住所不定、無職、音信不通。今わたしを取り巻くこの状況を何と評価するか。それは人それぞれ違うだろう。
さんざんな言葉をみっつ並べてみたけれど、実際に泣きたくなるほど悲惨な状況、というわけではない。
住所不定。だけど実状はホテル暮らしだ。生活を立てていた家に帰ることが出来なくなったが、わたしは一泊の料金が決して安くない部屋で寝食をとっている。独占欲の強い恋人がいてやむを得ずこうなってしまった。
音信不通。だが別に何か犯罪に巻き込まれたわけではない。ただわたしが他人と連絡をとるのを許せない人がいる。独占欲の強い恋人ができてやむを得ずこうなってしまった。
住所不定の音信不通だけならば、旅するポケモントレーナーならよくあることだ。かくいうわたしもポケモントレーナーであったので、状況だけなら慣れたことだ。周りもきっと同じだろう。
けれど、無職。独占欲の強い恋人が、そうさせた。そうまじめな性格では無いのだけど、働かないでいることだけは耐えがたいものがある。その独占欲の強い恋人とやらに、しばらくのバトル禁止を言い渡されているのでなおさら忍耐の日々は続く。
働かず、バトルもせず。一体、わたしが何をして日々を過ごしているのか。それはわたし自身もよく、分からない。
太陽に随分近い位置から下を見下ろすと、富裕層のこどもたちが暖かな日差しに肌をさらしてポケモンバトルを楽しんでいた。
優雅なパラソルの観客席をたたえたホテルのバトルフィールドに入ったのはまだ幼い少年。フィールドへ押し出したのは動きからしてジグザグマだ。茶色い豆のようなものがジグザグに歩いた。その子の、お姉さんだろうか。彼女もボールはまだ持てないのだろう、女の子は強気な様子で後ろに連れていたキルリアをフィールドへ押し出した。
かの男からはバトルはしないで欲しいと願われているが、見ているだけなら彼との約束を破ったことにはならない。
子供たちがするバトルのまねごと。それを眺めるだけでも、わたしの日々への戸惑いが紛れていった。
「いけ、がんばれ」
下の方小さく見える少年少女に、わたしは小さく声援を送った。
今はわたしがいるのはホテルの高層にある、カフェラウンジだ。カフェと言ってもお金を払う必要はない。スイートルームに泊まれば自動的にここに好きな時に来て好きに飲み食いする権利がついてくる。言わば、上客をもてなすための部屋なのだ。
数多くの嗜好品と、芸術品のようなケーキ、新鮮な果実がどれも食べきれないくらいに並べられている。頼めばお酒だって出てくるだろう。アルコールについては、昼間から飲むようになってしまったら、本格的にわたしの感覚が壊れてしまいそうで手を出してない。いや、ホテル暮らしの時点でもうわたしの感覚はぐらぐらと揺れて崩れそうなのだけれど。
ここにある全ては泊まっている部屋に持ってこさせることも出来るのだけど、ここへ降りてくるのをわたしは楽しみにしていた。彼が不在の間だけでも、彼じゃない人の近くに身を置く。様々なことを忘れるためガラス窓を通して景色を見下ろす。それがわたしにとって愛おしい時間となっていた。
「探したよ」
声とともにそっと首に手のひらが滑る。指先がうなじからスタートして、鎖骨の方へ流れた。と思いきや窓を深くのぞき込んでいたわたしを後ろへ引いた。
後頭部が、声の持ち主の腿に当たる。
わたしから出たのはつん、とした言い訳だった。
「……ホテルからは出てない」
「そんな言い方しなくても。僕は責めてないよ。でも、部屋に戻ろう」
「ここじゃだめ?」
「しょうがないな。じゃあ僕も、少しだけ」
指先が巻き戻しのように引いていき、彼は向かいの席に腰掛けた。
本日のチャンピオン業を無難に――今日の出来事はまだ聞いていないけど、どうせ無難に――こなして帰ってきたのはツワブキダイゴだ。独占欲の強い恋人とは彼のことである。
「おかえり」
「ただいま!」
声からも分かる通り、今日のダイゴは上機嫌らしい。
気取った空間にも係わらず率直にカフェオレを頼む彼の動作はいちいち楽しげだ。わたしへと向き直る仕草で、髪がきらきらさらさら揺れる。
「何か良いことでもあったの?」
「今日も君が僕の恋人だ」
「そういう調子の良いこと言うのやめて欲しいんだけど。……反射的に冷たい言葉返しちゃうから」
「あはは」
気づいたらかわいげのない言葉が口から出ていて、繕おうとしたら余計に恥ずかしいことになってしまった。あー、失敗した。
急に熱くなる顔をダイゴがのぞき込んでいる。まいったのは、楽しげな目がキスしての合図を送っていたことだ。
「……、いやだ。人いるでしょ」
「いいから」
やだって言ってるのに。
顔を背けても諦めてくれないダイゴ。じーっと見つめられ待たれると、徐々に体中に巡ってくるのは熱い血と「この状況は、キスしなくちゃいけないのか?」という強迫観念だ。
「………」
「」
結局わたしは空気に流された。
ダイゴの頬に手を添えたのは、小さな抵抗だ。キスの動作は隠せなくてもせめて唇同士が接するそこを隠したかったから。
ダイゴは自分の頬にあったわたしの手を握り込むと、幸福へ沈黙した。口元はにやけている。
未だ彼はわたしのキス程度に、子供のように嬉しそうな顔をする。
わたしはどちらかというとその手を離してもらって、自分の顔を仰ぐのに使いたいんだけどね。後悔はしている。その場の流れに弱いわたしは馬鹿だなぁ、と。
「そろそろ戻ろうか」
「もう?」
「部屋にさ、呼んだんだ。アイスクリーム屋さん」
「へぇ。……ん?」
ちょっと待て。
思考はフリーズする。
「アイスクリーム屋?」
「うん。今日結構暑くてさ、食べたくなった」
いや確かに天気予報によると今日は春を告げるような陽気らしいけど……。簡単に窓を開けられない高層階で引きこもってるわたし達には関係無いように思える。
いや、アイスクリームが食べたくなったのが問題なんじゃない!
「なんで? なんで部屋に呼ぶの?」
「僕がと食べたかったから」
「そうじゃない。アイス食べたいなら、食べに“行こう”っていう発想が普通じゃない?」
「向こうからやって来たら楽だなぁって思うのも普通だろ。心配しないでよ、ちゃんと全種類持ってきてもらった」
「そういう問題じゃない!」
「準備は整ってる。あんまり待たせたらアイスクリーム屋さんが可哀想だ」
可哀想は可哀想でも、たったふたりの小さな胃袋のために全種類持ってこさせられたことの方が可哀想と思うのは庶民感覚だろうか。
報酬は払っているとしても、アイスクリーム屋の心境を考えると複雑である。
わたしと彼が揃わなければアイスクリーム屋は本日の仕事を終えられないのだから仕方がない。イスを引いてもらい立ち上がる。
気づけば階下の少年少女はいなくなっていた。親に呼ばれたんだろうか。バトルの決着は、ついたんだろうか。
「……ダイゴはわたしに地面の土を踏ませたくないのかと思う」
「あ、そうかもしれないね」
「話題は重いのに返事が軽い!」
住所不定、無職、音信不通。今わたしを取り巻くこの状況を何と評価するか。それは人それぞれ違うだろう。
ダイゴとの生活。
その状況に振り回されながら、美味しい思いをしているのも事実で、わたし自身の評価を下すならそれは“まあまあ”って、ところかな。