※男審神者をグーパンする宗三左文字というお話と関連しています。




「病院に行く予定というのは厄介だな。仮病という手が全く使えない。具合が悪いと言えばなら先生に見せなさいと言われてしまうし、都合が悪いんだと言っても医者以上に優先すべき用事もそう見つからない。これはほとんど最悪と言っても過言じゃない。なあ、そう思うだろ、一期一振?」
「はい」


 主は口の減らない男だ。
 無駄口かと思いきや、きちんと裏で然るべき考えが巡っている。帯を締める手に淀みはなく、無駄のない鋭いきぬ擦れの音が同時に伝わって来る。だから、主への玉のような尊敬に傷がついたことはない。
 そして主の口の減らなさが私にも乗移りつつある。気づけば私の口から滑り出す、小気味いい冗句。


「主、良いんですよ。仮病だったという真実を明かして、私どもをも泣いて喜ばせても」
「まあそういう考えが無いでも無いんだがな」


 身支度を終えて、主は一息ついて肩を落とす。部屋に落ちる影が、主の表情を隠していた。


「やはり無視しとくのが一番だったんだ、いちいち構ってる場合じゃなかったっていうのに全く、宗三のやつ……」


 ぶつぶつと次から次へとこぼれるのは、憎めなさを滲ませる小言。
 彼の口はこれからの診察から逃げることを諦めていない素振りだが、羽織を手渡すとすんなりと腕を通してくださった。以前より少し華奢に見えるのは、診察を控えて気弱になっているからだと信じたい。

 私の主が不治の病を抱えていた。そして歴史修正主義者との戦いを優先するあまり、その身を省みることを放棄していた。
 事実を知ったとき、誰もが宿命を呪い、次に彼を責めたいような気持ちになった。どうしてそのように愚かな選択をされたのですかと、私なりに思い詰めてはいて、いつかは主の部屋に飛び込む気でいた。結局飛び出したのは、宗三左文字だったが。

 病人に拳とは。意外な人物がとったのは、さらに意外な手段だった。かなりの悪手に思われたが、雨降って地固まるとはこのことで、宗三左文字の鉄拳は思わぬ良い結果を招いている。
 主は病と嫌々ながら向き合っている。主への言いようのない激情を抱えていた私たちも、主が宗三左文字に一発殴られたという衝撃の報せで拍子抜けてしまい、随分気持ちを紛らわすことができた。
 私が涼しい顔で主の手伝いができているのも、宗三左文字による折檻があったおかげだ。

 行先を考えると、悲しさの方が勝る。
 だけど私たちはまだ、どことなく前を向けていた。


「一期、俺は医者が嫌いだよ。俺の先生は特に意地悪なんだ。俺が弱いとか、悪いだとか、そういう話ばかりするからな。あの先生は長生きするよあそこが弱い、ここが悪いだなんだと言いたい放題しているからね」
「ええ」
「まあ、事実を認めようとしない俺がやはり弱いんだろうけども。……しかしだ、餅を喉に詰まらせて死ぬやつだっているんだ、人とはもともと脆いものだと思わないか?」
「ええ」
「人は死ぬときは死ぬもんだよ。俺は運命を受け入れる気だったんだ、殊勝だろ?」
「ええ」
「だけどそういった高尚な精神は捨てることにしたんだ、まったく……俺の主義に反するよ」


 ええ、ええ、と相槌を打ちながら、主の荷物を揃え、襟巻きを白い首に巻いてやり、障子を開ける。


「待たせたな、薬研。これでも気乗りしない割には急いだ方だ」
「ああ、大将にしては早かった」


 待機していたのは薬研で、私から荷物を受け取る。薬研が診察券や手帳やらを確認すると、三人で歩き出した。
 通院には必ず二振りの刀剣男士が付き添っている。そのうち一人は、必ず薬研だ。主の病状について、日々の過ごし方について、薬の処方について、今後起こりうる症状について、全てを医者から聞いてきているのが薬研だからだ。
 私は外的要因から主を守るため、今日の通院にお供をする。だから荷物を預かるのは、薬研となる。


「毎度毎度、苦労をかけるよ」
「大将もそんな気落ちするなよ」
「無理言わないでくれ。医者も薬も嫌いなんだよ、俺は」
「注射もか?」
「勿論。大嫌いだ!」


 注射嫌いを頑として主張するため主が胸を張る。うなだれていた姿勢が少し前向きになって、私はこの方が久方ぶりに前を向いた、ような心地がした。


「まあ嫌いでもなんでも、踏ん張って行かないといけないとは思っているんだ。どうしてか分かるか?」


 主の目線が薬研を向いていたから、私が答えることはしなかった。
 主が嫌悪感を押し殺し、通院を続けている理由。それは何だろう。私は少なからず期待を抱いてしまう。

 大いなる目的のために、自分の儚い人生を粗末に扱った我が主は、生きたいと、少しは思ってくれているのだろうか。

 私たちと、本丸でできり限り永く一緒にいたいと願ってくれていたら、どんなに嬉しいことだろう。私たちが抱いている気持ちと同じだけとは望まない。けれど主が同じ気持ちを持っていてくれたら。と、考えたところで鼻の奥がつままれたように痛んだ。

 私の心は露知らず。主は歯を見せて笑う。


「俺が歩けなくなったら、今度は医者の方からこっちに来るからだよ! そんなのは真っ平御免だ」
「っ、はは……!」

 耐えきれず笑い出してしまった口元を押さえると、良い気になった主が追い打ちをかけてくる。


「逃げられないっていうのは絶望的すぎる。私は治療に屈したわけではない、これはあくまで自由意志を保つための手段なんだ。分かるだろ、薬研?」
「ああ、違いないな」


 薬研も軽口を叩いている。
 主は一歩先を歩くと体半分振り返って、私の顔を覗き込んだ。私の笑顔を認めて、表情を深める主。貴方は尊い。

 これから主がどれだけ死に近づいたかを確かめに、私たちは歩いているというのに。道にかかった木漏れ日。影の隙間をぬって届いた、そういう光が、主の笑顔を、私の弟の笑顔を、主に付き添って歩く私の身を、刹那的に彩っていた。