「レッドくん、いつリーグに来そう?」
「多分、もうすぐ」
「え、そんな早い?」
「絶対今週中に来ますよ」
「今週ってあと三日も無いじゃない……」
取り引きが成立したとなると途端にわたしたちの話し合いはスムーズに流れ始めた。
とにかく事が上手く行くように頭を突き出して話し合う。気持ちを切り替えてわたしの話を聞いてくれるのだからグリーンくんは要領の良い子供である。
「分かった、グリーンくんの言葉信じるよ」
「信じるって、何だよ。都合が良いな」
「わたし性善説信じてるの。知ってる人限定で」
「それ信じてるって言わねーよ。当てはめてるだけだろ」
軽口を叩きながらわたしはひとつひとつ確認作業を行っている。グリーンくんを確実にチャンピオンへ押し進めるための手順を。
幸いここは執務室。昨日の作業の後も残っていた。
彼ののぞき込んでくる視線をもう煩わしく思うことは無い。先日知り合ったばかりの間柄に、利害関係の上に生まれた絆。こうしてるとほんと、共犯者になったみたいだ。
「厄介なのは、言いたくないけどグリーンくんが負けた場合なんだよね。そのレッドくんとやらまでちゃんと条件を飲んでくれるか分からないじゃない。っていうかまだ知らない男の子相手に猶予を設けるつもりも無いんだよねぇ……」
「それなら心配いりません」
「なんで?」
「オレはきっとレッドに負けるから」
グリーンくんはハハッ、と乾いた笑いをこぼした。
「いつもそうなんです。自分でも信じられないくらいの成長をしても、あいつはオレを越えてきた。いつも、いつも。だから、今回もそうじゃないかって」
「………」
「でもチャンピオンのことなら大丈夫ですよ。レッドはチャンピオンに勝つことは興味あっても、チャンピオンの権力なんてものには興味無いヤツだから。きっと、ちゃんと説明すればアイツは……」
「そうなの?」
「オレは絶対そうは思えないけど。アイツは根っからのバトル好きのポケモン好き。人の上に立ちたいとかそんなこと考えつかないようなヤツなんです」
「……信じて、良いの?」
「はい。オレ、多分アイツの母親の次に分かってますよ、レッドのこと」
敵対して、手合わせを繰り返して、相手を研究して、また戦って。そういうことの繰り返しによって知ったレッドのことを、グリーンくんは雄弁に語る。
やっぱり羨ましい関係を二人は持っているらしい。
自分を追いかけてくる存在なんていたことが無いから想像がつかなかった。
わたしにも、ヒワマキに昔なじみはいる。幼い頃に遊んだ友達。その中の一人でも、同じく腕を競い合う相手がいたなら……。
そんなこと考えても過去は今からは取り戻せないのだけど。
「それを聞いてちょっと安心した。けど、グリーンくん」
「はい?」
「やる前から負ける気でどうする」
「あ、はは……。それは……、………」
図星だったらしい。今までは滑らかに言葉を紡いでいた彼の唇が静止してしまった。
「レッドってトレーナーがどれだけすごいか知らないけど、やるからには全力でやりなさいよね! こてんぱんに!」
「簡単に言うなよ」
「それでも、わたしはグリーンくんを応援してるよ」
「調子の良いこと言いやがって……!」
「ほんと。そうだよねー」
「さんって、バトルもそうだけど、それ以上に性格がやっかいですね」
「褒め言葉をありがと」
「うぜー」
「このメンタリティ、分けてあげようか!」
「うわっ、いらねー」
「あはは」
なんで笑っているんだろうなぁ、わたし。多分バカ面だし。
どうして笑えるんだろう。わたしも、グリーンくんも。
レッドのことを思っているんだろうか。苦い顔をしている彼をよそに、わたしは少し泣きそうだ。
「ありがとう、グリーンくん。後のことはわたしがやっておく。とりあえず今日は休んで」
「信じて良いんだよな」
「取り引きだもの。信じて。わたしにもメリットがある」
「他に言うことないのかよ……」
「だってわたしの人間性が信用ならないって分かったでしょ? だったら次にアテになるのは損得勘定。でしょ? グリーンくんのため、今からこのリーグの支部長に会ってきますとも。根性で」
「はぁ?」
「うん、大人の事情」
ワタルはわたしをよく気にかけてくれている。わたしとホウエンリーグに対するに心配性を発揮してくれている。そのため、このカントーリーグの中、特に事務方にわたしを良く思わない人がいたりする。そういう、大人の事情だ。
部屋から出ていくと警備員は部屋の和やかなムードが信じられないという顔をしていた。どうも。お疲れさまです。何事も無かったかのようにわたしと警備員は挨拶を交わした。
ヒールの音が吸い込まれる絨毯詰めの廊下を歩く。
時間は午後3時。おやつの時間というよりは、ほぼ徹夜を決めた人間にとってはひたすら眠い時間帯だ。
朝ご飯を食べて、そのまま取り引きへと畳みかけたんだった。
一旦、泊まっている部屋に戻るのもアリだなぁ。でも、30分の仮眠で起きられる自信はちょっと無いかな。根性、根性。
ぼーっとした頭を引きずって別の棟へと移る通路へ出ると、冷たい風がわたしを貫いた。きっと北の、シロガネ山からの風だ。
わたしの体内で渦巻いた熱を奪っていくようで気持ちが良い。ふらふらと、中庭の中心へ出た。空を見上げると、それは館によって四角く切り取られていた。
「………」
吸い込まれそうだ。空に。このまま高いところへ昇ってしまいと、思う。手の中にある書類を放り投げ、体にたまってる疲労も脱ぎ捨てて。
目をつむる。当たり前にわたしの足は地面についたままだ。
目を開く。
分かっている。どこにも行けやしない。この世界にしかいられない。
体の熱が奪われていく感覚。指先が冷えて動かなくなっていく。根性、根性、根性、と胸の内で繰り返してみるけれど、わたしは中庭から動くことが出来なくなっていた。
原因は分かっている。
「わたし、何してるんだろ」
わたしは、年下の少年に詰め寄って、限られた情報だけを与えて、条件を飲むようにし向けた。取り引きを迫ったわたしは、悪魔だったと思う。
ヒワマキシティのから、ホウエンリーグチャンピオンのに肩書きを変えてきた。けれど今や怪物だ。
子供はチャンピオンなんてしない方がいい。そんなことを考えた始まりは、自分が受けた仕打ちが元だった。
自分の見てきた世界を変えたくて、自分と同じ思いをする人が出てきて欲しく無いと、思ったからだ。
他者を思っている、なんてまともっぽい理由が建前にあったから、わたしは突き進むことが出来たのだと思う。
けれどわたしは今日、グリーンを守ることをしなかった。レッドくんだってそうだ。目的の達成を前に彼らが犠牲になることを、わたしは選んだんだ。
歪んできてる。隠せないくらいに。大切なのが何か、分からなくなっている。
大人たちの勝手な都合に子供を巻き込んで、自分たちだけ利益を得ようとする。それは、わたしが一番嫌っていたやり方じゃなかったのか。
今日、わたしは、グリーンくんを脅した。
その大人たちの一員へと、完成したんだ。憎み嫌っていた手段に手を染めて。
「………」
ポケモンリーグ。それはわたしを育てた場所。わたしのトレーナー人生のほぼ全てを過ごした場所。わたしとワタルを引き合わせた存在。切っても切り離せないわたしを形成するもの。
けれど同時にわたしはリーグの嫌なところを山ほど見るに至った。吐き気がするほど嫌悪しているのに、自らと切り離すことが出来ない。
リーグ無しの自分なんてありえない。リーグは、わたしの一部だ。
ありがとう、リーグ。わたしを育ててくれて。
けれど、リーグ。わたしはあなたを許せない。
好きと、許せないが同居する。
好き、だけど嫌い。ありがとう、それでも、嫌い。嫌い、嫌い、大嫌い。けど、全てを捧げる準備は出来ている。
ようやく知った。
わたしをここまで突き動かした、鈍く脳を支配するこの感情の名は“憎しみ”だ。
「――さん!」
わたしを引き戻す少年の声。
わたしが外れてきた元の通路に、グリーンが息を切らせ、立っていた。
「どしたの、グリーンくん」
不思議だ。人の目があるだけで、わたしは元のに戻れる。
「さん、オレとレッドのラストバトルを応援してくれますよね?」
「え、ラストなの?」
「いやそれくらいの意気込みでって話! 応援、してくれますよね?」
「うん、する。するよ」
グリーンくんはニッと笑った。少年らしい笑みだった。
そして手の中のものをわたしへ突き出す。赤と白のモンスターボールだ。
そして彼は高らかに言い放った。
「じゃあ今ここで! オレとバトルしろ!」
中庭に響きわたったグリーンくんの挑戦状はびりびりとわたしの鼓膜を揺らした。
「………」
「オレ、何気にさんに負けたこと、すっげぇ悔しいんですよ。レッドの前に立つオレは、世界で一番強くなくちゃいけない……! そのためにはあんたから黒星貰ったままにはいかねーんだ! だから、バトルだ!!」
レッドの前に立つために、彼は偽りの無い自分を手に入れようとしている。
本当に、まっすぐだなぁ。
「……オッケー」
「、やった!」
「でもわたしに勝つかは、君の腕次第だよ。最強の称号なんだから、ちゃんと実力で勝ち取ってもらわなきゃ」
「言われなくとも!」
わたしは中庭の中心から抜け出した。
トレーナーの視線と視線が合ったらそこが、バトルフィールドだ。