珍しくまとまった休みがとれて、私が一人でホウエン地方を出たのは友人に会うためだ。しばらく会っていない彼女に「そちらに行きたい」と連絡をとれば、彼女は快く休みの予定を合わせてくれた。
 二泊三日のささやかな旅行。けれど久しぶりの遠出に心踊らせながら旅立った。一日目は移動にほぼ時間を使い切り、現地で定番料理を食べた。二日目は前々から行って見たかった、有名観光地。
 そして最後の日は、ずっと待ち望んでいた友人との再会だ。待ち遠しい気持ちが膨らみ過ぎて、私は友人との待ち合わせ場所である駅前に、1時間以上も早く着いてしまった。
 やっちゃった、と内心でつぶやきながら、想定より時刻が一周分ズレている腕時計を眺める。
 1時間もの余った時間。しかしここは初めて来る旅先である。しかも今日が最終日なのだ。友人が来るまでの間の隙間時間を必ずや有効活用しようと、私は地図を開いた。

「うーん、短時間でどこなら見て回れるかなぁ」

 雑貨屋さん、お土産屋さん、美味しそうなジェラート屋さん……などなど、気になる情報に通していた目をふと辺りに泳がせて、私は固まってしまった。
 駅前は行き交う人で溢れているというのに、手入れされた襟足、美しく伸びた背筋がまっすぐ目に飛び込んでくる。詳しく聞いたことはないけど絶対にオーダーメイドであろう、彼だけが着用するスーツ姿は、遠目で見ても美麗なラインを保っている。
 ダイゴさんが、いる。普段はホウエンにいるはずの、ダイゴさんが。

「なんで、ここに……」

 特異さを静かに輝かせているその人は私の知り合いでさる。
 こんな旅先でまさか地元の人間、それもダイゴさんと出会うなんて思わなかった。目を丸くしていた私だが、そのわけにはすぐ思い至った。
 珍しい石を探しに、時々は仕事のために。ダイゴさんが様々な地方へ赴いているとは常々聞いていた。
 聞かせてくれたのはダイゴさんご本人だ。様々な地方に行く度に小さなお土産をくれるので、どこに行ったのかと聞き返せばどんな石が見つかる場所へ行ったか、いい笑顔で教えてくれる。

 お土産には喜びつつ、毎回お気遣いなく、と伝えている。だけどダイゴさんにはそれこそ毎回「見てたらちゃんにあげたくなったんだ」と返されてしまうのだ。これがまた屈託のない、いい笑顔で、向けられる度に絆されるというか、好感ポイントが否応無しに貯まるというか……。この人がおモテになる理由が外見だけではないのが、身にしみてわかってしまうのだ。
 話が逸れてしまった。
 つまり、石探しの旅ついでのお土産をよく貰うというこれまでのやりとりがあって、私はすぐに気がついた。私の数メートル先にいるダイゴさんは、今日も珍しい石を探しに来ているということに。そしてどうやら偶然、目的地が重なってしまったようだ。

 ど、どうしよう。思わず私の中に動揺が広がる。
 普通の知り合いなら、驚きのままに話しかけられていただろう。だけど戸惑ってしまうのはつまり、そういうことだ。
 そう、日々の積み重ねで私のダイゴさんに対する好感ポイントは着々と溜まり、そこそこ彼のことを意識するくらいにはなってしまっているのだ。

 ここでダイゴさんを見かけたことはなんのてらいもない、偶然だ。だけど話しかけたい、その際には嫌われたり、変な風に思われない自然なよい態度でいたい、なんて考えているところは下心ありありなのである。
 服装は友人に会うために、思いっきりおしゃれをしている。問題なし。
 でも、どんな表情で、なんて話しかけたらいいのだろう。ちょっとでも不自然さを出したら、ダイゴさんはこんなところで出くわした私に気味悪がるのではないだろうか。いや、ダイゴさんはそういう勘ぐりをするタイプの人ではないけれど……。
 私はぐるぐると迷い始めていた。驚きのままに彼の元へと走り出せなかったのが、今になって悔やまれる。

!」

 地面の方へと吸い寄せられていた私の顔を上げさせたのは、懐かしい友人の声だった。声の方を見れば、変わりなく元気そうな笑顔の友人がそこにいる。

「ひ、久しぶりー!」
「もう着いてたんだね。私もに会うのが楽しみで、待ち合わせより早くに着いてたんだ!」
「そうだったんだ……!」

 顔を合わせるのは久しぶりだけど、やっぱり彼女は私の友達だ。似た者同士のところがあるらしい。
 友人と無事に落ち合うことができた。ダイゴさんのことが気にかかるけれど、本来私が待っていたのはこの友人だ。じゃあ、どうする? 早めに予定の場所まで行っちゃう? そう言おうとするより先に、問いかけて来たのは友人だった。

「よかったの? さっきの男の人」
「え?」
「声かけたかったんじゃないの?」
「……もしかして、顔に出てた?」

 ダイゴさんにどう声をかけたらいいか、そもそも声をかけても大丈夫なのか。迷っていたのが、彼女からも筒抜けだったらしい。友人はちょっと意地悪な笑顔で頷く。

ってああいう人がタイプなの? まぁ、遠目でもすごく目立ってるくらいだし、気持ちはわかるなぁ」
「そ、そういうんじゃなくて! ホウエンの、地元の知り合いなんだ。こんな旅先でばったり会うなんて驚いたよ」
「ふーん? どんな知り合いなの?」
「本当に普通の、友達とも言えないけど、その……」

 友人はまだ疑いの目を向けてくる。私はかいつまんで、ダイゴさんとの今までのことを話した。ひょんなことで知り合って以来、親切に他の地方へ行く度にお土産をくれたりする、優しくていい人だ、ということを。
 ポケモンバトルも強くて、肩書きもなかなかすごい人であることを伝えれば、友人は「だからオーラが他と違う感じなんだね」と一人納得していた。

「あの人、目立ってるから私もちょっと見てたんだけど、は気づいた? ずーっと誰かを待ってるというか探してる様子だったんだ。もしかしたら、のこと待ってたりして?」
「ええ?」
「さっきだって、のことチラッと見てたような気がするんだけどなぁ」
「ありえないよ! だってダイゴさん、私が今ここにいること知っ……」
?」
「そういえば、知ってる、かもだけど」

 直接ダイゴさんに旅行のことは教えていない。だけど連休がとれたら、こっちにいる大事な、旧知の仲である人に会いたいということは伝えていた。そしてまた別日に私は、今度まとまった休みがとれた、という世間話をしたような記憶がある。
 聡いダイゴさんのことだ。その二つの情報を繋げて、私がこの休みにホウエン地方から飛び出していることには気づいていてもおかしくない。

「でも、私のこと待ってるわけではないと思うよ、流石に」

 そうだ。ダイゴさんは今だに、私の数メートル先に立っている。こんな場所で人混みに紛れながら、大好きな石が見つかるであろう洞窟の方へと歩き出さずにいるのは、誰かを待っている証拠だ。
 途端に気持ちがしぼんでいく。この偶然のチャンス、どうやって話しかけようかと考えていた私はかなり浮かれていたようだ。ダイゴさんが待ち合わせている人は誰だろう。もしかして、その人に会うのを楽しみにこっちの地方に来ているのだとしたら、正直ショックだ。
 遠方の友人に会いにいく。その喜びを私も知っている。だからこそ、この地方に誰か、ダイゴさんの大事な人がいる可能性は十分あるような気が、どんどん増してくる。

「……ごめん、やっぱりちょっと、話しかけて来て、いい?」

 ダイゴさんが今まで、親切心からお土産をくれたり話しかけてくれていた可能性が高いのは、よくわかった。だけどこのまま、なんでもない存在としてフェードアウトするのは寂しい気がした。

「話しかけないと、後悔する気がして……」

 何もないまま終わるのははいやだと、そこだけは確固たる感情が波を打つのだ。

「大丈夫だよ、。待ってるから。長くなるようだったら勝手にお店に入ってるから気にしないで」
「ごめん! あとで何か絶対、お礼するね」

 申し訳なさと感謝で友人に手を合わせてから、私は意を決して行き交う人の群れへと乗り出した。
 勢いに乗って歩き出した。それはいいが、なんて言って声をかけようか全く決めていなかった。どうしよう、と再び迷い出すも、そんな時間は用意されなかった。鬼気迫った私から、何か出ていたのかもしれない。ダイゴさんが私に気づき、透き通りそうな目の色をこちらを向けたのだ。
 私の存在に気づかれてしまった。逃げ場のなくなった私は、不自然に片手を上げて言い放つ。

「ダッ、ダイゴさん! こんなところで会うなんて。ぐ、偶然ですね!」
「……っふ」

 そんな息遣いとともに、ダイゴさんが破顔した。口元に手があるけれど、どうやらかなり笑っているご様子だ。
 なんでそんな笑い出しているのだろう。予想外の反応に目を白黒させていると、ダイゴさんは笑いをこらえつつ、理由を教えてくれた。

「ごめんね、ちゃん。キミがあの子とボクの話をしてるのが、遠めから見てもわかりやすくて、つい」
「き、気づいていたんですか!?」
「あんなにこっちをチラチラ見られたら、ね」

 なるほど。いつから気づかれていたかは分からないが、友人とあれこれやりとりしていたこと。それれ経て私が話しかけて来たことまで、ダイゴさんには筒抜けだったのだろう。恥ずかしくて顔が熱くなってくる。

ちゃんの待ち合わせ相手が、女友達みたいでよかったよ」
「え?」
「ほら、前に話してくれたよね。こっちの地方に大事な友人がいるって。どんな相手か、少し気にかかっていたんだ」
「あ、はい……?」

 ダイゴさんがよく掴めないことを言っている。内容をきちんと理解したいが、私は顔を仰いで、暑さから逃れるのに必死だ。

「でも本当に、すごい偶然だ。会えて嬉しいよ!」

 やはり向けられるのは、一瞬眩しさを覚えるようなイイ笑顔だ。

「わ、私もです。でも、ダイゴさんも待ち合わせですよね」
「うん。昨日、仕事で知り合った人がね、話が合うと思ったら化石なんかにも詳しいようでね。彼が石集めにぴったりな洞窟を案内してくれるそうなんだ」
「昨日、仕事で知り合った人、ですか……」
「うん。楽しみで待ち合わせに早く着きすぎてしまったよ」

 昨日今日知り合った人なら、ダイゴさんにとって特別なお相手である可能性は低い、と考えてもいいのだろうか。油断はできない。けれど、私の心は安直にも安心を覚え始めていた。
 小さなため息を吐きながら思う。勇気を持って話しかけてよかった。ダイゴさんの待ち合わせしている人物が一切誰かも分からないままだったら、今日一日そのことが気になってしまっていた。友人との久しぶりの再会も、十二分に楽しめなかったことだろう。

「石集め、楽しんで来てくださいね」

 さっぱりした気持ちでそう言うとダイゴさんはしかと頷いた。

ちゃんも。今日のところは旅を楽しんでね。それからホウエンに帰ったら、また、必ず会おう。きっと今度は、話したいことがいっぱいあるはずだから」

 どきりと、音が聞こえるくらい脈がおかしくなったのは、ダイゴさんの言葉が意味深だからか。それともきゅっと細められた目が、まるでバトルをしている時のダイゴさんと重なって見えたからか。
 理由の掴めない。けれど、「また、必ず会おう」という言葉に今まで以上に高揚感が膨らむ。

 私へと片手を振って離れていくダイゴさんの笑顔はやはり、いい、と思う。だけどもう彼は、私にとっていい人ではないなぁ。そんな発見が脳髄の奥に染み込んでいくのを感じながら、私も再会を待ち望んで、今日の偶然に手を振ったのだった。