ただいマルノーム、42



 声が殴ってきたりするわけじゃないだろと笑ったのは誰だっけ。ホムラだ。
 その時はわたしもそりゃそうだ、と同意したのだけれど、実際、声が殴ってくることはあるようだ。ダイゴからの録音メッセージはわたしの頭を横から殴りつけた。宣戦布告という鈍器を使って。

 ポケモンたちが使うちょうはつとおんなじだ。怒りによって攻撃性はぐんと上がるけれど、冷静な判断ができない混乱状態に陥る。まさにわたしはちょうはつを入れられてしまったわけだ。
 ルネの涼やかな風に吹かれれば少しは頭も冷えるかと思ったが、いまだにわたしの興奮は覚めやらない。

 とても穏やかでいられないわたしの事情を知り、ミクリは息だけで笑う。


「笑いたきゃ笑えばいいよ」
「きみを笑っているわけではないよ。ダイゴと、また会うことができた自分の幸運を笑ってるまでさ」
「いいよ、気休めは。自分でもバカだなって思ってるし」


 バカに決まってる。安いちょうはつに乗った自分は、バカだ。
 ダイゴの声を聞いて数日経った。なのにいまだに胸の内をかき乱されていることについても、呆れが止まらない。たった一本の録音メッセージで、だ。
 でもダイゴとはこういうやつだったな、ということも同時に思い出す。
 彼にとっては些細な言葉、一通の手紙、ひとつの動作が、周りの人の心奥深くまでをかき乱す。本人はそのことに半分気づいているが、本当の効果の大きさについては気づいていない厄介さ。ああ、ダイゴだ。そうしてわたしはまた、大人になった彼の録音された声を思い出している。


「ダイゴはきみを傷つけるような行動なら起こさないさ。だからこんなにも長引いている。あいつにはきみを傷つける勇気がないのさ」
「なんで」
「自分の命と同じくらい大事、だからさ」
「もしミクリの話が本当なら、命と同じくらい大事な存在をダイゴは思いっきり煽ったことになるけど?」
「そうさ。だから笑えて仕方がない」


 ミクリはひとり肩を揺らす。当事者じゃないからって随分楽しそうだ。


「それで? 勝機はあるのかい?」
「もちろん! そもそもわたし、ダイゴから逃げてた時に無意識に思ってたんだよね。こんなんじゃあいつを倒せないって。それって裏返すとさ」
「ああ、ダイゴを倒す気満々だね」
「我ながらなんというか……」
「昔から天性の勘の持ち主だったじゃないか」


 そうなんだろうか。まあ確かに理性より感情が勝りがちだろうか。
 こんなバトル脳の自分を見つけると、やはり思う。ポケモントレーナーは天職だなって。


「違う、こんな世間話をしにきたんじゃなくて」
「ふふ、ダイゴとの愉快な確執がこんな世間話、ね」
「ミクリに頼み事があってわたしは来たの!」


 ダイゴの宣戦布告に受けて立つため、わたしはミクリにお願いしなければならないことがある。むしろ、そうじゃなければ前回不可解な別れ方をしたミクリに自分から会いに来ない。


「わたし、ジムバッジは揃ってるはずなんだけど。リーグに行ったら、それが無効だったのよ」
「おや」
「バッジは本物だと認めてもらえたんだけど、ジムリーダーが何人か代替わりしたせいで、リーグ挑戦権まで認められなかったの。他地方での活躍もいろいろプレゼンしてみたんだけど、どんなに説明しても、ホウエンリーグの挑戦権は無いってつっぱねられちゃった」


 フウちゃんとランちゃんもそうだし、アスナだって最近ジムリーダーになったばかりだ。
 船の上からホウエンの地を見つけた時、わたしは変わらないホウエンに戻って来たのだと思っていた。だけどその中でも、ゆるりと時は流れている。ニューキンセツやカナシダトンネルのように景色も代わり、人間も代わっていっている。その過程、一地点にわたしたちはいるに過ぎないのだと思わせられた。


「だからミクリに一筆、推薦状でも書いてもらおうかと。実力を疑うならバトルだって厭わないけど?」
「それならわたし以上にふさわしい人がいるよ」
「え……?」


 順当にジムを回れば、最後の難関となるルネジム。そのジムリーダーはミクリだ。ミクリ以上にふさわしい人物は、わたしには思い当たらない。
 ミクリは笑みを濃くする。そしてなぜか腕を広げて高らかに宣言した。


「わたしの師匠さ!」
「なるほど、アダンさんか……」


 リーグ挑戦権を得るためにミクリ以上にふさわしい人物は、わたしには思い浮かばなかった。だけどミクリがバトルの腕や生き方において慕う人物は。そう考えれば簡単に出る答えだった。


「ミクリがそう言うなら、アダンさんにお願いさせてもらおうかな。ミクリ、仲介を頼める?」
「もちろんさ」
「ありがとう。アダンさん、初めて会うな……。師弟関係はまだ続いているの?」
「ああ。わたしもまだまだお師匠様から学びなければならないことが多くあるさ」
「そうなんだぁ」


 ミクリの話の中で何度か彼については触れられてきた。また、アダンさん自身も人気がある人物なので、人伝てに魅力を聞くこともあった。
 魅惑のダンディだ、と聞いたこともある。実際会う彼は、どんな人物なのだろう。バトルのために、また新たな出会いがわたしを待っているのだ。わたしは期待に胸を膨らませた。
 わたしの期待を読み取ってか、ミクリも誇らしげだ。


「それに、わたしはルネのジムリーダーは師匠であってもいいと思っているんだ」
「え?」


 予想外の打ち明け話にわたしは思わず、ミクリの方へ前のめりになってしまう。


「で、でもミクリがルネのジムリーダーでしょ?」
「わたしがチャンピオンになった時の話だよ」
「え、え!?」


 わたしはにわかに混乱した。ミクリがジムリーダーをやめるのかと思いきや、またも予想を裏切られる。
 だって、ホウエンのチャンピオンと言ったらダイゴだ。彼の一番と言って良い強さはミクリも認めるところのはず。
 そのダイゴを倒して、ミクリがチャンピオンになるっていうこと? もしかして目の前にいるこの男はわたしのライバルだったのか? 戸惑っているわたしに対し、ミクリが見せたのはどちらかというと黄昏たような、シリアスな表情だった。


「ダイゴはチャンピオンとしてよくやってるさ。だが、様々なものを背負いがちなダイゴがチャンピオンの枠に収まってるのも不思議な時があってね」
「で、でも。チャンピオンはダイゴ以外にありえないんじゃないの? 今の所、だけど。それに次のバトルでわたしがダイゴを倒したら、わたしが次期チャンピオンかもよ?」
「それはないね」


 きっぱりと言い切ったミクリ。それはつまり、あなたは負ける、と言われたようなものだ。ピリリと空気が凍る。


「ダイゴがさせないさ」
「わたしは、勝つよ。負ける気なんかしないね」
「もしが勝ったとしても、ダイゴがにチャンピオンにはならせやしない、という意味さ」
「………」
「わたしもそうさ。もしチャンピオンがダイゴでないなら、他の誰もふさわしいとは思えない。ならばわたしが、と思うまでだよ」


 わたしとミクリ。その間で無言のにらみ合いが続く。美人が剣呑な雰囲気で意識を集中してくると他では比べられない迫力がある。
 だけどそれに負けるわたしではない。
 加えて、幸運にも相手はミクリだ。わたしは口を開いてきっぱりと告げた。


「やめよ、この雰囲気!」
「!」
「ここでにらみあってもしょうがないし、目的は間違えたくない。わたしが欲しいのはダイゴとのバトル、そして勝利。チャンピオンの座が欲しいわけじゃないの。ミクリが未来にどうしたいかとかは、関係ないの!」
「……その通りだ。とってないトロフィーの話をするのは滑稽以外の何ものでもない」


 全くもってミクリの言う通りだ。チャンピオンの栄冠を独り占めしているのはここにいないダイゴなのに、わたしとミクリの二人で闘志を燃やしあっても仕方がない。

 胸の内でわたしはこっそり息を吐く。相手がミクリで助かった。
 ダイゴ相手じゃなきゃ、にらみあって挑発を受けてもこうやって冷静に考えられる。本当にダイゴだけがわたしをおかしくさせるのだ。そんな自分がまたばかばかしく感じられた。

 先ほどの雰囲気はもうルネの水面に溶けた。わたしが肩をすくめて笑むと、ミクリはもっときざったらしく目を細める。


「ミクリのお師匠様をわたしに紹介してくれる?」
「いいだろう」