そもそも、という部分を考えるのなら、私は自分がカカリコ村に生まれたことを呪うべきなのかもしれない。いや、族長へ、ハイラル王家への忠誠が強いシーカー族の一家に生まれたことか。いや、そもそも自分にかくれんぼ、もとい隠遁の才能がなければいい話だ。そうすれば私はシーカー族の伝令役を任されることもなかった。外の世界、美しい水の都など知らずにカカリコ村で一生を終えられていた。
いやいや。大元を辿れば彼だ、シド王子だ。彼が全ての要ではないか。彼が生きているのと同じ時代に生まれたことが、間違っていたのだ。
「! 数日がかりの道のり、ご苦労であったゾ。さ、座ってくれ」
ハイリア人から見たら見上げざるを得ない大男は、私を部屋へ、その中央のセッティング済みのテーブルへと招く。振り返る仕草は身分にふさわしく華麗に尾ヒレが翻り、肩ヒレもふわりとその動作を彩った。
私はというと、部屋の入り口でげっそりとしていた。
「こういう場は苦手だと申し上げました」
「ん? 座りたくないのか?」
「はい、そうです」
「キミは越境してもまだ立っている元気があるんだな!素晴らしいゾ!」
違う、そういう意味では無い。ただの遠慮しているだけだ。なのに、この王子は嫌に無垢な尊敬を込めて、こちらに眼差しを向ける。ますます早くこの里を出て、カカリコ村に帰りたくなる。
「帰り支度を……、させてください……」
「ああ、分かった。その帰り支度はどれくらいで終わる?」
「すぐ終わります」
「………。……支度はできたな! さあ! 座ってくれ!」
あ、いけない、と思ったのに気がついた時は私は笑っていた。この人は、出会った時から強引で、輝いた表情でこちらを引っ張るのだ。
「失礼をいたしました」
慌てて顔を引き締めるも、私の思わずこぼれてしまった感情は、シド王子の好奇心を上手くくすぐったらしい。
シド王子はギザ歯を見せて満足そうだ。
「歓迎するゾ」
「それは有り難いのですが……」
私はここへ来たくは無かった。肩をすくめるも、強引にティーテーブルへエスコートを受けた。
インパ様からの書信を託されて、ゾーラの里へ来るのは今回で三度目だ。
戦闘能力は低くとも、とにもかくにも魔物にも気づかれず行動し、危険な道のりを越えてゾーラの里を訪れる。シーカー族の代表に代わって挨拶をしたのが女性だったことも含め、シド王子にとっては私という存在何もかもが物珍しかったようだ。以来、初対面の頃から別れ際まで、彼は私なんかを熱心に構ってくださる。
ゴーゴースミレの花びらが浮いた冷たいお茶は、香りに癒されながら、一口飲めばそこから元気がよみがえるような心地だった。
ゾーラの里は夢の中にいるような気分にさせる。ハイラル指折りの綺麗な場所なのだが、案内された部屋はひときわ美しい。
座ったところから首を回して見ると、夕陽の光射すゾーラの里が淡く光っていた。これから日が暮れる。夜光石を使用した建造物は、蛍火のように光り出すのだろう。
「キミは特別優秀なシーカー族なんだろっ?」
「そんな……。こそこそ逃げ回るのはそう難しくありません」
「でもキミはその道を極めたからこうしてここにいる!すごいゾ!」
「………」
「傷ひとつ無く現れて、また風のように去る。キミ自身は控えめだが、やることは本当に大胆不敵だッ! 先日はキミが旅だったことにも気づけなかったが、それもキミの能力が高いからできたことなんだな! 素晴らしいゾッ!!」
都の美しさもさることながら、目の前の男の、目の輝きも負けていない。しかも夢中になる時のシド王子は、かなり近くまで顔を寄せて熱く語るのだから、恥ずかしさが、腹の奥底からぐつぐつと湧き出そうになる。心乱されると悔しくもなる。シド王子は、シーカー族を物珍しく思っているだけなのよ。
「ぱ、」
「ん?」
「パーヤに! 言われなければ、来ませんでした……」
「パーヤ?」
「ええ。幼なじみで、私が将来お仕えする方です」
実際、私はインパ様に必至で訴え、頼み込んでいた。ゾーラの里にはもう行きたくない。王家の者とどうしてもそりが合わない。誰か別の者に頼んで欲しい。その他の仕事なら喜んでなんでもやるから、と。
結果はもちろんだめであったので私は今ここにいる。インパ様は私の願いを「わがままだ」と一刀両断した。私自身も、身勝手な願いだと分かっていたからこそ、黙るしかなかった。
わだかまりを抱えたまま旅支度をしている私に、優しく声をかけ、けれどしっかりと送り出したのが、パーヤだった。
「パーヤ? それはどんな人物なんだ?」
「いずれは私たちの族長になられる方です。勤勉で、心優しく、慎ましく……。けれどひたむきな姿に、きっと立派な長になられると感じます」
「フム……」
「私の身も時がくればパーヤに尽くすのでしょう」
「そうか……。シーカー族でもキミくらいの年齢で嫁ぐんだな……」
「え? ええ、そうですが……」
それっきり。私もシド王子も話すべきことを急に見失った。黙り込んだまま、私たちは黄昏時のゾーラの里を見送ったのだった。
夜は私のような戦えない者が旅立つには良い時間だと伝えると、シド王子はもう引き留めなかった。
「ダルブル橋まで送ろう」
里の外へとは送り出してくれる。が、この王子は別れはたっぷりと惜しんでもくれる。
まだ広場に残るゾーラ族の女性陣からの視線が刺さるようだ。私の歩調に合わせゆっくりと歩んでくれるシド王子。彼がいなければささと姿を眩ませて来た道を戻るのだが。シド王子は別れの最後まで、調子を変えない。
「! オレはキミとまだ話していたい」
「………」
「キミの里に帰すのは惜しいが……。またその顔を見せにきてくれ!」
「も、もう来ません」
「なぜ?」
「………」
返す言葉を失ってばかりなのは、困惑しているからだ。かすかな苛立ちもある。まっすぐな彼に。
隣を歩かれると染み渡る。彼はゾーラ族であり、王族であり。わたしはシーカー族だ。男である以上、女である以上に、骨の作りも肌の質感も、目の光彩も呼吸の仕方も違う。そして生きていける時間も。
内から水を溢れさせる結晶のような、美しいゾーラの里。もう二度と、来るものかと心に刻みつける。
だってどうせ私はあと50年そこら死ぬ。かなわない敵に見つかれば、それより前にも死ぬ。けれどシド王子は私がおばあちゃんになっても長生きして。私のいない世界で平気で生きていくヤツに、恋なんかしてられない。
「もう決まっているのか?」
「……えっと、何のことでしょうか」
んん、と喉を整えてからシド王子は言った。
「パーヤとの婚礼の式がいつ頃なのかは、決まっているのか?」
「え……」
「………」
「あの。パーヤは、インパ様の孫娘……つまり、女性ですが」
シド王子は確かに「パーヤとの婚礼」について聞いてきたよね。勘違いだったらどうしようと、後から変な羞恥が襲ってくる。恐る恐るシド王子を見上げると彼はあちゃあと言わんばかりに手で、顔を目元を覆っていた。けれどその手では覆いきれないところまで血の気が帯びて赤く染まっている。
「……私、もう行っても良いですか」
「いや、待つんだ! これはす、すぐに元に戻るゾ!」
「………」
本当にもう、二度とここには来たくない。シド王子も大嫌いだ。私は、種族が違って寿命も違う男に恋している場合では無いのだ。私も顔を覆い隠したいくらい恥ずかしい。そんな一面を見せるなんて卑怯だ。シド王子が大嫌いだ。