ぜえぜえ、ひゅうひゅう。掠れた自分の喘ぎ泣きで、その夜は目が覚めた。最低な感情を見せつける悪夢を見たのだ。
時間はまだ真夜中だったけれど、私は頬を滑る涙をそのままに、マツバくんに電話をかけた。いつもなら彼の眠りが浅いことを慮ってこんな真似はしないのだけど、どうしても確かめたいことがあったのだ。
マツバくんがホウオウに認められる。そんな、悪夢と呼ぶには不釣り合いなほど、黄金色の光に満ちた夢だった。
夢の中のマツバくんは愛おしさを覚えるくらい幸せな顔をしていた。苦労が報われ、悲願を叶え、苦しみから解き放たれたマツバくんは、美しく荘厳なホウオウを見つめている。
その目に、彼を苛んできた周囲の期待や責任なんてものは映っていない。信じ続けていた願いが叶う。御伽噺のような出来事の渦中にいるマツバくんは、ひとつまみの可愛さすら見せた。暖かな光に照らされた彼は、それこそ太陽のような全能さに満ちた姿で、彼を見て私は悟るのだ。彼が私を必要とする理由が、消し炭になったことを。
彼を呼び出す音を繰り返し聞くことさえ、胸が痛い。
だってマツバくんの願いが叶った世界は幻だと、彼はまだ報われぬままだと確かめたくて、私は深夜に電話をかけているのだ。
酷いと分かりながら、私は電話を再度掛け直した。その指の爪はいつの間にか割れている。
「……はい」
眠たげなマツバくんの声がして、目の淵に残ってた涙がぽたぽたと床を打つ。
何も言えない私の、泣きじゃくる声が伝わったのだろう。さっきよりもはっきりした声が、私を呼ぶ。
「どうしたんだい」
「マツバくん……っ、ごめんね、こんな時間に。怖い夢を見て……っ」
「大丈夫かい?」
「自分の泣き声で目が覚めたの。今が本当に現実かわからないくらい、リアルな夢で……」
「どんな夢だったんだい?」
「……マツバくんに嫌われる夢」
さすがに夢の全容を伝えることはできなかった。夢の一部でも声に出せば、またぶるりと悪寒がやってきて涙が溢れてしまう。
私のいた布団はもう冷めてしまった。なのに今だに夢での感触が全身に走っていた。ホウオウの光に照らされて、自分の存在が限りなくちっぽけになってしまった恐怖。足元から崩れるような感覚に、塵芥を見る紫の目。
そして目が覚めてから突きつけられるのだ。今いるこの世界はマツバくんがホウオウに認められていないはずだと願った、自分の穢らわしさに。
「大丈夫だよ、。もう夢から覚めたんだよ」
「わかってる。けど夢の中にいた時は全てが本当だったの。マツバくんが私に興味を無くしてしまったあの瞬間は、本物の体験だった……」
「どれだけ本物のように感じられても、に興味を無くすボクなんて、それはボクじゃないよ」
「……でも、すごくリアルだった。まだ、怖い……」
夢での出来事は、現実では無い。それでも嫌われてしまった経験、悲しくて苦しい体験は、決して嘘ではないのだ。本当にこの身が味わった恐怖なのだ。
しかもそこに、マツバくんが幸せになってしまうことへの恐怖が重なれば逃げ場はなかった。マツバくん、未だホウオウに届かない貴方でいて、と酷いことを願った私自身はここにいる。夢の中の存在じゃ無い。
思い出すとますますだめだった。私はいつの日かもわからない思い出を取り出して、しゃくりあげてしまいそうになる。
ふと、不可思議なため息が聞こえた。ああ、とマツバくんがひとりでに言う。
それから、今日のことだったのか、という何か閃いたような、話の流れにそぐわないマツバくんの独り言が聞こえた。
「」
私の名を呼んだマツバくんの声は、笑っている。そう思える、という程のものじゃなく、はっきりと声が笑んでいる。
「とにかく、大丈夫だから。夢は夢なんだから」
「分かってる。分かってるんだけど、でも……っ」
「今日のところはもう寝よう」
「待って、お願いもう少しだけ……」
こんな恐怖の最中に置いていかれるのは嫌で、もうやりとりを終えようとするマツバくんを私は必死で引き留める。
「明日、何時でもいいからおいで。待ってるよ。ボクも、の顔が見たい」
「……、うん……」
翌朝。隣の家のおばあちゃんがマダツボミと散歩を始めるような早いうちに、家の戸がたたかれた。おいで、と私に言ったマツバくんだったが、彼の方から訪ねてきたのだ。
「ごめん、待ちきれなくて」
きちんと身支度を済ませていたマツバくんは、まだ整わない私の前髪を払った。ひくりと喉が鳴る。
「確かにボクは今もホウオウにふさわしいトレーナーになるため、修行をしているよ。だけどボクがホウオウに認められても、キミの大事さは変わらない」
マツバくんに嫌われる夢を見たとしか言っていないのに、マツバくんは夢の内容をぴたりと言い当てた。マツバくんが時々妙に勘が冴えていたり、おかしなことを口にするのには慣れっこだ。
私はそれよりも、現実を現実だと確かめたくてマツバくんの腕の中に自ら飛び込んだ。
「大丈夫、変わる理由がないよ」
「うん、うん……」
私は仕切りに頷いた。マツバくんが私を好きでいてくれるという、それこそ嘘みたく甘い現実に一秒でも早く全身を浸してしまいたかった。
マツバくんは目に入りそうな髪をすくって耳にかけ、私の冴えない表情に陽の目のような視線を当てる。
慣れた事象だった。マツバくんが、ずっとその時を待っていたかのように行動することは。不安定で視えないことも多い未来の中に生きながら、マツバくんはいつでもその時が来ると信じている。覚悟なんてとっくのとうに飲み込んでいるから、それを向かい入れる時のマツバくんは、いつも静かに凪いでいる。私を見下ろしたのはその、全ての支度を終えているマツバくんだった。
「だって僕が先に好きになったのは、なんだから」
まるでずっと言いたかった物事をいよいよもって口にした。そんな無邪気な表情だった。
ひとつまみの可愛さが、夢の中の表情と一瞬重なって、もっと暗くて甘い色に塗りつぶされた。