病院から、幼なじみに連絡をしようとして電話機に向かい合うとそこにカメラ機能などは無くて、改めて実感する。イッシュで離れた人間同士が連絡し合うにはライブキャスターを使うのが当たり前。なのに、ここのホウエン地方では声のやりとりのみだ。
数回のコールでそれは心配かけてばっかりのあいつに繋がった。
『もしもし?』
「ヒュウくん? わたしです」
病院からのコールだったから、きっと誰からの電話か分からなかったんだろう。少し他人行儀だった声は、私がしゃべった途端にお兄ちゃん気質なそれになった。
『!』
「街に戻ったら連絡するって言ってたのに、遅くなってごめんなさい」
『まったくだぜ、がそう言ったのはもう三日前だ! 心配しただろ! 今どこにいるんだ?』
「んー。ホウエン地方かな」
『それだけじゃ分からないだろッ!』
「へへ……っい、たた……」
勢いのあるしゃべり方も含め、ヒュウくん相変わらずだなぁと思って笑った瞬間、まだ残っていた頭痛が私を襲う。
『どうしたんだよッ!!』
「ああー、うん……」
しまった、と思った時にはヒュウくんの声は焦りを含んで、小さい子を心配しているみたいになっていた。
ヒュウくんに電話をかけたのは、連絡すると言ってたのにできなかったことのお詫び。それと、イッシュ地方を飛び出した今もちゃんと元気だよ、って彼を安心させるつもりだったのに。やってしまったと思いながら必死にいいわけを考える。
『オマエ、なんか隠してるだろ。正直に言えッ!』
「う……」
さすがヒュウくん。わたしのことはお見通しである。
イッシュとホウエンはかなり離れている。助けてとヒュウくんに言って、助けてもらえる距離では無い。だから余計な心配をかけたくなかった。だけど、ヒュウくんの真剣な声には申し訳なさでいっぱいになってくるし、寄り添ってくれていた私の手持ちのイワパレスまでもが、咎めるように見てくるしで、ついに私は根負けしてして、事情を口にした。
「実はね、わたし今、入院してるの」
『な……ッ!』
話が長くなるのを察したのだろう。イワパレスが自分の上に座れとかがんでくれたので、私は甘えて腰掛けた。
「ヒュウくんに電話したあと、わたし、洞窟の中に入って探索をしていたんだけど」
『おう』
「初めて行く洞窟で、気をつけて行ったつもりだったんだ。トレーナーとしての腕は、揃ったイッシュ地方のジムバッジが証明してくれると思ってたし。だから私は今までの冒険と同じみたいに洞窟に入って、そこで、あの……」
『なんだよッ!』
「あのね、ね、熱中症に、なっちゃって……」
『………』
ヒュウくんの沈黙が痛い。
「だ、だって! ホウエン地方って、暑いんだもの……! 私、元々暑いの苦手だし……」
『……で?』
「それで、ふらふらしてたら転んで足も挫いて、そのうち気持ち悪くなっちゃって……。そしたらなんだか泣けてきて。気がついたら洞窟の中で目の前が真っ暗に……」
『………』
ああ、今も泣きそうだ。
トレーナーとしての腕には自信があったし、ポケモンの状態も万全だった。だけど自分の体調不良で、危険な目に陥るなんて、正直とても恥ずかしい。
『今は平気なのかよ』
「う、うん。倒れた後、イワパレスが近くにいたトレーナーを呼んできてくれたの。そのひとがすごく親切なひとで。
ダイゴさん、っていうトレーナーさんなんだけどね。すぐに私を洞窟から連れ出してくれたの」
洞窟の中、途中から記憶は曖昧だ。まるまる覚えていないところもあるし、朦朧として自分がどうしていたか思い出せないところばかりだ。
だけど、そのひとが駆け寄って助けてくれた、私はそのひとによって救助されたというのはしっかりと感覚として残っている。
「すごく強そうなメタグロスの背中にわたしを乗せて、優しく介抱してくれたし、そのまま病院に連れていってくれて」
わたしは熱くなりすぎた体を抱え、ひんやりと冷たいメタグロスのボディに必死に縋っていたのだった。朦朧としながら薄目を開けると、涼やかの目の色が見下ろしていたことも覚えている。しっかりとした手でわたしの体を支えて、そのひとと私は初対面のはずなのに、真剣に案じるような顔をしていた。
「ダイゴさんがね、入院の手続きとかもしてくれて。頭痛が少し残ってるけど、足の怪我もちゃんと手当てを受けてるから、大丈夫だよ。
あのね!すごく綺麗な病院なの。なんだか知らないけど個室で、ご飯もヘルシーだけど美味しいから」
『本当かよッ?』
「こんなことで嘘ついてどうするの!」
そう、たかが熱中症と捻挫だというのに、今の私はとても設備が整った病院の、広々とした個室に部屋をとってもらっている。しかも手厚い検査を受けて、健康的な食事まで。どう考えても不相応だと思うのだけど、これは全てダイゴさんが用意してくれたものだった。
「ダイゴさん、本当に優しくて。入院のお金も持つから何も気にせずしっかり休んでねって言ってくれたの」
『はぁ?』
「多分、ダイゴさん、お金持ちなんだよね……。もちろんそんなの悪い、って思ってるよ。なんだか行き過ぎてる気はわたしもするんだけどね。でも検査とかいろいろあるらしくて、まだ退院はできないみたい」
『………』
押し黙ってしまったヒュウくんに、気まずさを感じる。わたしは誤魔化すように、明るく言う。
「ヒュウくんのことだから言いたいことはたくさんあると思うけど、心配ご無用なんだからね!」
『……いや、心配は心配だけど、オマエじゃなくて……』
「う、うん?」
『都合が良すぎると、思わないか?』
「ああ、うん。そう、そうだよね。ダイゴさんに甘えすぎてるとは思ってるよ」
『そうじゃなくて……ッ!』
焦りともどかしさと苛立ちを混ぜ合わせたようにヒュウくんが口ごもっているけれど、言いたいことがいまいち分からない。
ヒュウくん、どうしたのだろうと首を傾げて、その時になんとなく、本当になんとなう後ろを振り返って心臓が止まりかけた。
「わ、だ、ダイゴさん!」
『なッ!?』
「やあ」
そこには、見つかっちゃった、と言いたげな軽い笑みを浮かべた、わたしを助けてくれたひとが立っていた。
「え、全然気づかなかったです! いつからそこに……?」
「うーん、5分くらい前からかなぁ」
「ご、ごめんなさい……! 一声かけてくれたら良かったのに」
「気にしないでいいよ。電話の邪魔をしたら悪いなと思っただけだよ」
『! もしかしてその男か?』
「いいの? 彼と喋らなくて」
「あ、ちょっと待っててくださいね!」
ゆっくりね、とニコリと言われるけれど、ダイゴさんのことを気にしないわけが無い。5分もこのひとを放置して、その間ヒュウくんとの会話している様子を見られていたなんて顔から火が出そうだ。
「ヒュウくんごめん! そういうわけで私、ドジもしたけど全然平気だから!」
『おい! ちょっと待てよッ! そいつと話させろ!』
「なんてヒュウくんがダイゴさんと話さなくちゃいけないの! また電話するからね、ヒュウくんも頑張って。じゃあ!」
『! 切るなッ!』
ああもう本当に、恥ずかしいったら無い。ヒュウくんがまだ何か言ってるけどそれどころじゃない。私は片手で顔を仰ぎながら通話を切った。
「ダイゴさん、すみませんでした」
「電話はもういいのかい?」
「大丈夫です。ヒュウくんとはどうせまた電話なりなんなりすると思いますし……」
「ふうん」
そう言いながらダイゴさんは、待合室の椅子をひいて、それから私の手を引いて椅子まで誘導してくれる。捻挫を気遣ってのことだけれど、その姿はスマートで、大人の男性だなぁと感じて、言いようのない胸の辛さを覚える。
「体調はどうだい」
流れるように手で、おでこの熱を計られた。
「ダイゴさん、わたし風邪で入院させてもらってるんじゃないですよ?」
「うん。でも心配なんだよ。あの日の君は、体は燃えるように熱いのに、肌が、白くて……、………」
「ダイゴさん?」
「………」
「ああ、ごめんね。あの時のちゃんは石英にも見えたよ」
「せきえい?」
「石英という名前を知らなくても、きっとちゃんも見たことある石だよ」
このひとは本当に、流暢に石のことを語る。ダイゴさんは今のところ毎日私の病室を訪れてくれて、面会の中で必ず一度は石の話をした。このひとは石に精通し、自分でも石を集めているらしい。だから、洞窟の中にいて、わたしの危機に居合わせることになったんだろう。
着ているシャツの袖は土埃を知らない白さで、決して洞窟にいるトレーナーに見えないのに。
「ヒュウくん、っていうのは、君の彼氏とかかな」
「ちっ違いますよ! ヒュウくんは幼なじみです。家が近くて、私もヒュウくんもトレーナーを目指すもの同士だったから仲良くなったんです」
「そうだね、とても仲が良さそうだった」
そういうダイゴさんはなんだか遠いものを見る目線になっていて、わたしはこっそりとむくれた。さっき熱を測られた時といい、子供扱いされてる気がする。
「ヒュウくんは、わたしより半年年上だからっていつもお兄ちゃんぶるんです。もうわたしの方がバトルの腕も上なのに。本当に心配性で、さっきだって……」
ヒュウくんの言っていた言葉を思い出す。都合が良すぎると、言われたんだっけ。
とにかくあの時は意識すらも曖昧で弱っていたし、ダイゴさんがまるで当たり前のことのように手続きをしてくれたから、わたしも流されて入院してしまった。けれど、確かに助けてもらって、回復するまで面倒を見て貰うなんて確かに甘やかされすぎだ。分かってはいるけれど、助けようとしてくれる手を振り払いがたいくらいに優しい甘さを匂わせている。
「ヒュウくんの気持ち、僕にも分かるけれどね」
「え……?」
「君のイワパレスが助けを求めてきた時、僕は驚いたよ。ホウエン地方では見かけないのに、明らかにトレーナーに育てられ、とてもよく鍛えられたポケモンだったから。だからイワパレスの持ち主は、他の地方から来た腕の立つトレーナーだろうとすぐに思った。だから、まさかこんなに華奢で可愛らしい女の子だとは思わなかったよ」
私のイワパレスが褒められて嬉しいと思っていたら、自分までが可愛らしいと言われてほっぺたが熱くなる。
「だ、ダイゴさんは褒め上手ですね……」
「あはは。ちゃんは見てると心配というか、ほっとけなくなるよ。だから君の幼なじみの気持ちが僕には分かるな」
一瞬、ほんの一瞬のダイゴさんが細めた目の光が潤んだのが、透き通ったシロップのように見えて、また別の意味で顔の温度が上がった。ぎゅう、と入院着の裾を握りしめる。
「足が良くなるには、まだしばらくかかりそうかな」
「完治するには一ヶ月くらいかかるって。先生が言ってました」
「そう。しっかりと治るまでここにいてね」
「でも……。このまま一ヶ月もお世話になるのは、さすがに……」
先生や病院の対応で、なんだかダイゴさんが相当すごそうな人物らしいということは分かっている。
だけどお世話になりっぱなしで、私は何もすること無いまま、あと一ヶ月を過ごす。うまく説明はできないけれど、さすがにそんなのは良くない、と思うのだ。
だけど何にも動じた様子なく、特に意味も意図も無いみたいに、ダイゴさんは言う。
「君のことをほっとけないんだよ」
「そんな……」
「それに僕は君に会いに来るのが楽しいんだ。ちゃんは?」
「わたし、も。嬉しいです。ホウエン地方の知り合いは、ダイゴさんだけだから……」
そう。目の前のひとは、このホウエンで唯一の頼れる人物なのだ。自分で言葉にすると、その事実がいっそう刻みつけられた。
「良かった。実は、さっきの電話で、君がイッシュに帰りたいと言い出すんじゃないかと思っていたんだよ」
「わたし、そんな柔じゃないですよ」
「でも女の子であることに変わりはないからね。せっかくホウエンに来たのに、怖い思いをして可哀想だなと思ったんだ」
「……確かに、倒れてしまった時は苦しくて、辛かったです。けど、ダイゴさんが助けてくれましたから」
「うん。僕がいるよ」
ダイゴさんがいる。なんだか恥ずかしさのある言葉だけど、なぜかそれは胸の奥にすっと染み込んだ。
自分とパートナーの力を合わせれば、きっとどうにかなると信じて故郷を離れた。知り合いがいなくたって、実力があれば平気だ。そうやってずっと旅をしてきた。
だけど今は、このひとがいてくれる。今までの旅、つよがりが無かったと言うと嘘になる。ダイゴさんの存在は、私の心を支えていたその強がりの柱を綺麗に折って、私自身の無理をそっと眠らせるようだった。
「ダイゴさん」
「なんだい」
「いつか、たっぷりお礼させてくださいね」
「気にしないで。けどお礼と言うなら僕はちゃんとバトルもしたいと思っているよ」
「っバトル! したいですね!」
「良い目の輝きだね、これは期待できそうだ」
そういうダイゴさんも、わくわくを秘めた表情はわたしに負けていない。大人なのに、普遍的なトレーナーらしい燃えた表情に、わたしの警戒心や申し訳なさや、よそよそしい気持ちが溶けていく。
「楽しみです」
「僕も心待ちにしているよ」
微笑みあっていると、ああ、とため息がもれた。わたしは諦めつつあるのだろう。
分かっている。本当は。ヒュウくんが言いたかったこともおおよそは分かっている。わたしはちょっぴり、ダイゴさんの行きすぎている優しさを疑っている。だけど止められない。もう、あらがえない。わたしはどんどんこのひとに気を許して、好きになって、そして好きにされそうになっている。