※殿堂入り後の時間軸
初恋に賞味期限はあるのだろうか。彼を思い出して、味がしなくなる時。もしくは思い出すたびに薬じゃなくて毒の方を強く感じるようになる時。
きっとあるんだろうと思いながら、私はまだ、初恋以外を知らない。
「も来るよね?」
「………」
すぐに返事をできない私へ、同期がたたみかける。
「出会いあるよ! 期待していいよ!」
なんの話をされているのか、もちろんわかっている。彼女の男友達が主催する、ホームパーティーへの誘いだ。
ホームパーティーと言うと私はつい、お庭でのんびり、なんてものを思い浮かべる。けれど、同年代の男女限定で集まるのだからなんとなく不埒で妖しい気配には勘付いている。ここで男女の集まりを不埒だと思ってしまうあたり、私の慣れていなさが出てしまっている部分だ。
「出会いかぁ……」
不慣れではある、というか下心も肯定される集まりは未経験である。けれど、私にとってはタイミングの良いお誘いだ。
「行くのはいいけど……。そういう場所で、マクロコスモス社員って引かれないものなの? ほら、ローズ委員長の騒動もあったし」
「ただのOLだって言えばいいじゃない。社名を言うのは仲良くなってからで充分でしょ?」
「そ、そっかぁ」
さすが大人の恋愛は駆け引きというものが生まれるらしい。嘘、ではないのか。詳細を伏せるだけで。
これから恋人になる人なのに、相手をだますことも良しとする関係性。はたして私は乗り込んでいけるのだろうか。初恋しか知らない自分に不安を抱きながら、私は諦めて了承の返事をした。
乗り込んだエレベーターは、珍しく私一人しか乗っていなかった。
旧ローズタワーには今もたくさんの関連企業が入っているのだから、本当に珍しい状況だ。監視カメラはあるだろうけど誰も見ていない状況。私はなんだか気が抜けてきて、重いため息を吐いた。
「はぁ……」
ついに、男女の出会いを自分から求めてしまった。それがため息の理由である。
激しく恋人を欲しているというわけではない。だけど初恋を裏切ることを自分から良しとしてしまった。
以前から諦めようとしているし、諦めることの方が正解のはずなのに。恋というものは、いざ捨てようとすると、心も体もどっと疲れるもののようだ。
誰に話しても鼻で笑われてしまうもの。それが私の初恋だ。
もう10年も前。私は人よりワイルドエリアが大好きすぎる少女だった。朝ごはん、お昼ごはん、晩ごはん、全てをワイルドエリアでキャンプをしながら摂っていたくらいだ。
何に凝っていたかというと、自分だけのワイルドエリアの地図を作るのに没頭していたのだ。その場所に出るポケモン、きのみのとれる木なんかを自分のレポートにまとめていた。
どこかの街に戻ることもあったけれど、ポケモンたちを回復させ、どうぐの補給を済ませたらすぐワイルドエリアに逆戻りしていた。天候によって表情を変えるワイルドエリアはいつまでも歩き回っていられたし、何度だって私の胸は感動に震えた。
ワイルドエリアに居座り続けるために、もちろん毎日のようにキャンプをしていた。テントを張って、ポケモンたちをボールから出して一緒に遊んだりのんびりしたりして、あとは簡単な調理をする。
そんなことをしていたある日、キャンプに迷い込んで来た男の子がいた。
年齢は同じくらい。相棒はヒトカゲ。彼は自分がひどい方向音痴なのだと語った。どっちへ行ったら良いかすぐわからなくなるけれど、キャンプから上がる煙が見えたので、私のテントを目指して歩いてきたとのことだった。
彼がキャンプに参加してきたワケを話した直後。ぐう、と大きなお腹の音を聞かせてきた。あまりに正直なお腹の音に、私は思わず笑ってしまった。その瞬間、私と彼とポケモンたちは打ち解けて、一緒にキャンプをすることになったのだ。
焚き火を囲んで私たちはたくさんの話をした。手作りのワイルドエリアの地図を見せると、彼は目を輝かせて私を「すごいな!」と褒めちぎってくれた。それに、その男の子が話すたびに、様々なことが伝わってきた。ポケモンへの大きな愛情。ひどい方向音痴というのが決して言い過ぎではないこと。それからやんちゃそうな見た目をしているのに、その子が考えを口にするたびひしひしと頭が良いことが伝わってきて、私は初恋に落ちたのだ。
目を閉じると、あの日々がまざまざと蘇ってくる。
彼は、時々朝焼けに重なるような紫の髪をしていた。それから、金の目。秋の輝く草原みたいな、それでいて琥珀のような。
そう、エレベーターの扉が開いた先、目の前に立っているよう、な。
「ダンデ、くん」
あ、だめ、と思った時にはもう声に出ていた。そして、成長した初恋の人も私に気づいてしまうのだった。気づくな気づくなと内心唱えていたのに、いざ彼が私を見ると言いようもなく舞い上がる。
しかも、誰だ? と言われるのを覚悟していたのに、ダンデくんは驚きつつ、私を呼び返してくれたのだ。
「!」
その呼び方が、私の名前を口にした時の表情が、リーグ委員長とマクロコスモス社員の関係性では到底なくて、びりびりと背筋が痺れた。
え、私がわかるの。名前も覚えているの。忘れてなかったの。こんなに大人になったのに。返事が大渋滞を起こしていると、ダンデくんの方が先に私のセリフを言ってしまう。
「なんだ、覚えていてくれたのか」
「ダ、ダンデくんこそ……!」
「ああ、懐かしいな」
ダンデくんを見上げる首の角度が新鮮だ。それくらい、滅多にない接近だ。というか言葉を交わしたのも何年ぶりだろう。
「久しぶりだね」
そう言うのが多分、正しいと思った。
本当は私は彼のことを何度も遠くから見つけていた。けれど、声をかけたことは一度もなかった。
何度かキャンプに訪れていた男の子は、いつの間にかチャンピオンになっていた。しかも最年少で、赤いマントにたくさんの大きなものを背負う、無敵のチャンピオン。これが私の初恋がすべての人から、笑われてしまう一番の理由だ。
誰もかれもが言うのだ。そりゃあもう忘れらてるね、って。その言葉を裏付けるように、私が何度ダンデくんに気づいても、ダンデくんが私に気づくことはなかった。だから声なんて、かけることができなかった10年だった。
「まあ……、そうだな」
ダンデくんは口元だけで笑って、すぐその笑みを崩してしまった。少年だった彼では絶対にしなかった表情に、私はドギマギしてしまった。
忙しく髪を触りながら、「元気そうでよかったよ」と我ながら、なんて白々しいことを言う。
チャンピオンとしての活躍も知っていたし、ローズ委員長と来ている時も何度か姿を見ていたし。同じビルで働いているのだから、近況なんて知っている。
「のアーマーガアは?」
「アーマーガアのことも覚えてるの? げ、元気だよ! 今も私のパーティで一番の相棒だよ! 会ってみる?」
「ああ、会わせてくれ」
私のポケモンまで覚えていてくれて嬉しい。慌ててボールを取り出すと、ダンデくんまでボールを取り出して、リザードンを出してくれた。私のアーマーガアはダンデくんへ近寄り、反対にリザードンが親しく顔を寄せてくれる。
「リザードンも、私のこと覚えててくれたの? 嬉しいなぁ……」
「うん、立派なアーマーガアだな。羽をよく見せてくれるか?」
リザードンの顔まわりをかいてあげつつもダンデくんを見ると、アーマーガアをよくよく観察して褒めてくれていた。アーマーガアもダンデくんを認めているのだろう。羽の先まで安心して触らせて、ダンデくんの言葉に目を細めている。あれは喜んでいる時の表情だ。
ダンデくんとアーマーガアの触れ合いを、気づけば私はじっ、と見つめてしまっていた。
「ん?」
ダンデくんが目を細めて私を見ると、それだけで心臓がぎゅっ、となる。
「あー、えーっと……。なんかダンデくん、少し丸くなったような、気がして。今の仕事、楽しいのかなぁ、なんて……」
「………」
「ほら! チャンピオンだった時もすごくかっこよかったけど、すごすぎてなんか、近寄りづらかったから!」
「近寄りづらかったのか? オレがチャンピオンの時?」
「う、うん」
「もしかして、ずっと?」
「うん……」
リーグの決勝戦が行われた一夜で、ガラルでダンデくんを知らない人はほとんどいなくなった。どこで見かけても羨望の眼差しを受けてきらきらと輝くダンデくん。周りに立つのは有名なジムリーダーや、ローズ委員長ばかり。近づくのも勇気がいったし、ましてや友人ぶることは怖くて仕方がなかった。
彼がただの迷子の時から知っていたとしても、チャンピオンになったダンデくんになんでもない私が近づくことはできなかった。もしかしたら覚えていてくれるかもしれないと期待をした時もあったけれど、有名になった彼に後から擦り寄るのは卑しい行為に思えて、あの頃に、全ての勇気は千切れてしまったのだ。
「なんだ、オレはてっきり忘れられたのかと思っていた」
「ダンデくんを忘れるわけ無いよ!」
「そうか? その割にははオレを無視してたじゃないか」
「無視はしてないと思うけど……」
「でもオレに気づいていても、今日まで他人のふりしてただろう」
無視したつもりは一度もなかった。ただ私が無言で彼から離れていった事が、ダンデくんの視点から語られると、それは無視してると言われても仕方のないものだったと、言われて気がついた。
「オレがあれだけ目立っていても、は挨拶もしてこないし、目も合わせてくれなかったじゃないか。オレから話しかけようと思った時もあったけれど、逃げていくから知らない間に嫌われたかとも思っていたよ」
「ごめん……」
「いや、謝らせたいわけじゃない。が意地悪をするような人間じゃないことはわかっているから、訳がわからなくて悩んでいたんだ。多分、思い出の大切さがとオレでは違うんだな」
肩をすくめるダンデくん。
同じ時間を過ごしていたのに、思い出の大切さが違うは私のセリフだ。私だって、数回のキャンプの思い出をばかみたいに大切に握りしめてきた。
「私こそ……、忘れられているとばかり思ってた。覚えててくれてありがとう。それが確かめられただけでもよかったな」
「……」
今さら恋が叶うとは思っていない。期待は抱かないけれど、ダンデくんの中に私の思い出が残っていたことが嬉しい。私の恋心が最後に一滴の報いを受けている。
これで綺麗な思い出として終わろうと、言われてるみたいだ。まるで初恋に手向けられた最後の花。嬉しくて、でも切ない気持ちだ。
「それは……」
「!」
しんみりしかけた会話の雰囲気を持ち上げてくれたのは、溌剌とした声。同じくエレベーターから降りてきた同期の彼女だ。
「さっき待ち合わせ時間変更になったの言ってなかった……って! ダンデさん……!?」
「やあ、どうも」
「、ダンデさんと知り合いだったの?」
「うん。昔、ちょっとだけ旅してた時期が重なってるの」
「すごいじゃん!」
「あ〜……」
ああ、ダンデくんは笑っている。じろじろと見られ、本当はあまり良い気分でないはずなのに。
恐らく向けられている興味の種類が、彼にとって好ましいものではないのだろう。少し硬くなった笑顔がそれを物語っている。
彼が困っているのをそのままに放っておくことはできない。話を切り替えるために私は無理やり、パーティーの話題を出した。
「今夜はよろしくね。すごく緊張するけど」
「うん、任せとけ! に恋人がいないの、すごくもったいないと思っていたんだよね」
「わっ、それもうちょっと静かにお願い……!」
「ああ、ごめん。でも私すごくテンション上がってて! もきっといい人見つかるよ! 私の話も聞いてもらいたいし、ほんと楽しみ!」
確かにテンションのおかしい彼女は、お互い健闘を祈る! と最後まで私とダンデくんの空気に気遣いゼロで去っていった。
「今夜の予定か?」
「あ、うん……」
ダンデくんに、完全に悟られてしまった。今夜出会いを求めて出かける事。
伝え下手な自分が嫌になる。別に期待しているわけじゃないし、確かに私はダンデくん以外の恋をできたらいいなと思って予定を入れていた。もちろん彼女は私の初恋が目の前の彼だなんて知らないので、仕方がないことなのだ。
けれど理不尽な本心を言うと、初恋の人の前でして欲しい話ではなかった。
「こういうのあまり行ったことはないんだけど、一度は経験してみようかなって」
空元気で笑う。泣きたい気分だ。せっかくダンデくんと久しぶりに思い出話ができたのに。やっぱり私の初恋は無惨な目に遭う運命なのだ。
これはひとりになったら本当に泣けてしまうかもと思いつつ、涙腺を引き締めた時だった。
「が好きだ」
誰かがデスバーンのかなしばりを私に向けて撃ったのではないか。それくらい、ありえない響きに全てがびりりと固まった。
「好きだ」
聞こえてはいるけれど、拾い方のわからない言葉だ。いや、ありえない。ダンデくんが私を好き、とか。
デートでもしていたら勘違いも許されたかもしれないが、ここは会社のエントランスだ。私はかろうじて愛想笑いを浮かべる。
「わ、私もダンデくんのことはいつでも応援して……」
「違う、友人として言ってるんじゃない。数年ぶりに話していきなり告白されても困らせるのは分かっているが……。すまない」
言いながらダンデくんは自分のキャップのツバを引く。彼の目は見えなくなったがそれでも隠せていないくらい、ダンデくんの顔が真っ赤だ。後ろに立つリザードンの炎に負けないくらい、真っ赤。
「真剣に考えて欲しいが、返事はすぐじゃなくていい。恋人でも無いから束縛するような事は言えないが、オレの告白で恋人探しをちょっとでもやめてくれたら良いと思って言ったんだ」
「え、あ、え……!」
「今夜も行かないで欲しいが……。行った先で誰かがに声をかけるだろうけど、簡単に頷かないで欲しい」
ダンデくんに好きと言われて、誰がほかの男性についていくものか。なんて流暢に口が回る余裕は私の全身探してもどこにもないので、私はひたすらこくこくと頷く。頷いたのに、ダンデくんは眉を歪ませる。
「ありがとう。でもその単純さがオレにとって、安心できなくなるんだが……」
「ダ、ダンデく、っうわ!」
何かと思えば私の背中をアーマーガアがアタマとくちばしのつけ根で押したのだ。前へとバランスを崩した私は転びそうになるもその前におでこがダンデくんの胸へ到達してしまった。
私を受け止めたダンデくんの手は、私の肘あたりを掴んでいる。そこからドクドクと、彼の脈の音が聞こえてくる。
全身おかしくなっているのは私だけではない。私のと同じ高鳴りが、彼にも走っているのだと思うと、恥ずかしさを超えたものがどこからかやってくる。そして、不思議な衝動が私の唇を借りていった。
「ダンデくんの恋人にしてもらえるなら、今夜は行かない、です……」
なんだ、私も案外大人っぽいことを言えるじゃないか。初恋しか知らないくせに、稚拙だけれど彼の言葉を引き出すような、駆け引きめいたことが言えた。
最後はほとんど消えてしまいそうな声量しか出せなかったので、大人には程遠いのだけれど。でもダンデくんにはちゃんと届いていたようだ。
「決まりだな」
歯を見せた子供っぽい笑顔に見とれてしまって、私は初恋が今だに現在進行形であることを確認したのだ。
(リクエスト内容は「ダンデへの長年の恋心を捨てようと思った主と告白するダンデ」でした!リクエストありがとうございました!)