デンジはほんと、私を女として見ていない。多分幼馴染だとか友達だとかそう思ってるより以前に、時々人間扱いされているかも怪しくて、という名の生き物だと思われている節がある。まあデンジが私をどう思っているか、そのあたりをはっきりと確認したことはないけれど、とりあえず女として見られていないのは確かだ。
 だって女として見ていたら、自分の家に引っ越してくるようになんて、言わないと思うのだ。

 事の発端は、お母さんの「来週は引っ越しよ」という爆弾発言である。母の独断ではなく、両親で決定済みのことだという。
 娘に一切予兆を感じさせないで、そして意見を聞くこともなく、我が家は引っ越すことになっていたのだ。

『だってシンオウの寒さが年に響くんだもの』

 というのが母の主張で、

『仕事の都合でずっとシンオウに暮らしていたけど、父さん実は昔からサーフィンがやりたかったんだ』

 というのが父の言い分である。
 つまりシンオウの寒々しい海に囲まれたナギサを脱出して、とにもかくにも暖かい地域に行きたいらしい。となったら手頃なのはホウエンらしくて、もう物件も決まっているらしい。
 そういえばこの前二人で仲良く旅行に出かけていた、あの時か。「マンタインサーフの聖地アローラも捨てがたい」と唸った父には頭が痛くなった。

 ひどい、というのが私の正直な感想だ。お父さんにとっては仕事の都合で移り住んだところでも、私自身はシンオウ生まれのシンオウ育ち。シンオウ地方の大地も、シンオウ地方のポケモンたちも大好きだ。もちろん私の地元であるナギサシティも大好きだ。
 だけど全ては決定事項だった。家も決まっている、引っ越し日も決まっている。物事の行く先は、もう全部決まっている。そして私も「どうして事前に相談してくれなかったの!」という怒りはあれども、「どうしても、何があってもシンオウから離れたくない!シンオウにいられないのなら死んでやる!」というほどの執着は、残念ながらないのだった。

 しょうがないことなのかなと諦めつつ、幼馴染であり、当たり前のように我が家に上がり込んで勝手にコーヒーをいれ、ポテチをパーティ開けにしているデンジとオーバに報告した。うち、引っ越すらしいよ、私も荷物まとめなきゃなんだけどね、って。
 そうしたらデンジが、特になんでもない風に言ったのだ。

「家を出ればいいだろ」
「え、うん。まあ……、そういうのができないわけじゃないよね」

 確かに。お母さんからいつ家を出てくのとは言われことはないものの、私はもう、一人暮らしをしていてもおかしくはない年齢だ。

「だけど一人暮らしかぁ」
「いーじゃねぇか。料理も洗濯も掃除もできるだろ!?」
「いやこいつ掃除はできない」
「うるさいデンジ! 年に2回限定で頑張れる!」

 デンジは大掃除の時だけ私が鬼神と化すことを知らないのだ。普段はその掃除の鬼神パワーをじわじわと貯めているだけに過ぎない。

「ってそうじゃなくて!」
「じゃあなんだよ」
「ほら、私って、苦手なポケモンいるじゃない……?」
「ああ! お前ミノムッチ本当に苦手だよな!」
「ミノムッチは遭遇率高いからよくギャアギャア言ってるだけで、むしタイプのポケモンがあんまり……。あとゴーストタイプも、心臓に悪くて無理……」
「たしかにうるさい」
「もしひとりきりの部屋にスコルピとか、コロボーシが出たら私……」

 ひとり勝手に想像して、ひとり勝手にダメージを受けてしまった。こうかはばつぐんだ。
 もしひとりきりの部屋に、むしポケモンと一緒になってしまったら私は裸足で部屋を飛び出て大自然と暮らすしか無くなってしまう。でも大自然に出たら出たで野生のむしポケモン・ゴーストポケモンと出くわすので詰みである。
 だめじゃん、やっぱり無理じゃん一人暮らしなんて!

「……もうオーバにブースター借りようかな。むしタイプが出た時用。あっでもゴーストタイプは!? 有効な技持ってる!?」
「技以前に俺のブースターなら野生のポケモンに負けるなんてありえねぇ!」
「たしかに! よしオーバ、ここはぜひブースターを!」
「俺の家にくればいいだろ」
「そうデンジの家にブースターを!!」

 って、あれ、違う。デンジが変なタイミングでいうから頭の中でごっちゃになってしまった。

「もうデンジややこしくなるから冗談言わないでくれる?」

 半笑いで返したら、デンジは真顔で「ふざけてはない」と言う。まあいつも感情が顔に出ないことが多いやつだけど。

「俺のところ来れば、一人暮らしにはならないし、ナギサから離れずに住む」
「それは、そうだけど……」

 でもなんか、おかしくないか? 溢れ出そうになる疑問に蓋をしたのはやっぱりデンジの、感情の読めない声だった。

「とりあえず来てみればいい。合わなきゃ別に出てけばいいし」
「それはそうだけど」
「親元離れて暮らすのに慣れるための肩慣らしと思えばいいだろ。慣れたら部屋を探して、無理なら実家に合流するって手もある」
「うんまあそれはそうかもしれないけど」
「行ってからナギサに帰ってくるのはめんどくさいだろ」
「それはぁー、そーだけどさー」
「じゃあ俺が話をつけてくる」
「ええ!?」

 本気でデンジが立ち上がって、キッチンに立っている母を目指すから私も焦った。焦りすぎて弁慶をローテーブルの角にぶつけてしまうレベルである。痛みをぐっと噛み締めて、どうにか動けるようになってから私はデンジを追った。どうしたのデンジ。なんか、いやに強引だ。そう思っているうちに母は「をよろしくね」なんて笑って済まして、引っ越し当日。私のまとめた荷物は本当に、デンジの家に運び込まれてしまったのだった。

「お前の部屋だ」と言われたところにダンボールとベッドと机とを運んでもらって、疲れたからって二人で外食をしたらデンジの家に帰ってお風呂に入ってそこで寝れば、寝てしまえば。確かに私がデンジの家に引っ越しした形になっていた。
 私とデンジが二人暮らしを始めた。全然そういうわけじゃないしそういうつもりじゃなかった。だけど事実だけで言えば、そういう形になっていた。


 幼馴染というのは酷である。なんだか一緒にいるといつの間にか気楽さがやってきて色んなことがどうでもよくなってしまう。いや、どうでもよくはないのだけど、もともと頑張り続けるのは得意じゃない。

 最初はどういうことだこの状況はと苛立ち混じりだった。
 けれど疑問と戸惑いが溢れかえりそうになると必ずデンジが、それらをぶった切るかのように「いいだろ」と言うのだ。しかもあいつはなんだかんだ頭が良い。ジムを改造できてしまうくらいの頭脳はやっぱりあるようで、もっともらしい、間違っていない理由もちゃんとつけて「いいだろ」と言われるうちにバカな私の脳は「よくないはずだったけど、なんでかは言えない」と、フリーズ状態になってしまうのだ。

 そんなこんなでいつの間にか楽な方に流れ流れて、私は今やきちんとデンジの家に「ただいま」と言って入るようになっていた。

 デンジの家に来るという選択肢は、実際選んでみると私にとってはめちゃくちゃ楽な一手だった。慣れ親しんだ町を離れずに済むし、一人暮らしの不安も無い。というか私もデンジの家には何度も遊びに行っていたので、とても慣れ親しんだ間取りであった。
 そして、二人の生活は、案外楽しかった。一緒にドラマを一気見しようだとか、ライチュウを心ゆくまでブラッシングしてあげたいとか。時間があったらデンジとしたかったこと、デンジにお願いしてみたかったこと。そんな小さな夢たちが叶うのだ。
 私が家に何を持ち込んでも、デンジは興味がないのかダメとは決して言わないでいてくれる。デンジも結構楽しそうにしてくれるから、私は実家を離れて、自由を満喫していた。

 だけど。デンジはほんと、私を女として見ていない。やっぱりご近所ポケモンのだと思われている節がある。まあデンジが私をどう思っているか、そのあたりをはっきりと確認したことはないけれど、とりあえず女として見られていないのは確かだ。
 だって女として見ていたら、こんな風に一緒に暮らせないと思うのだ。

「あー、降って来た」

 窓の外。時刻の割に外が暗いと思っていたら、やっぱり雨が降り始めていた。

「デンジ、大丈夫かなぁ」

 すぐに大粒の雨が窓を叩き始めている。これは傘がないと無理だな。傘立てに佇むデンジの傘を見つめて、私は重く息を詰める。
 時計を見ると夜ご飯の時間はとっくに過ぎている。今夜も買い弁して、ジムで食べたのだろうか。

 デンジの帰りが遅いと、私は別のことを考えてしまう。二人暮らしを始める前は近かった、けれども残されていた距離感においては考えずに済んだ物事。それが、一緒に暮らす今は振り払えない。

 私はため息をつきつつ、デンジのぶんも傘を持って外に出た。

 デンジがいつも使う帰り道を私は知っている。引っ越してすぐ、デンジが教えてくれたのだ。その道を辿ればやっぱり途中、建物の軒先で雨宿りをしているデンジを見つけた。

「デンジ!」

 声をかけると彼は目を見張って驚いた。

「お前、雨が一番ひどい時に来るなよ」
「家を出た時はそうでもなかったんだって」

 雨は激しさを増して、デンジの言う通り今がピークなのだろう。ふくらはぎまでびしょびしょだ。
 いくら傘があってもこの雨の強さではずぶ濡れになってしまうだろう。今だけは帰るのは断念して、私もデンジの横に並んだ。

「雨、すごいね」
「ああ」
「早く帰ってこないからだよ。何してたの?」
「……ジムの改造」
「そっか。デンジってほんと、ポケモンとジムとかいろんなものの改造でできてるよね」
「そんなことない」
「そんなことあるって。自覚持った方がいいよ?」

 デンジの生活を構成するのはいつも、ポケモンかジムの改造だ。私はそういうデンジしか知らない。だから、誰か女の子と会っていて、それを隠して遅く帰る理由を「ジムの改造してた」と言われても、私はきっと分からないだろう。なんてね。
 ああ、こんな疑いを持っていること自体が、嘆かわしい。

 ざあざあとうるさい雨。

「デンジ、彼女作らないの?」

 あまり、口にするつもりのなかった疑問。だけど抱え始めてもう何年経ったかも分からない疑問が、気づけば声になっていた。
 この雨の音で聞こえていなければいいのにと思ったけれど、眉を顰めたデンジが私を見下ろしている。ばっちり届いてしまったらしい。しょうがないから、なんともなさそうに続ける。

「いや、デンジってほんと女の子の気配ないから、どうしてるのかなって」

 あの子がデンジを好きらしい、その子がデンジに告白したらしい。そういう噂は何度も聞いてきたのに、デンジが誰かと付き合ったことは一度もなかった。
 自分が女に見られていないってわかっている。デンジが彼女でも作れば、そういう子が好きなんだねお幸せにねって私も諦められただろうに、デンジにその気配はない。

「欲求不満とかにならないの?」
「は?」

 二人暮らしは楽しい。だけど私の不安を募らせもする。デンジと過ごす楽しい時間が、私に期待を抱かせる。こうやって私とデンジ、ずっと一緒に生きていくことができるんじゃないかって。そして、自分の中にある、独占欲という名の黒いドロドロを、塞ぐ機会を奪っていく。
 だめなのに。デンジは私をそういう目では見ないのに。

 だから今夜、私は口を滑らせることになったのだろう。

「デンジにヤろうと言われても、私できないよ」
「お前相手に言うかよ」

 1秒もしないうちに返ってきた返事。豪雨の中のそんなやりとりは、私の胸に刺さった。ちくりと刺さって、ずきりずきりと痛みが広がった。

 わかっていたことじゃないか。
 楽ちんで、毎日が楽しい。
 その代償を、私は多分、払えていると思う。



(2020/11/09 加筆修正済み)