本丸に持ち込む政府公認の歴史書は、昔ながらの製本されたものと、電子化されたものを事前に選べたらしい。主は迷わず製本された方を選んだと聞いた時、正直な俺の感想は「主らしいなぁ」だった。

 埃をためたりかさばったりするし、現に部屋をひとつ、大量の本が潰している。それに、彼女に本は重たい。か細い手首では三冊を抱えるのが精一杯に見える。乾燥が酷い時は紙で指を切ったりしているくせに本を愛でて、たまには虫干ししているところも彼女らしい。たぶん現代の人間じゃ古くさいと言われてるんだろう。だがそんな価値観を持っている彼女だからこそ、今もここで刀剣の付喪神の想いを拾い上げることに生を費やしているんだろう。
 迷わず紙の書籍を選んだらしいと聞いた時は、無意識ににんまりとしたもんだ。
 今、その本をしまうため、自分の背じゃ届かない本棚へ果敢に挑んでいるが全然届いていないところも、なんだか主を感じる。

「うううう……!」

 腕を伸ばしすぎて震えている。甘さなのか苦さなのか分からない何かが表情に出そうなのをこらえて、俺は彼女が精一杯掲げている本を上から拾い上げた。

「ほら」
「あ、ありがとう、御手杵」

 必至に全身を縦に伸ばしていたせいだろう、主の顔は真っ赤になっていた。ぱたぱたと、手で顔を扇いでもいる。俺は刺すことしかできないとは言ったが、そんなになる前に俺を頼れば良いのに。

「高いところにしまう本は素直に俺に回してくれ」
「だって、御手杵なにか読んでるから……」
「おー、これか?」

 ほとんど手のひらに収まる大きさの冊子は、書架の中で見つけた一冊だった。渋い見た目の歴史関連書の中で、この本だけは表題の字が淡い色だ。

「あっ、それ……!」
「やっぱり主のか」
「か、返してください!」

 主がますます顔を赤くするのは、俺が読んでいた本がいわゆる恋物語を綴ったものだからだろう。
 本丸でこういう類の本を読むのは、まず主だけだ。加州清光なんかも共感は示すだろうが、あいつも立派な刀剣男士だからな。

「そういうのも読むんだな」

 素直な感心というか、主の年相応なところを知った感想というか。
 審神者として、まあ大勢の刀剣の主になって、部隊を組ませ俺たちを戦に向かわせる。見た目、年齢に見合ってない、だけど納得の仕事ぶりを見せる彼女に、年頃の一面があるんだな、程度のつもりだった。決して悪く言ったわけじゃ無いんだが、主は目を潤ませるほど赤面してる。
 恥ずかしさをこらえきれなくなったんだろう、主が俺のわき腹をぺしぺしとはたいてくる。全然痛くない。

「たまたま! 衝動買いしたんです!」
「へえ? 衝動的に?」
「あっすごく意地悪な顔……!」

 にらまれても全く怖くない。それどころか、と思ってしまうから、主との身長差はこういう場面でも卑怯だ。悔しさは顔には出さないが。

「御手杵がそんなの読んでも面白くないでしょ。返してください」
「まあすごい面白いってわけじゃないが……」

 心底わくわくして読んでいるわけじゃない。だが、背表紙のあらすじを見て、興味深いとは感じたから最初の数頁を読み進めた。

 憧れでは収まらない感情、絶対に自分を好きにならないと分かっているのに。あらすじから目に飛び込んできた文字たちは言い当てる。何でもない振りを繕って、その小さな手が動くのを、まつげが伏せるのを、髪が肩を滑るのを、探っている、そんな自分の中にあった、比べようの無かった気持ちをぴたりと言い当てる言葉だ。
 あらすじが言い放った言葉は、胸の奥で踊って消えてくれない。だから思い当たってしまった。主がこれを衝動買いした心境に。

「衝動買いって、この本の内容に共感したからか?」
「……そう、ですね」
「………」

 俺は本当、ここ最近になって感情を隠すこと、面には出さないことを覚えてしまった。自分から聞いたくせに、いざそうだと言われると、ゆるやかに気分が醒めていく。

 彼女は共感を覚えるらしい。恋の物語に重ね合わせる感情に、見覚えがあるらしい。

「まあ、俺も分かるからなぁ」
「え……?」

 きっと俺を好きにはならないと分かっている。この本丸には何十と刀剣男士がいる。実際、こうして主とふたりきりになるどころか、話すことも幾日ぶりかだ。幾日ぶり。彼女と接する刀の数を見たら、まぁ妥当な数だ。これ以上を望むのは欲張りだろう。
 祭りでかつぎ上げられることもあるが、他の刀のように豪勢な拵えがあるわけでもない。彼女が抱き寄せたくなる体躯とは言いにくいし、俺が愛らしく言い寄っても、俺が欲望を出しても、は良い顔をしないんだろうな。

 どこもかしこも塞がっている。だからもやもやするんだろうか。この手の中の本には、それらが消え失せる様がえがかれているんだろうか。
 結末も気になるが、それよりも気になるのはの心の内だ。恋物語に重ね合わせる感情を植え付けたやつがいるのか、それは誰なんだ。
 主はもう何も言わずに本の整理に戻った。その動きを目で見ず感じながら、そのことばかりが気にかかる。いったい誰なんだ。顔には出さないが。