※ほんのり血の描写ある。不穏めなお話です




 なんだかすごい人が育て屋の入り口に見えていると、コーヒーを継ぎ足してくれた同僚は教えてくれた。そうなんですかぁ、とぼやいてカップを受け取ると、今度はドアから顔をだした別の仕事仲間が言う。

「チャンピオンがさんを訪ねて来てるよ」

 飛び上がるほど驚いて、なみなみ注がれたコーヒーが指先にかかってしまった。じんじんと指先が痛むけれど、それを超えて疑問が頭の中で飛んでいる。なぜ? まだまだ修行中でポケモンブリーダー未満のわたしを? チャンピオンが?
 だけど玄関で待っていた姿を見て、さらに腰が抜けるほど驚いた。指先のやけどを忘れるほど、こんらんで頭がいっぱいになった。だってわたしを待っていたのは、何年も前に旅に出て、それからずっと会うことのなかった幼馴染、ダイゴくんだったから。

 幼馴染と数年ぶりの再会。予想外の人物がわたしを訪ねてきたことにまずは驚いて、それから仕事仲間の言っていた”チャンピオン”がダイゴくんであることに、わたしは飛び上がって驚いたのだった。

「え、え、えーっ!? ダイゴくん、チャンピオンになったの!?」
「知らなかったのかい?」
「うん……!」

 まいったな、というようにダイゴくんは首を傾ける。その仕草でシャツの襟の間から少しだけ覗かせた首の骨の太さが、確かに子供ではなくなっていた、わたしはどぎまぎとしてしまった。

 わたしとダイゴくんはその場でお互いが元気にやっているかとか、今どうしているのかだとかを確かめあった。そのあと、ダイゴくんはわたしにお願いがある、と言った。

「ここの育て屋で、ポケモンブリーダーになるため腕を磨いているんだって?」
「う、うん」
「ボクのポケモンをサポートしてくれる人を探しているんだ。、きみがやってみるかい?」

 まだまだわたしは勉強の身。なのに、いろんな過程をすっ飛ばして、チャンピオンのポケモンに触らせてもらえる絶好の機会。だというのに、わたしはその提案に飛びつくことはできなかった。

「ありがとう。幼馴染特典だね。でも教えてくれてここの先生にも聞いてから、決めるね」

 返事を先延ばしにした理由は、きっと誰に話しても理解してもらえない。

 幼い頃からダイゴくんは、時々わたしには理解の及ばない男の子だった。1を言えば、10を知られてしまう。ダイゴくんはそんな男の子だった。だけど一番理解ができなかったのが、なぜダイゴくんがわたしをいつも贔屓するのかだった。
 石を探しに、或いは見たことのないポケモンを探しに。ダイゴくんはひとりでなんでもできてしまうような男の子だったのに、なぜだかその石や、ポケモンを探す冒険に、わたしを連れ出すのだ。
 連れていかれたわたしは、度々危険な目に合った。覚えきれないほど複雑な道順をたどって着く暗い洞窟で迷子になったり、足を滑らせて転んだり、ポケモンの威嚇を受けて岩陰から出られなくなってしまったり。

 大抵はダイゴくんがなんとかしてくれるから、大ごとにはならない。
 こわかったね、安心して、大丈夫だよ、ボクがいる。彼は整った顔を同情に歪ませて、薄い唇でなめらかに囁いて、怪我をしたり、恐怖で疲れ切ったわたしを何度も抱きしめてくれた。
 優しい手で、撫でてもくれた。けれど、わたしの多分生き物としての勘がささやいていた。わたしを助けてくれるのはダイゴくん。だけどわたしを危険な目に遭わせるのもまた、ダイゴくんなのだ。

 当然、わたしは彼と出かけることからどうにか逃げようとした。そんなわたしを、たしなめるのはダイゴくんではなく、周りの大人だった。結局わたしは誘い出されて、わたしだけに危険の伴う、彼の遊びへ連れ込まれていくのだった。
 そうしてわたしは、幼少期の遊びをダイゴくんと一緒にこなした。いつも一緒だった。なぜって、ダイゴくんがそう望んだから。彼は少年の頃から、望んだものを叶えるほとんど魔力とも言って良いような力を持っていた。
 だから彼がひとりトレーナー修行の旅に出た時、わたしはひどく驚いた。ダイゴくんがわたしを手放す日が来るなんて、思っていなかったのだ。

 いつも一緒だったのに。ひとつまみの寂しさはあった。
 だけど胸のほとんどは安堵に包まれていた。散々彼に振り回されてきたわたしにはダイゴくんが望むと全てはその望んだ通りになるような気がしていた。ダイゴくんが近くにいると、わたしがどれだけわたしの道を歩もうとしても曲がってしまうと感じていた。
 自分を捉えていた磁力のような力がなくなって、わたしはようやく自分のなりたかった、ポケモンブリーダーという夢に向かって歩き出せたのだ。




 やはり、今回も悪い予感の通り。ダイゴくんの望んだ通りになってしまった。

 見習いブリーダーが、昔馴染みのよしみでチャンピオンのポケモンを触らせてもらえる。わたしが拒もうとしても、周りはそのチャンスを羨ましがり、屈託無く絶賛するばかりだった。
「すごいね」とか「貴重な経験だね」とか、はたまた「ずるい」とか。様々な人に口を挟む間も無く言われてしまい、終いにはわたしが了承するもんだと思っていた同僚がわたしの休職手続きを進めてしまい。わたしはついに断ることができなかった。
 ダイゴくんから迎えに来て、わたしは彼のトクサネの家へと招かれた。

「まずはエアームドを見せようか」
「う、うん」
「緊張しなくても大丈夫だよ」

 ダイゴくんのモンスターボールから出てきたエアームドは、一言で表すなら、美しかった。無駄のない体つき、精密な羽根の開き具合に、滑らかに銀の体躯がきらめいた。ダイゴくんのエアームドは一目でわかる。格が違うと。

「はがねタイプのポケモンはどうだい?」
「正直あまり経験がなくて……緊張するなぁ」
「時間はたっぷりあるから。エアームドのことをたくさん知ってあげてほしいな」
「うん……」

 魅入られるようにエアームドに近づくわたしを、ダイゴくんが微笑んで見守っている。
 綺麗な、研ぎ澄まされた体。鈍色の光に惹かれて、指先をすっと、指が深くエアームドの体に添わせた瞬間だった。ぴりっとした痺れ。

「あっ」

 わたしが零した言葉と同時に、ぽた、ぽたぽたっと、赤い滴が地面へと落ちた。見ると自分の手が綺麗な断面を見せている。

「さ、さすが」

 最初に出て来たのはやっぱり、エアームドを褒める言葉だった。触るだけで指が切れちゃうなんて思わなかった。サーっと血の気が引いて、わたしは叫ばないながらも静かなパニックに陥っていた。

「大丈夫かい?」
「エアームド、ごめんね。気にしないで。あなたのせいじゃないから。わたしが、どんくさいだけだから……」

 気が遠くなっていくのを感じる。入れ替わるように、幼い頃の記憶がフラッシュバックしてわたしを包んでいく。ダイゴくんと一緒に遊んでいたわたしは怪我が絶えなくて、絆創膏や包帯がいつも体のどこかに張り付いていた。
 周りの大人も子供も、優秀なダイゴくんと見比べてわたしをなんてどんくさいのだと、笑った。違うのに。洞窟じゃない、探検じゃない、ポケモンでもなく、わたしの鈍臭さでもなく。ダイゴくんが、わたしを傷つけるのに。わたしにとって、怖いことを持ってくるのだ他のだれでもなくダイゴくんなのに。どうしてみんな、にはダイゴくんがいなくちゃね、なんて言うの? ねえどうして。

「落ち着いて」

 頬に冷たいものを当てられたようだった。いつの間にかすぐ横に来ていたダイゴくんの声でわたしは引き戻される。
 ダイゴくんはそっと寄り添って、手早くわたしの傷にハンカチを当て、ぎゅっと抑え込む。最初はそのシワひとつないハンカチの奥に赤黒いものが滲んでいたけれど、そのままダイゴくんに傷を圧迫されているうちに、血が滴ることはなくなった。わたしも落ち着いてくる。
 そっとハンカチを剥がし、血の固まりかけた傷を見ながら、ダイゴくんは最後、絆創膏を優しく、エネコの頭を撫でるように貼り付けた。

「ごめん、こんなことになると思わなくて。痛いだろう?」
「ううん、平気。これもひとつの経験だから。手当てしてくれてありがとうね、ダイゴくん」

 指先にくるりと巻きついた絆創膏もまた、昔の記憶をくすぐった。ダイゴくんと一緒に遊ぶと、わたしはぼろぼろになっていった。だけどダイゴくんがくれる優しさは格別だった。

「それで、次はいつにする?」
「え……」
「次はボクも慎重にエアームドのこと教えるよ」
「ら、来週か、再来週とか」
「いいね。週に一回くらいのペースだと、きみの負担にもならない」
「そうだね、ダイゴくんの言う通りだね……」

 そんなこと、言わなきゃいいのに。わたしは否を唱えられない。ダイゴくんの曇りない表情に、過去に言われた言葉たちが蘇るのだ。、どうしてダイゴくんにそんな失礼なことをするの、礼儀知らずな子、恥ずかしいのは私たちの方よ、断るなんてありえない、あんなによくしてくれてるダイゴくんに対して酷い子ね、、悪いのはあなたよ。



 週に一回、ダイゴくんのポケモンについて学びながら、お世話するだけ、チャンピオンのポケモンに触れてブリーダーの勉強をするだけ。なのに一月も経てば、わたしは体のあちこちに傷を増やしていた。

 ダイゴくんのポケモン、チャンピオンのポケモンはたしかに違った。
 極限まで研ぎ澄まされた強さ。トレーナーとの間にある強固な信頼関係。ポケモンたちは、持ち主と重なる、意志の強さを宿していた。ダイゴくんの手持ち全員、その育て上げられたポケモンとしてのオーラに圧倒され、ただ育て屋にいただけでは学べなかった経験を積み、そしてわたしは傷ついた。

「っつぅ……」

 また、やってしまった。メタグロスの世話として彼の体をいちから磨いていた。彼の体の節に入ってしまっていた砂や小石をブラシでかき出してあげている途中だった。だが、私の動きとメタグロスの動きがかみ合わず、彼の関節に手を挟んでしまったのだ。

「大丈夫、メタグロスは悪く無いからね。わたしが急に動いたせいだよね、ごめんね」

 メタグロスの世話はダイゴくんの手持ちの中でも1番難しい。珍しいポケモンであることもそうだし、金属質な全身は人間のわたしにとっては未知の感覚が宿っている。
 指先の絆創膏がまだ残っている。そのくせに、また傷を増やしてしまった。痛みを訴える場所をかばっていると、視界に割れてしまった爪が入り込んで来て、またやるせなくて泣けてくる。

「大丈夫かい?」
「うん……」
「本当に柔いね、は」
「どんくさいだけだよ……」
「そうじゃないさ。ボクならこうはならない」

 それもどんくさいからでしょ? 口で言わずとも、思いが募る。わたしがポケモンの触り方が下手くそだから。何もかも、わたしのせい。
 見せなよ、と言われて、わたしはおとなしく傷口を差し出した。ダイゴくんは座り込んで、わたしも彼にならってその場に腰を下ろした。

「大人になってもは、柔らかくて脆くてあっという間に傷がつく」

 メタグロスに挟まれ、赤く、内出血を起こしているわたしの方の傷をダイゴくんは見ている。まじまじと具合を見ようと、ダイゴくんはもう一歩私に近づき座り直した。その時、わたしは初めてのことに気が付いた。
 どく、どく、どく、と聞こえてくるこの鼓動。わたしの? いいや、違う。ダイゴくんのだ。耳が拾っているこの音は、彼の、大人になった心臓音だ。早鳴りしている。それは得体の知れない怪物がこっちを探して近寄ってくるような、不穏なリズムに聞こえた。
 ダイゴくんが、興奮している。どうして。わたしの傷を見たから?

「本当に、きみはボクと正反対だね」

 すぐ横に座る彼を見たものの、表情はダイゴくんの薄い色の髪が覆い隠してしまっていた。だけど真横で囁いた声に、わたしは喜びの色を感じ取っていた。

 今度は、わたしの心臓がどくどく、と鳴っていた。鼓動が鳴るたびに、共鳴するように全身が痛みを訴えた。
 わたしの不注意で作ってしまった、傷たちが痛む。エアームドの羽の隙間に傷ついた指先、アーマルドの爪がひっかけてしまった頬、ユレイドルにぶつけた膝、左手、脇腹、くるぶし、肩、二の腕。

「ダイゴくん。お願いがあるの。もう、やめたいの……」

 綺麗で、何もかも持っていて、誰からも慕われている。正義を自分の手の中へ、さらっていく。だけどわたしにとって悪魔のようなひとに願う。お願いです、わたしをもう放っておいて。

「そんなこと言って。ブリーダーになる夢はどうするんだい?」
「……諦、める……」

 ダイゴくんの表情に、もうやめたいと言った時には見えなかったかすかな驚きが浮かぶ。

「この一か月で思った。わたしにとっては無理な夢だったんだよ。だ、だいじょうぶ、ポケモンブリーダーじゃなくても、ポケモンのことを助けたりできる仕事はあるはずだから」

 ぼろぼろに傷つくと思ってしまう。夢なんてもう、どうでもいい。全身の痛みをこらえてまで追いかけるものじゃない。ダイゴくんの目には、わたしの言葉を疑うような輝きがあった。だけど、わたしは本気だった。

「きっとわたしには、もっとわたしに相応しい何かが、きっとある。何かがどんなものかは、わからないけど。とにかくわたしの身の丈にあったそっちを目指した方が……」

 全部を言う前に、わたしは抱きしめられていた。多分、制止のための抱擁だった。
 だけどわたしが背中にまわる腕に感じていたのは別のことだった。あの頃は男女での体格の差はまだなく、同じような手足の細さ、体つきをしていた。けれど今わたしを包むダイゴくんの体はすっかり大人になっていた。

、かわいそうに。たくさん傷ついてしまって」
「ダイゴくん……」
「ボクのポケモンと接することがのためになると思ったんだ。ボクが教えて上げられることがあるなら、の夢を手伝いたかった。こんな、きみを追い詰めるようなことになるなんて」

 そうだ。わたしがトクサネに通うのは、わたしのためだった。今までなかった機会を得て、勉強を重ねて、目標に近づくために始まったことだ。悲しげなダイゴくんの声色に、わたしは急に罪悪感を思い出した。優しさをふいにしてしまったのは、紛れもなくわたしなのだ。
 そういうことにしておいてほしい。真実は知りたくない。本当のことに気づくより、自分のせいにしておく方がずっとずっと救われる。

「大丈夫だよ、。どんなに傷ついても、にはボクがいる。きみのことはボクが守ってあげる。ゆっくりでいいから、もう一度、頑張ってみよう」

 戸惑うわたしに、都合がいいくらいの甘くて優しい声が落とされる。そう、わたしが怪我をするといつだってすぐに彼が取り出す消毒液や絆創膏のように。

のためにボクはいるから、ボクのためにも。ね?」

 幼い目から、幼い目へ。ずっとわたしに向けられていたシグナルが、シンプルな言葉に閉じ込められた瞬間だった。
 わたしが諦めないこと、まだ頑張り続けることを。ダイゴくんのそばで惨めなくらい精一杯に生きること、弱さがゆえにダイゴくんのそばにいること。ダイゴくんが望んでいる。ならばダイゴくんの思う通りになる。幼い頃からの繰り返し家族に教えられた物事みたいに、そうに決まっていると思ってしまう。肩に頬ずりをして、乾いた息を吐き出した。わたしはダイゴくんを抱きしめ返した。




(「ダイゴさんが病んでる話を読んで見たいです!」とのリクエストをありがとうございました!)