私はキバナにとって良い彼女のはずだ。キバナが恋人の私を差し置いて他の女性の腰に手を回していても何も言わない。睨みつけることもしないで、黙って待っている。彼が何知らぬ顔で私との待ち合わせに現れたら、私も合わせて何知らぬ顔は、上手にできているはずだ。今の仕事が好きで、体力や時間に余裕がないところはマイナスポイントかもしれないが、概ね良い恋人のはずである。
 結果キバナは楽しそうに昨夜もまたガラル地方を指折りの美人と密着していた。そんな写真をアップロードしたのはキバナではなく、美人側のSNSなのがまた憎い。彼をなじる言葉は浮かんで来さえしない。私は重い溜息を吐きながらスマホの画面をオフにした。

 最初は、小さな出来事だった。キバナが特集された雑誌の紙面で、旬のモデルと絡むような写真ばかりが載せられた時、嫌だったけど言えなかった。
 キバナだって、ポケモントレーナーとしての取材だったはずなのに人間同士の写真ばかりが載った紙面にしかめ面をしていた。気分を害しているとまでは言わないが、雑誌からの扱いに不本意そうにしているキバナに、私がわざわざ自分の不快感を伝えるのは変な気がしてしまったのだ。
 始終不機嫌そうだったキバナに自分のわがままをぶつけて、嫌われない自信も無かった。だから本当はとても嫌だったのに、言えなかった。

 キバナはかっこいいからお話しした女のひとにすぐ気を持たせてしまう。それが自分を守るための思い込みだと知ったのはいつだろう。
 3人目、くらいだろうか。キバナとの関係が盛り上がり、ついに私に会いに来た女性に、どこか共通点があることに気がついた。髪型、まとっているものの雰囲気、持ち物。キバナの遊び相手たちはいつも私の好みにとても近く、でもとてもじゃないけれど自分には似合わないだろうと気後れしてしまうワンピースや靴を身にまとっていた。そして彼女たちはみんな、私には真似できないくらいの我の強さを持っていた。
 それらの共通点がキバナの好きなタイプの女性を示しているようだと思ったとき、私は察してしまったのだ。女性たちもキバナに近寄るが、キバナの方からも女性たちに近寄っている。キバナは、私以外の女性に会うのを楽しんでいるのだ、と。

 文句なんて一度も言ったことがないのに、キバナが手を出した女性が突然目の前に現れることは、時々起こる。彼女たちが別れろだなんだと言いに来たとき、私はいつもこう抗弁する。

「キバナは、なんて言ってるんですか?」

 それが私に唯一言えることでもあった。彼女相手にキバナがフリーだと自称しているなら、それは遠回しにキバナから関係解消を告げられたも同じだ。私もそれに従って、恋人関係なんてとうにないと言う準備はいつでもできていた。
 逆に、もしキバナが私を一応恋人として言いふらしているのなら、私も恋人を続けてて良いということになる。

 頼りない唯一の抗弁に、今までの女性は途端に黙って居なくなったのを見て、私はそこでようやく安心するのだ。この関係はまだ続いていたのか、と。



さんですよね? 突然すみません、ちょっと話聞いてもらってもいいですか?」

 私の目の前に現れた5人目の彼女もまた、瞳に恋心ゆえの敵対心を宿した美人だった。私より背が高く、キバナと並んだらさぞかし絵になることだろう。なんて冷静に考えてしまうあたり、私も随分感覚が麻痺してきている。本当は怒り狂って、キバナとの信頼関係が揺らぐ修羅場に直面しているはずなのに、「どこかお店入りますか?」なんて呑気に問うと、彼女はキッと目を釣り上げた。

「それ、余裕見せてるつもりですか?」
「そういうわけじゃ、ないんですけど……」

 もっと彼女を脅威に感じるべきなのかもしれない。けれど、私にとってはもう慣れた事態なのだ。

「じゃあここでお話しますか?」
「っキバナは、今日は来ませんよ。あなたに会いになんて来ませんから」

 悪意を持って言われた言葉には慣れたものだ。けれど、5人目の彼女は以前より厄介な相手のようだ。なぜ、私がここでキバナと待ち合わせていると知っているのだろう。

「予定日変更のメールしましたよね、あれ、私ですから」
「それ、本当ですか?」

 おかしい。焦ってスマホを見返すとメッセージが、確かにキバナから届いている。当初明日に予定したデートを、キバナの都合で今日に変更したいという内容だ。思わず私も顔をしかめた。キバナが他人にスマホを触らせるだろうか?

「スマホロトムに、キバナさんからの伝言だって言えば送ってくれました。だから今日、キバナは来ませんから」
「そうですか……」

 今までの女性たちを超える行動力を見せる彼女。私は内心の半分は怯えていたが、半分は彼女をとても羨ましいと思っていた。
 羨ましい。私には真似できないくらいの我の強さが。キバナに対する独占欲をこうして表現できることに、眩しさを感じている。
 最初にちょっと間違えたことで、言えなくなっただけで、私にも独占欲はある。だけど今更どう怒ったら良いのか、嫉妬を掘り起こしても良いのか、時が経てば経つほどわからなくなった。わからない出来事を山ほど積み上げて、今や私はキバナに対して怒ったりわがままをぶつける資格があるかすらわからない有様だ。
 だから私は、目の前の彼女を、今まで嫉妬をぶつけにきた女性たちがいつも羨ましかった。彼女たちのようになりたいと今も思っている。

「それで、要件はなんでしょうか?」
さんから別れを切り出してもらえませんか?」

 なぜ彼女は、私からわざわざ別れを言わせたいのだろう。私は疑問を抱きながら、いつもの言葉を繋げた。

「……キバナはなんて言ってるんですか?」
「キバナは、なぜか知らないけど有耶無耶にするんです」

 有耶無耶、か。彼女だと言ってくれないのか。まあそうか、遊ぼうとしてる相手に恋人の話など明確にするわけない、か。当然の答えなのだけれど、案外胸が痛んで、目の当たりにすると手足から力が抜けていくようだった。
 だめ押しをするように迫られる。

「でも貴女とキバナの関係に何も意味がないって貴女もわかりますよね?」

 意味のない、関係なのだろうか。
 彼の手癖の悪さに私が文句を言い出したら喧嘩になるだけだ。それより、自分の目の前にキバナがいる時間を大切にしたくて、沈黙を選び続けて来た。けれど、今や私にキバナに怒りをぶつける権利があるのかもわからない。
 面倒な彼女だと思われるのが嫌で、不必要な女になるのを嫌って、今日にたどり着いてしまった。けれど、私はとっくのとうにキバナを困らせているのかもしれないなと思った。

「……じゃあ、別れたってことでいいです」
「え……」
「今ここで、別れたということにします。キバナもダメって言わないようですし、私も別れたくないなんて言うつもりは無かったので」
「……、どうも」

 私に去ることを迫ってきた彼女からでも、もし恋人扱いを受けていないことが分かったら、潔く去ろうと思っていた。せめて別れは誠実に、なんて望みを持ったことはない。
 自分と釣り合いそうもない肩書きの彼と付き合うことになってすぐに、多分、自分のルールで恋愛はできないと悟っていた。キバナが違う世界に生きている、華やかな男だと分かっていて、私も好きになったのだ。

 今日はデートの予定だったがキバナは来ないそうだ。そもそもずっとあった破局の気配が本日、事実となってしまった。私は帰り道の途中、ケーキ屋に寄った。甘いものでも食べて強制的に気分を上げないとダメになりそうだったからだ。
 本当は食欲なんてなかったが、食べきれないほどのケーキを注文して、メッセージプレートはいかがされますか?と聞かれて「あ」と思い出した。
 明日はキバナと付き合って2年目の記念日だった。もう2年も付き合ってたのか。
 いいや、2年目にはなれなかったけれど。

 やはり彼のルールに従った恋愛も、彼自身も、やっぱり私には釣り合っていなかったな。
 苦しいばかりだった。けれど、私が手に入れたキバナの元カノという称号は悪くない。それくらい、キバナはかっこよくて大好きな男の人だった。
 その時にようやく私は涙を出すことができた。キバナと付き合っていた間は、苦しくとも泣けなかったのに。彼を大好きだと思えば思うほど、溢れる欲求を自覚するほどに情けなく泣けた。ケーキ屋さんの店員さんが取り乱す姿を傍にして、自分の恋が終わりゆく瞬間を私は目の当たりにした。




 そう、終わったと思ったのに、誰が予想しただろうか。ふて寝から目覚めた翌日の昼。キバナからありえない数の着信が入っていた。留守電もいくつか入っていたので聞いてみると「大丈夫か?」「調子悪いのか?」「無事だよな?」「とにかく連絡くれ」といった安否確認が何度も何度も、けれど声色の緊張はメッセージごとに少しずつ増していて、事態を飲み込めずにいると家のベルが煩いくらいに鳴って、動けないでいるとドアが何度も叩かれて、半分涙目になりながら鍵を開ければキバナが、キバナが立っていて、吼えるように言われたのだ。

「なんで来ない! なんで連絡しても出ないんだよ!」

 そのまま彼がまっすぐ距離を詰められ、私は今は突き当たりの壁に追い詰められている。
 私が言葉に詰まっていると、キバナはそれも気にくわないと言わんばかりに目を釣り上げる。

「オマエがじゃあ今別れたことにするって言ったってのは本当だったってワケか!」

 ひゅっと喉が詰まって痛みを訴える。体がすくむ。ずっとずっとキバナが本気で凄んだところなんて見たことがなかった。バトル中のような気迫を今初めて向けられて、全身が恐怖していた。

「お前から告白しておいて、釣りおえたらエサはやらねえってか? 飽きたら捨てるんだな!」

 ひどい、あまりにもひどい言い草だ。そんな気持ちになったことなんて一度もない。思わず首をふるふると横に振ると、昨晩で枯れたと思った涙がぼろりと溢れた。チッという舌打ちが頭上で聞こえた。

「……初めて会った時からなんか合うなって思ってた。話してるだけで調子が狂うくらいに不思議と楽しくて、見かけるだけで嬉しくて、それなのに先に告白されて舞い上がってたオレの気持ちも知らないくせに。いや、知っているからこの仕打ちか?」
「ちがっ……!」
「オマエからしてみたら、記念日にすがるオレは滑稽なことだろうな」

 忘れてなんかいない、私の中に残っている。キバナとポケモンの話をして、話せば話すほど楽しくて、心が通じ合っているかのような錯覚を覚えて、私が「付き合おうよ」と言ったこと。
 何から否定していいか、何から肯定すべきかわからなくなっている。なのに、キバナはさらに私に感情を流し込む。

「あんなやり方じゃなくて、ちゃんと直接オレさまに言え。飽きたから、捨てるって。もうずっと前から興味なくしてるって。オレなんかどうでもいいって思ってるんだろ! 言えよ!」

 私は何度も首を横に降る。
 違うのキバナ。キバナの言うことは何一つあっていない。私が言えなかったたったひとつは、キバナが想像しているようなものじゃない。貴方に捨てられたくないがために身勝手に負った傷は、キバナが想像するより、もっとひどいものだ。

「キバナ、ひどいよ……」

 唇の上で涙を噛み殺しながら、呻くように吐き出すと、私よりももっとボロボロなキバナも呻いた。

「ひどいのはどっちだ、ちゃんと諦めさせてくれよ……」

 キバナに体重をかけられると、大の男は私では受け止めきれず、そのまま私たちは床へ崩折れた。冷たい床と熱い体に挟まれて身動きが取れないなか、鼻先が触れ合うほど顔と顔が近づいた。

「……きらい。他の女の人を触るキバナなんて、だいきらい」

 唇に彼の息がかかる距離で、悲嘆に暮れながらも、たったひとつを口にした私は知らない。翌週、ご機嫌とりっぽいプレゼントとともにキバナに今までのことを謝られた上で、”キバナのヌメルゴンは♀だがそれは女の人にカウントするかどうか”を丁重に確認されるとは、知るよしもないのだった。





(リクエスト内容は「女癖が悪いキバナさんとその彼女で、キバナさんが後から後悔するようなお話」とのことでした〜! ありがとうございました〜!)