※要約させていただくと「クリスマス的なお祭り(創作した祭りでも可)の日の、アーロンとのかかわり」というお題でしたので、クリスマス的なお祭りを捏造しています。
厳密に突き詰めていないなんちゃって祭りなので広い心で読んでください。また特定の思想を推奨するために書いたお話でもありません。
明日来る日を聖夜と位置付けたひとに聞いてみたい。なぜこのかじかむ冬に聖夜を見出したのかを。やはり辛く厳しい冬を越えねばならないから、このような美しい日を設けたのですか、と。
聖夜祭。言い伝えでは、はるか昔に世界のはじまりの樹とミュウが出会った日が聖夜とされている。聖夜祭は、ふたつが出会った日を祝い、それらからオルドランへともたらされる加護に感謝と祈りを捧げる日だ。
聖夜祭が近づくに連れ、この国は美しく変化する。身近な木々をはじまりの木に見立てて、飾り付ける。どのように飾りつけるかは自由だ。けれど、最後にひとつの木にひとつだけ、ミュウを見立てたオーナメントを隠すように置くのが習わしだ。
城下町も、そこに住む子供の枕元も、等しく聖夜を迎える準備をしている。もちろんこの城も一年を通してリーン王女の生誕祭と勝るとも劣らない、できる限りの準備をしているところだ。
聖夜を待ち望む世界は、美しい。すっかり飾りつけの済まされた場内の木々や柱ごとに下げられた旗飾り。手は痛くかじかむのに、きらめくそれらにふっと意識が吸い寄せられる。
「あっ」
よそ見をしていたせいだろう。すれ違った別のメイドと肩をぶつけてしまう。なにをしているんだ、この忙しい時期にという冷たい視線を受けて私は目を伏せた。
そうだ、目を奪われている場合ではないのだ。オルドラン城は聖夜祭を明日に控えた今、指折りの忙しい時期を迎える。
陽があるうちに聖夜祭の儀式が執り行われ、夜が来れば多くの来賓を迎えた夜会が催される。
オルドラン城を隅から隅まで飾り付け、各地からの招待客に最上級の料理を振舞わなければならない。兵士も皆、正装だ。メイドも染みひとつないエプロンを身につけ、完璧な角度でヘッドドレスを身につける。私も、誰かの前に出るということはないのだが、明日の朝ばかりは服装のチェックを受けるだろう。
こちらが用意するものだけではない。各地からリーン王女への献上品が届けられて、それらを間違いのないよう記録に残すだけでも人手が要る。前日の準備だけでも目が回るほど忙しいのに、明日はどうなるのだろう。城の誰もがその不安を見ないようにしながら小走りですれ違っていく。
「失礼いたします。足りなかったナプキンをお持ちしましたが……」
皆同じように忙しく、余裕をなくしていて、誰にも返事をもらえない。城務めも長いとは言えないが短くもない。こういった日にナプキンをどこに置けば良いかは知っている。当日どのようにおいておけば、次に扱う人間がやりやすいかも、経験があった。
激しく人の出入りする中、隅でナプキンを扱っていると「おい」と呼ばれ、言いつけられた。
「闘技場を見て来てくれないか。特に控え室も。あそこも使える状態にしておかなければならないからな」
「はい」
即座に頷いてから、気がついた。この城で一番と言って良いほど寒い場所での仕事を与えられたような気がする。人が集い、熱気が籠もれば気にならないが、誰もいない闘技場は寂しく、そこを吹き抜ける風は一層寒々しいものなのだ。
儀式の後、聖夜祭を盛り上げる余興として、闘技場での試合が行われる。そのため”使える状態にしておかなければならない”のだろう。
控え室の鍵を扱いながらふと考えてしまうのは、アーロン殿の出場はあるのだろうか、ということだった。アーロン殿の修行する姿は幾度となく目にしてきた。ルカリオとともに毎朝行なっている瞑想に、兵士に稽古をつけているところもお見かけしたこともある。部屋を空けていると大体アーロン殿は修行のため森の奥に行っているので、私が知る以上の鍛錬をアーロン殿が積んでいるのは間違いない。
けれど、彼や、彼のルカリオが実際に戦う場は見たことがなかった。見てみたい、という浅ましい関心が首をもたげることもあるが、私は自分でその欲望に構わないと決めている。見ることが叶わないからだ。アーロン殿が表舞台に立つ時、私は観客の側には決して立てない。私もあの方が輝くためにも、陰で働く身だ。明日もきっと、その事実は変わらない。
日が暮れ始める前に、観客席を見回り、控え室の清掃を終えることができた。
聖夜祭は、明日だ。
明日は今日以上の目の回る忙しさに見舞われる。が、それでも私自身も聖夜祭の夜が待ち遠しい。
明日を望むのは、もちろん聖夜という特別な夜を迎える期待感から。そして、城で働く全員に王女殿下より褒美を賜ることができるからだ。
配られるものは毎年決まっている。ナッツと干した果実が練り込まれた、砂糖まぶしのパン。聖夜に家族で食べるのが慣わしの、この国の伝統的な菓子だ。それに加えて、果実酒も配られる。私はもちろん果実酒よりこのパンが好きだった。部屋がいくら寒くとも、この甘いパンをスライスして食べると、故郷を思い出すのだ。私も家族とこの季節になると甘いパンを家族で食べたことがあったと、かけがえのない幸せがあったと思い出すことができた。
それに全ての催しが終わった後なら、使用人たちの間でささやかなパーティーを開くことも許されている。
食べて飲んで踊って、馬鹿騒ぎして。踊れるものは踊り、歌えるものは歌い、演奏できるものが音楽を奏でる。夜更けから始まる、皆のささやかな楽しみ。
明日は、きっと、辛くとも救いのある1日になるだろう。
目覚めてから、夜を迎えるまでが、瞬く間にすぎた。ひどく疲れているが、興奮がまだ残る私に、包みと瓶が渡される。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
与えられた褒美をしっかりと抱えて私は祝詞を口にする。
「世界のはじまりの樹に感謝と祈りを。オルドランに祝福を」
「祝福を」
一礼をして、次に並ぶ人のためにさっと横に避け、待ちきれずに包みの中を見る。待ちかねた、あのパンだ。私の聖夜の慰め。しっかりと包みなおして、私は顔を伏せ扉を目指した。
隣の部屋からは、もう音楽が流れ出して、すでに酒瓶を空けたのだと分かる、陽気な笑い声が漏れてくる。隣の部屋には人が集まり始めていた。密かな使用人たちだけの夜会を楽しみに今日を乗り越えたという使用人は多数いる。仕事の慰め、聖夜の慰め。ある人にとってそれは今夜のパーティーなのだ。
私にとっては手の中のパンだ。静かな部屋で、パンを一切れ食べ、故郷を思い出す。それが私を何よりも慰めるのだ。
そっと戸を押し開けて、顔を上げた真正面は、寒く暗い冬の夜に繋がるはずだった。
「どこに行かれるのですか」
びっくりしすぎて声が出なかった。後ろで幾人もの息を飲む声が聞こえる。異常に気づいて、音楽も解けるようにリズムを崩して、その場が無音になる。それもそうだろう。誰も来るとは思わなかった、アーロン殿が姿を現したのだから。
アーロン殿は波導使いだ。波導使いであって、貴族でも、尊い身分の人でもない。だからこの場に姿を現してはいけない身では決してない。ないのだが。誰もが、アーロン殿の登場に困惑していた。
皆の尊敬を集め、リーン王女の隣に立つことができる人物が、私ども下々の夜会に姿を現すのは異例のことだった。
なぜ、と混乱する頭の中、そういえば問いかけられたことを思い出す。”どこに行かれるのですが”。アーロン殿はじっと私を見下ろしていて、左右を見ても、私以外にこの場から立ち去ろうとしている者はいなかった。
「ぁっ……」
言葉が、ひとつも出てくれなかった。普段だって運が良くなければ言葉を交わすことのない人である上に、波導使いにとって重い任が課される時期だ。もしかすると春先までアーロン殿とすれ違うこともないのではないかと、思っていた。そのアーロン殿がこうして突如現れ、また私に声をかけている。しかもそれが、皆の前でだと思うと。喉が強く引き絞られる。
「お楽しみはこれからに見えますが。踊らないのですか?」
「わ、私は……、踊りが、できません……」
そう肩をすくめるしかなかった。踊れないというのはこの場から立ち去るための方便であって、事実だった。踊りを習ったことなどない。そもそも教えてくれる人もいなかった。踊れず、愛想が悪く、友人のいない私にとってここには、部屋の隅で立ち尽くすしかない。居場所はないのだ。
皆が仕事から解放されている。仕事がなければ、私がこの場にいて役立てることはない。一礼し、扉から出ていく。アーロン殿がどうか早く中に入って扉を閉めていますようにと背中へと願った。あの慎ましくも暖かな夜会に、冷たい風とちらほら降り出した雪が入り込んでしまうことが、心配だった。
あの場に私の居場所はない。だから私があの場からすぐに立ち去るの毎年のことであったり、聖夜を迎える場所を、私は密かに決めてある。
明かりをつけていないのに、夜の中でぼんやりと溢れさせているそこは、ポニータたちの小屋だ。もちろんポニータたちのための居場所なので、人間が休むたのめの設備は何もない。背中に炎を宿すポニータやギャロップたちが休んでいるこの舎は彼らの炎が雪を退け、冬でも暖かいのだ。私にとって秘密の場所だった。
そっと入り込み、戸を閉める。ポニータたちは人間の来訪に一度だけ視線をよこしたが、そのあとはなんでもない風に振る舞った。私はそっと、一番人懐っこいポニータへ近寄った。
「あたたかい……」
彼らの熱を借りて、指を温めると寒さを忘れ、代わりに指の傷が蘇る。
けれど、ポニータもギャロップも美しい。揺れる炎、乳白色の毛並み、そして美しい黒い瞳を見ていると、ひたすら心が凪いだ。
「良い場所ですね」
もう少しでパンを落としてしまうところだった。逆に、瓶の方は落としてしまった。ギャロップたちのために用意された干し草が、受け止めてくれたおかげで、割れることはなかったが。
「あ、アーロン殿……!」
「こんばんは、さん」
アーロン殿は、挨拶とともに脱帽し、けれどその帽子をかぶりなおさなかった。帽子を胸にあて、そのまま、深く、力を抜くような息を、ふーっ、と吐いたのだった。
「何かご用が……?」
「確かに私はさんを追いかけてきましたが、それは何かを頼みたかったからではありません。もう仕事は忘れましょう。お互いに」
頼みごともなしになぜ私を、と聞き返しそうになった。だが、見上げたアーロン殿が、初めて見るような疲れた顔をしていて、私は何も言えなくなってしまった。他人に苦労を見せようとしないこのひとが、今まで見たことのないくらい疲れを隠せずにいることに気が付いたのだ。
「もし貴女がここで休まれるのなら、私もお邪魔しても良いですか」
聖夜の儀式、武闘会、晩餐会にダンスパーティー。アーロン殿は大勢の人の前に立ち続けてきた緊張と疲労は、一介の使用人の比ではない。私が申し出を断れるはずがなかった。
干し草の上に私のエプロンをひくつもりだったが、それをする前にアーロン殿がマントを広げてくれた。アーロン殿が座った横にはおそらく、私が座る分が空けてある。私が座るための場ではない可能性はあったが、その可能性をしつこく追いかけ続ける体力は、私には残されていなかった。ふらふらと座り込むと、横は見られなくなってしまう。
「よくこの場に来られるのですか」
「……いつもは決められた世話係がいますから、特には。でもこういう夜に代わりを申し出ると、世話係の方が喜んでくれるのです」
「そうか。世話係も今は踊っているか飲んでいるかしているのですね」
「はい。……アーロン殿も、何かいただきませんか」
何か、と言っても私が持っているものは、果実酒とパンのみだ。取り出すと、彼は晩餐会にも出席しているはずなのに、アーロン殿は興味を示した。そして意外そうに私に問いかける。
「さんもお酒を飲むのですか」
「あまり好んでいるわけではないのですが、けれどこれも陛下からのお恵みです。この一本だけはありがたく頂戴することにしているのです」
「そうですか」
「といっても、空けるのに随分時間がかかりますが」
「そう好まないということなら、私にもくださいませんか」
今度は私が、その意外な発言に驚く番だった。
「アーロン殿も、お酒を口にする時があるのですね」
「波導使いにそのような決まりはありません。まあ飲酒するなと主張する者もおりますが……節度を持って楽しむ限りは、私は私自身にそういうことを禁止はしていないのです」
アーロン殿がこれを望むのなら。瓶をそのまま差し出すと、彼は首を横に振った。
「先に貴女が召し上がってください。私はその残りをいただきます」
でも、ここにグラスは無い。戸惑っていると、アーロン殿が促してくる。さあその酒に口をつけなさい、と。
「で、では……。……本当に良いんですか?」
「良いのです。さん。世界のはじまりの樹に感謝と祈りを。オルドランに祝福を」
「……、祝福を」
栓を抜き、勢いをつけて口に含む。馴染みのない、一年でもこのときにだけ味わうお酒。恥ずかしいことに少しむせてしまった。早くも頬に熱が走る。
「やはり、この日にだけ飲めばいいです」
「そうですね。私もこの日にだけ、こうして味わえればいい」
瓶を手渡すと、本当にアーロン殿はそのまま、お酒を口にした。とても意外に思える一面だった。けれど脱帽して、酒を煽る彼はまるで肩書きから解放されていて、波導使いなどではなく街に暮らす一介の青年のようだ。
だからだろうか。私は少し、図々しくなっていた。
「アーロン殿も食べましょう」
パンを取り出す。いつもは丁寧にスライスするそれを、私はちぎって彼の手に押し当てた。いつもなら部屋にこもり、一人で薄くスライスして食べるそれ。自分が故郷を思い出すため、明日も働くためにこのパンを食べるより、隣に佇む人に渡したかった。
アーロン殿が食べたのを見届けて、私も小さなかけらを口に入れる。パンの生地の合間から覗くナッツとフルーツの食感は体に染み込んで、不思議なくらい自分の疲れを浮き彫りにした。
ポニータやギャロップの小屋の片隅で、密かに身を寄せ合う私とアーロン殿。その瞬間、私は浅ましくも彼の身分を忘れていたように思う。隣で肩を落として目を伏せるアーロン殿は最上級の敬意を捧げる相手でありながら、隣人のように感じていた。友人とも家族とも言えない、もちろん恋人などとは口が裂けても言えない彼だが、私ははしたなく、彼を救いたい、彼の痛みを取り除きたいと願っていた。
いつもなら、私と彼は身分が違ければ、命の重さも違う。けれどそれを教えるものは、この小屋には何もなかった。ポニータたちと夜は、私たちを区別していない。
「今日は、疲れましたね」
「ええ……」
一日の疲れと、一本の果実酒と一つのパンを分かち合った。彼に僅かだが捧げることができた。後にこの夜を思い出した私は、羞恥に沈むことになるのだが、その時は自分のことは全て置き去りだった。ただ隣にいるひとの安らいだ息遣いに、聖夜があって良かったと思うばかりだった。