※ED後のダンデさん



 私がジムチャレンジへ行けなかったのにはふたつの理由がある。ひとつは単純に推薦状がもらえなかったこと。ダンデにもソニアにも渡された未来へのチケットは、ウールーたちの面倒を見るのでやっとな私には渡されなかった。
 もうひとつは高齢の祖父を支えていた母が体調を崩し、ハロンの町でウールーたちと暮らす家族を支えなければいけなかったこと。
 私が必要とされる場所はここだから。私を気遣うダンデとソニアにできる限りの笑顔を向けて、ブラッシータウンの駅から二人を見送った。

 それが、10年前。
 なのに今、なぜか私は10年後の彼と二人で並んでベッドに寝ている。
 別に甘い雰囲気があるわけではない。シングルベッドに枕とクッションを並べて、テーブルの上のフォークとスプーンみたいに寝転がって上を見ている。

「なんか、何かがおかしい気がする……」
が言ったんだ。忘れたか?」

 忘れてはいない。自分が言ったこと。その前後の出来事まで、いい思い出で私の中に確かに残っている。

 ダンデが旅立つ直前、我が家でささやかなパーティーを開いた日のことだ。これからしばらく会えなくなるからと、家族がパイやケーキを焼いたりして、みんなでダンデの旅立ちを祝した。
 パーティーが終わった後、家族は片付けに、参加者たちはまばらに帰って行くなら、ダンデはなかなか帰ろうとしなかった。だから私はダンデを屋根裏にある自室に呼んだのだ。

『ダンデ、こっちにきて』

 手を繋いで彼を自分の部屋に招き入れ、明かりを消すと、そのまま自分のベッドへと引っ張った。
 大人になることを見越して送られたベッドに、少年と少女は余裕を持って並んで寝ることができた。

『ねえ、上を見て』

 屋根裏部屋で暮らす私の小さな自慢。ベッドのちょうど上に位置する天窓から見える空をダンデに見せたのだ。

『辛いことがあったらいつでも帰って来て。話を聞くことくらいはできるよ。またこうやって星空を眺めようよ』
『星空を見てどうするんだ? 何か変わるのか? 流れ星にお願いでもするのか?』

 意外に冷めたことを言う少年ダンデであった。

『でも、今だけは素敵な気持ちでいっぱいになれる。でしょ?』

 そんなこんなで確かに私は言った。ちゃんと覚えている。帰って来たら、またここで一緒に星を見ようよだとか、そんな言い回しだったと思う。
 けど、それは10歳の少年少女だったから自分たちが変わりゆく先を知らなかったから、言えたことだ。

 現にダンデとこんなに体格差が出ることもわかっていなかった。
 子供の頃は大人用のベッドを買ってもらい嬉しかったけれど、いざ大人になるとそんなに広さを感じない。平均体型の私はまだしも、しっかりとした体つきに成長したダンデに横に寝られるとベッドはぎゅうぎゅうだ。ロマンがひとつ壊れた気がした。

 ハロンタウンはここ数年で多少人が増えた。けれどもパワースポットもなければジムスタジアムもないので、相変わらずの田舎だ。つまり変わらない星空。
 星々は綺麗だ。だけどあの頃の方がきらきらと宝物のように思えた。”素敵な気持ちでいっぱい”も、遠のいた過去のことのようだった。

「あーあ……」
「なんだよ」
「なんだか現実を見ちゃった気がして」

 現実はいつも厳しい。いい大人が、子供の頃の幻想をなぞっているのがここまで滑稽なことだとは。
 でも久しぶりに来たダンデに『星が見たい』とストレートに言われると無下にできなくて、私は自室のドアを開けてしまった。

 ベッドは狭くて、体の側面からダンデの熱と、彼の体の凹凸を感じる。あたたかさは、かすかに脈に揺れていて、心地よさを運んでくる。
 そのうちに、私は気づいた。男女が二人で同じベッドに寝るんだから、本当はできない方が正解だったなと。恥じらって、異性として意識してることをちゃんと彼に見せて、可愛く怒れたら良かったのかもしれない。でもできなかった。
 人生の半分は一緒に過ごしたけれど、色恋が匂わないのが、私とダンデであった。それがわかってるからダンデも星が見たいなんて、つまりは一緒のベッドに寝そべろうだなんてことが言えたのだろう。あーあ。

「そうだな。現実は厳しい」

 ダンデがぽつりを私の発言に同意した。全然私とは見ている現実が違うくせに、と心の中で言い返した。

 いよいよ目が暗闇になれてきて、天窓から見える星が増えてくる。深い闇に散らばる光の砂。意識が遥か彼方に吸い寄せられて行くようだ。
 この状況はあまり歓迎したものではなかったけれど、久しぶりに会ったダンデと喋らずにいられる部分は、ありがたかった。

「……別れたんだって?」
「それ、私の話?」

 びっくりした。ダンデがこんな片田舎のつまらない恋愛事情を知っているとは思わなかった。驚いて横を見るとダンデも私を見ていたので、やっぱり私の話らしい。

「知ってたんだ……」
「ブラッシータウンの花屋の息子だろ」

 私からダンデに報告はしていない。ということは教えた誰かがいる。誰だ、ソニアか? それともお母さん? 一気にベッドの上が気まずくなってきた。

「うん、まあ。うん……、別れたね」
「結構長く付き合ってたのにな」
「……!!」

 そこまでダンデが知っているとは。チャンピオンになったし、あまり街には帰ってこないし、忙しい彼に知らせることもないからと明言を避けてきた。その事実がダンデの口からさらりと出てきて気が遠くなりそうだ。

「そ、そうね。結構長く、恋人ってことになってたかな……」
「………」
「……けど、実際はちゃんと恋人になれなくて、やめようってことになった。向こうは結婚したかったみたいだけど、私は結婚までは考えられなかった」
「結婚、したくないのか?」
「いつかはしたいと思ってるよ? だけどさ、……」

 ああこれを言ってしまうのかと、ちょっぴり考えた。だけどこうして色気なくベッドで語り合うくらいの仲なのだ。これまでもこれからも、望みは無い。

「好きな人を忘れるために、付き合ったからね」

 私が今彼の耳元で打ち明けるのは、才能無しの烙印をもらい、街に残された私が初恋をどうゴミ箱に捨てようとしたか。そういう話だ。
 けれどきっとダンデは何も気づきはしないだろう。分かっているからこそ、私は口を開くことをやめない。

「向こうも私の気持ちを分かってくれていて、気長に付き合ってくれてたの。でもお互い大人になっちゃったから……。ううん、私がまだその人のことを好きで」

 そう、ゴミ箱に入れた。でも火はつけられなかった。私はゴミ箱に捨てたつもりでいた。けれど、結局、保管場所がゴミ箱だったというだけで、そこに大事にしまっておいたに過ぎなかった。

「望みがあるわけじゃないんだけど、好きで」

 ダンデの方は見られなかった。別に気づいて欲しいわけでも無い。チャンピオンとしての任から解かれたのだから、これを機に迫ってみるか、なんて気力もないのだから、本当に私の恋心は虫の息らしい。

「好きで、好きで、好きなんだけど……」

 好き。その続きが生まれてこなくって繰り返したら、隣から「もういい」と苛つきをぶつけられた。

「ごめん、好きの続きがなくって」

 なんだか今日は、自分に未来がないということばかりを思い出す。ダンデとソニアが旅立った日も、故郷を振り返らないダンデに恋してたことに気づいた日も、祖父が亡くなって母に「家族のことはもういいから自分の道を生きて」と言われた日も、優しかった彼と結婚の話をした日も。私と言う人間は、生きているはずなのに未来は見つけることができなくて、今日もこの家でウールーたちの面倒を見ていた。

「オレには、どうしてもひとつ叶わないことがあった」

 ああ、物悲しさがやってきて、このまま落ち込んでしまいそうだと思った。けれどダンデが別の話をしてくれたので、そちらに耳を傾け気を紛らわす。

「ダンデにも叶わないことがあるんだね。無敵のチャンピオンだったのに」
「そう言われたりもしたが、完璧な男ではなかったさ。……残念か?」
「全然。そっちの方が私の知るダンデって感じがする」

 だよな、と笑って相槌が打たれる。

「でも”叶わないことがあった”って過去形だね。どうしても叶わないことはもう叶った?」
「いいや。今まで叶えようとしてこなかったんだ。この10年、全力で無敵なチャンピオン・ダンデをしてきたが、チャンピオンを言い訳にはもうできなくなったからな」

 横から上がるのは乾いた笑いだった。

「花屋の息子にできて、オレにできなかった理由を考えると、オレも大概臆病者だったなと思うよ」

 ベッドが揺れる。ずっと二人して上を見るだけだったのに、ダンデが体を動かした。彼が横向きに寝るとスペースとしては余裕ができた。けれど
 このまま覆い被さられたらどうしよう。逃げられないかも。考えないようにしてた予感が忍び寄ってきたのは、ダンデが私に見せたことのない顔をしていたからだ。どれだけ記憶を探っても、テレビ越しにも見ることのなかった、少年でなくなった表情だった。

「とりあえず、そいつのことはオレで忘れろ」

 ダンデの唇が紡いだのは殺し文句だった。
 私の心臓や、考えや、幼馴染としての顔やらを一気に焼き捨てた。それから自分の見ていた世界をがらりと変えた。私の唇の先までびりびりと痺れるような、まごうことなき殺し文句だった。

「で、できないよ」
「いや、させる」
「できないってば、だって」

 ダンデで、ダンデを忘れるなんてできるわけない。
 ダンデが言っているのはそういうことだ。だけどこれを説明しようとすると、それは一世一代、10年以上続けた片思いを告白することだ。
 戸惑う私の想いは知らずに、「いいから何も言うな」とダンデは私に返事をさせない。

 私にはずっと未来が見えなかった。ポケモントレーナーになることはできなくて、家での役割を超えるほどの情熱は叶わないからと、状況を受け入れて生きていた。
 でも、未来なんて見えなくて当然だった。一ヶ月後。母に見送られて、シュートシティでダンデと暮らし始める未来なんて、この時にはダンデの胸の中にしかなかったから、知るはずもなかったのだ。

 ベッドが揺れて、ダンデは真剣な顔をしていて、ようやく自分が案外ロマンチックな状況にいたことに気づく。それがこの夜、私の精一杯だった。