※鶴丸がいがいがしていてめんどくさい
一目見た鶴丸国永という刀剣男士さまは、しみひとつない白がまばゆく、美しく、近寄りがたく見えたものです。薄い、血の色を知らない頬に、一等研ぎ澄まされた硬い鉛筆の先で書いたような髪の毛がかかっていました。これはまた絵巻の中のような姿で顕現されたなと、感服していました。だというのに、鶴丸国永さまは「よっ」と気安く私へ笑いかけて、それから「ははっ」と喉の奥を鳴らして面食らう私を笑ったのです。
なんだか距離の掴み方がわからない。私は小指の爪の先で、こめかみを掻きました。それでもこれからきっと時間とともにお互いを知るだろう。たとえ気が合わなくとも、歴史を守るという望みの元、手を取り合っていけるはずだ。
「鶴丸国永さま。これからどうぞ、よろしくお願い申し上げます」
願いを胸に、私は彼へ頭を下げて目を伏せました。
だというのに。
私はそろりと目だけ横に向けます。本を読むときはかけている眼鏡から、外れたぼやけた視界の中に、白い彼が足を崩して座しています。それだけならまだしも、彼は組んだ手の指先を苛立ちを訴えるように揺らしています。
また彼が怒っている。知らない間に、機嫌を損ねてしまっている。
一体、どうして? 手元の文字に目を戻しながら、私は密かに落ち着きを失っていました。
鶴丸国永さまが何に苛立っているのか。それが分かれば、苦労していません。
彼の考えていることがわからず、彼の感情が分からずに苦労を重ねているのは今日に始まったことではありません。彼が顕現してからのことなので、もう一月以上、私は鶴丸さまに振り回されています。
この間だって、鶴丸さまが顔を合わせる度に不満をあらわに接してきて、
『きみはどうして部屋から出てこないんだ。俺に会うのが嫌なのか。それとも他の誰と過ごしていたのかい』
だとか、
『どうしてきみは俺の気持ちに気づかない。何度踏みにじるつもりなんだ』
だとか。とにかく誤解をしか思えないような言葉を投げかけてくるのです。
私が出不精なのは確かですが、彼に会いたくないなどと意識したことはありませんし、鶴丸さまの気持ちを踏みにじった覚えはありません。けれど私が自覚なくやってしまった無礼もきっとあるでしょう。丁寧に謝罪した後、お詫びに私が何ができるのだろうと、よくよく願いを聞いてみました。
『……じゃあ、鶴丸さまの求めるものを私なりにまとめると』
『ああ、言ってみてくれ』
『つまるところ……、“私が部屋にばかりいるせいで、会う時間が少なく、つまらない。鶴丸さまは私に会うことを期待して仕込みやら甘味の用意やらしているというのに、全ての調子を、私が狂わせている”、ということですか』
そうとも受け取れる内容でした。
『もしそうだったら、きみはどうする』
『では……』
どうするも何も。私は気持ちをそのまま伝えました。
それならば、どうぞ私の部屋にお好きに入ってくだされば良い。鶴丸さまなら、嫌なことはないので、と。
あんなに文句をつけたのに、数日経ってからようやく私の部屋に入ってくるようになったのは、きっと鶴丸国永さまの意地だと解釈しています。
それでも時間を過ごすうちに距離が近くなり、彼からの苦情も無事解決することができたとおもったのに。
本日、また彼は眉根をしかめて、苛立ちを訴える視線を向けてくる。私は小さく息を吐く。距離の掴み方がわからない。
そっと息を吐いていると、彼が立ち上がりました。足袋と畳の擦れる音。たった二歩で私の目の前に立った鶴丸国永さまは、押し黙ったまま手をこちらへ伸ばしました。
「あ」
と言った時には、読んでいた本が手から抜き去られてしまいます。私から本を取り上げて、代わりに見えた鶴丸さまは冷たい目をしていました。
彼が不機嫌になっているのは分かっているので、おそるおそる伺います。
「なんでしょうか」
「そろそろ俺を構う時間じゃないか?」
「構う、とは」
「それはきみが考えてくれ」
なんて投げやりな。呆けてしまう私をよそに、鶴丸様はしおりを読んでいた頁に挟んで、机の上に置いてくれます。ここで苛立ちのまま私の本を投げたりはしないから、私もなんだか、彼に向き合わなくてはならない気持ちになるのでした。
「構って欲しい、なんて。そんなに暇だったんですね」
「〜っ、きみってやつは! 本当に鈍感だな!」
「すみません……」
まったくもって、鶴丸さまの言う通りです。私は、周りのひとびとの思惑にとても気づけない鈍感の持ち主なのでした。それは相手が鶴丸さまに限ったことではありません。総じて苦手です。
「せっかく俺がいるのに本ばかり読んで! 俺に一声もかけてくれない! それも毎日毎日! 目の前で無視されるのも嫌になるが、今まで俺がきみを待っていた日々もこうしてきみはただ本ばかりを見ていたのかと思うと!」
「すみません」
「自分でも嫌になる、きみのせいで己の刀身に噺でも書いてあればよかったのかと、馬鹿馬鹿しいのに考えてしまう! おれには人の身があるのに、こうして本と張り合っているようじゃ、自分が刀であることから逃れられていないようで、非常に気がふさぐ……」
「申し訳なかったです」
「もういい、きみは書と添い遂げたらいい」
「落ち着いてください、鶴丸さま」
書とは添い遂げられません、と言うと、なぜか鶴丸さまは傷ついたような目をして、顔を背けられてしまいます。
いかる肩に、丸まる背を撫でようとして、けれど戸惑ってしまい触れられません。私がこのようにもどかしい思いをしていることを、鶴丸さまは気づきやしません。小指の爪でこめかみをかいてしまう。仕方なく、私は必死で言葉を探し始めます。
「一緒にいられるだけで良いとおもっていたのですが……、だめなんですね。そう感じていたのは私だけだったのですね……」
「それ、は……」
「わかりました。部屋で本を読んでいても、時々は鶴丸さまのことを見まるというのは、どうでしょうか」
本当はいつも熱中して読んでいるので、物語の渦中で鶴丸さまのことを思い出せるか自信がありません。けれど、私が本ばかりを読んでいて、無視されているようでつまらない。自分にもなにか話が書いてあればと悩んでしまうとのことでしたから、私もそれくらいの努力はしようと思います。
「けれど私が遊び下手なのはどうか分かってください。親族一様に頭でっかちで、遊びをあまり知らないんです」
構ってくれと言われて、頭の中で鶴丸さまにできることを探してみましたが、一向に良いものが見つかりません。彼をなだめるために背を撫でてあげることもできない私です。親の背も、本ばかりを読んでいました。
「だから、鶴丸さまが私に遊びを教えてくれたらいいと、思うのですが」
彼の望みを叶えたいと思う。けれど方法がわからない。その私にできるのは、謙虚に教えを請うことです。
びっくりしたように顔を上げた鶴丸国永さまは、「あ〜……」と言葉を濁らせ目を泳がせてしまいました。顔を背けて、頭を乱暴に掻き、「あまり俺を見ないでくれないか」と突っぱねられ。
それから重いため息をついて、立ち上がり、
「……考えておく」
という言葉だけを残して部屋から出て行ってしまいました。
ぽかんとしていると、障子の向こうから笑い声がします。
「ふふ」
「燭台切さま。聞いていたんですか」
「ごめんね、主。喧嘩にでもなるんじゃないかと心配になって見ていたんだ」
言いながら燭台切さんがお盆から、冷たいお茶を置いてくれる。
汗をかいた硝子を見ると、ある程度、私と鶴丸さまのやりとりを見守ってくれていたようでした。
「鶴さん、主に関してはどうしても気持ちが抑えられないことがままあるみたいで、どうしようかとおもっていたんだけど」
「至らず、すみません」
「ううん、むしろ安心した。今回も、大丈夫だったね」
「はい、そう思います。多分、ですけど」
鶴丸国永が顕現してからひと月以上。あれ以来笑顔をあまり見せてくれない彼に私は振り回されています。放っておいてはだめで、一緒にいるだけはよくても本に集中するとだめで、鶴丸さまの距離はつかめません。だけどようやく少しだけ、彼の調子がつかめた気がしました。
きっと数日置いてから、鶴丸さまは私にもできる遊びを見つけて来てくれる。そういう意地が鶴丸さまにあるのだと、私は解釈しています。
燭台切さまが退室した後、ふと思います。しかし数日というのは何日だろう。何日待てば、鶴丸さまはまた部屋に来てくれるのだろう。
彼が去って行った方角を一瞥して、そして私は思い出したように、机の上に丁寧に寝かせられた本を手に取りました。
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