※ジョンブリアン・スケッチというお話の番外編です。



 オーキド研究所、年二回の懇親会が、こんなサラダバーのついた小洒落たお店で開かれるとは思わなかった。ガラスのグラスに盛られた彩豊かな野菜は大方の女性ならば喜ぶだろう。なるほど、が目を輝かせて僕を引っ張ったわけだと腑に落ちた。
 適当に自分の器に盛り付けて席に戻ると、隣にが座っていた場所には別の研究員が座っている。少しあたりを見回すと、ふにゃふにゃした笑顔が見つかった。どうやら飲み物を持って別の席に移ったらしい。

『だってごはん代、研究所持ちだよ!?』

 そう言って帰ろうとした僕をかなり強引に連れ込んだのはだ。だというのに、連れ込んだあとは知らんぷりかい? 君ってやつは無責任だなぁ。呆れながら席に着くと、周りの男たちが不穏に笑って僕を見ていることが気がついた。

「君たち、趣味が悪いね。人の顔を見てニヤニヤするなんて」
「シゲル」
「なんだい?」
「聞いたか? ちゃんの見た悪夢の内容」

 が見た悪夢? 思わず眉をしかめる。

「知るわけないだろ」

 それに近い話題さえ聞いたことがない。だがふと思い当たることがあった。そういえば寝坊してぎりぎり、遅刻直前に研究所に現れたがあまりに挙動不審だった一日があった。割とどうでもよくて、そのまま放っておいたらいつも通りのに戻ったから気にもしていなかった。第一、がぼーっと考えていると思ったら、急に挙動不審になるのはよくあること。それは大方、ここにいない僕のライバルだったり、彼女の不安定な未来が原因だったりする。

「なんだぁ、知らないのかぁ」
「そりゃ知らなくて当たり前だろ! 言うわけないって!」

 当然の答えをしたのに、それを見越してまた向こうはニヤニヤと笑みを深めてる。僕は不快感を隠さずに眉を釣り上げて笑った。

「さっきから、一体なんなんだい?」
「いやぁ、これはオレたちの口からは直接は言えないな」
「今日の雰囲気なら行ける。だから勢いで聞いといた方がいいぞ」
「全く意味がわからないな」
「わからなくていいから聞いとけって」
「そうだぞ、あとで絶対オレたちに感謝する気になるからさ!」

 なんだいその恩の売り方は。僕は肩をすくめて呆れ返る。けれど状況を面白がってる同僚が席をどんどん詰めて来て、僕はテーブルからはじき出されてしまった。若手はこういう時、弱い。

 は席替えをしたんだ。それを追いかけるほど僕は女々しくない。だけどふと見たのテーブルは人が数人抜けたあとで、がぽつんとグラスの中の氷をストローでかき混ぜていた。丸い小さい背中を見ていると、なんだろう、肩の力が抜ける。研究所でも同じだ。僕たちの年代の研究員はオーキド研究所に僕としかいなくて、結局僕の収まるところはの近くへと繋がっている。

「あ、シゲル。どうぞどうぞ」
「また同じテーブルになってしまったね」
「ね。懇親会なのにね」
は元から食事目当てだろう?」
「それは……、まあ釣られたよね」

 ぼーっと座っているように見えるが、おそらくデザートを食べ出すタイミングを見計らっているのだろう。はちらちらとケーキのショーケースや、他のテーブル、そしてケーキのショーケースを見ている。

「やっぱり結構いいお店だよね。オーキド研究所……というより、オーキド博士ってやっぱりすごい」

 に言われ、僕も一番奥のテーブルを見た。研究所内で、比較的年配方が、興奮気味に話し込んでいる。

「研究所のお金でこんなお店来られるくらいには、余裕あるってことだもんね」
「まあ、余裕なければ、確かにこんなことはしないだろうね」
「うん、やっぱりオーキド博士ってすごい。わたし、あやかりまくりだなぁ、あはは」

 夜へと入り込んでいく時間帯。の発言はほのかに下向きの暗さを帯びていて、僕は意図的に相槌を打たず、口に出して見た。ひとまず彼女の反応を伺うつもりで。

「君が悪夢を見たって」
「え、やだ」
「まだ何も言っていないけど……」
「絶対言わない」

 聞きたいとも言っていないんだけどな。でもオーバーなリアクションに、返ってガードのゆるさが見える。普段のなら研究所の財政状況について思うことがあっても言わなかっただろう。ついさっき吹き込まれた言葉が蘇って来る。今日の雰囲気なら行ける。
 僕は、無言で待っていただけだった。君が悪夢を見たと知った。それを伝えたまま、何も言わずにいれば、ガヤガヤと様々な談笑が折り合う中、はぽつりと、目線を逃しながら言った。

「わたしがシゲルと結婚してる夢……」

 レタスを飲み込んでしまった、塊のまま。しかも芯のところがごろごろと僕の胃へと落ちていく。喉から奥が気持ち悪いが、かろうじて舌を噛まなかったのは幸運だった。

「な、なんだって?」
「ええ? 二回も言わないよ」
「……そうか、悪夢か」

 非難の視線を隠さず送ると、は口ごもる。一度口を開いてしまったので、もはや沈黙を守るつもりはなさそうだ。

 そうか。僕と結婚している未来は、悪夢か。
 まあが悪夢と称することは理解できる。僕と結婚しているということはつまり、はサトシに失恋したことも確定だ。それでその気もなかった幼馴染と同じ家に住んでる未来は、確かにぞっとするものだったんだろう。もちろん僕にとってもだ。

「だって夢の中のシゲルは全然幸せそうじゃないんだよ。わたしに対して怒ったり呆れたりばっかりしてるの。わたしこのまま一生シゲルに迷惑かけて生きていくなんて……って思ったらわたし、泣けてきて……。夢の中でわんわん泣いてた」
「僕は君に怒っていたのかい?」
「めちゃくちゃ怒ってたよ!」
「何に?」
「"寝る前に歯を磨け"って」
「磨いてないのかい!?」
「磨いてるよ!! 失礼な!! わたしはちゃんとしてるのにシゲルのお説教に勝てなくて、悔しくて号泣しながら歯を磨いてる夢だよ!!」
「状況がめちゃくちゃで、そこそこ夢っぽいな……」

 変なところに感心してしまった。

「いやでも、結婚までして、シゲルとわたしは愛し合ってる夫婦のはずなのに、結婚したあともシゲルにすごく迷惑かけてて、なんかそれがすごく、現実っぽくて……。ふとしたら本当に現実になっちゃうんじゃないかと思って、目覚めた後もすごく怖かった」
「どこが現実っぽい? 僕にはいまいち共感できないな」

 愛し合ってる夫婦だなんて、鼻で笑える。

「そう? わたし、時々思うからさ。人生で一番長く一緒に過ごすの、なんだかんだシゲルかもしれないなって」

 がりりと口の中で嫌な感触がした。口の中で広がる鉄の味。僕はの言うことを呆然と反芻する間、自分の舌に歯を立てていたのだ。気づかないうちに思いっきり。






 午後のあたためられた風が、窓を叩いている。今日は朝から強風が吹いていて、普段通りポケモンたちのチェックを終えたも屋内に戻ってきて一番に、髪の毛がぼさぼさになったことを嘆いていた。
 騒々しさを感じながら僕は論文に意識を向けようとしている。けれど、後ろから視線が突き刺さる。

「シゲル、なんかいいことあった?」
「……なんだい急に」
「だってシゲルの差し入れがめちゃくちゃおいし〜……」

 ひとつひとつが濃厚に甘い焼き菓子は期待通りコーヒーによく合うらしく、はマグの中とお菓子を交互に口に含んでとろけている。

「幸せ……」
「それは良かったね」
「あー、わかった! この前の懇親会がきっかけでしょ」
「………」
「わかるなぁ、わたしもこの研究所がますます好きになったし、研究所のために頑張ろうってやる気になったし」

 呆れ返る。の考えが、本日もあまりに平和で。懇親会で純粋にモチベーションをゲットしていることに羨ましさすらある。僕は懇親会で、どうやら研究所の面々ほとんどが僕の気持ちを知っていることに気づかされ内心嵐の真っ只中だ。生暖かく見守れられているとしても、落ち着けない。
 いや、見守られているはずがない。アイツらは僕の反応を楽しみたいがために、が秘密にしていた悪夢のことを僕に吹き込んでそそのかしたのだから。

 は僕が設置した菓子の箱から二個目の焼き菓子を手に取った。僕は何も言わななかった。が一個で満足するとは鼻から思っていなかった。
 名前はひとときの休憩を終えるらしい。マグの中身を飲み干すと焼き菓子を白衣のポケットに入れた。

「食べないのかい?」
「うん。もう一個はフシギバナへのお土産にする。ありがとう、シゲル、ごちそうさま。おかげで今日も頑張れそう」

 今日も頑張れそうなのは僕もだった。もっと言えば、また僕はとの関係に終わりが見えなくなってしまった。
 が出て行って、一人になった部屋で僕は深く深く息を吐き出す。

「何を浮かれているんだ、僕は……」

 人生で一番長く一緒に過ごすの、なんだかんだシゲルかもしれない? わかっている、それは感情抜きでも成立する関係だ。
 けれど聞いた瞬間込み上げてきた衝動。押さえ込むために噛み抜いてしまった舌はまだ痛い。気を抜くとまたひくひくとにやけ出す自分の顔に、僕は窓を全開にして自分に風を当てた。暖かな春風を。





(リクエスト内容は「シゲルとの未来を容易に想像できる的なことを酔った弾みにでも伝えてしまい、それを聞いたシゲルがあわあわするところが見たい」とのことでした!ありがとうございました!)