我が本丸の陸奥守吉行は涙もろい。あんなに明るいのに案外呆気なく泣いてしまう。気づくとその男らしい指で顔を覆っている時があって、視線をおろすと彼の胸元が濡れている、ということが多々ある。

 今日もふと気づくと彼が目元に腕を押しつけていてぎょっとした。

「え、ちょ……」

 驚いて固まってしまった私。どうしたのかと堀川くんと兼さんが近寄ってきてくれて、彼らも事態が分かったらしい。陸奥守吉行がまた泣いている。

「むっちゃん……?」

 気遣いながら声をかけたつもりだった。けれど、多分、「またなの?」という感情が顔に思いっ切り出ていたようだ。堀川くんに諫められる。

「そんな顔しないの主さん!」
「だってー……」

 私が子供みたいに叱られている横で、むっちゃんの涙はますます溢れて顎を伝っている。
 体や刀身以上の大きな存在感を持つ陸奥守が流す涙は粒が大きい。上から下へ落ちていく粒を見ている私は腹立たしくなっていた。

 むっちゃんが泣くと、私は変な気持ちになる。
 理解不能で戸惑って、けれど彼が泣いていると私まで悲しいようで、だけど涙する彼の気持ちが受け入れがたくて苛立ってしまう。

「意味、分かんない……」
「主さん!」

 堀川くんの青い目でじっと訴えられる。彼がどうしてこう涙脆いのか、どうしてまたも泣いているのかは理解できない。それでも、多分彼に涙させてしまったのは自分だということは分かっていた。だから余計気まずかったりする。

「すまん……」

 かろうじてそう言うむっちゃんだけど、私はやはり上手く彼の感情を受け入れられていない。

「ほんと、なんで泣くの?」
「主さん、やめておきなよ」
「だって! ただ、箪笥を修理に出すだけじゃない!」

 そうなのだ。陸奥守吉行は、私が自分の部屋で使っていた箪笥を修理のため運び出してもらう、その光景を見ただけで泣いたのだ。

「そうなんやけどなぁ……。しょうまっこと、わしもおかしうてな」
「………」

 顔から腕を離したむっちゃんは、涙ながらに歯を見せて笑う。この痛々しい顔をさせているのも、どうやら私なのだ。
 でも貴方が涙する理由は。またむかむかが胸にせり上がってきて、のどから飛び出るという時、頭に降ってきたのは拳骨だった。

「っ、いだ!」
「ったく」
「何するの兼さん!!」

 加減の無い兼さんのげんこつで、今度は私の目に涙が滲む。

「訳が気になるならがたがた騒いでねぇでちゃんと話聞いてやれ」
「う~……っ」
「あのな。そういう拗ね方してるとますます年頃の"娘"っぽいぞ」

 年頃の娘。その言葉で煽ってくる兼さんは完全に分かっているのだ。むっちゃんが泣くと変な気持ちになる私の事情を。

「兼さんもそんな言い方しないで」
「堀川くん! そうそうもっと私の味方して!!」
「主さんもだよ。それくらいにして。いらいらしてても良いこと無いから、二人で少し落ち着いて話してきなよ。お茶は僕が用意するから」
「………」
「ね?」

 また、堀川くんの嫌みのない青い目に見つめられる。じいっと、私が頷くのを待っている。それも絶対に了承してくれることを信じてだ。堀川くんは卑怯だ。

「……、むっちゃん……」

 結局彼に負けて、私はむっちゃんの服の裾を引っ張った。少し、いやかなり逃げ出したいのだけれど、主として彼の涙の理由に向き合うために。



 堀川くんに言われるまま部屋を変えた。ちょうど窓から陽がたっぷり入り込む時刻で、そこにいるだけで気が緩む。なのにむっちゃんはまだ理由は分からないが感極まっているらしい。

「はい、むっちゃん。これ使ってよ」

 手巾を差し出すと、受け取ってくれた。目元から腕が離れた瞬間、せき止めていたものが無くなって、彼の目からまた大きな粒がぼろぼろと畳に落ちた。

「……今日はいつにもまして大泣きだね」
「そうじゃなぁ」

 声色は笑っているけれど震えている。またむっちゃんは目を涙でいっぱいにする。

「いつまでも泣いてないで」
「……っ」

 今の言葉も何か彼を刺激したらしい。陸奥守吉行が嗚咽する。

「あーもう……」
「いやはや、わしも参っちゅうよ」
「いいよ。好きなだけ泣いてよ。私はここにいるから」

 とにかく彼を落ち着けさせなきゃだめだ。座布団を敷いて座らせると、ちょうど堀川くんが顔を出す。彼は微笑だけして、お茶とお菓子の乗ったお盆を手渡してくれた。
 緑茶の香り。とげとげしくなっていたわたしの気持ちも溶け出す。早くむっちゃんにも落ち着いて欲しいと思い、彼の目の前にお盆ごと置いた。

 お茶のおかげか、泣き疲れたところもあるのか、すぐに、とは行かなかったけれど陸奥守はそのうちに涙を止めた。
 鼻は詰まっている様子だけれど、冷静さを取り戻したように見えた。

「で、なんで泣いたわけ」
「………」
「箪笥を運び出したのが、私の嫁入りに見えたんじゃないか」
「……っ」
「っていうのが兼さんの意見なんだけど」
「はは。さすがじゃのう」
「え、……」

 冗談のつもりで兼さんの見立てを口にした。箪笥を見れば嫁入り道具に見えるとは、やはり彼らと生きてきた時代が違うなと笑っていたくらいだ。なのに、なのにぴたりと当たるとは思わなかった。

「そんなわけないじゃん!! ただの箪笥の修理だよ……!」
「分かっちゅうよ」
「予定も無いし、貰い手もいないよ」

 自分で言ってて悲しくなる。そもそも審神者として忙しくして出会いのない状態だ。自分の気持ちとしても、物理的にも縁遠い話だというのに、陸奥守は想像したらしい。
 私が誰かの元に嫁ぎ、この本丸を出ていこうとする姿を。

「分かっちゅうけど。けどな、……」
「むっちゃんは、私のお父さんじゃないでしょ」

 彼は、私を父親のような目線で見ているからこそ、涙を流す。
 だから、陸奥守の涙は嫌なのだ。
 軽くはない愛情を感じながらも、自分の立場を思い知らされる。私は彼の家族のようなものらしい。
 苛立ちを覚える自分の体に思い知らされる。私は彼をただの家族には見ていない。彼の望むように、良き娘になれない。
 心に蓋をしながら、目の赤い彼に笑いかける。

「そっか。嫁入りなら嬉し泣き、みたいなものだったのかな。いろいろ世話かけたから、しょうがないのかもしれないけど」
「………」
「でも、私が理由でむっちゃんが泣くのは、嫌だな」
「そうはっきりゆうところは、さすがじゃ」

 赤い目がニッと笑う。涙の気配はあるけれど、彼の気持ちは持ち直しているらしい。
 陸奥守吉行はぬるくなったお茶を煽り、それからしんみりと告げた。

「そうじゃ、わしはのことを考えて胸が熱くなることはよおある。やけど、の考えている理由で泣いちゅう訳がやない。むしろその反対ちや」

 彼の言っている意味がよく分からず怪訝な顔をすると、むっちゃんはますます笑みを深める。

「反対って……」
「ああ」
「私が嫁に行く姿と重なって感動の涙じゃなかったの?」
「だから、その反対。正反対ぜよ!」
「どういうことかさっぱり分からない……」

 嫁入りに見えた私へ流した涙。その正反対なのだから、と考えるも、ますます混乱が深まる一方だ。

「え、じゃあむっちゃんは私がお嫁に行かない方が嬉しいわけ?」
「………」
「なんで黙るの! 行き遅れるのが嬉しいわけ!? どういうこと!? えっ、むっちゃん酷くない……? 本当に行き遅れたらむっちゃんのせいだからね!」

 お尻にしいてた座布団で攻撃すると、堪えきれずという風にむっちゃんが笑う。

「……っがっははは! どおーしてそうなる!」
「だって正反対ってそうなるじゃない!」

 他にどんな答えがあるというのか。陸奥守の顔を睨んでみると、彼はにやにやしている。多分、当たらずとも遠からずなのだ。

「は、ははははっ」
「だからなんで笑うのよー!」

 私の胸中は、行き遅れを願う陸奥守をうらめしと思いながらも明るかった。だってようやく見られた。彼のお天道様みたいな笑顔。

 我が本丸の陸奥守吉行は涙もろい。私は陸奥守吉行を泣かせてばかりだ。私は彼をあまり泣かせたくないと思うのだけれど、そのためには結婚を諦めなくてはいけないらしい。
 私は独りで生きていけるほど強くない。だからいつか両親がそうしてきたように、伴侶を得るのだろうと漠然と思っている。だけど私のむっちゃんはそれを望んでいないらしい。
 旦那さんを作らないで、つまり人間の家族は作らないで、刀剣たちと一生本丸で暮らす? そんなのってアリなのだろうか。
 それもいいかなと思う。今だけは。涙の気配を残したむっちゃんが、私の痛くもかゆくもない座布団攻撃を受けてくしゃくしゃに笑っている。それを兼さんや堀川くんが呆れて、だけど仲直りした私たちに安堵して笑ってる。こんな日が続いている限りは、そう思えるだろう。