主がへし切長谷部と仲違いしたらしい。三日月宗近、お前が様子を見てきてくれ。そう唐突に言われたのが始めだった。なぜ俺なのかと聞けば、碌な説明もされずに平安の刀だろと押し切られてしまった。実際に手持ち無沙汰だったため、やれやれと息を吐きながら主の様子を見に行くと、彼女は畳に転がった金平糖を拾っていた。しゃがんで、部屋中に広がった星の粒をひとつひとつを指先につまんで、手のひらの受け皿に落とす。
下を向いている彼女の表情を隠していた、髪がふと揺れる。障子の奥に立ち尽くしていた俺に気がついた様子だ。主はぼそぼそと呟いた。
「……、袋ごと落としちゃって」
責めや呆れられることを予感している声色。まるで叱られた子供のようだ。子供のようでもおかしくない、まだ彼女は未成年。ましてや俺からすれば生まれたてにも思え、子供扱いもしたくなる年齢だ。
「そうか、そうか」
「う……」
盛大に金平糖をこぼして、この状況らしい。可愛らしい失敗だと思ったが、主は顔を反らしてしまう。それもまた、俺にとっては愛らしく見える。
「三日月はどうしたの? 何か報告?」
「いや、手持ち無沙汰でな」
「そう」
「どれ俺も手伝おう」
彼女の近くに俺も身をかがめて床の金平糖を探す。
紙を一度四つ折りにして、開いて作った簡単な皿を差し出すと、主は手のひらにためていた金平糖を移し替える。畳を転がった金平糖は十や二十といった数でなく、やはり、ずいぶん派手に落としたらしい。
同時により距離の近くなった主の様子を伺った。まだ丸みの残る、金平糖を探す横顔を。
主が単に落ち込んでいるだけなら、他の刀たちも励ましの言葉のひとつやふたつ、かけられただろう。だが相手がへし切長谷部となると、事情が変わる。
一言で表せば、へし切長谷部は主にとって特別なのだ。近侍のへし切長谷部に対しては、主は無自覚に幼い妹のような、溶けるような表情を見せる。柔らかな部分をむき出しにして浮かべられる、甘さの漂う親密な表情。俺たちにとっては、毒のようにも感じられるそれを、主はへし切長谷部には惜しみなく見せるのだ。
日々のやり取りも既存の関係性では言い表しがたいほど親密だ。そんな主を長谷部もまた甘やかす様子は、父のようであり、または兄や弟のようである。
主を想うが故に首を傾げる刀も少なく無いが、俺は主と長谷部の姿を見るのは嫌ではなかった。
いつの日だったか。主に願われて、へし切長谷部が彼女をおぶさって散歩をしていたことがあった。陽光の中、長谷部の背に頬を押し付けて、まぶたを閉じる主から、長谷部を深く信頼していることが伺えた。長谷部の歩調に揺れる主の、白い足袋の先。俺は微笑ましく見送ったが、刀と人の親密な光景は良きかなと歌いたくもなった光景だった。
「よし、すべて拾えたな」
「ありがとう、三日月」
「さて。その金平糖はどうする?」
「もったいないから、庭の蟻にでもあげようと思ってるの」
そう言うと主は、縁側に出る。俺もあとを追う。
「確かこの辺りに巣があるのよ……。あ、いた」
あたりを軽く見渡した主は縁側下の巣と蟻たちを見つけたらしい。また彼女は子供のようにしゃがむと、小さなものたちへ与え始めた。ひとつひとつ、糖衣の星を、彼らのために砕いて。白梅の花弁のような爪の先を使って、日陰に生きる虫たちに甘露の恵みを降らせる彼女に美しさを覚える。だが、蠱惑的だ。俺の贔屓目はあるだろうが、間近で見ると殊更吸い込まれそうになる。やはり彼女だけは他の人の子とは同列には語れない。心情を伏せて、俺は微笑して問う。
「主。どうした、むくれて」
「むくれてなんかない」
「ふむ。しかしいつもの笑顔が見えないな」
「………」
「実は他の刀に、主の様子を見てきて欲しいと言われてな。他の刀たちも心配しているぞ。何があったんだ?」
主の目線がまたも逃げる。その時に俺が気がついた。円らな瞳を讃えるその目元が赤く擦れていることに。
「……私は、長谷部を誘っただけ。長谷部にも気分転換が必要だと思って、毎日のお礼も兼ねて二人で出かけるのはどう?って、言ったの」
「それで?」
「受け取れないです、だって」
「そうか」
「私が長谷部と行きたいんだからいいでしょって言ったのに、長谷部は」
「そうか、そうか」
「何よ……っ」
言いかけたところでまた気持ちが収まらなかったらしい。彼女は袖で目をこする。おかげでかけていた赤みがまた眦に差す。
「あまり悩みすぎるな。過ぎた褒美は受け取りがたいものだ」
「そうなの……?」
「恐らくだがな、主の提案を長谷部も喜んでいたと思う。だが、自分が受け取る1には不相応に感じたのかもしれないな」
「不相応だなんてこと、無いのに……」
「うむ。主は、このものたちは幸せと思うか?」
そう言って俺は足元に視線を落とす。降り注ぐ糖に気づいた蟻たちは、今や列を作りつつあった。忙しく甘い塊を巣へと運び込む。しかしその列の上にもまた次から次へと金平糖のかけらが降ってくる。狂乱しているあであろう蟻たちの姿は見ているこちらの目が回りそうだ。
「三日月がそういう言い方をするってことは、この蟻たちは幸せじゃないということ?」
「いや、今ばかりは幸せだろう。巣の近くに、山ほどの褒美が降ってくるのだからな。だが、蟻たちには過ぎた褒美だ」
「でも、長谷部みたいに嫌がってない」
「ああ、喜んで巣に運んでいるだろうなぁ。だがこの糖を使い切った後、与えられすぎの蟻たちは果たして、今まで通りに働くだろうか」
「必要になれば働くでしょう」
「働き方を忘れていなければ、そうだろうなぁ」
俺には長谷部の気持ちが多少なりとも分かる気がした。主からの思いやりは、嬉しいに決まっている。だが、見えている劇薬を吞み下す。それには相応の勇気がいるものだろう。
「何事も過ぎれば、働きを奪ってしまうものだ」
「難しいことを言わないで、三日月……」
「そうだな、今は難しく感じるかもしれないな」
ぎゅっと唇を噛んだ主は、それでも瞳の火は静かに揺れている。次に自分が主として何ができるか考え始めていた。
「主ならきっとやれる。へし切長谷部ともすぐ仲直りできる」
「うん……。ありがとう、三日月」
縁側に落ちた、瞬く間に受けた感謝の言葉。そしてこみ上げた感情のこもった眼差しを向けられる。他の誰でも無い、主からだ。
何よりも自分の言葉が主の中で血のように巡り始める。十分すぎるほどの喜びと、また彼女のために働こうというやる気に俺は満ち満ちたのだった。守ってやらねばな、この愛する主人を。
陽光が差した縁側で、俺の言葉が彼女の中を巡った。夕暮れになってもその高揚感が俺を包んでいる。ふと気を許せば口元が緩んでしまいそうだ。主の助けになりたいと傍で話を聞いたが、返って主からもらったものも多い気がしてきた。
きっと主は俺がここまで喜んでいることを知りもしないだろう。やはり、褒美の加減を知るというのは主にとっては難しい課題になりそうだ。
そんなこと考えながら廊下を歩いていれば、向こうから歩いて来たのは件のへし切長谷部だった。
無言で通り過ぎようとしていたへし切長谷部だったが、彼の名を呼んで、俺の方から声をかける。廊下の暗がりで、彼は足を止めた。
「なんだ」
相変わらず、主以外のものに対して必要以上の礼儀を働かないようだ。
「主との件だ。なんだかこの俺に役割が回って来てな、俺から主に声をかけさせてもらったのだが」
「………」
「長谷部、気持ちはわからんでもないが、主は悲しんでいたぞ」
あの主もまだ少女。言えば分かることの方が多いのだから、常にこちらが落ち着いて、冷静に話してやれ。そう諭すつもりだった。双方歩み寄ればまた仲の良い一人と一振りが見られる。そう俺は愚かにも期待していた。だが、それは彼のたったひとつの表情で裏切られる。
「そうですか」
へし切長谷部は笑った。表面的にかたどった笑みなどではない。むしろ湧き上がる笑いを抑え込もうとする彼の顔は歪んで、相槌さえも苦しげに紡いだのだった。
一瞬、見間違えかと思った。主が悲しんでいたと聞いて、彼もその心に寄り添うと思っていたのに、正反対の絵が目の前にあるのだから。
隠しきれない本心によって歪んだへし切長谷部の姿を目の当たりにして、その時、俺は遅れて真意に気付かされた。なぜ俺が、わざわざ長谷部と仲違いした主を見に行くよう半ば強制的に駆り出されたのか、その道理を。
目を擦って赤くして、突然の拒絶に戸惑い傷ついた。未熟な部分をむき出しに戸惑って涙を堪えた主の姿こそ、へし切長谷部は欲したのだ。ただ自分のほの暗い欲望のために。
なるほど、合点が行った。そう声に出そうになったが、息のまま飲み込んだ。
耳の奥で「ありがとう、三日月」と言った主の声。噛みしめるほどに甘い。昼間、ふと抱いた気持ちが凍りつく。守ってやらねば、いや、守らねばと。
(リクエスト内容は「長谷部の執着が垣間見える仄暗いお話」とのことでした。リクエストありがとうございました。)