どうして、どうしてこうなった、と問いただせば残念ながらすぐに答えは出る状況だった。だから汗が止まらない。喉がやたらに乾く。向かいに座るダイゴさんは、その切れ長のかたちからひかるにしては柔らかい視線を私に送ってくる。
「……ツワブキ ちゃん、だっけ?」
ゾゾッと悪寒が走って、私は店内の涼しい空調にも関わらず汗まみれになった。
事の発端は、私だ。もれなく全部、私。
自分へのご褒美のつもりで、いつもより特別感のあるカフェレストランでランチをとることにした。サイユウシティにある、人気で話題のレストラン。写真を見せつつ教えてくれたのはフヨウちゃんだった。お店の雰囲気も料理も、見た目がまずおしゃれで、かつ美味しそうで、思わず憧れてしまった。特にデザートは豪華な盛り付けが、夢がふくらむ。サイユウシティにあるから普通ではなかなか行けないというところもトレーナー心をくすぐられて、すぐさま行くことに決めたのだった。
いつもより少しのんびりめの朝を迎えると、ポケモンたちに今日は休日宣言をして、特別な日のために大事にしていた洋服を下ろす。浮かれ気味の服装をして、ポケモンたちにも念入りにお手入れをしてあげるとお昼前に出発した。人間はひとり、ポケモンたちは6匹を連れて。
サイユウシティに降り立つと、フヨウちゃんに教えてもらった通りの場所にお目当のカフェレストランを見つけた。
やはりお店は人気のようで、店頭には複数の人が並んでいた。
その過ちを犯してしまったのは、お店の前にあるボードに、名前を書く時だ。
どうしてそれをしてしまったかというのは言わせないでほしい。好奇心と言うにはタチが悪いとわかっている。
その日の私は、とことん自分を甘やかすつもりでいた。それに洋服も、本来ならデートなんかの時に着るようなのを出してしまったせいでもあるだろう。頭のどこかにダイゴさんの存在はちらついていた。
「………」
ツワブキ 。それを書いてしまった時、言い知れぬ背徳感と、変な笑いがこぼれてしまった。私ってだめな女の子だなと思いながらもペンを置いて列に並ぶ。
その名前は思ったよりも早く呼ばれた。
「お待たせしました、1名でお待ちのツワブキさん! ツワブキ さん!」
「は、はいっ!」
正直焦った。この店員さん、思ったより大きな声で呼ぶ。もちろん、ツワブキが自分の名字でもなんでも無いことからくるやましさがあるからだけれど、焦るのだけど。
ここであまり動揺してしまうと不審感が出てしまう。平然を装って立ち上がった時だった。
「その子は僕の待ち合わせだ」
全部の骨が凍ったかと思った。ギギギときしむ体で声がした方を見れば、店内の側に、涼しげな立ち姿。ダイゴさん。
そしてどっと汗があふれ出した。
雑音として処理される話し声と、食器が軽く鳴る音。さざなみのようなノイズが私とダイゴさんの間で知らん顔をして震えている。
子供の頃のいたずらがバレた時よりも、もっとずっと、消えてしまいたい気持ちが強烈だ。消えてしまいたい、ダイゴさんにはお願いだから私の存在を忘れてほしい。
今となってはどうしてそんな浅ましいことをしてしまったんだろうと、自分のバカさ加減が信じられない。けれど、いたずらごころでツワブキの苗字を拝借してしまった。もう言い訳はきかないだろう。店員さんも大声で読み上げてくれたし、私が勝手にツワブキの名前を使ったのが聞こえたからダイゴさんも店内から出てきたんだろうし。
でも、わかっている。自業自得とはこのことで、そもそも私が彼の名を勝手に使うことなんてしなければ、こんな状況に追い込まれることもなかった。膝の上で固く握った手の震えが止められない。
「す、スミマセンデシター!!!」
「気にしないで、何か頼んだらいいと思うよ。お目当があってこのお店に来たんだよね? ほら」
ダイゴさんは私を責めることなくメニューを差し出してくる。
滅多に行くことのないカフェレストラン、明るい店内に程よくグリーンが飾り付けられている。向かいの席には憧れのトレーナーであり、憧れの男性。光景だけ見れば、夢の中のようだ。ただし状況は地獄以上にぴったりな言葉があるだろうか。いや、ない。
「ほら。何を食べに来たんだい」
もう逃げてしまいたいというのに、お腹だけはぐうぐうとなっている。それはそうだ。このお店での食事を楽しみに、朝食は軽めに済ませたのだから。手汗で滑らせそうになりながら、かろうじてメニューを受け取るも、正気を保てていない私の頭に文字は入ってこないのだった。
どうしよう、本当にどうしよう。このお店に来てみたかった。なんならダイゴさんと食事だって、夢に見ていた光景だ。だけどこんな状況では何も楽しめない。楽しむ資格だって、ない。
やっぱりもう一度頭を下げて、きちんと謝って、そして家に帰ろう、帰らせてもらおう。からからに乾く喉でつばを飲み下して、私が視線をあげる。そうして視界に入って来たのは、美しい店内に負けてないダイゴさんの姿と、その後ろに眉を歪めて目を細める、ミクリさんの姿だった。
「え、ミクリさん……? なんでミクリさんがここに……?」
「やあ、」
なんでここにミクリさんが?
一瞬見間違えかと思ったが、確かにミクリさんは声を発した。ミクリさんは怖いくらいの笑みを浮かべて、ダイゴさんの横に立つ。
ダイゴさんは驚いた様子はなく、むしろ満面の笑顔でミクリさんを見上げている。
「ミクリ、すまない。こういうことだから。埋め合わせは必ずするよ」
「はあ、まったく……」
「え、え……?」
「。ダイゴが待ち合わせていたのはこの私だよ」
そう、だったのか。それなら納得がいく。趣味は無骨なところがあるダイゴさんだから、流行りのカフェレストランなんて場所は見た目釣り合っているけれど、似合っているわけではないと思っていた。
納得と同時に安心したのは待ち合わせ相手がミクリさんだったことだ。男の人がこういうところに来るなら、誰か恋人を伴っている方が自然に思えて、ダイゴさんがもし、そうだったら嫌だななんて考えていたのだ。でもよかった、ミクリさんだった。ダイゴさんが友人だと称していた、ミクリさんとの待ち合わせだったのだ。
「って、じゃあ! 私って邪魔ですよね! ねっ!? なので私はここで帰ります! ほんとに、いろいろすみませんでした……!」
ダイゴさんが目を見開く。彼の光との境が曖昧な薄い色素がいつもより近いところで見えて、綺麗だ。なんて思っていると、ミクリさんの手が私の肩を押すから、すとんと元の席に戻ってしまった。
「ダイゴが珍しく店を指定してくるから何かあるとは気づいていたさ」
「聞き耳をたてるつもりはなかったんだけど、フヨウと盛り上がっていたのがつい聞こえてしまったんだよ。ごめんね? ちゃん」
「よかったな、まさに”お目当て”じゃないか」
「事実を言われてしまうと、誤魔化せないから少し困ってしまうね? でも下準備を怠らなかった甲斐はあったみたいだ」
「はい……?」
事実? 何が? ダイゴさんは機嫌良さそうにメニューに目を落としていた目を、一瞬あげた。
その目できらめいていたのは、今まで見たダイゴさんの中で最大限のいたずらごころ。
「君の”お目当て”はなんだい、ちゃん」