※ジョンブリアン・スケッチというお話の番外編です
※アニメのどこらへんとか、細かい時間軸を設定できていません。捏造軸なので、細かい部分スルーでよろしくお願いします…!




 普通の朝だった。気温も昨日とあんまり変わってない。朝ごはんはいつもの食パン。食べているうちにゆっくり目が覚めてくるのも、体が覚えている日常の感覚だ。

「それじゃいってきまーす」

 母に言ってから、私は玄関のドアを閉める。
 いつもと少し違ったのは、家のお庭で朝の日差しを浴びていたフシギバナがわたしの後を追って来たことだ。わたしのフシギバナは旅を終えてからというもの、庭で日差しを浴びてうつらうつらとしているのが日課。わたしについて回ることはあまりない。今日もお庭でどっしり座り込んであさのひざしを浴びるフシギバナへ、いってきますと言おうとしたのに。気づけば私の後ろについていたので驚いて、数センチだけ飛び上がってしまった。

「え……、今日はわたしと一緒に研究所、行くの? じゃあボールに戻ってね」

 中身はいなくともカバンの中に入れっぱなしだった、フシギバナのモンスターボール。取り出すとフシギバナは自分からボタンと鼻先でつついてボールの中に戻っていった。
 珍しいことがあるもんだ。私は中身入りモンスターボールをしげしげと見つめながらまたカバンの中にしまって、自転車にまたがった。

 オーキド研究所へ、わたしは自転車で通っている。理由は簡単で、マサラタウンが田舎だからだ。油断して歩き始めたりなんかすると、あっという間に数キロとぼとぼ歩くことになる。
 それに自転車で受けるマサラの風はとても気持ちがいい。胸いっぱいに風を吸い込みながら自転車を漕いでいると、道の向こうに意外な人たちを見つけた。ゆるゆると減速して、私は自転車を止めた。

「ハナコさん、おはようございます! バリちゃんも!」
「おはよう、ちゃん」

 にこっと笑いかけてくれたこの人のこと、サトシママなんて呼んでる人もいる。けれど、わたしはハナコさんと呼んでいる。理由の一番は多分、ハナコさん自身が魅力たっぷりな人だから。面倒見がよくて、あったかくて、愛嬌があって。でも時々思い切りが良すぎるところとか、なんでもおおらかに受け入れてしまうところとかは、サトシにも遺伝してるなと思うところだ。
 同じマサラタウンの住民として時々会っていると、誰かのママというよりも、ハナコさんはハナコさんとしか思えなくなってしまって、名前で呼ばせてもらっている。

 ハナコさんと、バリヤードのバリちゃん。二人は、手にいっぱいの買い物袋を下げている。

「こんな早くからお買い物ですか」
「ええ」
「バリちゃんもいっぱい持っててえらいですね」

 買い物袋の中身はあまり見る気はなかった。だけど、バリちゃんの買い物カゴに入ってるのはじゃがいもだ。それも袋いっぱいのじゃがいも。
 不思議だ。ハナコさんとバリちゃんは二人暮らしなのに、こんな手にいっぱいのじゃがいもを買うなんて……。それに他のものもこんなにたくさん買うのは、人間ひとりとポケモン一匹にしては多いような……。
 考えはするすると流れて、ピンときてしまった。そしてわたしは飛び上がった。

「さっ、サトシ、帰ってくるんですか!?」
「さすがちゃん! わかっちゃうのねぇ」
「え、あ、え……!!」

 あっさり答え合わせされて、声も出せないくらい驚いているわたしを見て、ハナコさんはふふっと笑う。

「そうなのよ。昨晩帰ってきたの。ちゃんもオーキド博士のところで忙しくしてるみたいだけど、会いに来てあげてね。サトシ、喜ぶから」

 ど。




「どどどど、どどどうしようシゲル」

 ハナコさんから衝撃の事実を知らされたわたしは、とりあえずオーキド研究所に逃げ込んだ。研究所に入り込むなり壁に顔を押し付けて、熱を冷やさせてもらっていると、とんとん、と肩を叩かれ、見ると呆れた顔をしたシゲルが立っていた。
 シゲルもかわいそうなやつだ。だいたいわたしになんかあると、同世代で幼馴染だということで呼び出されるのがシゲルなのである。でも今日は大助かりだ。わたしだけでこの衝撃を受け止め切ることはできない。
 シゲルは余裕たっぷりの口調で言う。

「どどどど、どうしたんだい、くん?」
「あの、あのね……! サトシが帰ってきてるらしいの……!!」
「そうかい。まあ、落ち着きなよ」

 それだけで察しがついたらしいシゲルは、至って冷静に、研究所入り口の待合室までわたしを引っ張っていってくれた。

「さっきハナコさんとすれ違って、そしたらじゃがいもがね!」
「ん?」

 引っ張るシゲルに、どうにか着いて行きながら、さっきの出来事を説明する。歩くのも、喋るのも、どっちも必死になってやっているが、両方ともが噛み合わずにちぐはぐになってしまう。

「袋いっぱいのじゃがいもがわたしに教えてくれたんだよ! サトシが帰ってきてるって……!」
「ああ。サトシの好物は確かコロッケだったね。サトシのお母様なら帰ってきたサトシにコロッケを作ってあげるだろうね」
「そう、そういうこと! え、でもよくわかったね……?」
「まあそれくらい僕には当然わか」
「ああああ! おなじ街にいるだけでなんか幸せなんて、どうしようシゲル! わたしヘンになってる!」
「………」
「だって、会いにいけるんだよ! 今までだって会いに行けたけどさ! でも飛行機にも車にも乗らなくてもいいの! 本気? これがこの世の奇跡なの……?」
「そうだね……」
「でもなんで!? 帰ってくるなんて全然知らなかった……!」

 サトシは、自分のポケモンたちをオーキド研究所に預けているのもあって、そこそこの頻度で研究所に連絡をくれる。今まではこれからマサラに帰るとかなんとか、知らせてくれていた。だから、こんな不意打ちをうけるなんて、思ってなかった。

「とりあえずダイエットでも始めるかぁ……」
「今からじゃ意味ないだろ」
「努力があればどうにかこうにか」
「ダイエットも努力も、こういう日のために事前にしておくものだろう?」
「耳が痛い!」

 ハナコさんはサトシに会いにきてね、と言ってくれていた。
 それっていつ? 夜ご飯? 今日、研究所の仕事が終わったあと? でもこんな普通の格好で会うのもなんか、いやだ。せめて一度帰って、着替えたい、なんて考えている時だった。

「博士ー!」

 研究所に、唯一無二の声がびりりと響く。
 サトシだ。待合室のソファのかげに思わず隠れて、涙目でシゲルに訴える。

「向こうから来たんだけど!」
「言わなくてもわかるよ!」

 さすがのシゲルも表情が崩れて、眉間のシワを指先で抑えている。

「とりあえず、行ってくるんだ」
「えええ」

 肩を両手でそっと包まれると上に引っ張られる。思わず立ってしまったわたしの方を、とん、と押されてしまえば、わたしはよろけながら待合室のソファから飛び出てしまった。
 喉がからからになる。どどどど、どうしようという気持ちが頭を占めていた。なのに、サトシと目があったら、そんなのは全て吹き飛んでしまった。

、久しぶり!」
「ひ、久しぶり……!」

 サトシだ、サトシだ、生サトシだぁ……。肩から、ピカチュウも顔を出す。
 夢心地になってしまったわたしのカバンから、フシギバナも飛び出してきた。

「おっ、のフシギバナ! 相変わらずどっしりしてるなー!」

 まさか、サトシが帰って来てたのを知っていたんだろうか。フシギバナに聞きたいのだけれど、わたしの視線はサトシから外れてくれないのだった。

「あの、サト……」
「元気にしてたか?」
「う、うん!」

 わたし、元気にしてたよ。そう言おうとして口をつぐんだ。サトシが見ているのは、声をかけたのはわたしではなくフシギバナだと気が付いたからだ。

「フシギバナは相変わらずだよ。あの、サトシは……」
!」
「はいい!」
「オレのポケモンたちがいるところって、確か、あのドアから外に出ればいいんだよな?」
「っ、そうだよねー! サトシ、ポケモンたちに会いたいよね! 一応許可もとりたいし、まずはオーキド博士にも連絡するね、ちょっと待ってて」
「おう、頼むぜ!」

 オーキド博士もサトシが来たことを知りたいはずだ。博士はサトシはもちろん、このマサラタウンから旅立っていったトレーナーのこと、みんなを気にかけているから。
 まずは内線でもかけようと、壁際の電話機の元に行くと、シゲルに耳打ちされた。


「な、なに」
「おじい様に許可をもらったら、キミが案内してあげるんだよ。ふたりきりでね」

 サトシと、ふたりきり。真っ赤な顔で振り返ると、シゲルはすでに片手を振って、研究所の角を曲がるところだった。自分のデスクがある部屋へ戻るだけなのに。いちいちキザなやつである。




 シゲルから提案を受けたとき、なんて刺激のつよいこと言うんだろうと思った。サトシとふたりで、オーキド研究所の敷地内を歩くなんて、夢みたい。そう思っていたのに、研究所の敷地に出て早くも小一時間。現実はそんなに甘いものじゃなかった。

 研究所の外に出て、私も案内しようとした。だけどすぐさまサトシの姿を見つけて、寄ってくるポケモンたちが、サトシの意識を全部、もっていってしまう。
 サトシから、旅を共にした仲間を見つけて自分から飛ぶように寄って行くこともある。

 サトシの目が、手が、ポケモンの方を向いていることは当然なのだ。だけど少しだけ、わたしがいることも忘れないでいて欲しくて、わたしはサトシに引っ付いていって、ポケモンたちの普段の様子なんかを伝えようとする。
 だけど、話しかけようと息を整えて、やや緊張を握りしめた間にサトシはまたわたしのことは置いて、全身でポケモンのことを受け止めにいってしまうのだった。

 久しぶりの再会は、微笑ましいものだ。サトシに会えて何よりも喜んでいるポケモンたちの邪魔はできない。わたしはそっと黙って見守るしかできない。
 笑顔を作る裏で、拭えない感情が言う。あれ、思ったよりつまんない。これじゃあ、画面越しの時の方が顔と顔を見ながら話ができてたような。
 サトシはポケモンばっかり。それは悪いことじゃない。だから追い出したいのは、もやもやするわたしの方だ。

「サトシ」

 さっきまでは振り返ってもらえなかった。だけど、不思議とその呼びかけは届いてしまった。

「どうした、?」
「んー、わたし、先に戻ってるね」
「そうなのか?」
「うん」

 わたしはここに、いらないようだし。卑屈すぎるけど、拭えない自分の声を抑えて、ひらひらと手を振る。

「シゲルに言われて来ただけだし。気にしないで」
「………」
「サトシは、楽しんでね」

 いつものことだ。
 サトシらしい。その言葉の前に、わたしはそっと目を伏せて、いろんなことを諦めてきた。諦めることは今までもできた。
 これからも、そうだ。




 わたしは肩を落とした。そして期待していた自分を、ばかだな、となじった。
 シゲルに気遣ってもらったのもあり、サトシに同行することになった。つまりサトシに望まれてたわけではない。わたしが押しかけたも同然だ。
 なのにポケモンばかりを見て、声や、こっちを見て欲しい気持ちを拾ってもらえないことにスネている。勝手についてきて、勝手に期待を膨らませて、そして勝手に怒っている。ダブルどころじゃない、トリプルでばかである。
 落ち込みが加速してきたので、早足で研究所へと戻ろうとした時だった。

「……待てよ!」

 待て、と言われても。握りしめていた手に思わず力がこもる。

「……わたしも色々あるんだから、サトシにばっかり構ってられないんだからね」

  わたしはいてもいなくてもいいようなものだった。さっきまでの状況がそう語っていた。呼び止められて嬉しいはずなのに、今のタイミングでは上手に喜べない。ここにいるのがちょっと辛いから、一人になって落ち着かせてもらいたいのに。
 サトシが頬をかく。

「まぁ、そうだよな。ごめん。でもさ! せっかく、せっかく会えたんだからさ、……」

 サトシが珍しく言葉に迷っている。だけど、言わんとしていることは、なんとなくわかる。せっかく会えたんだから。それはわたしの方が子供のように振りかざしたかったセリフだ。
 はぁ、とため息ひとつ、肩を落としてから、わたしは丘をちょっと登った中腹、頭を出してた石の上に腰掛ける。

「……じゃあ、ここで見てる。それでいい?」
「ああ! じゃあ、オレも!」
「ええっ」

 サトシのことは放っておいて、一息つこうと思ったのに。サトシは私の横に座った。と言ってもわたしが座っている石は、わたしのお尻で精一杯だ。だからサトシは草はらの上。
 わたしだけが一段上なのは、なんだか落ち着かない。なのでわたしもサトシの横、やわらかな草の上に座り直した。

 私は膝を抱える。そっと横目で見たサトシはごろん、と寝転がって、伸びをしている。その奥ではピカチュウもサトシの真似をして、お腹を空に向けている。ピカチュウは最近ますますサトシに似てきた。ポケモンと人間なのに、お腹の膨らみ方がそっくりだ。
 横に見ていた首を、サトシが見る方角に向けた。そうしてわたしとサトシは自分たちの呼吸と、風と草がさわさわと音を立てるのを聞いた。

「……ママから聞いたよ。朝、に会ったって」
「うん、バリちゃんにも会ったよ。サトシの家に行こうと思ってたのに、サトシの方から来ちゃったね」

 心の準備をさせてもらえずの再会はびっくりした。けれど、それでよかったともわたしは思っている。
 二の足を踏んでいるうちに、サトシならきっと次の冒険へと飛び出していってしまう。今回もぎゃあぎゃあ言った分だけ、サトシと会う時間が短くなってしまうところだった。
 サトシの方からぶつかってきてくれたから、わたしは自分で会いにいくよりもずっと早く、そして長く、サトシとの時間を過ごせている。

「すごいや。ちゃんとがいた」
「……うん?」

 サトシの言ったことが掴めなくて、そのあいだ何回も瞬きしてしまった。
 けれど今のは、わたしがサトシ相手だと上手に喋れないことを加味しても、わからなかかったように思う。それくらい突然のセリフだった。
 大人しくサトシに聞いてみる。

「どういうこと?」
「オレの行きたいところ行くと、がいる気がしてるんだ」
「なに言ってるんだか。そんなわけないでしょ。わたしはずっとここにいるんだから」
「それはオレもわかってるって!」

 だけどさ、とサトシが食い下がる。

「新しい街に行く時とかさ、すげーワクワクするじゃん! でさ、いてもたってもいられなくなるんだけど、向かってる間にどんな街なんだろうな、どんなポケモンに会えるんだろうなって想像するとさ、想像の中にが立ってるんだよ」
「は、はぁ……? わたしはずっとマサラにいるのに?」
「そ。わかってるんだけどさ、浮かんできちゃうんだよ!」

 それってサトシの妄想にわたしがいるってこと? 相変わらずサトシは突拍子もなく、想像もしてなかったやり方でわたしをどきどきさせてくる。

「サトシがカントーにいたときは、あったよね。サトシがあとからきて、わたしを見つけてくれるの」
「そうそう!」

 サトシは無邪気な笑顔で、まだふたりともがカントーを旅していた時のことを思い出しているようだ。
 わたしはひざを、ぎゅっと強く抱えた。その頃の思い出は、わたしにとって良いものばかりじゃないからだ。

 記憶が、蘇ってくる。わたしのフシギバナはまだ、フシギダネだった。
 会うたびに絆を深めていくサトシと旅の仲間たちが、羨ましくて仕方なかった。サトシと再会できて嬉しいと同時に、どうしてサトシを待たなかったんだろうという後悔がわたしの身を浸すから。

「オレさ、好きだったなぁ……」

 好きってなにが? そう平静を装って聞きながらも、好きだったというサトシの声を、必死に記憶しようとしたのは言うまでもない。

の旅の話を聞くのが、すげー楽しかった。同じ町を出て、同じ町についたのに、出会った人もポケモンも全然違うんだもんな」
「別々の、ばらばらだったからね」
「そうそう。の旅をしてるんだって思うと、オレもオレの旅をがんばらなきゃって、すごく元気をもらえるんだよな」
「へ……」
「だから先にも着いていたらいいのになーって思うんだろうなぁ」

 そう、だったんだ。
 たまに追いついたサトシと、旅の報告をする。その記憶にまるわるのは、綺麗な感情ばかりじゃない。羨望、嫉妬、焦燥感に、寂しさ。
 でもサトシにとっては大事な記憶だった。あんなわたしでもサトシの励ましになれていたんだ。
 そう思えば、さっきまでの嫌な気持ち、それからずっとまとわりついていた後悔もそっと溶かされていく。

 青く伸びた草の合間でサトシが笑っている。
 今度は、別の衝動がやってきて、わたしは膝をぎゅっと抱きしめて、おでこを擦り付けた。


「なに?」
「電話だとやっぱりお互いの顔しか見られないけど、こうやって一緒にいるとさ、ふたりで同じものを見られるな」
「……、うん」

 やわらかく揺れる草原。町の向こうに流れていく雲。マサラのすっきりとした風。遠くに見えるオーキド研究所。研究所に身を寄せて生きているポケモン。
 サトシをそっと見ると、ケンタロスたちの群れを目で追ってるようだ。わたしもサトシから、土埃をあげて走っているケンタロスたちを見た。ちょっと上がっただけなのに、この丘からは研究所の周りがよく見える。
 茂みの奥にさっと隠れてしまったコラッタのしっぽ。池ではギャラドスの動きに驚いたコイキングが飛び跳ねた。丘の向こうから、二匹のピジョンがわたしたちを飛び越していく。

 サトシはまた、ポケモンを見てる。さっきまで、そんなサトシに対して、もうちょっとこっちを見てくれたらいいのに、なんてわがままに思っていた。でもわたしも、並んで同じものを見てるんだと思うと、寂しさが小さくなっていく。
 それどころか、ちょっと落ち着くくらいなのだ。落ち着きの正体は、懐かしさと一緒に見つけることができた。

 ふたりで、同じものを見て、それぞれで感じ取ってきた。それはお互い、別々に旅した時と同じだ。
 わたしはわたし、サトシはサトシで、見て、触って、飛び込んで得たものを、道が重なった時にそれを分かち合ってきた。

「ね、サトシ。旅の話をしたくなったら、そういうときはいつでも連絡してよ。私はもうここにいるばっかりだから、あんまりすごい話はできないけど」
「そんなことないだろ? はここで自分の道を見つけて、頑張ってるじゃん!」
「道……」

 サトシの言葉に不意に広がった道のイメージ。といっても先の見えない曲がりくねった道だ。わたしの足元から伸びて、どこかへ続いている。
 そうだね。道だね。まだまだ未熟で、これと言える誇れるものなんて持っていない。だって何も終わっていないのだから。

 わたしは、サトシと一緒の旅はできなかった。今も、できずにいる。でもわたしがいる場所に、まだわたしの旅はある。そして今日またサトシが来てくれた。

「……わたしの定点観測みたいな話、サトシには退屈かもしれないけど、わたしにもまた話させてね」
「定点観測ぅ?」
「同じ場所で、ずっと観察してるってことだよ」
「よくわからないけど……、が研究所で頑張ってるのを聞くと、いつもすごいって思うぜ!」
「へへ、ありがと」

 わたしの、サトシとは別々の旅。夢に見たような旅は今もできずにいる。でも、それでも良いんだ。むしろ別々で、良かったのだ。そう受け止めることが、今ならできる。
 彼と一緒にマサラタウンを出ればよかったという後悔を抱えながら、結局わたしがサトシを待ったことはなかった。何度も彼のことをちらりと振り返りはしたけれど、わたしはわたしの旅をしていた。そして今も。わたしはオーキド研究所でサトシを待っているのではない。ちらりと、サトシのいる方角を確かめながらも、ここで不出来な自分に向き合っている。
 定点観測でもいいのなら、わたしも話したい。自分の旅の話。

 サトシはすごいや。雷みたいに帰ってきたと思ったら、やっぱり雷みたいにわたしが抱えたままだった胸のつっかえを簡単に砕いてしまった。
 わたしの胸になんとも良い気分が満ちていく。
 あの頃を懐かしんで、でも明日のことを考えながら、ぼんやりと呟いた。

「でもさ、旅先にわたしなんかがいたらいいなって思うなんて、やっぱりヘンだね。うん、ヘンだよ」
「わ、悪かったな!」
「ううん。悪くないよ」

 ヘンだけど、悪くない。そんなにわたしを思い出してくれていたなんて、ものすごくいい気分だ。

「じゃあ今回は目的地に、本物のわたしがいて、よかった、ね、……?」

 あれ。言いながら気がついた。わたし、何言ってるんだろう。わたしがいて良かったねなんて、すごく、自惚れた発言。まるでわたしを目指してたんでしょ、と言うようで、内容だけ取るとまるで男の人を惑わせる悪女のようだ。

 話の流れでいくと、サトシも「そうだな」とか「まあな」って軽く同意してくれそうだ。だけど、それを聞いたらわたし、どうなっちゃうかわからない。自分を追い詰めるであろう答えを、私は限界の心臓で待っている。
 なのに、サトシが返事をしてくれない。なぜだか沈黙が流れた。遠くでケンタロスの群が移動する声が聞こえる。あと、自分の心臓の音。

 サトシ、何か言ってよ。、ヘンなこと言うなって、笑ってよ。だけど口火を切ってくれたのはサトシではなかった。

「お二人さん」

 耳障りの良い声、だけどそこにいるとは思っていなかった声がするりと入ってきた。

「うわっ」
「シゲル!」

 わたしとサトシがふたりして飛びのくと、シゲルは理由のわからない晴れやかすぎる笑顔で「君たち!」と声を上げる。

「お昼の食事どころかティータイム抜きにするつもりかい?」
「えっそんな時間?!」

 言われて急に空腹を思い出した。ふらりとなる。さっきまで、感情が満たされたり苦しくさせられたりで振り回され、そうとう誤魔化されていたらしい。サトシと過ごす時間は切ないほどあっという間だ。

「サトシ、行こっか」
「……そうだな!」

 わたしとサトシとシゲルでざくざくと歩いて研究所をめざす。
 先頭を歩くシゲル。その歩みを、追いかけるわたしとサトシ。同じ道を歩いているのに、きっとわたしを含めた三人ともが、この時間から違うものを拾い上げ、自分のスケッチブックにそれぞれ違うものを写し取っている。それでいい。そう思えば、研究所に戻るまでの短かな旅路も、今までで一番くすぐったくて、にやけるのが堪えきれない、幸せの行進になるのであった。






(「ジョンブリアンスケッチ番外編でポケモンにばかり構うサトシにやきもち焼く話」とのリクエストでした。リクエストありがとうございました)