ゆるやかな坂道からスタートして、階段をひたすらに登れば、うっすらを季節外れの汗をかいた。
 アカデミー前の地獄階段の噂は聞いたことがあったが、テーブルシティは街全体が上へ、上へと登っていこうとしているような地形だ。

「ふう……」

 歩くだけでいい運動になるな。吐いた息には疲れが微かに滲んでしまったが、私は登ってきた道を振り返って、ひとりでに笑んだ。
 もしかしたら、大好きな恋人とこの街に住むのかもしれない。街並みに甘い未来が投影して、私はジニアとの待ち合わせ場所へ向かった。

 スマホをいじっていれば、ジニアは少し遅れてやってきた。
 白衣を翻し、つっかけのようなサンダル姿のジニアは見事なまでに学校の先生ルックである。

「ごめえん、待ったよねえ」
「ううん、大丈夫」

 髪の跳ね具合は仕事中でも変わらない私の恋人。職場から急いで駆けつけてくれたのだろう。ジニアもうっすらと汗をかいている。

「むしろ抜け出してくれてありがとう。アカデミーは大丈夫?」
「うん、半休、ちゃんととれてます! 授業は終わってるからねえ。夕方には戻って、授業の準備があるくらいかなあ」
「やっぱり先生って忙しいね」
「うん。でもだから、この近くにと住めたら最高だなあって。ぼく、内見すっごく楽しみでえ……えへへ……」

 そう。私はテーブルシティを訪れ、ジニアは半休をとって職場を抜け出して、待ち合わせたのは内見ためである。
 ジニアと恋人関係になって一年と半年。順調に距離を縮め、そろそろ帰る家を一緒にしてしまおうかという話になった。真っ先に候補にあがったのはテーブルシティだった。
 一人で住むには家賃の面でもハードルが高いが、二人で助け合えるなら、きっとちょうど良い場所が見つかる。多忙のジニアもすぐ帰って来られるし、私は日々の買い物が便利になりそうで嬉しいし。
 二人でネットを見ていたら、タイミングを見すましたように、よさそうな部屋が見つかって、連絡をとったところ急遽内見が決まったのだ。

「あ、不動産屋さんからメール入ってる。今向かってるところだって。楽しみだね」
「だねえ。間取り、もう一回見てもいい?」
「ん。今トークにアドレス送った」
「ありがとお」

 期待に胸を膨らませてるのはジニアも一緒のようだ。
 そもそも、ジニアとの付き合いも長くなってきたのに、こうやって時間を一生懸命作って会おうと思ってくれていることが幸せだ。

「世帯向けの部屋だからシャワールーム広いよね」
「あっ、ほんとだあ。キッチンも、今のの部屋より大きいような……」
「うん。キッチンも見るの楽しみ」

 ジニアとの生活はどんなものになるのだろう。自分のだらしないところを見せてしまうのだろうし、ジニアの知らなかった一面もさらに知ることになるのだろう。
 嬉しいことも、大変なことも、これから起きる全部が楽しみだなんて、不思議な感覚だ。
 相当浮かれている自分を自覚した矢先、ジニアが不意に声をあげる。

「わあ、どうしよう!」
「えっなに? 急にどうしたの?」
「一緒に暮らしたら、シャワーあがりのが毎日みれちゃうんだあと思ったら……」

 返事を聞いても、話がいまいち見えて来ない。耳に入ってきたワードを組み合わせ、必死に推察した、私の答えは以下だった。

「ジニアって……、シャワーあがりフェチなの?」

 あまり当たっている気はしてなかったけれど、やはり見当違いだったようだ。
 ジニアが違う違う、と言うように手のひらを振る。

「フェチとは違うなあ」
「じゃあなんなの?」
「それは、そのお……」
「なによ」
「シャワー上がりのきみって、多分誘っても、シャワー入ってないからいやだ!……とは断らないでしょ?」
「そっ」

 日中、堂々と教職の男から出てきた発言とは思えなくて、一度言葉が途切れる。大きく息を吸って、吐いてから、私はもう一度言い直した。

「そんな理由なの!?」

 むしろシャワー上がりをそんな目で見られていたとは知らなかった。私の反応を見透かしたようにジニアは照れつつも、追撃をしかけてくる。

「逆になかなかシャワー浴びない時は、焦らされてるみたいでどきどきするんだあ」
「なにそれ!?」
「歯磨きも、あんまりまじまじ見ると変な気持ちになってくるんだよねえ。歯磨きした後ならあも、キスはいやだあってしないし」
「あったり前でしょ!? こ、断る理由がないし……」
「でしょお?」

 ジニアの言っていることは正しい。間違ってないから肯定した。だけどそんなに自信満々の顔をされるとなんだか認めたことが悔しくなってくる。

「あと疲れちゃって寝てる時は、もう少し服装緩めて楽にしてあげたいなあって思うんだけど」
「た、たまにやってくれるやつね」
「あれもすっごくドキドキする。ブラ外す時とか……」

 眠気に負けて、横になると、ジニアは優しく言ってくれるのだ。「寝るならちゃんと寝なさあい」って言いながら。
 それで、だるくてなにもやる気が起きない私を甲斐甲斐しく、だらしない服装にさせてくれたりするのだ。
 甘やかしてくれるジニアの手が私は大好きで、そんな彼の優しさも愛しているのだけれど、一方そんな目で見られてたとは気づかなかった。

 彼の愛は感じる。だけど私が夢見ていた紳士的なジニアの一面が崩れてしまう。追い討ちのようにジニアはあけすけに語る。

「あ、わかった! ぼくはの気が緩む予感がしたら全部どきどきできちゃうなあ!」
「ジニア」
「はい」
「やっぱり同棲やめようか」
「そんなあ!」

 きっとあと数分で不動産屋さんが来る。けれど私の中では、やっぱりなしにする選択肢が急激に顔を出している。

「ジニアがエロ魔神すぎてびっくり」

 ジニアとの生活はどんなものになるのだろう。さっきも思ったことが、全然違う意味をまとって私の方にのしかかってくる。私は彼とうまく、やっていけるのだろうか。いろんな意味で。
 私が一抹の不安を覚え始めたことに気づいていないのか、ジニアはふわふわ頭を私にこてんと傾けながら愛を囁く。

「大好きな相手にはそんなものなんです」
「……あっそ」

 次第に絡んできた指は、熱を持っている。学校の近くではこういうことしたくないんじゃなかったのかなぁなんて思いながら、私も指を絡めてその熱を受け取る。

「あの。今夜はぼくの家で待っていてくれる?」
「しょうがないな……」