わたしがゲンさんにありったけの愛を伝えた時ゲンさんはというと、彼なりにきちんと照れてくれてたっけ。告白を嬉しく思うだとか、でも私で良いのかいとか言いながらもずっと熱の上がりきらない顔をしていたから、どちらかと言えば困っているように見えた。その時からわたしは、この恋愛がフェアじゃないこと、というより好きの量が釣り合うことは無いことを悟った。わたしはゲンさんにベタ惚れだけど、ゲンさんはそうじゃない。わたしが愛するほど、ゲンさんは愛し返してくれるわけじゃない。でも、ゲンさんは遠慮がちな微かな「好き」をわたしに返してくれた。それだけで十分だ。

 そしてわたしのベタ惚れは今日も続いている。
 ゲンさんが好きなパン、ゲンさんがいつも使うバター。なんだか妙によく食べている板チョコ。手の方からそれらに吸い付いていくみたいに、ゲンさん御用達の物たちを買い物かごに入れていく。
 ゲンさんの家にお邪魔して、帰ったり帰らなかったりする生活を始めてすぐに、ゲンさんの生活が何で成り立っているかを覚えてしまった。だって、ゲンさんはあまりたくさんの物を持たない。そもそもの、覚えるものの数が少ないので、あっという間に覚えてしまったというわけだ。新作とか、期間限定にとびつく私と正反対で、ご飯でもお菓子でも同じものを黙々と摂取する。少し年相応じゃないと思うところが、ゲンさんにはある。

「あ、ゲンさん」


 買い物袋をつり下げてゲンさんに会えたのは彼の家、ではなくてミオの道ばただった。わたしの背中の方向にあるものを思い出して気づく。ゲンさんはこれから出かけてしまうのだろう。

「こうてつ島ですか?」

 こうてつ島はゲンさんがいつも行く……というよりいつも籠もっている場所だ。そこに数日籠もって、トレーナー修業をしているらしい。修行が出来るほどの場所なので生息しているポケモンは手強いらしく、トレーナーでは無いわたしはこうてつ島へ行ったことが無い。
 本当はどこまででも着いていきたいけれど、だからと言って迷惑をかけたいわけでは無いので、大人しくお見送りをする。

「気をつけて行って来てくださいね」

 ただそれだけを伝える。いつ帰るの、なんて聞いたりはしない。ゲンさん御用達の物たちを知っているわたしだから、ゲンさんが自分でも何日で戻るか言えないことも知っている。その時次第なのだ。

「ありがとう。……、これからうちに来る気だったかい」
「えっと……」

 正直に言うなら、そうだ。この方角にわたしが用事があるとしたら、それはゲンさん以外あり得ない。本当は家にお邪魔して、ゲンさんにコーヒー煎れて欲しい!と甘えてみようかなむふふなんてことを考えていたりもしたけれど。ゲンさんはこれからこうてつ島に行くのだ。わたしは買い物袋を後ろ手に持った。

「お買い物ついでにこっち方面に歩いたら、ゲンさんに会えるかなーって思って。狙い通り会えて良かったです! 行ってらっしゃい、無事に帰ってきてくださいね!」

 笑顔で手を振って、ゲンさんとすれ違う。色々と予定変更になってしまった。ゲンさんの家に遊びに行けないのなら、買ってしまったバター類はとりあえずわたしの冷蔵庫に寝かせておこう。パンは腐る前に冷凍するか、わたしが食べよう。
 ゲンさんに会えて良かった。ゲンさんに会えて良かった。ゲンさんに会えて良かった。そんな呪文を唱え続けてわたしはひとり家に帰る。ゲンさんへの贈り物をそれぞれ冷暗所に仕舞い、冷蔵庫に汗をかいていたバターを寝かせたときにふっと、呪いのような言葉が蘇った。
 わたしとゲンさん、好きの量は一緒じゃないから。
 ぱたんと冷蔵庫の戸を閉じると、陽は暮れていた。部屋は真っ暗だった。


 わたしが落ちた恋は、幼い頃夢見ていたものとは全く違っていた。幸せはたくさんあった。ゲンさんはどこから見てもかっこいいし、隣にいるだけでどきどきと胸が落ち着かない。世間に捕らわれないゲンさんの近くにいることで何度も悩みから解放された。
 恋であることに違いは無い。時々、苦いだけで。

 ゲンさんと付き合い出して、なんやかんや一年は過ぎている。自分のポジションはゲンさんの恋人であったとは思うけれど、ゲンさんの一年を丸ごと独り占めした、という感覚はわたしには無かった。
 それもそのはずで、ゲンさんはなかなかひとつのところに留まってくれない。こうてつ島なんかの、わたしが一緒について行くことが出来ない場所にふらりと行ってしまう。帰ってくる時もふらりだ。戻って来たゲンさんと顔を合わせる時は、いつもちょっぴり緊張している。夢の時間が中断されて何日かが経つと、もう一度その夢に戻ろうとしても出来ないのだ。ぎこちないわたしにゲンさんが「来たいなら、そばに来れば良いのに」と不思議そうな顔をしてくれた時、どれだけ救われたかは言葉にできない。
 自分のベッドに仰向けになって、考えるのはゲンさんに会えない時間をどうやって過ごしたら良いか、だった。



「げ、ゲンさん」

 ぽつぽつと孤独を埋める案は浮かんでいたというのに、ゲンさんは案外すぐに帰ってきた。一昨日の午後に見送ったのに、今朝帰ってきている。
 一週間以上は覚悟していたわたしは、三日も経たないで再び会えたゲンさんに本心では飛び上がりそうなくらい喜んでいた。

 しかも直接わたしの家に来てくれている! 帰ってきていたゲンさんをわたしが一方的に見付けるパターンじゃないなんて!
 顔面でとろけて、喜びに転げ回りそうになるけれど、それを必死で押さえて伝える。

「おかえりなさい」
「ただいま」
「……早かったですね?」
「そうだね」

 ゲンさんは素っ気なく頷くと、帽子をとり、ソファになだれ込んだ。

「あららお疲れですね」
「そうでも無いよ。は? どうしてたんだい?」
「わたしは……なんていうか、普通です」

 わたしが過ごした二日足らずは、多分いつも通りだった。いつも通り夜に一等寂しさが募り、お腹が空いてもまぁいっかで済ませて昨日も一食抜いた。ゲンさんを待つ、いつも通りの日々だった。


「はい?」

 振り返ると、ゲンさんは腕を広げていた。今回のゲンさんは珍しい行動だらけだ。そばに行くなんて、それはいつもわたしだけが勝手にやっていることなのに。
 ゲンさんのためにコーヒーいれるお湯を沸かしていたところだった。けれど豆の入った瓶に蓋をして、コンロの火を止めて、わたしはそのタートルネックの胸元に飛び込んだ。

「ん〜っ」

 ちょっとふざけて頬ずりをしたら、わたしのつむじにゲンさんがぴとっと頬をつけてくる。まさかの頬のお返しだ。

「……ゲンさん、相当お疲れですね?」
「そういうわけでは無いさ」
「じゃあ、どういうわけですか?」

 一年以上付き合った彼女からすると、どう見ても気の迷いを起こしたようにしか見えない。気の迷いでも、わたしは幸せだ。じんわりと伝わってくるゲンさんの体温はなんて心地良いんだろう。

「ゲンさん、後であったかいお風呂入れますね。それからご飯、頑張って作るからたっぷり食べてくださいね。あと今夜は早く寝てください。早く元気になってくださいね」
「元気か」
「ゲンさん……?」
「私はとても元気だよ。だからたっぷり休んでも、明日もきっと私はこの調子だ」

 こんな風に手招いて、甘やかしてもらえるのはわたしにとっては嬉しいばかりだ。だけどゲンさんは違うのだろう。彼が苦そうな顔さえしていなかれば、わたしも喜んでいた。

は心配しないで。ただね」
「ただ……?」

 ゲンさんの苦しみがなんなのか知りたい。それを取り除ける方法があるのなら、わたしは全力で成し遂げようとするだろう。だってゲンさんが顔を歪めると、わたしまで切なくなってしまうのだ。
 ゲンさんはわたしに眼差しを注ぎ、深く沈み込むようにため息を吐くといつも硬く結んでいる唇を解いた。

「洞窟に籠もっている間、外の世界がどのように蠢こうと、それは私にとって些細な事だった」
「はい」
「こうてつ島のリフトで地下に潜れば、私が地上を振り返ることなんて今まで無かった。例え街の様子が変わったとしても、本当に、露ほどの関心も無かったんだよ」
「はい」
「うん」
「……それで?」

 まだ話は続くのでしょうと、足も長ければ背も広く首も長いゲンさんを見上げるも、ゲンさんは微笑みをたたえたまま、喋らなくなってしまった。

「えっ、えっ?」
「ふ、ふふ……」
「どういうこと……?」

 続きをせがむも、ゲンさんはそんなわたしの様子が面白くなってしまったようだった。奥歯で笑いを噛みながら、わたしを強く抱きしめる。ゲンさんがこんなに強い抱擁をくれるのも珍しいことで、混乱に嬉しさが混じってますます訳が分からなくなる。

 ゲンさんは結局、不調の理由をはっきりと教えてくれなかった。ただ、二人で夜ご飯の準備を進めている時。配膳をしているゲンさんがぽつりと言った。

、寂しい思いをさせてしまったらちゃんと言うんだ。私がいなくても平気という顔をされたら、私も傷つくから」

 何気なくそう言って、ゲンさんは次にお椀にご飯をよそいに行ってしまう。その背中に、わたしはジャンプして飛びつきたい。
 帰ってからのゲンさんの、あの苦々しい顔にわたしは切なくなっていた。だけどその変化は、もしかしたら。考えると胸が甘く疼く。ゲンさんのちょっとした一言で大変な目に合っているのだから、やっぱりわたしたちの想いの量は平等じゃない。だけどわたしの好きが増すように、ゲンさんの好きも増しているのならそれは泣き出しそうに嬉しい報せだ。
 だけど平気な顔をしてゲンさんの向かいに座る。温かいご飯を目の前に、ふたりでいただきますをする。この恋は決してフェアじゃない。けど、わたしは幸せだ。