※夢主のメンタルがかなり暗い
※ズミさん少々かわいそう
※R-12程度の性描写
ズミさんが言葉にした好意を、私は信じることが出来なかった。それは耳にした瞬間から今まで、ずっとだ。
聞き間違えでなければ、ズミさんが私への恋情を告げたような。けれどその後に確認するようにして見たのはくしゃくしゃになった眉間。つり上がった三白眼が、「貴女は付き合うべきです」だとか「まず始めてみませんか」だとか畳み掛けられて、一瞬の甘いときめきのようなものがかき消されていった。
とにかく、そうするべき、その方が正解なのだと、有無を言わさないズミさんの剣幕。流されて、わたしはそろそろと曖昧ながらも頷いた。とりあえず良い判断である可能性が高いのなら、と。
けれどズミさんの隣は、とても言いにくい事なのだけど、居心地が悪い場所だった。
元々私は自分に自信が持てない。連絡をとって、日常をわざわざ伝えること。それからズミさんが何していたかをわざわざ教えてもらう意味。休日を合わせて、約束をする。そんなすべてのやりとりに、違和感が必ずついて回って、私を落ち着かなくさせた。
何か途方もなく間違ったことをしている。そのわだかまりを抱えながら過ごす時間の重たいこと。全ての現実が、受け入れ難かった。
なぜこんな立派な人と私が付き合えているのか、いつまでも実感が湧かなくて関係の破綻はすぐにやってきた。
その日は、なんだっけ。コウジンの水族館に二人で出かけたのだ。気乗りもしなければ、興味も抱けなかった。けれどデートで行くならと、勧められるがままに来て見て、私は地獄を見た。
自分のポケモンを持ってすらいない素人の私と、四天王のズミさんが同じポケモンを眺めることにも落ち着かない。ポケモンへの気づきも違う、同じものを食べても感想が天と地ほども違って何も言いたくなくなる。彼が黙ると、其処に言い知れぬ感情を彼が澱ませている気がした。例えば怒りや、苛立ち。水槽に溜められた、青い水の色に染まるズミさんは、綺麗な顔立ちも相待って、私には恐ろしく見えたのだ。
水槽の水面が揺らめくと、時間の感覚が鈍る。恐ろしい気持ちに、揺らめく永遠が重なった時に、全身と直感が震えた。ズミさんと居る限り、こんな想いがずっとずっと続くのだろうか。無理だ、耐えて生きて行くのは。今ここで、ズミさんとの関係を終わらせないと。答えと同時に、するりと声が出た。
「ごめんなさい、私やっぱり付き合えません」
そう言うなり、私はズミさんから逃げ出した。足を痛めてズミさんに迷惑をかけないようにと履いたローヒールで駆け抜けた。だから、彼がどうしたか、私へなんと言っていたかは聞かなかった。
一つの恋愛が、人間関係が終わった。うまくいかなかったという失望を連れて歩く中、私はとても気分が良くなったのを覚えている。もうこれきりで終わるのだ。違和感を伴う全て、もうしなくていい。開放感で体が軽かった。
なのにズミさんはその夜、私の家へと来た。事前の連絡も何もなく、突然現れた。
もう付き合えないと伝え、別れたはず。なのに気づけば脱がされて、押し切られて、繋がった。
なんでこんなことになっているのと疑問は抱いたけれど、非情で強引な行為は、現実にそぐうものだった。言葉の少なさか、触り方だろうか。これは恋人同士のやりとりじゃ無いなと思わせられ、流れるように納得した。なんだ、ズミさんは、そういう相手が欲しかったんだ。そっちの方が、自分にとってふさわしい気がして安心して受け入れた。
どうして、と辛うじて聞いたら、謝りませんよ、と突っぱねられた。そうして私はズミさんと、いわゆる体だけの関係になった。
ズミさんの行為は、体力をかなり使った。激しいし、一夜が長く、終わりが分からない。めんどくさくないのかなと思うくらい手間を尽くす。でもめんどくさそうな気配は一切見せないので、ズミさんは激しくせずにいられないんだろうな、と呆れ混じりに思うようになった。
きっと性欲が強いひとなのだ。だからそういう相手を求めるものなのかもしれないと腑に落ちた。
私自身は性行為自体をなかなか好きになれなかった。でもどちらかの家に行く前、あるいはホテルに入る前。ズミさんは私に食事代を払ってくれる。時にはプレゼントなんかもくれるので、一応対価をもらっているような気分になって、性行為も断れなくなっていった。
ズミさんと訪れた、レイクサイドのカフェ。旧宮殿の庭園にあるレストハウス。ミアレにありながら、看板は隠れるように小さなレストラン。ズミさんが満足するような場所、私には縁遠かったお店ばかりを巡る。
そういうデートまがいの時間の方が、実際、私の好みであった。ズミさんは私の知らない物事をたっぷり知っている。たまにポツリと質問を投げかけると、楽しそうにいくらでも語って、教えてくれた。私の意識が他所へ行っていると、ズミさんはムキになってもう一度最初から、飽きることなく語るのだ。私はズミさんに知識をもらう。お世辞じゃない相槌を打つと同時に、ズミさんは素敵だなと、彼の魅力を知る事も多かった。滑稽なことに私は、恋人でなくなってからズミさんというひとをちゃんと知ったのだ。それまでは、立派なひとと浅い言葉でしか言い表せなかったズミさんを、今では自分の言葉で語れる。もし誰かに聞かれたら、私はこう伝える。めんどうくさいことを、めんどうがらずに手を尽くす、尊敬できるひと、と。
初めてのデートに選んだコウジン水族館に居続けられなかった理由が、今ならわかる。私は自分が好きではない。だから私を好きだというズミさんのことも理解できなかった。今も私は自己嫌悪と仲が良い。だけど、ズミさんが私を好きでなくなって、一番の理解できない部分は取り除かれた。そして、ズミさんのことを考えられるようになったのだ。
今だったらコウジンの水族館に行くのも楽しいと思えるんじゃないだろうか。水槽の中身を指差しながらズミさんにあれこれ聞いて、水面のブルーに染まったズミさんを見ていたい。聞いているフリして、彼に見惚れていたい。だけどそれもセックスの前座になる。それに気づくと私のブルーの夢は瞬く間に壊れた。
私はズミさんをフったくせに、私は今さらズミさんに片想いを始めてしまったのだ。
「電気消してください……」
私が願うとズミさんは意外そうな顔をした。
「貴女は暗いところが苦手ですよね」
「え? だ、大丈夫ですよ?」
ズミさんは何を勘違いしたのだろうか。そんなことない、むしろカーテンをきっちり閉めてほしいくらいだ。1、2センチ、開いているだけでも私の羞恥心を煽る。薄暗い部屋では、数センチから入り込む光源も強いものだ。私のお腹も、ズミさんの肩も髪のハネも、案外よく見える。
「恥ずかしいので消してください」
「……嫌です、貴女の全身が赤くなるところが見たいので」
羞恥よりも苦い顔した私を、ズミさんは問答無用で押し倒す。諦め混じりに体を投げ出しながらも、私はズミさんのブロンドを見た。没頭する彼の表情を盗み見た。
二人して息切れの後、水が飲みたくなって、自分のカバンを漁る。ペットボトルを取り出しながらも、ふと思う。気づけば持っているカバンも中のちょっとした小物も、ズミさんからのプレゼントが増えた。彼への義理で使っているのではない。ズミさんのセンスが私は嫌いではなくて、使えそうなものは使っているのだ。
私の損得勘定を上手に黙らせる、そういう類の気遣いはしてくれる。なのにズミさんは、大事なところでデリカシーがない。
「さん。やっぱり薬、やめませんか?」
「………」
「体への負担もありますよね」
薬というのは言わずもなが避妊薬だ。
「冗談言わないでくださいよ」
またその話ですか。内心、そう思ってついたため息は、おそらくズミさんを責めた。だけど、それくらい許してほしいものだ。
ズミさんとそういう関係になってすぐ、勇気を出して自ら入手した避妊薬。自分の身は自分で守らなくてはならない。そう己を奮い立たせて服用を習慣化した。
けれどズミさんはいとも簡単に、その避妊薬の服用をやめろと言ってくる。
私が隠さずに機嫌を悪くすれば、ズミさんは矛を収めた。たが次がすぐさま示される。
「では、もう少し会う頻度を増やしませんか?」
「今以上のペースで会うのは、正直無理です」
「何故です」
「それは、その……」
私が言い淀んでも、ズミさんは私の答えを待った。言いにくそうなのを見て、気を遣って「やっぱりいいです」と取り下げてくれたらいいのに。そういう期待が、ズミさんに届いたことは一度も無い。
「ズミさんの体力と私の体力だと、差がありすぎて、ちょっと辛いかも、です……」
言い訳でもなんでもなく、本音だった。ズミさんは性欲発散させてすっきりして、日々の生活に良い影響があるのかもしれない。けれど私の方には相応の疲労が伴っている。これ以上ズミさんに付き合って、時間も体力も捧げれば、私の様々なバランスは総崩れになってしまうだろう。
本音なのが伝わったようで、ズミさんも「わかりました」とそれ以上は要求してこなかった。代わりにさん、と呼ばれて、距離を詰められ、腕の中に収められた。だけどいつも以上に抱擁する手は強く、動かないでいる。
「どうしたんですか?」
「決して深刻に考えなくていいのですが」
「はい」
「私はいずれ、家庭を持ちたいというか」
「家庭……」
温かみのある、血の通った口ぶり。ここ最近聞いて来たズミさんの声色の中で、一番熱が篭っている。
「ズミさん、結婚を考えてるんですか?」
「はい、考えてしまいます」
私も結婚のこと、考えたことがある。それは周りに急かされてのことだ。良い相手はいないのか、早くしないとまずい、そんな言葉で脅かされて考えてみただけのこと。
だけどズミさんのは違った。ズミさん、そんな顔もできるんだな、と考えてしまうくらい、彼の瞳は赤く潤んでいた。可愛いと感じるくらいだ。周りに言われて結婚を考えているのではなく、ちゃんと自分の気持ちで誰かと添い遂げる人生のことを思って、切実に願っているのだろう。
眩しさを覚えるズミさん。私はその横に、美しい奥さんを想像した。
「じゃあ、私たち終わりですね」
ズミさんからの反応は、なぜか”無”である。
「そうですよね? ズミさんに結婚願望あるなら、私はもうお相手できないですよね」
なぜ固まるのだろう。当然の話を確認したまでなのに、頭いいくせに、なに思考停止しているのだろう。訝しがる私が、ズミさんの腕を解こうとしたのだが、ズミさんは返って力を込めて私を引き寄せた。そして何か、ひどく怖いものを見たあとのように青い顔で、震えた息を吐き出した。
「さん、すみませんでした」
「はい?」
「結婚の話なんてして、すみませんでした、忘れてください」
別に、結婚したいと思うことは悪くないのに。ズミさんの、夢のひとつを語ったまでだろう。謝ることも何もない。
結婚かぁ。今まで上手に想像できなかった未来が、するすると思い浮かぶ。ズミさんと誰かさんの取り合わせなら、もっと言えば私が存在しない絵なら、随分と想像しやすいものだ。拡がり始めた未来への夢想に、深いズミさんの肌の香りが混じってくれば、次第に息が苦しくなる。
ズミさんには、幸せになって欲しい。いつの間にかそう思うようになった私は、喜んでその想像と、ズミさんの香りに溺れたのだった。