目覚めようとする朝の、不意を突くかのように中身を受け容れたポストが軋む。静かすぎる生活で、何でも無いふりをしながら耳だけは待ち伏せをして、その音を一番待ちわびている。
 ペリッパーが飛び去ってすぐ、わたしはつっかけを足にポストの中身を見た。途中で片方のくつが脱げてしまったけれど、拾いに行ったのはポストの中身を手に取ってから。

「………」

 びっくりしたのは、郵便はふたつ届いていたことだ。一枚の、旅先の風景を伝える絵ハガキに加えて、薄い辞書みたいな大きさの小包。わたしが待ちわびていたのはハガキの方なのだけれど、不意をついた包みに目を丸くしながら包みの背を見る。差出人はグズマくんだった。

 差出人はグズマくん。驚きの答えは案外すんなりと納得のいくもので、小さな贈り物が届くという非日常はあっさりと解けてしまった。わたしにとってグズマくんはこういうこと、つまり思い出したように優しさをくれるひとなのだ。
 ひんやりとした室内に戻って封を切ってみると、茶色い包装紙の中身は色々だった。クッキーに本、貝殻や小さな真珠。だけど一枚の便箋も無く、包みに言葉は一言も入っていなかった。グズマくんが一言もくれないのでわたしが書くしかない。今日の午後は、グズマくんへの手紙を書こう。まずは午前に少なくなってしまった便箋を買い足しに行くのだ。彼が何も言わないのなら、わたしが話しかける。幼い頃も、そういう関係だった。



 外に出ると、薄水色の空に文字が浮かんでいるような気がした。グズマくんに書こうと思っている手紙の書き出しだ。聞きたいことはたくさんある。今どこで何をしているの。どの辺りに住んでいるの、それともトレーナーとして旅をしているの。わたしに見せてくれたポケモンたちは元気にしているの。グズマくんのことだから前より育てて、強くなってるよね。それから、帰ってくる予定はあるの。
 きっと、全部の質問にグズマくんは答えてくれない。今までもそうだった。子供の頃はもう少し、口を滑らせる彼だったけれど、大人になってからは言ってくれないことが多くなった。

 ひとつの包みに思いを巡らせる。絵ハガキと違って、あれは言葉を持っていなかった。だから余計に、中身ひとつひとつの意味を考えてしまうのだ。
 ぼうっと歩いていたわたしは道で砂を啄んでいたツツケラが飛び去ったことに顔をあげる。その向こうに、不機嫌なかたちをした人影が、先にわたしを見付け、見つめていた。

「……グズマくん!」

 驚きより、嬉しさが勝った。後出しに思えるかもしれないけれど、会える気がしていたのだ。微かな願いが叶った心地がして、わたしは彼に駆け寄った。

「久しぶり。こっちに来てたんだ!」
「………」
「元気そうだね。相変わらず大きいねえ」

 グズマくんは背中を丸めても、ぬうっと背が高い。彼の影にわたしが収まってしまうくらいだ。

は……」
「うん」
「今からどこか行くのかよ?」
「うん。お買い物。これから文房具屋さんに」

 そう言うと、グズマくんは先に歩いて行ってしまう。文房具屋の方角にだ。大丈夫なのかな、時間は空いているのかなと戸惑う。けれどグズマくんが来ないのかという風にこっちを振り返っているから大丈夫なのだろう。
 彼の横について横顔を見上げると、口から様々な言葉が溢れ返そうになる。喋りたいことがたくさんあるのだ。だけど、まず始めはお礼だ。

「今朝ね、グズマくんからの小包、届いたよ。ありがとう!」
「あー……」

 グズマくんはそんなのもあったな、という風に頭をかく。私はそっけない彼にも慣れている。

「中身見たよ。色々入ってたね。クッキーありがとう」
「あー、くだらねえの貰っちまったから入れただけだ」
「わたし甘い物好きだから嬉しい。まだ食べてないの」
「なんだよ」
「今日帰ったら食べるつもりだったよ! あと貝殻とかも入ってたけどあれは……?」
「すげえ昔コソクムシが集めてたやつだ。知らない間に持ってくる。いらねぇから」
「そっかコソクムシからのだったら捨てられないもんね。じゃあうちで、大事にとっておくね。あとあと、本は? いいの?」
「ハッ。送ったってのはそういうことだぜ」
「そっか!」

 なるほど合点がいった。本人に聞くと簡単に正解が分かり、わたしはすっきりと明るい気持ちになった。
 歩きながら。そして文房具屋についても、わたしはわたしのペースでグズマくんに話しかけ続ける。たくさん喋ってくれるわけじゃないけれど、グズマくんは案外律儀に返してくれるのだ。決して楽しそうなところは見せないけれど、今も便箋を選ぶわたしについてきてくれる。

「これもいいなぁ……。あ、季節物かわいー……」

 レターセットをひとつひとつ手に取り、わたしはふと、おかしな事実に気づいた。便箋が必要だったのはグズマくんに手紙を書きたいからだったのに、その相手のグズマくんは今すぐ近くにいる。もう必要が無いのに、だらだらと便箋を選んでいるのは、わたしにとってこの時間が楽しいからだろう。
 グズマくんは不可思議なところもあるけど、わたしも大差ない。そう思うと、笑ってしまった。

「……手紙、アイツに送るのかあ?」
「アイツって……、×××さんのこと?」

 グズマくんの言葉で、一気にわたしの中に×××さんが溢れかえる。
 わたしにふんわりとしたプロポーズと、待っていてという言葉を振りかけて、旅に出てしまった×××さん。出会って、付き合って、1年半後のプロポーズ。そして×××さんが旅立ってからも、もう一年半になる。自分の薬指を見ると、石の位置が中央からずれていたので元に戻した。

「手紙が届くんなら、良いんだけど……」

 あのひとはあっちこっちふらふらしていて、手紙の返事もくれないことが多い。手紙を書いたとしても、届いているかどうかよく分からないのだ。それがはっきりすればわたしも毎回返事を出すのだけれど。

「×××さん今、シンオウ地方だって。ハガキがね、今朝届いたの」
「そうかよ」
「シンオウ地方ってたしか、すごく寒いんだよね。ダイヤモンドダストも見られるなんてアローラとは真逆だよね」
「………」
「風邪、ひいてないかなぁ……」

 思い出していると急に恋しくなる。いや、毎日恋しさに蓋をしているだけなんだ。寂しさに目を伏せて、へへへって笑いながらグズマくんを見上げると、グズマくんは意外にも言わなきゃよかったという顔をしていた。


 結局、可愛さに負けてシーズンもののレターセットをひとつ買った。手紙を書いたとしても、あのひとの元に届くときには季節外れになるだろうに。
 帰る道の途中でグズマくんが足を止めた。ここから先は一緒に帰ってはくれないのだろう。お別れだ。

「また会いに来てね」
「こねぇよ」

 グズマくんとはそんな会話を、つい一ヶ月前もした。またいつでも来てね、いやだね。そんな言い回しだった。また繰り返すんだろう。

 会いになんか来ない。そう言うグズマくんは、嘘はついていないのだと思う。きっと時間が経つうちに気分が変わるのだ。
 グズマくんは色んなところへ行っているみたいだけど、わたしは×××さんがいつ帰ってきても良いようにあの家にいる。だから、きっとまた会えるね、グズマくん。あなたの気分が向いた時に。
 それを思うと何だかおかしくて、軽く、笑いながらわたしは言ったんだ。

「前もそう言ってたけど、グズマくんてば会いに来てくれたね」

 すぐにからかいの気持ちは後悔に変わった。
 言わなきゃ良かった。言った後の、グズマくんの顔を見て、怖いと思ってしまった。こっちを威圧する怖さじゃなくて、自分自身を壊してしまいそうなのが、怖いのだ。

 自分が何か間違ったことを言ってしまったのは分かる。だけどどう間違ってしまったか分からなくて、何を謝ったら良いのかも分からない。

「ごめん」

 そうとしか言えなかった私にグズマくんは

「いや、悪いのは俺だ……」

 と言った。グズマくんの言葉にまた嘘は無かった。わたしを責めないためじゃなく、自分がいけないのが真実だという口ぶりだった。

「また来てね、いつでも来てね。わたしはここにいるから、来てね」

 自分の失態の意味が分からないくせに、子供みたいに繰り返して、ジンクスを確認している。わたしは脳足らず。
 だけど、「来たくねえ」とグズマくんが返した時、良くも悪くもわたしたちは元通りになった、気がした。
 グズマくんがもうわたしに会いたく無いのは本当の事だ。だけどようやくわたしはグズマくんに手を振れた。またね、という言葉を隠して、笑ってバイバイした。そういう風が吹いたとき、思い出したように、また彼に会えるだろう。