古のガラル人たちが積み上げた城壁が今も残る、ナックルシティの宝物庫。その裏口は意外に電子化が進んでいる。荘厳で伝統的な雰囲気に上手に馴染ませたセキュリティ付きのドア。その横にある、カメラ付きインターホンを前に私は立ち止まった。
大きく息を吸って、吐いて、また吸って。気持ちを落ち着けようとする。けれど、やっぱり気が重く、全身も重たく感じる。
荷物を持って後ろを着いてきてくれているキテルグマが、一向に進もうとしない私へ、不思議そうにしながらつぶらな瞳を向けて来る。このキテルグマはポケジョブでやってきて、快く私の仕事を手伝ってくれている。その心優しいポケモンを困らせている罪悪感がひしひしと私を責め立てる。だけど目の前の扉、についているインターホンのボタンが私にとって重く、厳しい。
でもやらなければ。これは仕事だ。このあとどうなるかは想像がついている。それでも覚悟を決めてから、私は営業スマイルを浮かべ、ようやくそのボタンへとたどり着いた。
屋内へと響いてる遠いベルの音。かすかなノイズが響いて、インターホンのカメラが起動する。
「ど、どうもこんにちは〜。フレンドリィショップ・ナックルシティエリア担当のです。ご注文の商品の搬入にきました」
「はい、フレンドリィショップのさんですね! お疲れ様です」
インターホン越しに答えたのは女性の声。ジムトレーナーさんのようだ。ホッとしたのも束の間。
「今担当のものが向かいますので少々お待ち下さい」
“担当者”。そう聞いて私は生唾を飲み下した。自分でも急にじっとり汗をかきはじめたのがわかる。し、深呼吸をしなくちゃゃ、と思うのに私は息の吸い方も吐き方も忘れたように固まってしまう。そうしているうちに姿を現したのは宝物庫を守る、ドラゴンだ。
「こ、こんにちは……」
「………」
キバナさんの身長からして、見下すような姿勢になってしまうのは、仕方がないことなんだろう。だけど、どうしてもこのひとが苦手だ。愛想笑いくらいしてくれたら私ももう少し肩の力を抜けるだろうに。
私が血の気が抜けていく指先で箱を開け、注文書を出せば、キバナさんはそれを無言で受け取った。
フレンドリィショップからナックルジムへの商品の搬入。社員の間で取り合いになってもおかしくないような名誉ある仕事だ。それを私がさせてもらってるのは幸運でしかないだろう。だけど毎週ごとの搬入で、顔を見るだけで固まって余裕をなくしている私には過ぎた仕事のような気がしている。
「こちらがかいふくのくすり、10個入り3箱です。すごいきずぐすり、10個入り5箱、いいきずぐすり10個入り5箱、オボンの実1kgが2袋、状態異常回復きのみセットが5セットです。あとこれはキャンペーンでお配りしている試供品です」
納品書を見て、個数などを確認する。その間もキバナさんはかいふくのくすりも凍りかねない、冷ややかな目をしている。
でも箱へ伸ばされる手は長くて、しなやかで。ああ鼻筋もなんて綺麗なんだろう。このひとは写真写りも良いけれど、目の前で動いていると別の魅力がある。
キバナさんは笑うととてもとても素敵なのを見たことがある。試合後のインタビュー動画、あるいは街中のポスター、紙面の中なんかで、キバナさんは時に晴れの日そのものみたく笑った。だけど試合中、バトルが良いものであればあるほど荒ぶるような嵐のような表情を見たことがある。それももちろん、画面や紙なんかを介してだ。どちらの笑顔も、この場では向けられたことがない。
前のエリア担当はキバナさんのことを、それはそれは褒めちぎっていた。オフでもサービス精神がある、直接会ったら誰にもファンになる、オーラがあると聞いていた。だけど、前のエリア担当は勘違いしていたのだ。今はそうわかる。良い思いをできていたのはそれは前担当者が、ちゃんとキバナさんに信頼されていたからだ。
サービス精神? 目の前のキバナさんの一体どこに、サービス精神があるのだろう。
オーラはある気がする。ふとすると、私が潰れてしまいそうなオーラなら。
ファンになってしまう気持ちはわかるけれど、前から私は軽いキバナさんのファンだった。
キバナさんに会うと苦しい一番の理由はこれだろう。仕事とはわかっている。だから私の中のほのかな憧れには隠れるように言いつけている。だけど、憧れは姿を見せないだけで消えたわけではない。何よりも、キバナさん自身が消させない。消させないどころか、ナックルジムへ訪れるたびに憧れに明かりを足されてしまう。
この人は、本来ファンサービスなんかしなくても、人を魅了できてしまうのだ。一歩引こうと後ずさった瞬間に、惹きつけられるものを見つける。矛盾が起こって、自分の気持ちがわからなくなる。ここに居続けたいのか、そうじゃないのかもわからないまま、私はそそくさと頭を下げて帰ろうとした。
「それじゃあまた、よろしくお願いします〜……」
「おい」
「は、はい!」
「まだ帰っていいって言ってねえ」
「あ、も、申し訳ありませんっ。何か御用でしょうか……?」
キバナさんはポケットから取り出した。なんでも入りそうな大きなポケットから、出て来たのはお菓子の包みだった。売店とかで売ってる気軽なものではなく、パティスリーの店頭に並んでいそうだ。
「……、かわいいですね。すごく」
素直な感想を言ったら手渡された。
中身は私たちにも馴染み深いハートスイーツなのだけれど、パッケージがとてつもなくおしゃれだ。リボンに店名まで刻印されているし、小さな季節の造花がグリーンと一緒に添えてある。家で食べる人向けというよりは、小さなギフト用のお菓子のようだ。
私は驚いた。キバナさんはポケモンに何か送るだけでも、こんなに細やかな気遣いをする人なんだ、と。
「キテルグマ、良かったですね」
「なっ……!」
彼の手の中にあると、そう大きく見えなかった包みは、自分の手に移ると案外大きくて驚いた。でもそれをキテルグマに渡すと、またぴったりなサイズ感へ戻って思わず笑ってしまう。心なしか、キテルグマの表情も柔らかく温かく見える。
「ありがとうございます、キバナさん。キテルグマがこれを持って帰って、この子の活躍を知ればトレーナーさんもとても喜びます」
「あ、いや……」
「さすがキバナさんですね」
「まあ、その、そうだな」
そう、キバナさんはポケモンには一等優しいのだ。努力も、ポケモンへの愛も、並々ならぬものを持ち続けている人だから、ガラル地方が新しい未来を迎えた今も彼はトップジムリーダーなのだ。
スタジアムで、生で見るこの人は、どれだけ勇ましいのだろう。その隣に立つポケモンの姿を、この目で見てみたい。きっとその光景はさらに雄弁に、キバナさん自身のことを語ってくれるような気がするのだ。
「オマエ……、絶対オレさまの試合見にくるなよ」
どきりとした。キバナさんに考えていたことを見透かされたようで。きゅっと笑顔を固めて、私は自分が抱いた欲望をごまかした。
「はい。前もそう言ってましたもんね。遠慮させてもらっています」
ジムリーダー直々に、スタジアムへの出禁を言い渡されたのは、初めてナックルジムへ搬入した日だった。何がきっかけかわからない、けれど今もキバナさんの気持ちは変わっていないらしい。それで私も理解したのだ。キバナさんが怖い顔で出てくるのは、単に私が気に入らないから。前の担当者と何が違うのかもわからない、自分の気持ちもよくわからないけれど、そればかりは明確だ。
「それでは。またよろしくお願いいたします!」
諦めがつくと、案外上手に笑える。さてお店に戻ろう、次の仕事に取り掛かろう。前を向いて歩いて入れば、後ろからドシドシを足音を立ててキテルグマが追いかけてきて、そしてそっとその手を私の頭の上に乗せた。かいりきの持ち主のキテルグマなのに、その手の優しさに涙が一粒だけ、ナックルシティの地面に吸い込まれていった。
ある時、フレンドリィショップに増えた影。それがだった。無機質に立っているかと思いきや、元気になったポケモンとそれを迎えたトレーナーの様子を見た瞬間。ふにゃり。そんな音が聞こえて来そうな笑顔を浮かべた。彼女の知り合いかと思ったが、一声もかけずに見送る。
他人と他人のポケモンがポケモンセンターで再会する。フレンドリィショップから一日に何度も見るであろう光景に、何かえらく美味しいものでも食べたみたいに幸せそうな顔をするなと調子を崩されて向き直ると、
『いらっしゃいませ』
次の瞬間、彼女は下手な営業スマイルを浮かべていた。
宝物庫の搬入口に彼女が現れた時、オレが居合わせたのはたまたまだった。
見覚え、というよりふと何度か思い出すことのあった背丈が目の前に立っていて、動揺と同時に、幸運を感じた。
だが声をかけて、冷水を浴びたような気分になった。
『はじめまして。フレンドリィショップ、ナックルエリア担当のです。本日より搬入の担当が変わりまして……』
営業用のスマイルだ。オレの心のどこかは、柄にもなく浮かれた気持ちで応対しているのに、彼女はあのふにゃりとした笑顔をかけらも見せない。まあ仕事だからなあとか、今日はちょっと冷えるもんな、とか。無様にも自分の中で彼女が偽の笑顔を浮かべる言い訳を必死で探すほど、ショックだった。
それに、はじめましてじゃないだろ。なんでオレさまが覚えていて、オマエはオレさまを覚えていないんだ。そんな無茶苦茶なことを言いそうになって、オレは奥歯を噛み締めた。
彼女と出くわすと、デメリットのことが多い。どうせも良いことのはずなのに、とても苛立たせられるし、思うように笑わない彼女に出くわすたびにオレはらしくないくらい、ガタガタと調子を崩す。だというのにフレンドリィショップからの搬入があると、どうしても会いに行ってしまって、オレは期待と失望を繰り返している。
でも今日は、悪くなかった。
オマエに買ったんだ、試合に来るなはさすがに言いすぎたと詫びるはずだったが、キテルグマに向けた柔らかい表情で、一瞬で何も言えなくなってしまった。
たが、見たかったものを見れたという気持ちが湧いてきたのには焦った。オレさまはの顔が見たかったのか? じゃあオレさまが何日も悶々として過ごしているのはコイツに笑って欲しいからなのか? なんだそれ、色々とおかしくないか? 狂ってないか?
キテルグマに向けられている笑顔。それは自分が何かすれば、また遠くに吹き飛んでいくとわかってたくせに、次の瞬間オレはまた、絶対に試合に来るなと言ってしまった。
だが、やはりには試合に来ないでほしい。オレがオレでいなければならない時に、オレは調子を崩さない自信がない。知り合い程度の異性の、表情ひとつに振り回されるオレさまは最高に格好悪いことだろう。
キテルグマに対してもイラついてくる。同じくらい図体がでかくても、対応がまるで違うじゃないか。どういうことだ。
「オレさまも、ポケモンになりたい」
「はぁ!?」
ぽつりと呟いた戯言を拾われ、その後ジムトレーナー総出で風邪を疑われた。ほら笑顔ひとつでオレをおかしくさせる。オレさまはそんなアイツがきらい、だいきらいだ。
(リクエスト内容は「彼女のことがすっごく好きなのに素直になれなくて冷たくしてしまうキバナさん」でした。リクエストありがとうございました!)