じわじわと気づかされるのは、わたしは気づけば大変なご都合主義な世界で生きていたということだ。手品のように、不都合を煙とともに消して見せ、都合の良いところを縫い合わせた。消えてしまったものはどこへ行ったのと最初は気になっても、マジックの見事さに紛れて疑問も消えていく。そんな世界に生きていた。
忘れ物は無いか。カバンの中身を最終確認しているわたしに、ミクリ兄さんが気づき、言った。
「ああ、今日は検診日か」
そう一ヶ月に一度行っていた、病院への検診も。病院に行く理由はもちろん、事故からの経過を診るものだ。だけどそれもわたしのご都合主義の世界では、単なる健康診断ということになっていた。
ばかみたいだ。健康診断と思いこんでいたなんて。
きちんと思い出せば健康診断ではあり得ないようなほど頻繁に病院に通っていたのに。
「ん? どうしたんだい」
思わず黙ってしまったわたしに、ミクリ兄さんが顔を上げる。
「ううん。聞こえてた。そうだよ。行くの、検診。いつもの」
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけて」
「はーい」
カンカン帽を手に取った。いつも兄さんが連れ添って病院に行っていたのに、もうついてくることは無い。わたしが少し放っておけるようになった、ということなのだろう。
検診は、もちろんわたしの記憶の喪失や混濁に配慮して、わたしを刺激しないような形でカウンセリングなどが行われた。兄さんも、気を使って健康診断だというわたしの思い込みを正したりはしなかった。
だとしても健康診断と言い切るには不自然な部分はたくさんあった。なのに、それらは軽やかに無視される。そんなつじつま合わせの世界に、わたしはいたのだ。
外に出て、ぐーっと伸びをする。日差しは強い。風は涼しい。気持ちがいいけれど、わたしは世界が疑わしい。
数年前のことだ。私はある事故で重傷を負い、また記憶を失った。
原因は物理的な衝撃、または心因性の衝撃、どちらかあるいはその両方の可能性もある、というのがお医者さまの説明だったから、はっきりとした原因は分からないのだろう。
穴だらけになった記憶。けれど体は回復して、生活を取り戻そうとした結果、わたしの脳は世界のやぶれを縫いつけて、穴が無いかのように見せていた。
多分それは、わたしがわたしを救う術だった。
「……さん、ナマエさん」
「っ、はい」
は、と気がつくと、お医者さまが私の顔をのぞき込んでいる。いけない、完全に別のことを考えていた。あわてて姿勢を正す。
「大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと、考えごとです……」
「急に自分の事情を突きつけられて、戸惑いや不安があって当然です。なるべく抱え込まないでくださいね。お兄さんや頼れる人になるべく話してみてください。
何かあればいつでも来てください。けれど検診自体は半年に一度にしましょう。……あ、ちょうどナマエさんの誕生日ですね。誕生日がまた近くなったら、病院に来てください」
「……、………」
返事は上手にできなかった。
誕生日。自分の年を数えること。それも、わたしが失っていたものだから。
病院から出たわたしはどっぷりと落ち込んでいた。
「はーあー……」
取り返せない、取り返しのつかない過去を見つめた時、どうしようもなく落ち込む。自分が記憶を失っていたと分かってから、時々あることだ。
私の忘却はまさに、代償を支払ってかけてもらった魔法だった。
失っていたのは何も誕生日だけじゃない。自分の命が危うくなった記憶と一緒に、友達、思い出、愛してくれた人も。わたしは、わたしを包んでいたものたちを記憶ごと捨て去る代わりに、今までの普通の生活を取り戻すための魔法を得た。
だけどことあるごとにぶちあたってしまう。そんな自分の迷惑さと。
「………」
ポケベルを見つめ、少し迷った。ううん、結構迷った。だけど、病院の先生も抱え込むなと言っていた。また自分に良いように考えて、わたしは兄さんにコールした。
『もしもしナマエ?』
「うん」
『検診はどうだった? 何か私が行かねばいけないことがあるかい』
「ううん。平気。今度の検診は半年後で良いって先生言ってたよ。大丈夫、………」
『ナマエ?』
「あのね兄さん、わたし……」
『ん?』
「………」
なま暖かい風が吹く。押し黙ってしまったわたし。ポケベルの向こうは、ミクリ兄さんはわたしと同じく黙って、けれどわたしが話せるようになるのを待ってくれている。
「あの、ね……。わたし、誕生日どうなっているんだっけ、って聞きたくて。いや、年齢はもう分かってるんだけど。わたしが自分の年齢も間違えてたのに、兄さんはどうしてたのかなって」
『毎年お祝いしただろう』
「だよね。お祝いされた記憶はあるの……。だけど……、年齢は? そこでわたし、気づかなかったの?」
『ああ、年齢か。年のことは伏せて、祝った。ナマエはきちんとその年を生きたのだし、何より私が祝福してあげたかったからね』
「兄さん……」
『というか、年齢が私も分からなかったんだ』
「え?」
聞き返すと電話越しのミクリ兄さんは浅く笑った。
『退院した後はまだ記憶が混濁した様子でね。ナマエに何歳か聞くと毎回違う年齢を言うから怖かったよ』
つまりわたしは、年齢を聞くと、毎回違う年を言う状態だったってことだろうか。それは怖い。
「す、すみませんでした……」
『たまに、"ナマエは4さいです!"とか言うもの恐ろしかった』
「すみませんでした!!」
まさかそんなことまでやらかしていたなんて。思わず道ばたで土下座しそうな勢いだ。
『いいんだ。年齢なんて些細なことだ。その日に生きて、ナマエがいることの方が大切にすべき事実だったからね』
兄さんの柔い、けれどしっかりとした声に、不意に泣きそうになる。
わたしだったら、兄さんのようにはできないだろう。そこまでおかしくなってしまったひとを目の前にしたら、例えそれが肉親でもどうしたら良いか分からないと思う。だけど兄さんは、それをどうにかしてきた。
記憶たちは、不可思議に重なって整理が利かない。だけどひとつずつ慎重に誕生日プレゼントを数えると、ちゃんと毎年分が思い出せる。わたしの、本当の年齢の数だけのプレゼントが、思い出せるのだ。
『どうだい、少しは疑問が解決されたかな』
「うん、ちょっとは。分かってきたかな。ありがとね、兄さん……」
兄さんには感謝しかない。
わたしがおかしくなっていたのにも関わらず、わたしを病院に連れて行き、友人関係を調整し、ルネの家で見守り、誕生日を祝ってくれた。そんな兄さんの愛がわたしを今日まで生かしてくれたのだ。
『いいさ。今は笑って思い出せる。大変だったけれどね』
「だよね……」
『でもね、一度誕生日を迎えた後は少し症状が落ち着いたようだった。もう決まった年齢を言うようになったから、私もそれに合わせたよ』
「それって」
『ダイゴと出会う直前の年だったよ』
「やっぱり……!」
ミクリ兄さんにぶつけたいことはとりあえず消化された。わたしはもう一度、ありがとうと伝えてポケベルを切った。
空を見上げて、なるほどな、なんて呆然としてしまう。
過去を行き来する記憶の中、わたしは自分を取り戻すのに一番都合の良い過去を見つけ出した。
そしてそこで、わたしはわたしを愛してくれたひと、ダイゴさんのことも無くしてしまったのだ。
ダイゴさん。あんなに"ナマエ"を愛してくれたひと。生きるために必要だったと分かっている。けれど、どうして記憶は一番大事な存在を隠さなければならなかったのか、答えは未だに見つからない。
どうして、と問いただしたいような、仕方なかったで片づけたいような、微妙な気持ちだ。
ダイゴさん。会いたい、かもしれない。目をつぶると、彼の様々な体の端くれがフラッシュのように瞬く。だからあのひとのことが好きだと思う。
けれど、こうしてわたしが自分の記憶と向き合っている時は、気後れする。記憶の無いわたしが一番迷惑をかけたひとが兄さんだとしたら、ダイゴさんは、わたしが一番傷つけたひとだからだ。
「……!」
いつだって求めているけれど、会いたくない。そう思っているのに、それこそ都合良く、ポケベルが震えた。
発信者はダイゴさんだ。
「は、い……!」
『もしもし』
ポケベルから伝わってくるのは外のにぎやかさとははっきりと違う、少し冷えたダイゴさんの声だった。
声の後ろは静かだ。今、どこにいるのだろう。
『やあ。特に用事は無いんだけど、どうしているかなと思ってね』
「そう、なんですか。わたしは今日、検診日で。さっき病院を出たところです」
『そうか』
「特に予定無いのでぷらぷらしてますよ。ダイゴさんは?」
『………』
「ダイゴさん?」
『……会いに行っていいかい?』
「え? あ、はい、大丈夫ですけど」
居場所を伝えるとダイゴさんは、涼しいところに座っていてと残して通話を切ってしまった。
ふう、と息を吐く。急に電話がかかってきたかと思ったら、あっと言う間に会うことになってしまった。
わたしの方は記憶関連で少し落ち込んでいて、いつも通り、とは言いがたいけれど、ダイゴさんの方も少し様子がおかしい気がした。
天気は良いのに。わたしたちはお互いに調子を狂わせているらしい。
あまり待たないうちに、ダイゴさんは来てくれた。
「好きなものを頼んで」
通話を切ってから、全部があっと言う間だった。
会うなり、体調を聞いて、なぜかおでこの熱まで計られて、それから涼しいところで休もうと近くのお店へと連れられた。
そして今、メニューを差し出してもらっている。
ダイゴさんは飲むものがもう決まっているらしい。まあ、トクサネの家に預けられていた時もそんなひとだったな、と思いながらメニューに目をやる。
「来るの、早かったですね。すごく」
「急いだんだよ。すごくね」
恥ずかしくなって、何も返事できなくなってしまった。ぴったりと口を閉じたわたしを、ダイゴさんがおかしそうにしているから、なおさら恥ずかしい。
急いだって言葉が嘘でもほんとでも、ダイゴさんが来るのは早かった。やっぱり、自分のポケモンをちゃんと持っているひとは良いな、なんて考える。エアームドで颯爽と現れたダイゴさんは、本当はこの調子でどんなところへも行けるひとなんだろう。
「検診はどうだったんだい?」
「ぜんぜん平気でした。もう何か無い限り、来るのは半年に一回で良いって先生言ってました。記憶のことは、抱え込むなって言われました」
「そうか……」
「そうですよ! わたしもう体はばっちりなんです! だからその……」
これから言うことには少し勇気が必要だ。だけど前々からチャンスを探していた。伝えられる瞬間があったら、自分から言うと決めていた。
だから自分で自分に声をかける。笑顔で、明るく、大したこと無いみたいに、言わなきゃ。
「また一緒にどこかに行きたいですね」
「………」
「なん、て」
言ってから顔が熱くなった。
「楽しかったね、サファリゾーン」
「はい……」
わたしとダイゴさんが一緒に出かけた思い出は、残念ながらひとつしか見つけられない。買ってもらったばかりの青いカンカン帽を被ってでかけた、サファリゾーン。
実際あの日から、トクサネの家からミクリ兄さんの家に戻されてから、ダイゴさんと遠くへ出かけたことは無かった。
またこれもわたしは気づいていなかったのだけれど、兄さんはわたしを案外過保護に扱っていたらしい。まあ一度大変なことがあったのだから兄さんが厳しくなるのも分かる。
けれど、わたしは求めていた。またサファリゾーンにふたりで行ったみたいに、ダイゴさんと一緒に何かをしてみたい。ふたりで同じものを見たい。しゃべりながらどこまでも歩きたい。今度は、ダイゴさんを泣かせないでいられるだろうし。
「そうだね。どこか行きたいところがあるのかい?」
「うーん、いろいろありますけど……!」
そうだね、とダイゴさんは同意してくれた。ダイゴさんも少し、わたしと同じ気持ちを持っていてくれたのかもしれない。そう思うとわたしの気持ちは簡単に舞い上がっていく。
「フエンタウンの温泉とか? ハジツゲのお花のシーズンって終わっちゃったんでしたっけ。あ、トウカの森の近くに可愛いカフェがあるらしいですよ! そこも行ってみたいかなぁ。」
だからダイゴさんの顔色に気づくのが、遅れてしまった。
「ダイゴさん、は……」
「………」
「……ど、どっちも行ったことある感じですかね……」
口を堅く結んだダイゴさんは、首を横に振る。
「行ったことは、無いよ」
「じゃあ……」
わたしは何を言ってしまったのだろう。
トクサネの家に預けられていたときもそうだった。記憶が完全でないせいで、気づかないところでわたしはこのひとを傷つけてしまう。
「気を落とさずに聞いて欲しいんだけど」
「は、はい」
「トウカの森のカフェは、君の誕生日に行く予定だったんだよ」
「……そう、でしたか……」
また、誕生日だ、なんてことを考えた。
「元々はサン・トウカでふたりで選んだお花で花束を作ろうって。なら話題のカフェにも行ってみようかという話だった。僕の家があまりに殺風景だから、君がお花が必要だって言ったんだ。ならふたりで選ぼうということになった」
「なんか、その……」
「謝らないでくれ。サン・トウカには行かなかったけれど、良い思い出だ」
語るダイゴさんが、かすかに笑っているのが、切なかった。
「行けなかったのに? なのに"良い思い出"なんですか……?」
「そうだよ」
その感覚が理解できずにいるのに、なおもダイゴさんは柔く笑いながら話を続ける。
「ふたりでお花を選ぶ。たったそれだけだ。けれど、実際にふたりで行かなければどんな花束になるかは分からないだろ? ふたりで行った日のサン・トウカにどんな花があるかも、行かなければ分からない」
「………」
「結果は想像がつかなくて、でもきっと素敵に違いないと思える提案だ」
ダイゴさんの気持ちは少し分かるような気がした。
もしわたしが、これからダイゴさんとサン・トウカに行ったならば。サン・トウカにはどんな花があるのだろう。ダイゴさんはどんな花を選ぶのだろう。
そうやって巡らせる想像には、様々な色彩で溢れている。
「この記憶はね、"そうだ、ナマエちゃんはいろんなものを飛び越えて、かけがえのないものを生み出せる子だったな"ってことを僕に再び教えてくれるんだ。今も、デートが決まった時の気持ちを思い出させてくれる。ほら、良い思い出だ」
きっぱりとダイゴさんは言い切るけれど、わたしは腑に落ちない。
「わたし、そんなんじゃないですけど……」
「いや。ナマエちゃんはそうだよ。そうだから、僕は君が好きなんだよ」
またも淀み無くダイゴさんは言い切る。ほんとに、ダイゴさんが言うような、そんな素晴らしい人間じゃないんだけどな。
「……ダイゴさん」
「なんだい」
「誕生日に、一緒にサン・トウカに行けなくてごめんなさい」
良い思い出だ、とダイゴさんは語ってくれた。けれどわたしが何も変わらないまま一緒に誕生日のデートをしていれば、それはもっと楽しい思い出になってたはずなのだ。
「一緒にお花を選べなくて、ごめんなさい」
「……いいんだよ」
ふと、気づきたくなかったようなことに頭をぶつけてしまう。
ミクリ兄さんはただわたしが一年を無事に生きたことを祝福し、誕生日として祝ってくれた。なら、ダイゴさんは?
ダイゴさんは、わたしの誕生日をどう過ごしていたのだろう?
わたしを忘れられなかったからこそ苦しんでいた彼が、わたしの誕生日をどう迎えたか。明るいイメージはどうしたって湧いてこない。
「あと、それから……、何をどう謝ったら良いか、分からないんですけど……。
わたし、きっといろんなことを台無しにしてきていて、その度に兄さんにもその他のひとにも、記憶が無かったとはいえ酷いことをたくさんしていて」
ミクリ兄さんが、わたしをトクサネの家に連れていった理由。それは周りのひとばかりに衝撃を残し、わたしばかりが何事も無かったように過ごしていたからだ。
もう魔法にはかからない。記憶はごちゃつく。時間の順序が分からない。だけど、何も無かったことにはならない。わたしは知らなくちゃいけない。
「ダイゴさんはわたしの誕生日、どうしていましたか?」
別に、ダイゴさんがわたしの誕生日なんて忘れて過ごしていたというのならそれでいいのだ。わたしにとっては寂しいかもしれないけれど、一番安心する返事だ。
でもダイゴさんは、それができないひとだ。
「言えないな」
ダイゴさんは案外すぐに、そっけない返事くれた。
「聞きたいです」
「うん。君が望んでも、それでも言えないよ」
「なんでですか?」
「ナマエちゃんのためだよ。だって僕が話せば、君は"ごめんなさい"と言うだろう?」
悔しいな、と奥歯をかみしめる。言い返す言葉が無い。ダイゴさんの言うことは当たっていた。わたしがダイゴさんの今までを知りたがるのは、罪の意識があるからだ。
「"ダイゴさんごめんなさい、わたしはなんてことをしてしまったんだろう、わたしに出来ることは何があるだろう"。そうやってナマエちゃんは小さく震えてしまう。泣いてしまうかもしれない。
君を謝罪させるために語るような話は無い。だからね、秘密だよ」
そう笑んだダイゴさんに胸が痛くなる。
またわたしは、ダイゴさんが痛みを抱える選択をさせてしまった。
ダイゴさんの優しいところ。これはこのひとの、長所であり短所だ。いつだって優しいひとが一番に傷ついていて、それはダイゴさんも同じようだった。
「外出のことだけど。検診をひとりで行かせるくらいだから、ミクリの許可も出るんじゃないかな。僕からミクリにかけあってみるよ」
わたしが苦い顔をしているのを、意図的に流してダイゴさんが話題を元に戻す。
「行きたいところを考えてみてね。僕も考えてみるよ」
そのまま、日が傾き始め、家に帰る時間になってきた。兄さんが設定した、早めの門限が迫っている。
お店を出るとダイゴさんはわたしをルネまで送ると言ってエアームドの入ったボールを手に取った。
「着て。これから空を飛ぶから。上空は風が強いよ」
そう言ってダイゴさんのジャケットを、肩にかけられる。軽く肌触りが良いのに、冷えてきた風からしっかり守ってくれてあたたかい。
「ありがとうございます……」
ダイゴさんの服と匂いまでを抱きしめながら、わたしは自己嫌悪と戦っていた。
わたしに償うことさえ求めないダイゴさん。じゃあなぜ今も愛してくれているのかと不安になってしまう。
今日は兄さんにもダイゴさんにも、甘えて、謝ってばかりだ。謝るだけじゃなくて、わたしは、今までわたしを助けてくれたひとたちを笑顔にしたいのに。
「……ダイゴさん」
「なんだい?」
「やっぱり、教えてください。ダイゴさんはわたしの誕生日、どうしてましたか? すっかり忘れてましたか? それとも、覚えてくれていましたか……?」
「その聞き方はずるいなぁ」
ダイゴさんが肩をすくめて困り笑いをした。
「忘れるわけないだろ。でもそれ以上は秘密だ」
「いえ、絶対に言ってもらいます」
「言わないよ」
「っわたしはわたしが受け取るはずだったものを、取り戻したいんです。だって……」
謝罪じゃなく、償いじゃないかたちで、ダイゴさんの過去を求める理由はひとつだけある。
「受け取るはずだったかもしれないプレゼントがあるなら、もらわないでいられる訳ないじゃないですか……!」
「………、それって……」
「つまり、ダイゴさんからの誕生日プレゼント、もしあったなら、欲しい、です……。今からでも……」
「………」
ダイゴさんが言葉を無くしている。もちろん打ち明けた気持ちが、意地汚くて恥ずかしいものなのは分かっている。だけど、ダイゴさんがわたしに謝らせてくれないから、この本音を言うしかなくなってしまったのだ。
「い、今なら受け取れますから、遠慮なく渡してくれていいんですよ~……なんて……」
空気を誤魔化すために続けて、さらに恥をかいてしまった感じがする。
脳内ではミクリ兄さんが走って現れて、その言いぐさはなんだとお説教を始めている。子供みたいな発言をしたことは分かってます兄さん。
わたしの失態にダイゴさんは何と言うかと思えば、わたしよりも脳内のミクリ兄さんよりも静かに
「そう、だったね」
と、相づちを打っただけだった。
「う、やっぱり今の発言忘れてください……」
「どうして? あるよ、ナマエちゃんへのプレゼント」
「え」
「渡せなくて、捨てることもできないのに、毎年分考えたよ。リボンもそのままに家にしまってある」
「ダイゴさん……」
忘れたのは、多分生きるためだった。だけど、しょうがなかった、なんて、そんなご都合主義で終わらせてはいけない。ここに、わたしを愛してくれていたひとがいる。愛してくれたからこそ深く傷ついたひとが、いるのだから。
「ダイゴさん、わたしが受け取れるのは、誕生日プレゼントだけじゃないんですよ。良いことも悪いことも受け取れます」
そっとダイゴさんの手をすくい上げて、両手で願うように握る。指先は冷たかった。けれど手のひらの中には彼の鼓動がちゃんとある。
「ダイゴさんの優しさも、きっとあった怒りたかったことやぶつけたかった気持ちも、捨てないで。わたしにくれるはずだったもの全部、欲しいです」
「………」
「ダイゴさんが願ったことを全てわたしにしてください。だってわたしはここにいるんです、いるんですから」
ダイゴさんがトクサネの家の中で抱え続けたものの姿をわたしを知っている。恐ろしいほど深い愛情を受け取ることは気楽なことじゃないと分かっている。だからダイゴさんが苦しげに目を細めて、わたしの手をふりほどいた瞬間、わたしは少しだけ怖かった。
何をされるか分からない。でも、何をされてもいい。そう思って待ちかまえた両腕はわたしをしっかり捕まえた。
襲いかかってきたのは強い抱擁、だけじゃなかった。
「わ、っわー? わわわわ……!」
耳やこめかみ、首の付け根、まぶたに軽やかな音と息の名残。さながらキスの嵐だ。
「ちょ、ダイゴさ、わ……ぁっ」
顔を背けたら背けたまま、手を向けたらその手に唇が降ってくる。抵抗が抵抗になっていないことが次第に分かってしまい、大人しくすれば、また好き放題に口づけられた。
「あー、もう……」
「ふふ。ほら僕のあげたかったものだよ」
「あげたかったというより、ダイゴさんがしたかったことですよね?」
「うん、そうだよ」
あっけらかんと肯定するダイゴさんの声は柔らかい。
「やめてって言っても、やめてあげない」
やめて欲しいわけじゃない、けれど恥ずかしい。ここは屋外だ。でもダイゴさんがあまりにわたしを確かめるように抱擁するので、まぁ、いいかと半分思いかけている。
「ナマエちゃん。サン・トウカに行こう。二人でね。君がどんな花を選ぶのか、知りたいんだ」
「はい」
「良い思い出なのは本当だよ。でももう答えを知りたいんだ。君がどんな花を選ぶのか、僕がどんな花を選ぶのか。問いかけ続けるのは、おしまいにしたいんだ……」
言葉の節々に、ダイゴさんの過去への想いが滲む。過去の"ナマエ"を思い出して、ダイゴさんはずっと考えていたのだろう。
もし事故なんて無く、ふたりでサン・トウカを訪れて、予定通りの誕生日を迎えたら。ナマエはどんな花を選んだ? そして自分はどうした? 彼女に何をあげられた?
「……わたし、ダイゴさんがどんな花を選んでも、大好きです」
ここにいるのは、あの時のわたしじゃない。そしてあの時のダイゴさんでも無い。過去は取り戻せない。これから花を選ぶわたしたちは、あの時のわたしたちでは無い。
だけど、サン・トウカに行く意味はきっとある。
花屋の花を前に、彼が過去を見ても、そうじゃなくても、良いのだ。彼がそこにいることに意味がある。
「絶対に行きましょう。ね、ダイゴさん。楽しみにしてます」
その日そのとき美しく咲いて、サン・トウカへと運ばれてきた花たちから、今、心惹かれる花をふたりで選ぶ。今しか見つめていないその行為が、彼の後悔をきっと終わらせてくれる。
そしてわたしも、彼と一緒に本当の年齢を数え始めるのだ。