ツクシくんは朝早くに、わたしを迎えにくる。
どれくらい早いかというと、朝日が壁を白くする前。トレーナーズスクールが行うラジオ体操の時間よりさらに前だ。
その時間ならばひこうタイプのポケモンたちがまだ眠っていて、夜にも活動していたむしタイプのポケモンたちに会えるからだ。
パジャマ姿のわたしに比べ、もう着替えも済ませて目もぱっちりと冴えたツクシくんは、わたしが家から出てくるのを待っている。
「今日も行くの?」
「うん!」
「わたしも?」
「じゃなきゃ迎えに来ないよー」
そうだよね。すぐに本当の朝が来てしまう。ツクシくんはわたしを待ち続けているので、わたしも急いでパジャマを脱いで、いつものワンピースを頭からかぶって袖を通した。モンスターボール、ポケモンたちの好きなきのみやあまいみつを入れたバッグを掴んで、靴を履く。ツクシくんの手のひらが、わたしの手のひらを迎え入れて、一緒に歩き出した。ウバメの森の入り口を目指して。
ツクシくんとこうして生まれたての朝の中にいるのは好きだ。冷たい空気には負けない、というみたいに上がってくる自分の息が、胸のどきどきを早くさせる。
二人で朝のウバメの森へいく時、ツクシくんは言い聞かせるように言う。
「ちゃん、ボクから離れちゃだめだよー」
その声色は、親が子どもに言い聞かせるようなのに、次にツクシくんは、わたしが少し困ってしまうことを言う。
「ちゃんの方が年上なんだからさぁ、ボクから目を離したら怒られるのはちゃんだよー?」
「うう……」
ツクシくんはわたしによく「ちゃんの方がお姉さんなんだから」と言う。けれどわたしは、自分がちっともツクシくんのお姉さんには思えない。年もふたつしか違わない。それでいて、ツクシくんはヒワダジムのジムリーダーで、ポケモンバトルもここら辺では誰よりも強い。ツクシくんと、ツクシくんのむしポケモンたちに、大人のトレーナーだって勝てない。だからツクシくんは、彼より年上のポケモントレーナーからも認められて、大人みたいに扱われている。
わたしは、普通の女の子だ。ツクシくんみたいにすごい子どもじゃない。トレーナーズスクールで、先生が教える通りの順番で、ポケモンのことを知っていく。だけどツクシくんはわたしに言う。ボクより年上でしょ、って。
「あ、見てよ、ちゃん!」
ウバメの森につくと、さっそくツクシくんはポケモンを見つけたようだ。
「どこ?」
「こっち!」
つないでいる手がわたしを、ポケモンのいるところまで引っ張ってくれる。
「ほら」
ツクシくんが声をひそめながら指差した先には、トランセルがいた。トランセルといえば、葉っぱと同じ黄緑色のポケモンだ。けれど、未明の森の中で、そのトランセルはわたしが知るよりずっと青く冷たそうに見えた。
ツクシくんはその青いトランセルをまっすぐに見つめた。ずっと固く握り締めていた手が離れていく。ツクシくんはもしかしたらわたしより細い足でするすると木を登り、トランセルが嫌がらない近さまであっという間に近づいて、もう観察を始めていた。
「もしかして、前に会ったことのあるキャタピーかなぁ……」
「ツクシくん、大丈夫?」
「うん、平気。ねぇ、ちゃん。このトランセル、たぶん、進化したばっかりだよ。少しやわらかい」
「そうなの?」
「ちゃんも触る? トランセルは触らせてくれそうだよ」
青いトランセル。触ってみたい。わたしは声もなく頷いた。ツクシくんのように木には登れないので、木の根元に足をかけて手を伸ばす。指がトランセルにたどり着いて、わたしは息を飲んだ。
冷たそうにみえたトランセルは、朝に冷えたわたしの指先よりもずっと、あたたかかった。
ツクシくんのおかげで、わたしはむしタイプのポケモンたちにも慣れてきた。見慣れてくると表情や、気持ちがわかるようになってくる。気持ちがなんとなくわかるようになれば、心があることもわかって、最初は苦手だったイトマルなんかも可愛く見えるようになってきた。
ツクシくんのストライクも、最初は怖いと思っていた。今はそのうす緑の体や、透けているのにとても丈夫な羽や、光をまぶしく反射するカマの先なんかから、目が離れなくなってしまう。
木漏れ日に溶けそうなキャタピー。はっぱの下、足を丸めて隠れているパラス。朝露を乗せたままのクヌギダマ。
ツクシくんが引っ張ってくれなかったら、わたしはここには来られなかった。気持ち良さそうにあさのひかりを浴びるポケモンを、景色を、知らないままでいた。
「ツクシくん」
青いさなぎポケモンに夢中な男の子。
あなたがまた、わたしがツクシくんについっていっていいのなら。こうやって横顔を見ていてもいやじゃないのなら。
「また、わたしを迎えにきてね」
ツクシくんは、はっ、と息を止めてわたしを見た。そのおどろき方に、わたしまでおどろいて、肩をすくめた。
「いいの……?」
「え? いいのかどうか知りたいのは、わたしの方なんだけどな」
「ボクは、いいよ。だけど」
ツクシくんは、指先にトゲでもささったみたいな顔をしていた。
「ちゃんは、ずっとボクを待っててくれる?」
「うん?」
なんだかわからないけれど、わたしは朝、ツクシくんが迎えにきてこうして彼の冒険に誘ってもらえたら嬉しい。
だからうなずいた。
「うん、待ってるね」
「ずっとだよ、ぼくだけを待っててよ」
こんなに早い時間に、わたしを迎えに来るのはツクシくんしかいないのに。変なツクシくん。まあむしタイプのポケモンが好きで好きで、大人にも勝っちゃうんだから、変わり者ではあるんだけれど。
葉っぱの揺らめきを見ながら、そんなことを考えていたわたしを、ツクシくんが呼ぶ。
「ちゃん!」
「な、なに?」
「うん、って言ってよ」
やっぱり変なツクシくん。まだ、指先にトゲが刺さったままみたいな顔をしている。
「うんうん、シクシくんを待ってるよ」
「約束だよ」
「うん」
どこまで、いつまで待つのか。その約束はいつまで守ればいいのか。そんな話はしなかった。けれどわたしの方がずっと先まで、ツクシくんを待つような気がしている。
わたしは少しだけ知っている。大人同士はあまり手を繋がないこと。そしてわたしたちもいつかその大人になる。もっといえば、わたしの方が先に大人になる。
だけどわたしはツクシくんを待っていよう。彼と、彼の手のひらのお迎えがある限りはわたしもドアを飛び出して、手をつなごう。
そっと世界が温まってきた。森が香り出した。朝の終わりだった。
(ちょっとだけ意地悪で世話焼きなツクシが読みたいです、とのリクエストをありがとうございました。)