「外出届けだ」
山姥切がこの用紙を出してくるのは今月は2度目。先月からであれば四度目だ。
書面には日時、本丸に帰ってくる時間、同行者の有無など項目が簡素に並んでいる。そこを埋める山姥切の、やはり刀と思わせる年季を感じさせる綺麗な字。私は無言でそれを受けとった。例え、心のうちでどう思っていようと、私がこれに何かを言う道理は無い。
そもそも刀剣男士の外出に私の許可なんていらない。それでもいってらっしゃい、楽しんできてね、なんて物分かり良く送り出すことはできなくて、「分かった」と愛想なく言ってペラ紙一枚の外出届けを右から左に流した。
山姥切がそんな私に何も思うことなく、布を翻して部屋を出ていく。その後ろ姿に傷ついている私がいた。
山姥切がまた外出をする。その事実に、部屋に一人になってからも、私の胸が落ち着くのにたっぷり10分はかかってしまった。冷静になってくると、今度は落ち込みがやってくる。
別に、山姥切が外出するのは悪いことじゃない。
繰り返すけれど、刀剣男士の外出は許可制では無い。外出届も、出陣や遠征のことなどで、不都合があるといけないから記録として紙にしてもらっているだけの話だ。私がこれに「どこに行くの?」だとか「何しに行くの?」とか、ましてや「誰に会いに行くの」だなんて聞いていいわけではない。
「………」
廊下に人の気配がないかを伺ってから、なんでも無いふりをして流した書類をそうっとめくって見直す。日付は明日。3時間ほどすれば帰ってくるとのことだ。
詳細は書いていないけれど、山姥切が出かける理由は最初の一回目から想像がついていた。彼が外出を望むようになったのには、明らかな境目があったからだ。
先々月の、審神者同士で行われた政府主催の協議会。
近侍として、私と本丸を一番良く知る初期刀として、私についてきてくれた山姥切が、不意に足と瞳をとめた。その先に一人の女性審神者がいたのを、私は見てしまったのだ。
その日からずっとだ、胸が痛いのは。
皮肉にも山姥切国広が他の審神者に視線を奪われた日、私は自分の恋を自覚したのだ。
紙面の通りの日付、時刻に山姥切国広は本丸から出かけていった。
「行ってくる」と言われたその瞬間だけはどうにか笑顔で、何とも思ってないみたいに見送ることができた。だけど、どうしよう。一向に仕事が手につかない。
山姥切が帰って来なかったらどうしようと思うのに、私は帰って来た彼を見るのも怖いと感じていた。
帰って来た山姥切に、あの女性審神者に比べ役に立たない審神者だと失望の目を向けられたらどうしよう。進んでいない仕事の様子を見て、だらしない審神者だと思われて、そして言われてしまうのだ。あの審神者の本丸で働きたい、と。お前は主失格だから、と。
「………」
こんなのは勝手な妄想だ。だけど絶対そんなこと言われない、とは思えないからこそ、気分が沈んでいく。
だったら嫌われないように頑張るべきなのに、私は呆然と畳に寝転がって天井を見ている。
「どうしたんですか、主さん」
「堀川くん……」
手の甲をひたいに当てたまま横目で見ると、堀川くんは心配そうに横に座ってくれる。
「具合でも悪いんですか?」
「ううん。体は元気」
「じゃあ心の方だね」
「うん。……山姥切ね、今日お出かけしてるんだ」
「そうみたいだね」
「会いに行ってるの、誰か知ってる?」
「いえ」
「すっごく美人な審神者さん。どこの本丸って言ってたかな、その時はちゃんと聞いてなかったや」
ざわつく会議室。人見知りすることがある私は、すがるように山姥切を見上げたら、彼は私じゃないひとを張り詰めたように見つめていた。その様子に違和感は覚えていた。
だけどまさか、山姥切が自分から甲斐甲斐しく会いにいくようになるなんて、思ってなかった。その行動力が思いの強さなのかと思うと、鼻がつんと痛くなる。
「……山姥切、そのうちここから出て行きたいって言うかも」
「主さん、何言ってるの。そんなわけないよ」
「分からないよ? 私の言ってることが間違ってるって言い切れる?」
「言い切れるよ」
「どうして? 理由まで言える?」
「えっと、それは……」
「ほら」
口ごもる堀川くん。私もそんなもんだ。全部否定しきれないから口ごもって、立ち尽くして、外出する山姥切を見送っている。精一杯の何でもないふりをして。
「でも、主さんは? 主さんは兄弟が出ていっちゃったらどう思う?」
「………」
「いやでしょ?」
嫌に決まってる。
ずっと一緒にやってきた。それだけじゃない。山姥切は私になくてはならない存在だ。刀剣男士だからじゃない、彼が他ならぬ山姥切国広だから。彼だけが持つ矜持が私をも強くしてくれたから。私の側にいて、様々なことを分かち合ってくれた存在だから。彼がいなくてはだめなのに。
下唇を噛みしめる。山姥切国広がいなきゃだめ。彼が私以外を見るようになってからそう気づくなんて、遅すぎだ。
「主さんが嫌って言えば、絶対兄弟は主さんから離れて行ったりしないよ」
「別に。だめとは言わないよ。私、そこまで山姥切に求めるつもりない」
「兄弟が遠くに行っちゃってもいいの? 会えなくなっても?」
「いいよ、別に。山姥切がどこに行こうと、私には関係ない」
山姥切があの審神者さんに会いにいくのを、嫌だと思っていた。だけど一度だってだめと言わなかった。言えなかった。
言えば、山姥切が私より自分の感情を優先させる姿を見ることになるからだろう。
手の甲の、小さな闇ばかりを見ていた私が事態に気付いたのは堀川くんの焦った声がしたからだった。
「兄弟、落ち着いて!」
驚いて起き上がると、帰って来ていた山姥切が立っていた。怪我を負った時のように顔をしかめて、私を睨んでいる。どうやら今までのやりとりも聞かれていた。それを察すれば、へらりと笑いが出て、気づけば私は緊張感のない顔で「帰ってたの」なんて言っていた。
時計をちらりと見ると、予定より少し早いお帰りだ。なんとなくすっきりした顔をしている。それが、憎らしかった。
「いいよ、どこにいっても。止めないから」
「主さん! そういう心にもないこと言わない!」
「嘘は言ってない」
全部嘘じゃない。別の本丸に移りたいと言われても、だめとは言わない。彼がどこに行こうとも私に何もいう権利はない。どこにいこうとしても、私は止めたいと思わない。山姥切がそうしたいのなら。
「……、あんたが俺に興味がなくとも、構わない」
「兄弟、待ってよ!」
「俺は俺の気持ちを優先する」
苛立った顔をした山姥切が吐き捨てるように私に言った。山姥切は山姥切の気持ちを優先させる。彼を大事に思う心がそうあるべきだと言っている。だけど、泣いたってもうどうしようもないのに、気づけばぽろりと目から何かが落ちていた。
政府主催の協議会。ざわつく会議室で、は小さく縮こまっていた。本丸にいる時もそうだが、こうしてたくさんの人間の中にいるとさらに、彼女がか弱く、ふとした不注意で壊れてしまいそうに思えた。
初めて会った時から、俺はを守らなきゃいけないという焦りにも似た気持ちを抱いていた。ふとした日常を過ごす時もずっと、こんなに危うい少女に依存しなければならないことが胸にひっかかっていた。
俺を頼りにしてくれる様子に、背筋を伸ばしながら、ふと心に薄暗さを覚える。
……このところの俺は、少し調子が悪い。
昔は純粋に、戦う力のない彼女を守らなければいけないという気持ちばかりを抱いていた。けれどいつからだろう、俺は彼女の利益にならないことを考えるようになっていた。
例えば、俺以外の刀を頼らないで欲しい。俺以外を使わないで欲しい。俺以外と喋らないで、俺以外を見ないで欲しい。を知るのも俺だけであって欲しいと願ってしまう。そしてその目的のために、不意に柄を触ってしまう時がある。
じわじわと侵食する感情は、日に日に振り払えなくなってきている。人間でいうなら、病と呼ぶのが非常に近い気がしている。
その時、気付いた。
会議室の奥に、護衛の刀と砕けた様子で談話している審神者に。その護衛の刀も、山姥切国広だった。
俺と同じ歴史から成る、もう一人の俺。その俺と親しげに話す審神者の組み合わせに目が離せない。
あの山姥切国広と審神者なら、教えてくれるだろうか。俺が狂ってしまっているのか、それともこんな邪な気持ちを抱くのが元来の”俺”なのか。
主に後ろ暗い感情を持ってしまうのが俺自身が原因なのか、それともがそうさせるのか。教えて欲しい。気が狂っているというのなら、はっきりと、そう誰かに言われたい。
縋るような気持ちだった。何か、重大な事を犯してしまう前に、俺は自分に芽生えた病の名を教えてもらうために、あの本丸へと出かけたのだ。