たんじゅんなのはキミの良いところだよ。幼なじみは目を細めてそう言った。一度では無い。何度か、不意のタイミングで言われてきたことなので、きっと彼は本音で、しかも褒めるつもりで言ってくれたのだろう。だけど私はあまり素直に受け取れていない。むしろ常に取扱注意の黄色いラベルを貼っておくべきところでもあると思っている。
期間限定にはもちろん弱いし、アプリ会員になるとその場で10%オフにもつられてしまう。SNSで見かけたおしゃれなカフェにはすぐ行きたくなってしまい、週末の予定が勝手に埋まっていく。
この目に映った魅力的なものに、実にお手軽に虜になっては、染め上げられてしまう。それが幼なじみダイゴが幾度も目を細める、私の特性、というやつだった。
ひとまず注文したドリンクの冷たさは、熱っぽい体に鋭く刺さるようだった。
それでもまだ体も頭も火照っている。目の前で輝くアブリボンが舞っているような心地だ。そのアブリボンはひらひらと私の周りを飛び回って、夢から覚めないようにと魔法の鱗粉を振り撒き続けている。
そうだ、私は今日、夢見てしまった。
気づけばまた、白熱灯が照らすお店の天井に、今日見た光景たちをもう一度並べ直してしまう。余韻から抜け出すことができないまま、私はうっとりと深いため息を吐いた。
「やっぱりここだったね」
思ってもなかったタイミングで向こうからやってくる。ダイゴはいつもそうだけど、私は言わずにいられなかった。
「なんでここに?」
ダイゴは妙に明るい笑顔を浮かべながら、空いていた私の向かいの席に座る。その動作は滑らかながら、強引だ。
「今日はこのお店に来ている気がしたんだ」
どうしてわかったのだろう。私の疑問は視線を通してダイゴに伝わったようだ。
注文もスマートに済ませたダイゴは事も無げに笑う。
「今日のキミはフォーマルなドレスを着ているよね。がボクに教えてくれたお店の中で、ここは一番ドレスで来るのにぴったりだ」
私はため息をついて、飲み物をもう一口飲む。それが降参の合図だった。
御明察。今日の私は珍しいくらいに着飾っている。品よくレースのあしらわれたドレス。ヘアセットに、アクセサリーまで。私にしては背伸びした服装だ。加えてこの日のために新調した靴を履いている。だから少し上品なお店に行きたくなった。そんな私の性分はダイゴにはお見通しだったようだ。
「それで、結婚式はどうだったんだい?」
「……」
そう、私が着飾っている理由はシンプルだ。今日は昔からの友人の結婚式に出席したのだ。
席の横に置かせてもらっている引き出物の紙袋も、私が結婚式帰りであることをわかりやすく示してくれている。
「えっと、あの、ね……」
何を言おうか決めないまま、自然と口が動き出す。
式場で行う、本格的な結婚式に出席する。人生で初めての経験だった。
今まで知らなかった美しい光景の連続。それを目の当たりにした私はずっと感情を持て余していて、それを受け止めてくれる相手を求めていたんだと思う。
ダイゴが柔らかく、うん、と相槌をくれたのを聞いて、私は吐き出すように言った。
「本当に素敵な結婚式だった」
それだけを吐息とともにこぼすと、私の胸はつっかえて、続きを言えなければ、息さえ上手に吐けなくなってしまった。
溢れんばかりの花で飾り付けられた会場。そこに咲いていた、たくさんの人たちの笑顔。宙に舞うライスシャワー。新郎新婦の潤んだ瞳。二人を祝福する全ての光と音。
今日、目の当たりにした全てが、会場を離れて一度は全てつぼみへと眠りかけた。なのに、ダイゴの問いかけで再び一斉に咲き始めた。そんな気分だった。
「たんじゅん、なんだけど」
「結婚したくなったかい?」
ぎょっとする。
あわあわとグラスを握っては離してを繰り返してしまったのは、図星だったからだ。ダイゴには完璧にバレたことだろう。
「な、何言ってるの? 結婚はそんな、簡単な気持ちで考えることじゃないし」
「そうか。じゃあ素敵な結婚式をいつか挙げてみたくなった?」
「今日の式は本当に手間もかかっていて、準備も大変だったと思う。参列者もすごく多かったし! だからそんな簡単な気持ちで憧れるのはなんか友達に悪いっていうか……!」
「じゃあウェディングドレスは?」
ダイゴの囁きで、式場での光景がまんまと私の目の前に蘇る。
純白のウェディングドレス。たっぷりと重なり、膨らんだ無垢色の布が、花嫁の歩みと共に揺れていた。
「……まあ、綺麗だった……よね……」
憧れたのは決してウェディングドレスだけじゃない。
新郎新婦の幸せそうな顔も、誰かと歩む人生を決意した姿にも、妙に感動させらてしまったのだ。そしてそれらを手に入れるのはきっと簡単じゃない。色んな奇跡的な出来事の積み重ねであることが、一つ一つ語られたわけでもないのに、不思議なくらい理解できた。
結婚。
私には手の届かないようなずっと遠くの出来事に思える。なのに一回の素敵な結婚式によって抱いた憧れが、胸の奥から溢れて止まらない。
「ダイゴにそこまで見透かされるなんて、恥ずかしい」
そして、少しだけ悔しい。
向かいの席のダイゴは、得意げにふふ、という笑い声を立てた。その笑顔が妙に楽しげというか嬉しそうに見えて、私はある予感を抱く。
「まさか」
「ん?」
「このために私が来そうなお店にわざわざ足を運んだの……?」
「このためっていうのは?」
「つまり、結婚式に憧れて簡単に感化されちゃう私を笑いに来たんでしょ」
絶対そうだと思ったのに、ダイゴは私の答えを聞いて少しだけ残念そうな顔をした。
「ボクはの何かを笑った事はないよ」
そうだろうか。私は何度も、ダイゴが横で目を細めていた姿を思い出せる。あの表情に悪意があったとは言い切れないけれど、私には読みきれない感情が含まれていた。
やけに綺麗で、理由がはっきりと分からない笑顔。その対象はいつも私であったように思う。
「友達の結婚式に出席すると聞いた時から、その日はきっとキミの結婚への憧れが一番膨らむ時だと思ったんだ。当たってるだろ?」
「……当たってる」
「うん。だから、その瞬間は、にはボクのことを見てもらいたかっただけだよ」
ぽかん、としてしまった。
近い感覚は、遠くの茂みからはかいこうせんが空に放たれたのを見た感じ。衝撃的なのに、まだ少し距離が遠くて、理解が遅れる感じ。
「キミが結婚のことを考える時に、他の相手の事は想像させたくないからね」
「……そんなことのために、ここに来たの?」
「そうだね」
うっかりダイゴの頑張りを“そんな事”と言ってしまったのに、ダイゴは否定しなかった。
だからダイゴにも掴みかねているのだろう。願ったことが大きいのか小さいのか、大事なのか些細なのか重たいのか軽いのか。
私から見たら小さくて、些細で、吹けば飛んでしまうような願いに思えるけれど、ダイゴにとってはそうじゃない。だからダイゴは、今日私を探してくれていたんだ。
その事を思うと少しだけ、胸がきゅっとなってしまった。
私がゆっくりと衝撃を受け止めている。その様子だけで、ダイゴは良しとしてくれたみたいだ。やがて運ばれてきた料理を前に、ダイゴはゆっくりと喋り出す。話題は昔のこと。ダイゴのバトルに憧れて、自分でもやってみようとした時のこと。本気で憧れたのに、自分がバトルには全く向いていないことが分かって、大泣きしたことなんかの話。
そういえば、当時のダイゴもそうだった。顔をくしゃくしゃにして泣いていた私を見て、静かに目を細めていた。目の前に座るダイゴの表情と同じ。微かに顔を傾け、なんだかあたたかいものに触れた時のように、あの日の少年も微笑んでいた。