幼い頃は酔っ払っている大人が嫌いだった。赤い顔で、大人なのに大きな声で騒ぐのがみっともないと思っていた。飲み過ぎは良くないと言うもののジュースではなく必ずアルコールを頼む大人たちも不思議で仕方がない。そんなに良いものなのかと舐めてみたお酒は舌が縮み上がるくらい苦くて、美味しそうにゴクゴクと喉を鳴らして飲む姿も理解できなかった。
みっともない大人になりたくないと思っていた。そんな私も気づけば成人。スパイクタウンの仲間と騒ぐためにとりあえずジュース、ではなくアルコールを飲むようになっていた。
朝目覚めて、私は布団の中から出ずとも、すでに自分の不調を感じとっていた。喉から食道までがひりつくし、血の巡りが悪いのか手足に鈍痛が走っている。消化不良を起こした胃がぐるぐると蠢いているようで、舌の上に昨日のお酒の苦味が残っている気すらした。あと単純に、だるい。
「あ゛~、飲みすぎた……」
起き上がるほどのテンションが上がって来なくて、そのままベッドの中でスマホロトムを見ると、いくつかの通知が入っている。昨日一緒に騒ぎ通した友人からメッセージが数件入っていた。
指先でスクロールして追って見ると、”涙が出るほど爆笑”の絵文字スタンプが連打されたあとに、いくつかの動画が送られている。暗い色にほのかに浮かび上がるバーカウンターのサムネイル。昨日の飲んだお店の中で撮られた動画のようだ。
「うわ、やらかした気しかせん……」
絶対ひどい動画だろうな、と思いながら再生ボタンを押すと途端に騒々しい音がスマホから流れ出した。
場所は友人たちと集まるお決まりのバー。私はすでに上着をどこかに脱ぎ捨てたらしい。タンクトップ姿で、シンセサイザーの前に立っている。
いつもお世話になっているこのお店には小さなステージが付いている。今日のライブはもう終わっていて、許可さえもらえばいくつかの楽器が好きに使えた。私はピアノならば多少は弾けて、少ない持ち歌の中であれば弾き語りができる。到底食べていけるようなものではなかったけれど、たまに弾くのは楽しいし、こういったときに一芸あるのは救われることなのだ。
『ー!』
撮影者が手を振って私を呼ぶ。
『うええーーい!!』
私の返事、頭が悪すぎる。かなり酔いが回っていた時の動画のようだ。しかも、すでにこの辺の記憶が無い。なんとなく鍵盤を触った覚えはあるけれど、何を弾いたか等が思い出せない。
動画の中の私は、いくつかコードをそれっぽく鳴らしながら頭を振っている。途端に自分が昨夜吐いていないかどうかが不安になった。このお店では許可をもらえば楽器を触らせてもらえるが、もちろん汚したり壊したりしたら弁償だ。動画の中の私は、自分自身の心配をよそにアホっぽい笑顔でぴょんぴょん跳ねたりしている。
昨夜の自分をはらはらして見守ったが、そのまま一曲だけ下手なりに歌って、ささやかな拍手をもらい、そんなこんなで一個目の動画が終わった。
「我ながらバカだなぁ……」
こうやって冷静な目で見ると、本当に自分はバカな大人になってしまったなという気がした。子供の頃はお酒でバカ騒ぎする大人が嫌いだったのに、いつの間にやらその嫌悪していた大人になってしまった。
もちろん最中は高揚する体に音楽が流れて、とてもは楽しかった。夜が明けて体の調子は下り坂だが、ここ数日のストレスから解放されたのは深く感じていた。
呆れながらも私は次の動画をタップした。まさか一つ目の動画とは比べ物にならないレベルの恐ろしい動画とは知らない私へ、無慈悲な再生が始まる。
一つ目の動画の少し後のようだ。同じくタンクトップ姿でシンセサイザーの前に立った私は適当なメロディーを弾きながら、マイクに向かって叫んでいる。
『ネズう~?? ネズはあ~! 今はぁ、トーナメントに行ってるう~!!』
さぁあぁっと血の気が引いた。
やばい、なんで私はネズの話をしてるのだ。前後が全く思い出せない。
『だからぁ、うち寂しかねー!! ジムリ時代と忙しさ変わっとらんやなかー! ネズは、ネズは……、うちに興味なさすぎる!! うちは5歳の時から好きなんに~!!!』
思わずスマホに向かって叫ぶ。
「ちょっ、私何言いよっとー!!?」
問いかけても動画の中が止まるはずはない。私はステージの中、上機嫌で、普段絶対にいうことのなかったネズへの気持ちを陽気に暴露している。本気で何言っちゃってるの私!!
『ヒュ~!!』
『いいぞ! もっと言え~!』
『ネズ~!!! 好きな女のタイプば教えろ~!! マリィちゃんの可愛さには勝てんけど~!!!』
『それは誰も勝てんて』
『あとうちより腰細かとずるか! けしからん!!』
わはははと笑う野次馬の声が笑ってるけれど、酔いから醒めてる私は一切笑えない。スマホロトムを取り落としそうなくらい手がぶるぶる震える。
全く記憶がない。この動画も最新の技術で作られたフェイクだと信じたいのだけれど、私の友人はしがないスパイクタウン市民かつエール団員でしかない。最新技術なんて持っている訳がなかった。わかっている、この動画が記録しているのは、昨日の私自身がしでかした大変な痴態だ。
決めた。旅に出よう、今すぐ。
さすがに昨日は騒ぎすぎた。飲む量を調整できずに記憶を無くして、こんな一生の汚点レベルの行動をしてしまったのだ。断酒はせねば。
この街にいると友達と騒ぐためにまた飲んでしまいそうだし、これを機に自分のポケモンたちと勝ったり負けたりしながら、少し遠くまで一人旅するか。というのは建前で、もちろん本当の理由は動画の内容を周りに忘れてもらうまで誰にも顔向けできないからだ。
それに、生まれた故郷であるスパイクタウンは大好きだが、ここ最近は居心地の悪さを感じていた。
地元の人間たちは全員、私の幼馴染・ネズのことが好きだ。街全体が彼を慕い、愚直なエールを送っている。彼は街の中心であり、街の希望であり、一番のスターである。そして街を守るジムリーダー、だった。
その様々な羨望がネズに向けられる中、私は愚かにも本気の恋までしちゃっている。街の人々がネズに向ける情熱と、私が幼馴染に向ける熱情は、温度が違いすぎて、それはそれで居づらさを生んでいたのだ。
昨晩のことは、その居合わせた人たちしか知らないはずだ。まずはこの動画の送り主に、絶対に誰にも動画を見せないよう言っておかないと。特にネズに見られたら最悪だ。
メッセージを送ろうとした瞬間に、また通知が来た。動画の下に追加されたのは、だいばくはつ級の新しいメッセージだった。
『ごめん、昨日の動画、ネズさん見たらしい』
悲鳴は声にならなかったので、私のセリフは特になし。セリフどころかほぼ息をしていない状態で、ベッドの端でゆっくり寝ていた私のジグザグマを脇に抱えた。
やっぱり絶対、必ず、死んでも、旅に出ねばならない。
家にストックしていたポケモンたちのどうぐをカバンにとにかく詰め込む。とりあえずポケモンがいればなんとかなると謎の男気を発揮すると、上着を一枚羽織ってとにかく焦って家を出る。けれど時はすでに遅かった。
「おはようございます」
家のすぐ外に、ネズが立っていた。
なんで? どうしてネズはここにいる? ネズはトーナメントに招待され、昨日シュートシティに行ってたはずだ。今までもジムリーダーとしてスタジアムに行ってその翌朝、早々に帰って来ることは滅多になかった。だからとりあえず、ネズには見つからずガラルのどこかに身を隠せると思ったのに。
「おっ、おかえりなさい!」
かろうじて出迎えの挨拶をいうと、ネズは眉をしかめた。
「おまえ、やはり顔色が悪いですね。差し入れです」
彼が持ち上げて袋を見せてきたと思ったらそのまま、ずいと近寄ってきてドアの前を塞がれる。結局、私は自宅の玄関で回れ右をして、というか細身なわりには強いネズの力で家への中へと押し込まれて、私の旅のスタートラインとなるはずの扉はパタンと閉じてしまった。
呆然しっぱなしの私に袋ごと渡された差し入れの中身を見ると、カットフルーツとジュースが入っていた。
勝手知ったる様子で、ネズは我が家のキッチンに入って行く。グラスに氷をいくつか入れてくれる後ろ姿をよそに、このまま家の外へ逃げてしまおうかと思ったが、踏み出そうとした瞬間にネズに声をかけられてしまう。
「ほら」
「は、はい……」
ネズい促されるまま私はリビングに戻り、今やテーブル越し、向かい合って座っている。やばい、逃げるタイミングを逃してしまった。
焦りながら座るしかな私をよそに、ネズがグラスに、差し入れのジュースを注いてくれた。
「どうぞ」
「アリガトウゴザイマス……」
差し出されてしまったのでそのまま一口飲む。さっぱりとした味わいで、美味しい。薄味なのが胃にも優しく、体が喜んでいる感覚があった。さっぱりするのにあとを引く美味しさだ。もう一口飲もうと、グラスを傾けかけたところで、ネズが口を開いた。
「ひどい荒れようでしたね」
「あーなんか、行っちゃったらしい、ですね、動画……」
「音も声も、意外と良くなってしましたよ」
「あ、ありがとうございます……ははは、同じ曲を何度もやってるからですかね……、あはは……」
「なんで余所余所しく喋るんです」
「それは……」
動画の内容がやばすぎるからだ。ただのバカ騒ぎしてるだけならこんなに今すぐ消滅を願うような気持ちにはなっていない。5歳の頃からネズが好きだとか、トーナメントのために街を出られると数日でも寂しいだとか、今まで一度だって周りに言いふらしたことなんてなかった。もちろん本人にも内緒だ。腰回りにいやらしい視線を送ってるだとかも、言うわけがないし言っちゃだめだとわかっていた。
なのに昨晩の私はそれをべらべらと喋ってしまっていた。やっぱり絶対断酒はせなばなるまい。絶望しつつ断酒に燃える私へ、ネズはしかめっ面で苦言を呈した。
「薄着は感心しないですね」
そ、そこ? ネズが言及するのが私のタンクトップ姿だったのは意外だ。あの動画の中、もっとヤバイ部分はいくらでもある。なのに薄着についての注意しか今の所は言われていない。
これはもしかして……、ネズはひとつめの動画しか見ていないのでは!? むしろそうであってくれ! 私は一縷の望みをかけた。
「5歳の時からですか。一方通行とばかり思っていましたが、まさか長さで負けているとは思いませんでしたよ」
だめだ、望みなんてなかった。惨敗だ。これは二つ目の動画もきっちり見ていらっしゃる。
しかし表情を変えずに言われるとなんだか泣きそうになる。ネズが私のことなんてなんとも思って居ないのが、行動から伝わって来るようだ。
「……なんで泣きそうになってるんですか」
「動画見たならわかるやろ……」
「おまえ、大事な部分を聞き逃していますね」
「全部聞いたらほんとに死んでしまう……無理……」
「………」
顔を机に突っ伏して居たのに、なぜ本気の涙が出ているのがバレているのだろう。もう私がネズに隠せることは無いのかもしれない。早く旅に出てしまいたい。
「ネズさまネズさま」
「なんですか」
「お願いですので動画のことは忘れてください……」
「無理ですね、おまえがバカで最高におもしろかったので」
「………」
「……すみません、今のは照れ隠しです」
照れ隠しという慣れない言葉が聞こえて、頭をあげようと思った。けれどできなかった。ネズの指が、私の頭を撫でたからだ。優しく、けれど私に顔をあげさせないために指先は私の髪に触れた。だから私は机の木目を見ながら、幻のようなネズの言葉を聞いた。
「老いて死ぬまで、絶対に忘れてやりません。とても、可愛かったので」
「……今の、幻聴?」
「信じられませんか」
「ネズにあまり可愛いとか言われたことなかし、そう言う目で見られたこともなかて思うとった。動画見て、気持ち悪かとか思わんかったと……?」
「感想は先ほどもう言いました」
また緩やかな拘束に遭っていて、ネズの表情を見ることは叶わない。けれど、ネズがまた照れ隠しを言ったのがわかった。
「好きなタイプでは無いはずなのですが、おまえに興味ないなんてことは、ねえですよ」
「ほ、ほんと……?」
「気持ちを隠しすぎてましたね」
さきほどからやりとりしている言葉が現実だという確信が持てない。だけどあの動画を見て、私を気持ち悪いと思ったら普通は来ない。なのにネズは、私に会いにきてくれている。体調を気遣う差し入れと共に。
不意にネズの指先が緩んで、ようやく私は机から顔をあげることができた。我が家のリビングで、午前の光を浴びる彼を凝視した。
ネズをよく見ると、少し疲れているのが分かった。目の下がいつもより暗い。
当たり前だ、昨日彼はスタジアムで本気のトーナメント戦をこなしてきたのだ。一戦ごとにかなり体力を消耗するのに、トーナメントでは最大三戦を行う。だからこそ大体は出かけ先で一泊して帰って来るのが常だった。なのに、今彼は私の部屋に舞い戻っている。
案外シュートシティからすっ飛んで帰ってきたのかもしれない。ネズは二度の照れ隠しをして、それでも私を可愛いと思ったことを否定しなかった。自惚れの可能性もあるけれど、現実の可能性もゼロではない。
「じゃ、じゃあ、付き合うてくれん? ……、うちの断酒に」
最後にちょっぴり逃げてしまった。ちょっとずつ幻が幻でない証拠は揃いつつあるが、そんなすぐに信じられるほど短い片想い歴ではない。
「この、臆病者」
ネズのたった一言が私に刺さる。
「どこまでも付き合ってやりますよ」
私が5歳の時から恋をする男が笑うのは、壮絶に美しくて、片思い歴が終わろうとしてるなんて到底信じられない。しかしここて可愛らしく顔を赤くさせてた私は知らない。
本人曰く気持ちを隠しすぎた発言が全く過言ではないこと。それをこれからの日々で散々教え込まれ、そして最後には大きな声で「ネズ! もうえー加減恋人ってことでよかやろ! 付き合おう!」と私から告白させられるほど追い詰められる事など、知る由もないのだった。
(リクエスト内容は「ネズさん夢をお願いします……!」とのことでした!リクエストありがとうございました!)