In a dream


ダイゴと広すぎるホテルで過ごした日々を「ばかばかしい」と表現したのは、わたしが未だ、ここで息をする理由を掴み損ねているからだろう。

ここで息をする理由。ここに呼び寄せられた理由。ここで何をしたら良いのか、わたしは何を求められているのか。
そういう目的は何ひとつ見えないまま、消費した。様々なものを。有限なる時間を。本当は誰のものでも無いはずの雄大な景色を。わたしが操ったことのない額のお金を。どこか新しい場所へたどり着けたかもしれない気力や体力を。何の目的も無く、惰性に、ふたりのために全部溶かした。だから、「ばかばかしい」と称したのだ。

ばかばかしい、くだらなかったと思う。でも。






元々は宿泊のための施設だからか、屋敷には無数の部屋がついていた。エントランス、大広間、プール、3カ所の浴場などなど主要な部屋を案内すると、ダイゴも全部を紹介するのがめんどうなのか「あとは自由に探検してよ」と言って済ませてしまった。

案内された内のひとつ、とある部屋。そこには元々わたしの家にあった家具が、綺麗に設置してあった。あの日ポケモンセンターから帰ると消えていた家のものたちがまるで、元からそこにあったかのようにそこで息をしていた。
今シーズンの洋服だけはすぐに必要になるからそれらは律儀に移動してもらっていた。けれどすぐに必要な洋服を除いたすべては、今までの滞在先でも姿を見なかった。だから、どこかの倉庫にでもぶち込まれているのかと思っていたけれど、ずっとここでわたしを待っていたらしい。

わたしの家をすっからかんにしたあの時から、ダイゴはここへ来ることを視野に入れていたのだろうか。

ダイゴが招き入れたエリアで落ち着いて息する、わたしの持ち物たち。
わたしは自分の持ち物を無言で見上げた。


!」


外から、ダイゴが呼んでいる。
廊下を出ても彼の姿は見えない。とりあえず廊下を進むと、外の芝生の上から彼が手を振っていた。ダイゴがジャケットを脱ぎ去ってシャツとベストの姿になっている。それだけで外の気温は暖かいのだということを感じ取る。


「来て。見せたいものがあるんだ」


とりあえず今はこの空間を歩き慣れたダイゴについていくしかない。わたしも、芝生の大地へ足を踏み入れた。外はやわらかな風が吹いていた。
隣に立つとダイゴは歩き始めた。ふたり、隣あって歩きだしたけれども、わたしは辺りをきょろきょろと見回して、どうしても一歩遅れてしまうのだった。
だって、屋敷の周りを歩いたのは初めてだ。正門から車で連れてきてもらってからまだ一度も、わたしは外の探検をしていなかった。


「……本当に、広いね」


小さな丘を一緒に登る。右も左も、前も後ろも。丘の上から見渡しても、塀や敷地の限界が見えない。
何も無い故にこの季節にしては強い日差しがわたしたちを明るく照らす。やがて森の小道に入ると、こぼれ日の涼しさにほっと一息を入れた。
萌葱色に満ちたこの森も含め、全てがデボンコーポレーションの持ち物だなんて信じられない。大会社だから次元が違うのだろうか。


「ホウエンが今以上に何も無かった頃に、会社がまとめて買い上げたんだ。この辺り一帯かなり安かったんだって」
「他に使い道無いの?」
「どうして? 最高の使い道だと思うけれど」
「……そう、なのかな」


わたしの返答に、ダイゴは虚を突かれたらしい。木漏れ日の下、目を丸くして足を止めた。


「だって、こんな広い場所にわたしとダイゴしかいないなんて。変な感じ」
「僕はそれが良いと思ってるんだけどな。僕の世界は僕だけのものだけれど、ここにいるとその僕の世界が外の景色につながっていく感じがするんだ」


ダイゴの言うことは、なんとなく分かる気がした。遠くまで続く芝生、そこに落ちる雲の影。草が細かく擦れる音ばかりが満ち、塀や民家は見えなくて、森と湖が境界線のように存在している。ここは、夢の中で見る果てしない景色と、似ている。
夢に見る景色と共通点を持っているからか、一度も見たことない景色なのに、わたしはなぜか懐かしさを覚えている。


「素敵だとは思うの。だけど、こういうのにひたすら慣れてないから……。わたし以外、誰もいないなんて」
「僕はいるけど」
「ダイゴはいるけど、でもなんか違うの。誰もいないというより、視線が無いことに、慣れないのかな……」


視線が無い。その表現の方がしっくりきた。ここに視線という名の、無数の要求は存在しないのだ。


「……人間は僕たちだけだけど、ここは人間だけの場所じゃないよ」
「それって、ポケモンのこと?」
「うん。こっちだよ」


自然と手を繋がれる。森を探検しているこの状況で手を繋ぐとなんだか子供になったみたいな心地がする。
ダイゴはそんなことを気にもかけずに、わたしを導こうと目的地をまっすぐ見ていた。その顔は何か期待に胸膨らませた笑顔で、そんなダイゴは思いっきり子供っぽく見えた。

導かれて進むと、道の砂が砂利道に代わり、次第に石が混ざり始める。木の葉の色に満ちていた森の中に、渋いグレーが覗くようになった。徐々に岩山に近づいているらしい。


「もうすぐだよ」


木々が開けて、そこに現れたのは岩ばかりの丘。岩がごろごろと無造作に転がる地面を、ダイゴの足は迷い無く道を見つけてわたしを引っ張っていく。
岩の丘の上で、ようやくダイゴは足を止めた。

そこにあったのは、ダイゴの身長ほどの高さを持つ大きな岩だった。この辺りで一番大きいその岩は、すごみを感じる濃いグレーの体をしていて、形は歪な雫型といったところだろうか。ここにずっと佇んでいたのだろうと思わせられる風格があるが、まだ鋭利な部分も残る岩だった。


「これ! 僕の好きな石! もうこの大きさだと、岩って感じだけどね」
「そうなんだ」
「子供の頃から大好きなんだ。色とかかたち、触り心地、硬さももちろん好きなんだけれど、一番の理由はこの石がここに存在してるということなんだ」


いまいちダイゴの力説することが分からない。首をかしげると、ダイゴはしゃがみ、さらにわたしの手を引っ張りしゃがませた。


「ほら、ここに穴があるだろ?」


ダイゴの指さす先を見ると、確かに地面と石の間に口の裂け目みたいな穴が開いていた。


「今はもう無理だけど、子供の頃ならこの下にも入れたんだ。この下は意外に広くて、ポケモンたちの住処なんだ」
「ポケモンたちの?」
「そう。それも、まだ小さなジグザグマやか弱いポケモンが寄ってきて、この岩に守られて過ごすんだ。僕は気に入った石があったらそれをすぐに拾って自分のものにしてしまう。けれどこの石は、ここにあることで役割を持っている」


確かにこの岩が持ち帰られ、別の場所に安置されてしまえば、か弱いポケモンの住処にはなれなかったであろう。
岩だけじゃなく、地面のくぼみとうまく合わさったから、ポケモンたちが入り込める隙間ができた。


「彼がここまで大きくて、堅くて、しっかりとしていたからこそ彼のままで、その他の生き物と共存できている。そのことが、子供心にとても感銘を受けたんだよ。だから僕はこの石が好きなんだ」
「……、分かるかも」
「だろ?」


分かるかも、なんて相づちでも、ダイゴは得意げにはにかんで見せた。

さっき、ダイゴが言っていた。

『僕の世界は僕だけのものだけれど、ここにいるとその僕の世界が外の景色につながっていく感じがするんだ』

その言葉をふと思い出す。
ここは確かに、ダイゴの心の中の世界と、ダイゴの存在する外の世界が重なる場所なのかもしれない。

ダイゴが子供の頃から好きだという石を見上げる。ダイゴが幼い頃に見た景色、今ダイゴが見ている景色。その時、わたしは初めて「ダイゴと同じものを見ている」という実感を得て、また、思ったのだった。

今わたしはダイゴの心の中を泳いでいる。







数時間の散歩を終え、陽が傾き始める頃にわたしたちは洋館に戻った。

かげりはじめた部屋の中、わたしは自分の持ち物を見上げる。

ダイゴの一声でここに運ばれてきたものたち。ひとつも欠けたところ、ものは無い。驚きなのが、主人の手が届かないところに置いてあってもホコリを被っていなかったことだ。大事にしてもらっていたようだ。

でも、それらを無言で見つめるわたしは気づいていた。そこに存在するもののほとんどが、もういらないものであることに。