FIGHT THIS HELPLESS FALLING SENSASION


大好きだ。元気でな。二つの言葉が続いたことは辛かった。
わたしの胸をあんなに喜ばせる声色で大好きと言えるのに、ワタルにはわたしが隣に立つという発想が微塵も無いのだ。
腹立たしいような、傷つくからこれ以上考えたくないような。でもきっと一生忘れられない。その次の言葉が「元気でな」だとしても、あと何年、あの「大好きだ」の響きが耳の中で聞こえることだろう。


「………」


荷造りをしていた手が止まる。思わず物を詰め終えた鞄を抱きしめた。

これで部屋を出て、下に降りていったらワタルがいて、帰るなとか言ってくれないかな。ホウエンに帰るなまで行かなくても、一緒にいたいとか、言って手をひいてくれないかな。無理か。
そうやってチャンピオンの仕事を省みない妄想をしてるのを知ったら、わたしにとくとくと説教をしてくれる。それがワタルだ。まじめな顔して、「君のために言っているんだ」とか言う姿が目に浮かぶ。

わたしは彼のお姫様になりたくて、けれどワタルはわたしを一人の人間として見ていてくれて、個人の考えとは突き放したところでわたしに接してくれている。
今はここが限界なのかもしれない。わたしがホウエンのチャンピオンである限り、ワタルはわたしを一人の女の子としては扱ってくれないだろう。

もし。もし、わたしがおばさんになって、チャンピオンをやりきって、今の場所から降りる日が来てもわたしはきっとワタルを好きなままだろう。チャンピオンでも何でもないわたしとして告白したら、ワタルは何て言うだろう。どんな顔をするだろう。
わたしがおばさんになるまでに新しく好きな子ができちゃうかな。
でも、きっとわたしに「チャンピオンであれ」とは言わないよね。
どんな答えをくれるかな。

今の状態が何年続くとしても、わたしはまだワタルが好きだ。
この初恋を手放したいなんて思わない。



翌日。荷造りと心の整理以外に、このカントーリーグを去る準備がもうひとつあった。


「あなたがあんなにワタルのことを覚えているとは思わなかった」


わたしはボールから出したリザードンに話しかける。


「わたしはあなたを大事なポケモンとして育てていたけれど、あなたにとっては違ったんだね。例えるなら、立派になって主の元へ帰るための修行期間とか、そんな感じだったのかな」


リザードンは目を細める。それでも彼は誇らしげだ。成長した自分を誇っているのだ。しっぽの炎は今まで見たことがないくらいに透明に透き通っていた。


「わたし、まだまだあなたと戦いたいと思ってたんだけどな。いいんだけどね。ワタルに焦がれる気持ちはわたしもよく分かるから」


こだわりぬいて育てたポケモンを人へ譲る・返すというのは初めてのことで、うまい言葉はひとつも出てこなかった。


「……そろそろ、いいか」
「ごめん、今準備するよ」


交換装置の向かいに座っているワタルから声がかかった。
ここ数年で進歩を遂げたが、まだまだ大がかりなそれにモンスターボールを通せば、リザードンは晴れてワタルの元に帰ることになる。


「リザードン。今までありがとう。ホウエンの気候は暖かかったけど、こっちは寒い日もたくさんあるから体を壊さないで。元気でね」







リザードンの抜けたパーティメンバーを連れてわたしはリーグの門からチャンピオンロードへ出た。多忙であろうトレーナーたちにはよろしく伝えてと残し、見送りは事務方の数人のみ。

最後、グリーンくんに会うことはしなかった。会っても気まずいし、何を話したら良いのか。彼の苦虫をつぶしたような顔は見たくない。

少しだけ歩きたくてそのままゆっくりと洞窟の近くまで行く。
嵐のようなカントー訪問だった。くたびれたため息が思わず出た。

はぁ、と息を吐ききったその時、わたしはひとりの少年とすれ違った。
その少年は今し方、チャンピオンロードを抜けてきたらしい。ズボンのいたるところが土埃に汚れている。
赤いキャップを深く被った、不思議な静けさのある男の子だった。一瞬で寡黙な印象を受けた。

グリーンの言葉にあった。レッドだ。トレーナーとしての勘がそう告げた。
彼が、グリーンの言っていた。まじまじとすれ違っていった少年を見ていると彼が振り返った。視線が合う。思わず腰のボールに手をやりそうになった。が、途中でやめた。自分の立場を思い出したからだ。


「お姉さん、トレーナー?」
「そう。だけど今ここで戦って良いトレーナーじゃないの」
「……そう」
「これからポケモンリーグに挑戦するんでしょ? 頑張ってね。手強いから。四天王も、チャンピオンも」
「……どうも」


彼の目をじ、っと見てしまう。彼は、レッドはグリーンに勝つんだろうか。もしグリーンが負けたらレッドがチャンピオンになる。
彼には、チャンピオンになった先は見えているのだろうか。

口から突いて出そうになる。


(その先で、あなたを孤独が待っているよ)


そんないじわるなことを言ってはいけない。


「あの」
「……え?」
「おれ、負けそうに見えますか?」
「え、う、ううん。まさか。違うの、黙ったのはぜんぜん関係無い理由だから」
「お姉さん、何考えてるの」
「い、いろいろ」
「言いたいことあるなら言ってよ」
「あー、その……、えーと……」


レッドくんはわたしの言葉を待っている。その無言の威圧感に負けそうだ。
参ったな。
わたしの考えを遠回しに伝える言葉を探す。


「えーと、ここってある意味トレーナーにとっての終着点じゃない。ここでリーグ制覇を成し遂げた君は、その先どうするのかなって不思議に思ったの。……君、結構強そうだから」
「………」
「ごめん、やっぱり聞かなかったことに……」
「どうするかも、どうなるかも分からない」


キャップの下からのぞいた瞳は揺れない。目の光は少し細まって、わたしを見つめる。


「けど、大丈夫です。おれにはこいつ達がいるから」


レッドくんの声に合わせてひとつのボールが揺れ、中から何かが飛び出す。
飛び出した小さなポケモンは彼の背中を駆け昇り肩に乗る。

そして、


「ピッカァ!」


ピカチュウが一声鳴いた。
呆気にとられているわたし。レッドくんはかわいいでしょ、と自慢げにピカチュウを一撫でした。


「そっか」


ポケモンがいるから大丈夫。
いつの間にか、一人で戦っている気分になっていたわたしは、彼のシンプルな答えに、急に笑いがこみ上げてくる。


「そうだよね!」



グリーンくん。君のライバルは本当に手強そうだ。

そしてリーグの建物へ消えていく幼い背中を見送った。

さあ帰ろう。
わたしはわたしのやるべきことをやろう。


わたしたちはそれぞれの道をゆく。