テルくんは私によく「目を離せない人ですね」と言う。うっかり愛のある言い方だと勘違いしそうになるが、その時のテルくんの表情にはしっかり書いてある。私をしょうがない人だと思っているのが。
「でも、今回の私の活躍でキングリーフが束で手に入ったんだよ!? 儲けものじゃない!?」
「ほんっとうに懲りてないんですね……」
言ったことは何一つ間違いないのに、テルくんの表情が数段厳しさを増す。
そうだ、厳然たる事実なのだ。私が崖上に珍しくなかなか採取の出来ないキングリーフが群生をしているのを見つけ、袋いっぱいに持ち帰った事は。ただちょっと、上空に見えたムクホークに焦って、慌てて下山した際に足をくじいてしまったけれど。
収穫大いにアリなところを褒めて欲しい上に、私は昨日から絶対安静の言いつけを守って退屈を耐え忍んでいる怪我人だというのに。テルくんはなんとも容赦がない。
「確かにキングリーフの束は手に入りました。けど、それを真っ先にさんが浪費してるのなら意味ないじゃないですか」
「浪費呼ばわりはひどくない? 怪我に薬を使うのは無駄なことではないでしょ? それにちょっとあらぬ方向に曲がっただけだよ平気平気」
もう心配ないよと私は添え木のされた左足を上にあげて見た。キネさんがたっぷり処方してくれた鎮痛薬は効いているらしい。
「あまりの痛みで泣きベソかいてたじゃないですか。オレ、大人の人があんな情けなく泣くの、初めて見ました」
本当に容赦がないな。私は思わず肩をすくめる。
「そりゃ痛いものは痛いからね、大人だって泣く時もある」
またも事実を述べたまでなのに、私はテルくんからの深いため息をもらってしまった。
「明日から、さんは隊長の部屋にて反省文提出の後、軽作業です」
「え! っ、いった!」
驚きて身を乗り出したら、余計な力みが加わってしまったらしい。くじいた左足に走った痛みを堪えながら、私はテルくんに聞き直す。
「えっと、なんでシマボシ隊長の部屋?」
「その足じゃ階段も登れないからじゃないですか。医務室からも近いですし」
「はぁ〜……。反省文か……」
嫌だなぁ反省文。そう私が肩を落としているのを見てテルくんがまた呆れたと言うようにため息をつく。気にするのそっちなんですね、と。
「おはようございます」
翌朝、杖をつきながら、私はシマボシ隊長の部屋を訪れた。確かにギンガ団本部に入って正面すぐが作業所になるのはとてもありがたい楽さだ。
「おはよう」
シマボシ隊長はすでにいつもの机に腰をかけていて仕事を始めているようだった。表情の読めないケーシィも、体調の横で不可思議に浮遊している。
シマボシ隊長は私を一瞥すると、
「席につけ」
とだけ、言った。
私の体調を確認するような声がけはない。多分キネさんから詳細を聞いたか、問診票を読んだかしたのだろう。隊長はどうやら私の感情混じりの報告を聞くより、専門家の診断があれば状況を知るには十分と考えているようだ。実にシマボシ隊長らしい。
改めて隊長の部屋を見ると、入って左手の隅に、すでに小さな机が用意されていた。シマボシ隊長の部屋に特等席が置かれたようで舞い上がりかけたが、机の上に山盛りにされた書物がそうさせてくれなかった。
「えっと、反省文でしたっけ」
「ああ。但し、調査隊の心得を全て読み直した上でだ」
「うへ……。隊長、私が座学が大嫌いなの知ってますよね。やる気おきないなぁ……」
「。これらは反省を促すために課したに過ぎない。また一人の調査隊員の失態を記録し、今後に活かすのが目的だ。そこにキミの好き嫌いが関係あると思うか?」
完膚なきまでに、というのはこういう場合に使う言葉なのだろう。そう思ってしまうほど、隙のない反論をシマボシ隊長にされてしまった。
調査隊心得の読み直しとは、どこまでも心の踊らない作業だ。だが確かに、捻った足ではポケモンからは逃げられない。ベースキャンプにいても私はお荷物になってしまう。小さく息をつくと、私は書物の山の前に腰掛けたのだった。
座学は嫌いだ。決して不得手ではない。だが、頭に入った内容を繰り返し、何度もやり直させる昔の先生のやり方が性に合わなくて、以来私は座学嫌いになってしまった。
「ふぅ……」
ぱたりと三冊目を閉じて、私は肩を落とした。読み直しを行えば多少は新たな発見があるかと思ったが記憶に大きな相違はなかった。期待が外れてさらに私の意欲は下がるばかりだ。
四冊目を手に取ろうとすると、シマボシ隊長と目が合った。今日はよくシマボシ隊長と視線がかち合う。
「……もうそこまで読んだのか」
目を逸らされると思いきや、意外にも隊長から話を振ってくれた。
「ええ、まあ」
「地頭は決して悪くないのに、どうして行動は考え無しになるんだろうな。やはり今からでも本部内の作業を一から習ったらどうだ? 周りへの迷惑がうんと減る」
「だから座りっぱなしは嫌なんですって」
「……改めて、キミを座学嫌いにさせた先生とやらが恨めしいな」
そうぼやくとシマボシ隊長は会話を一方的に打ち切って、また手元に集中し始める。
私はそれを良いことに幾らか勝手にシマボシ隊長を眺めた。窓からの光がシマボシ隊長の薄い頬と唇の端にかかっている。
彼女に見入りながらふと、私は思い出した。以前シマボシ隊長から内勤を勧められたことを。実地に赴いての調査ではなく、調査報告を包括的かつ厳密にまとめる仕事にあたれと直々に言われたのだった。無理ですよ、私はじっとはしていられないから。そうにべもなく断ったらしばらくシマボシさんからの風当たりが強かったっけ。
思い出を手繰り寄せながら次の本をとろうとして、手が止まる。
「……これ、もしかして」
期待に指を振るわせながら幾年ぶりに開く、調査隊心得の第四巻。側面に指を這わすとやはり、間に幾つもの薄紙が挟まっている。
「やっぱり! うわー! 綺麗にできてる!」
取り出して私は思わず声を上げてしまった。紙と紙の間に季節の花々が、あの日の色を残して閉じ込められていたからだ。
「な、なんだ?」
「見ての通り、押し花です! 随分前に挟んだのすっかり忘れてましたよ!」
薄紙を取り出して、また次の頁をめくればまた別の花が顔を覗かせる。反省文を書くための机は瞬く間に時を止められた花たちで埋められていった。
「おい、ギンガ団の蔵書で何をしている……」
「この辺の本、使ってなさそうな感じで何年も同じところにあるんでいいかなって。ちゃんと紙もしっかり挟んだので本は汚れてないはずですよ。うん、全然汚れてないです!」
「………」
「出来たらすぐ栞にするために、背表紙のとこに台紙も挟んでおいたんですよね! ほら、バラバラにとっておくと忘れてしまうじゃないですか? えーと、糊は……」
引き出しから糊を拝借し、用意してあった台紙に貼る。薄く軟い押し花を壊さないよう、丁寧に余分な糊を取り除けば、それは満足の行く代物になった。
和紙にぺたりと寄り添った、枯れない花。我ながら中々風流な栞が出来た。
「見てください、良い感じでしょ。糊が乾けば使えます」
出来たばかりのそれを眼前に差し出せば、シマボシ隊長は僅かに眉を寄せ、沈黙してしまった。
大人しいシマボシさんを横目に私は残りの花たちも大事に糊付けしていく。じきに耳に触れた感動の薄い言葉たちは、少し、予想していた反応だった。
「こんな栞が何になる。書物に必要なのはただ読むという行いだ。栞のあるなしで書物の内容が変わるわけでもない」
「え、それはそうですけど。でも本に挟んで開いて一番にお花が目に入ったら、心が和むじゃないですかぁ。はい、シマボシ隊長にも。差し上げます」
お花の色味や配置などで、一番出来の良いものをシマボシ隊長に差し出す。シマボシ隊長は言葉を失いながらも、白い手でそっと私の手から栞を抜き取っていった。
「いつもありがとうございます。心配かけて申し訳ないです」
「………」
「え? 喜んでくれてます?」
「いや、あまり喜ぶべきではないだろう。こんな詫びは不要だ。そもそも無茶をしなければ、私の機嫌のためにこれ用意するような、余計な作業をすることも無かっただろう」
「ええ? それは誤解ですよ! これは怪我をしたお詫びじゃなくて、いつも私が抱いている、気持ちの現れです」
不要だと言うのに栞は一向に突き返されない。もちろんシマボシ隊長がそうすると分かっていたから手渡したのだけれど、実際に嫌がらないシマボシ隊長を目の当たりにして私は余計に嬉しくなってしまう。
それにシマボシ隊長は嬉しくない、とは言わなかった。あったのは「喜ぶべきではない」という言い回し。まるでそこにある自分の感情を理屈で否定しているようだ。私にはそう思えてしまい、みるみる口端が緩んでしまう。
「ふふ」
「何を笑うことがある」
「笑うほど嬉しいことがありました」
私に湧き上がる喜びを、シマボシさんは否定しない。彼女はそういう人だ。
「いやぁ、きっとテルくん、勘違いしてるだろうなぁ。私が監視と折檻も兼ねてここに置かれてるんだって。テルくんは優しい子だから、同情してくれてるかも」
「……間違いではないだろう。手に負えないものをここで監視し、折檻も兼ねて置いている」
「こんなの、全然お仕置きされてる気がしませんよ。 私いつも外回りだし、シマボシさんは隊長だからいつも忙しいし。こうやって四六時中、シマボシさんのお顔が見られるの、幸せです」
「見るべきは私の顔じゃなく、机の上のものたちだ」
「でもシマボシさんのこと、見ちゃうんです」
「……これで作業が進んでいなければ小言の一つも言えたのにな」
そう言うシマボシさんだって、今日は私と何回も何回も目が合っている。目が合うと始まってしまう他愛の無いお喋りは楽しくて仕方がない。
また小さなため息をついてから、シマボシさんは本音を滲ませる。
「。あまり喋ってくれるな。キミがここにいることに慣れてしまうと後で私が困る」
「……、ほんと、そうですね」
シマボシさんが抱くものと同じ予感は私にもあった。仕事の間も一緒にいられるなんて、こんなに楽しい時間は癖になる。
シマボシさんに、友愛以上の感情を抱いたきっかけは、つまるところ息が合うからだ。容赦無く詰められても懲りない私は、テルくんには随分呆れられている。けれど、私は私のままで居続ける。シマボシさんと息の合う私でいたいから。
「あー……。シマボシさん、好きです……。大好き……」
「……なんだその手は」
「こっちは立ち上がるのもひと苦労なんですって」
だからシマボシさんの方から来てと強請って両手を広げれば、ため息の後にシマボシさんの両手が背中に渡る。
私が座ったままでは高さが合わず、抱擁が難しかったのだろう。引かれるまま立ち上がれば、そのまま抱きすくめられた。同じ性に生まれて、しかし違う精神を宿すのに、心を合わせられる尊いもの。その肩に頬を擦り付けると、私は途方もなく安堵した。
「これは、足の悪いが、私の肩を借りているだけだな」
「はい、そうです……」
至近距離で言い訳を囁やきあって、私たちは腕に力を込め、相手の体の凹凸を自分の凹凸で埋めた。
無事に帰れてよかった。そんな実感は私の中だけよものじゃなく、抱き締めるシマボシさんの中でも静かに響いたのを、私は聞いた。