※フィクションですので諸処の描写をゆる目で見てくださるようお願いいたします。



 未だ畳の色が青い部屋。その真ん中に、恐ろしいほどの集中力を持って座す私のぬしさまは、まるで地中から掘りだされた水晶のようだった。
 赤い紐で飾りまでつけられた水晶。後頭部にまわる今日の紐は、誰が選んだのか秋の紅葉を思わす茜色だ。実のところその紐は、ぬしさまの目に当てられた絹の布を留めるためのものだが、身じろぎしない後ろ姿にかかっているとまるで封印されたようでもある。

 それに、座布団も良くない。彼女の膝の下に敷かれた座布団が、彼女の体と不釣り合いなまでにふかふかと分厚いので、上に乗ったものが余計飾り物めいて見えるのだ。綿が目一杯詰め込まれたであろう座布団は、ふとした瞬間に座布団の方が華奢なぬしさまを跳ね返してしまいそうで、かえって座り心地が悪そうだ。
 そんな仰々しい座布団を物言わず押さえつけているぬしさまは、やはり生物ではないような気を私に抱かせた。

 脆いとわかっているものが、硬くこわばっている。
 ぬしさまは息をしているのかすら疑わしいほどにぴくりとも動かない。きっとまた、”視て”いるのだろう。ふ、と嘆息して私は声をかけました。

「ぬしさま」

 声をかける。私には気づいていたのだろうぬしさまは、はい、と返事だけをした。

「少しは動かねば」

 今度は、ぬしさまは私の方へ、身を向けてくれた。ぬしさまは話す相手へ体を向けるのが礼儀と知っている。当て布に伏せられた目は私へ合わさってはいないのだろうが。
 当て布で半分ほどが隠れているが、振り返った頬は朱に色づいていた。頬の興奮を引き継ぐように、彼女はその喉の細さに反した声を出す。

「私、おとなしく見えていましたかっ!」
「ええ。ぴくりとも動きませんので、小狐丸はぬしさまが石になってしまわれたのかと」
「はあぁ……、そうですか」

 ぬしさまは熱い熱いため息を吐き、頬の火照りを冷ますように手であおいだ。つられてこちらの気が緩んだ。ぬしさまが今しがた吐いたのは、幸せが故のため息だからだ。

 ぬしさまの目が光を見つけられないのは、生まれつきだそうだ。出生し、目が開き始めてすぐに両目が濁っているのをご両親が見つけられた、とのことだった。
 様々な医者に見せ、目に良いものを試してきた。金も手間も尽くしたものの、思った結果は得られず、この歳まで視覚の無い世で行きて来たぬしさま。
 しかしある日、ぬしさまは触らずとも形を感じることのできる存在に出会ったのだそうだ。それが自分が力を与えた物の怪とも神とも言う存在たちと分かると、ぬしさまの処遇はトントン拍子にこの本丸の主へと決まってしまった。それが、一年前だそうだ。
『私は物を見ることはできませんが、皆様のことならば視ることができるのです、これは人が皆持ち得る”見る”とは違うかもしれませんが、確かにかたちを触らずとも感じることができるのです』。上気した頬で教えてくれたぬしさまの愛らしさは昨日のことのように思い出せる。実際私にしてみれば一年は昨日のようなもの。
 まだまだ与えられたばかりの見える、という感覚に、ぬしさまは今だに興奮が抑えきれないのだろう。

「いやはや。見える、というのは本当に面白い限りです……! 先日、今剣が我が本丸に来ましたよね。彼を視ていると深い理解に至るのです。”ひらり”はああなるほど、”ひらり”だなぁ、と」
「ふむ」
「何度も触ってとらえていたものたちが、形を得たのです。指先で感じ取っていたものの辻褄が合うのは、楽しくて仕方がないのです……。ああ私は合っていたなと思っていたこともあれば、違ったということも多々あります。しかも!」

 ぬしさまは小さな拳を赤くなるほど握って力説する。

「この本丸は日毎に賑やかになるではありませんか!」
「ぬしさまは日課の鍛刀をきちんとこなされていますからね。その甲斐あって仲間も増えました」
「ええ、だから鍛刀は難しいけれど楽しくて仕方がありません」

 そう言うと、またぬしさまは押し黙って動かなくなってしまった。当て布の下に隠された瞳で、恐らく視ているのだろう。触らずとも、耳を澄まさずとも感じられる刀剣男士たちのざわめきを。
 “視て”いる時のぬしさまは、普通の人間以上の視覚を発揮する。目を使わずに刀剣男士を感じ取るその力に、壁などの見えない物はあまり影響を受けないようで、さながら千里眼のようなのだ。ただし、人ならざるもの限定の千里眼である。

「ああ、ぬしさま。また石のようになってしまわれて」
「ああっ! こんなに賑やかなのは初めてで、とても心はわくわくとしていたのですが! そうですか、言われてみれば確かに体は動いていなかったですね……!」
「お気付きですか? 直に夕暮れになります」
「ええ! もうそんな時間ですか!」
「はい。そして小狐丸が知る限り、今日はお部屋から出たところを見たことがありませぬ」

 視ている時間はきっとぬしさまにとってはかけがえのない楽しい時間だ。
 けれど彼女を案じる身としては、このまま置物になられてはたまらない。

「少しは体を動かしましょう」
「そうですね。小狐丸、お供をお願いできますか?」
「小狐丸も同じことを申し上げようと思っておりました」
「なんと。奇遇ですね!」
「気があうもの同士、手を取って参りましょう」

 私が手を差し出すとぬしさまもそれを握って立ち上がろうする。けれどできずにぬしさまはころりと青い畳の上に転がる。

「あ、足が痺れました……!」

 ずっと、口元で押さえ込んでいた笑い。それが今度こそふふふ、ふふ、と口から出てしまった。





 ぬしさまの足の痺れが取れるのを待ってから、私たちは庭に出た。御厨からふわりと湯気が香ってきます。野菜や汁物を炊いているのだろう。もう少ししたら炭の火も強めるのだろう。煙が香ってきたら、魚を焼き始めた合図だ。そんなことにも夕暮れの気配を感じながら、私とぬしさまは庭の飛び石を踏んだ。

 刀剣男士は視えていても、赤く染まりつつある庭をぬしさまは見ることはできない。足元に何があるかさえも見えないぬしさまは、ひし、と私の腕を掴む。
 部屋の中では、壁に遮られない視覚を発揮していたぬしさま。けれど、今は意識は隣に立つ私ばかりに向けられていた。私の歩みを一心に頼ってくれているのを感じる。これが私がぬしさまと外に出るのが好きな理由だ。

「小狐丸、庭の様子を教えてください」
「はい、ぬしさま。今私たちは、萩の隣を歩いています。夕暮れ時ですから萩の花は閉じかけております」
「萩の花は何色ですか?」

 これは何色と言うのだろう。茜色と混ざり合ってる花の色を、なんと言うべきか、数秒思案して私は答えた。

「赤紫色、でしょうか」
「小狐丸は、赤紫色を持っているの?」

 持っている、と言われ思わず手の中を見た。しかしそういう意味ではないことにすぐに気がつく。念のため、私は自分の着物を見渡してから答えた。

「いいえ。小狐丸に赤紫色はありませぬ」
「そうですか……。ありがとう、小狐丸」

 感謝を述べつつ、ぬしさまは眉をかすかに寄せて見せた。

「何か、萩の色に気になることが?」
「いいえ。今のは萩が気になったのではありません。私は小狐丸の色が、気になったのです。小狐丸は何色でできているのか教えてください」

 私は、すぐに自分の色をぬしさまに申し上げることができなかった。自分の着物の色、肌の色、髪の色、目の色の名前ならばもちろん知っている。けれどそれを率直に伝えて、ぬしさまに伝わるのかが咄嗟には掴めなかったのだ。

「さては小狐丸。色が見えないくせに不思議なことを言う娘だと思いましたね」

 私の一瞬の迷いを、ぬしさまはいたずらっぽい声色で跳ね返す。

「それともどう伝えるべきか、迷いましたか?」
「どちらかと言うと、後者にございます」
「確かに色、というものを本当に理解できているかは断言できません。何しろ、色を見たことがありませんから。ですが、色という概念なら掴めています」

 色というものへの理解に、確信を持っているのか、ぬしさまは自慢げだった。

「色というものは、そうですね。私に取って紐のようなものです。色という名で、様々なものと一緒にできる紐です」
「紐、ですか」
「はい! 赤紫色といえば、私が覚えているのは薩摩芋の外側です。薩摩芋は皮が赤紫、身は黄金色だと聞きましたよ。だから萩の花が赤紫と聞いて、私は薩摩芋のあの甘味を思い出しました。そうやって色は、他の物を繋げてくれる紐だと、私は思っているのです」

 またにわかにぬしさまは興奮を頬に滲ませる。

「かたちあるものに皆、色がついているという話ではありませんか! なら刀剣男士の皆様の形を知るようになった今、私は色も知りたくてたまらないのです!」

 見ることは叶わない。だが、おそらく絹の当て布の下にある瞳は好奇心に輝いているのだろう。

「だから教えてください。小狐丸は、何の色なのですか?」

 何の色だ、と聞かれると、今度は自然と答えが浮かんだ。
 ぬしさまが真に探しているのは、小狐丸に至る紐、もしくは小狐丸から伸びる紐のことなのだ。

「……私の衣は山吹色、ちょうど今の時季、西の山と同じ色です」
「西の、山」
「ええ、お天道様とお月様が帰り行く山でございます」
「なんと!」

 抽象的な物言いはぬしさまの心を射止めたらしい。急に跳ね上がった興奮の度合いが、年頃の娘らしい。当て布の下のぬしさまの瞳が一瞬輝いた。そんな錯覚を覚える。気分良く、私は続ける。

「髪の色は一等自慢です」
「ええ、覚えていますよ。愛くるしい白銀色ですよね!」

 ぬしさまは小さく笑って、私へと手を伸ばした。か細い指が、そっと一房、私の髪をすくい取っていく。ことあるごとに「もふもふしてください」とその手に握らせていた甲斐あってか、ぬしさまは戸惑いなく私に触れてくれるようになった。指先に篭った親しさが何よりも心地よくて、眼を細める。

「貴方の髪は愛くるしい白銀。小狐丸がそう教えてくれたので、白銀とは愛の色、また愛はきっと白銀色なのだと思っています」
「ぬしさま……」
「ああでも、ただの”愛”じゃなく”愛くるしい”ですから、愛が呼吸もできないほどに極まると、きっと白銀になるのですね」
「ふ、ふふ」
「今日はよく笑いますね、小狐丸」
「ええ!」
「大好きな小狐丸が笑顔だと、私も嬉しいです」

 ぬしさまがまたそんな甘いことを言うので、私は笑ってしまった。極まりゆく夕暮れに目もくれずに。
 私のくすぐったさが頂上を超えて、少し収まってきた。その頃合いを見計らって、ぬしさまはぽつり、と言った。

「小狐丸。この当て布、もういらないと思いませんか?」

 私だけに聞こえるように窄められた声色だった。

「両親は私が生まれてすぐ、ここに絹の織物をあてがい、当て布を私に習慣づけました。私が周りから哀れまれぬように、と」

 ぬしさまはそう言って自分の目の上に被さる、その布を撫でた。

「けれど、実のところ、これは両親のためだったと思うのです。きっと何も映さぬ眼は、見る側に悲しみを産むから。だから私のためではなく、周りの人々のためでもあったと思うのです」

 ぬしさまの眼は、見ないまま。当て布で護られるものは、眼そのものもあるだろうが、意味合いとしてはぬしさまの言う通りなのだろう。

「でもこの本丸で、私は”視え”ます! それを皆も承知しています。むしろ、人あらざるものばかりを感じ取る私に宿命を見出すものもいるくらいです。盲目の私がここにいることに、何を悲しむことがあるのでしょうか、むしろ誇りではありませんか?」
「……ええ。私も、ぬしさまは私どもの主になる定めをお持ちなのだと思います」
「でしょう? だけど……」

 ずっと小狐丸をまっすぐ捉えていたぬしさまは、ふと顔を下に向けた。小狐丸の腕に添えられていた手が離れたのを見ると、それもまた小さく震えていた。

「だけどもしかしたら、私の目はこうして隠さねばならないほどに醜く、哀れなものなのかもしれません。だから小狐丸、まずは貴方に見ていただきたいんです。もし、これを見て誰かが気後れするようなものでしたら……、そのまま貴方と私の秘密にしておきましょう」

 ぬしさまは自分の顔を見たことがない。当たり前だ。鏡を見ることも叶わないのだ。そして刀剣男士が視えても、人間である自分自身を見ることはできないのだ。見えないということの現実をまたひとつ突きつけられた。
 私は動揺を隠してぬしさまに聞いた。

「今、この庭にいる私とぬしさまを見ているものはいないのですね」
「はい」

 人ならざるものだけを捉える千里眼が言うのならば間違いないのだろう。ぬしさまは背筋をしゃんと伸ばし私に問う。

「小狐丸。この役目、受けてもらえますか?」
「もちろんでございます」

 私がぬしさまの願いを断るはずがない。誰にも晒したことのない目元、どのような状態なのかもわからないものを見せようというのだ。そしてその相手に小狐丸を、と言ってくれたのだ。どんな誉にも叶わない。
 ああ、よかった、小狐丸なら引き受けてくれると思っていました。そう安堵する様子にも、信頼が滲んでいて、それが私の雑念を払い、この人のために在りたいという気持ちに磨きをかけていく。

「失礼いたします」

 私は茜色の中に溶けそうな赤い紐を、引いて解く。抑えられていた髪がふ、と息を吹き返したように広がって、当て布は私の手の中に落ちた。

「痛みなどはありませんか?」
「ええ」

 そう答え、ぬしさまはゆっくりと顔を私へ向ける。ふるふると震えながら幾度か瞬きをして、ぬしさまは私を見据えた。

「私の目はいかがですか? 何色、ですか?」

 確かに眼は白く濁っている。だが、そこに浮かぶ模様は翡翠のようだと思ってしまった。
 私がぬしさまを愛する贔屓目なのかもしれない。けれど何か、まつげに縁取られた瞳の輝きを見ると、心の臓を幼子の手でぎゅっと握られたような、途方も無い甘さを私は感じてしまったのだった。
 その胸をつままれたような痛みに喉をつまらせて、何も言えずにいると、ぬしさまは悪いようにとったらしい。

「小狐丸、悲しまないで」
「悲しみなど!」

 私を慰めようとしていた手をぎゅっと握って、私は真摯に伝える。

「悲しみも憐れみも、どこにもありませぬ。それどころか、ぬしさまの眼は、愛くるしい白銀色をしています」

 よかった、と心細く吐き出したぬしさま。ずっと自分の姿が誰かを悲しませるものなのだろうかと悩んできたのだろう。その不安がたった今瓦解したのだ。
 生まれてきてからずっと彼女が抱えてきたものの片鱗。それに加え、当て布に覆われていたその下で、こんなにもたくさんの感情が浮かんでいたのだろうかと思うとたまらない気持ちになった。
 もっと最初からぬしさまの感情を見つけていたかったという悔しさと、隠されていたぬしさまを目にすることができたという嬉しさが折り重なって、気づけば私はその目元に口付けていた。

「え……」

 ぬしさまの戸惑う声は、私の喉元から上がった。
 激流のような衝動を込めた唇がぬしさまの頬の上に触れて、肌の擦れ合う音を残して離れる。どくどくと自分の脈がうるさい。

「いけませんよ、小狐丸」

 自分で起こした所業に呆然をする私を、ぬしさまはぴしゃりと言う。
 うるさく脈打っていた首筋が、途端、ひやり、と冷えた。せっかくの信頼をふいにしてしまったか、と思いきや、ぬしさまは愛らしく口を尖らせた。

「今、私の瞼を吸いましたね。だめですよ、私の中の銀色を吸ってしまっては」
「は」

 ぬしさまは自分の手で目元をかばうと、全く予想外のことを言い放った。

「小狐丸と同じ色がここにあって嬉しいと思ったばかりだったのに。これは、どうかここにいさせてやってください」
「………」
「ほら、触ると付いてしまう色もあるという話じゃないですか」

 ああ、やはり。ぬしさまには敵わない。
 さっきまでもう隠すことはないと当て布を取り払ったのに、今度は自分の手で隠してしまっているのも滑稽だ。

「く、く、ふふ、ふふふ」
「笑うようなことですか!?」
「い、いえ。安心してください、ぬしさまの眼の中の色はなくなっていません」
「本当ですか? 焦りましたよ、もう! 」
「大丈夫です」

 私が何度も言い聞かせるとようやく、ぬしさまは手も取り払ってくれた。黄昏時も過ぎて暮れた陽の中で、私は目をこらす。

「もっとよく見せてください」
「ええ……?」

 私の口端がどうしようもなくにまにまと上がってしまっているのが、ぬしさまには視えているのだろう。恥ずかしげにしながらも、顔にかかる髪を除ける仕草がまた私の胸に刺さってしまった。

「ああぬしさま、今宵はもう片時も離しませぬ!」
「ええ!?」
「夕餉も、小狐丸の膝の上で食事いたしましょう!」
「それは恥ずかしいですね……」

 戸惑いながらも私が膝を折って腕を差し出すと、ぬしさまは大人しく私に体重を寄せて抱かれた。夜道を歩くには、私が抱いて歩くのが最も安全だ。寄り添うぬしさま。そればかりじゃなく、寒くなってきましたね、と言って、自分の袖で私の首元を寒さから守ってくださる。

 今宵ばかりじゃなく、生涯片時も離れたくない。だけどまずは夕餉をとるため、私たちは眠りゆく庭を後にしたのだった。




(「目の不自由な女性審神者と、彼女のお庭散策に寄り添う小狐丸のお話」とのリクエスト、どうもありがとうございました!)