも好きなようにできるし。そうそう! こっそりみんなの要望を受けてうちのリーグはトイレ増設なんかもしたんだ」
「え、トイレ、ですか?」
「綺麗なトイレって大事みたいよ。意外に好評で何かと褒められるからびっくりしちゃった」
「トイレで、ですか……」
「管轄外のことでもチャンピオンの肩書きを出せばなんとかなるからさ、大事なことからくだらないことまでなんでもやるよ。知らなかったでしょ? 本当に一国の王様みたいでしょ」
モンスターボールが現れ、ポケモンたちが人々の生活になくてはならないものになって、わたしもその頂点を志した一人。だけど、この世界はただポケモンを使えるだけの人間に全ての期待を寄せすぎていると時々感じる。
「……それで? オレをチャンピオンにしないのも、その世界をよくする活動の一環なんですか? だとしたら余計なお世話なんスけど……」
まあ、グリーンくんの言うとおりなんだけど。
心の内をそのまま言ってはグリーンくんがまた怒り出すのは目に見えている。わたしは彼に冷静さを保ってもらわなきゃならない。
「グリーンくん。わたしは君をチャンピオンにしないなんて一度も言ってないよ?」
「なんだよ、言葉遊びか? その気がないのはその目を見れば分かるんだよ!」
「あのさ、頂点って寂しいよ?」
「は?」
「そりゃチャンピオンになる人は精神も強い人ばっかりだからみんな弱音は言わないけど、頂点に立ってみんな感じるのは孤独じゃないかな。わたしは純粋にグリーンくん、いやこれから若くしてチャンピオンになる人全員に同情してる。グリーンくんはチャンピオンになりたいんだよね?」
「当たり前だ」
「チャンピオンになって何したい? リーグの中で王様になるのも計算済みなのかな」
「それは……」
「わたしはチャンピオンには何度もなりたいって思ったけど、王様になりたいと思ったことは一度もないな」
グリーンくんは黙り込んでしまった。わたしが考えさせるようなことを言ってしまったからだ。
本当に、わたしって悪い大人になろうとしている。
でも真剣な眼差しをしたグリーンくんに、もっと話してみたい。きっとこの人なら自分の頭で考えて彼なりの答えを聞かせてくれる。そんな期待を持ち始めていた。
「あ」
窓から見えたのは広間にある赤い髪。ワタルだった。彼も起き抜けなのだろうか。随分と薄着だ。薄着というか上半身裸だ。
カイリューたちも一斉に放しているということは、何かの訓練でもしているんだろう。
話している間に朝と呼ばれる時間になっていたらしい。
「……よし。グリーンくん、朝ご飯食べた?」
「まだ、ですけど」
「じゃあ腹ごしらえしよう。この時間だとフレンドリィショップになっちゃうけど良ければおごるよ! わたし今日はがっつりの気分!」
きっと外は涼しい。わたしはコートを取って外へ向かうことにした。っとその前に、下着を付け直さなければ。