『僕が、教えましょうか?』
花札の遊び方を教えてやる。あまり気安い仲とは言えない宗三左文字が、気まぐれにそう言ったのが発端だった。
どうして、と聞いたら、
『手持ち無沙汰に見えたので』
と涼しげに言われた。気遣いは嬉しい。しかし私はそんなに行き詰まった、あるいは暇そうな阿呆面をしていたのだろうか。一瞬顔を擦りたい気持ちに見舞われたが、さらに期待に膨らむ下心が綯い交ぜになる。たった一言、宗三に気まぐれを向けられただけでこの有様だ。とにかく腹の底からこめかみまで噴出してくるものは恥ずべきものと感じ取り、咄嗟に平静を装って頷けば、すぐさま宗三は手のひらほどの桐箱を持ち入室してきたのだった。
結局今日まで縁のなかった花札に、興味を持ったわけではなかった。もう幼子ではないのだ、今更だ。ただ、宗三がどんな顔をして遊び方を教えてくれるのか。その一点が、私に朱色に花鳥風月を閉じ込めた札たちに向かわせた。
なんだか古風で可愛らしい絵が描いてある。花札について、私が持つのはその程度の認識だ。今日改めて触れた花札に対してもやはり同じ感想だった。古風で可愛らしくて、絵におそらく何かしらの意味が込められていて、趣向が凝らしてあるのだろうとは察しがつく。が、そこまでだ。
だから遊び方について理解できるのかが不安だった。むしろ私が全然理解ができず、宗三を呆れ果てさせてしまったらどうしようと心配していたくらいだ。だけど今の所彼が苛立っている様子はない。むしろ呼吸を深くしていて、警戒も解かれている気すらしてしまう。
もともと、彼が兄弟刀に向ける奥ゆかしい優しさを知っていた。だから花札を教えてくれると聞いて、私は期待を胸に巡らせた。時に小夜左文字に向けるような慈しみ、江雪左文字に向ける敬い。決して私に向けられることのない感情たち、その片鱗でも味わうことができるのではないかと踏んだのだ。
どこか予想していたのにも関わらず、私は先生の宗三と対峙するなり、札とともに変な緊張を手に握っていた。
「うー、えっと……、これを出せばいいの、かな?」
「えぇ、合っていますよ。同じ月の札です」
「あ、いいんだ……」
「はい。僕の番ですね。同じ月の札はありますか?」
花、鳥、風、月。短冊、幕、八ツ橋に、盃。代わる代わる畳の上に舞い上がる札、その絵柄をひとつひとつ追いながら、自分がどんどん、自分らしさを失っていくのを感じる。宗三のほのかな袖の香り、指が札をする音のせいでもあった。
「……わからなくなってしまいましたか?」
「あ、え、……その……。ごめんなさい」
「見せてください」
宗三は、私がこの慣れない遊びに翻弄されていると思ったのか、ますます優しさを増していく。まあ、稚児に向けるような優しさなのだが、焦がれる相手に向けられる甘さはなんだって嬉しいものだ。
「今こんな感じなんだけど」
私は手首を翻し、手札を全て、宗三に見せた。
本当は手札を隠しながら進めて、読み合いや駆け引きを楽しむものなのだろう。しかし、私は今日初めてまともに花札を触った初心者だ。もうなんでもありで、二人でこの勝負を成立させるために頭を捻る。
「ふむ……」
間近で見る、思案する宗三に、私は吸い込まれそうな感覚を覚える。
「では、貴方はこれを出して、僕はこれを出しましょう」
私の手札から、すっと一枚、宗三が抜き出して場に並べる。何が起こっているのか、この遊戯がどう運ばれているのか、いまだに私はつかめていないが、とりあえず場が進んだことにほっとする。
今日の宗三はこの調子で、いやに優しいのだ。なんだか私の調子が狂ってしまうくらいには、手取り足取りと言った風に花札の遊びを教えてくれている。
「これで僕は役ができましたが、続けますよ。”こいこい”。さぁ、貴方の番ですよ」
「ええっと……」
私は手持ちの札と、場に出てる札を見比べた。
またも宗三の長い指が、すっと私の札を指差した。
「これ?」
宗三は音もなく頷く。彼の指示通りに札を出し、また彼の目線が指し示す場に置くと、どうやら役ができたらしい。
「貴方の勝ちです」
「はあ……」
勝ち、と言われても腑に落ちない。後半は見事にこんがらがってしまって、宗三の言われた通りに事が運んでしまった。とりあえず一通りの流れはつかめたかな、と勝負を思い返してから、私は「あ」と気がついた。
「これ、無効だよね?」
聞いたのは、勝負の始めに宗三からあった提案のことである。
『負けた方が、勝った方の願いをひとつ聞く、というのはどうでしょう』
一通りの説明を終え、札を配りながら、宗三は読めない表情でそれを口にした。
花札において今の私と宗三は弟子と師範だ。私が負けるのは目に見えている。つまり宗三は遠回しに、授業料として自分の願いをひとつ聞いてくれと言っている。そう解釈して私は条件を飲んだのだった。
今の勝負、結果は私の勝ち。だがこんな手渡された勝利で、権利を主張する気にはなれない。
「もう一回やろうか。次はもうちょっとうまくできるんじゃないかな」
次こそ私がこてんこてんにやられ、宗三の願いを聞いてやろうではないか。滑稽なことに私は次こそ負けるぞと意気込んで、札をかき集めたところだった。
「僕は、構いませんが?」
札の片付けには手を貸さず、宗三左文字は私を据わった目で見やる。
「貴方の願いはなんです?」
「え、でも……」
今の勝負は、宗三に握らせてもらった勝ちだ。戸惑う私に追い討ちをかけるように宗三が
「なんです?」
不穏な目つきにひるまないでいられたのは、私が宗三からのその手の視線には慣れたものだったからだ。
いつからという区切りはなく、気づいた頃にはもう、私は宗三左文字に冷たい目線を向けられるようになっていた。彼の態度の特異さは、同じ左文字の刀といるところと比べずとも分かることだった。
表立った対立ではない。主人と刀。互いに、割り切った形ではやれている。だけど時には”主君”と呼ばれる私だ。たくさんの私を慕ってくれる刀と暮らす中で、宗三左文字の他とは違った様子には嫌でも目についた。
彼が私に心を閉ざしている。近づけば離れていく。それを分かりながら成長したのだから、私の恋慕は相当の馬鹿者だ。
「僕に何をお願いするか、決めてあったんですか?」
「……宗三に斬ってほしいものがあって」
ぴくり、と宗三がかすかに動く。関心はあるらしい。なんです、とまた、彼にしては重い声色で問われる。
「中庭の、茂みの奥の方に、桃色の百合が咲いているの、知ってる?」
「……えぇ」
「花弁の模様からして多分、鹿の子百合だと思う」
私は、今朝も見たあの百合を、まぶたの裏に思い描いた。
薄紅の花弁。そこに桃色の斑点が、実の弾けたあとのように飛び散っている、凛々しくも野性味のある姿。私は初めて自生する百合見たのだが、清楚の代名詞のような花があんなにも荒々しく咲くとは知らなかった。思わずため息の出る美しさなのだが、あれは斑点模様もあって毒々しく、蠱惑的でさえあった。
「その鹿の子百合がね、あまり好きじゃないの。こんなことを思う自分が嫌なのだけど、宗三にいっそ切ってもらいたいと思って。あの花を見てると、どうも……」
「誰かを思い出すんですね」
「……そう」
その通りだ。色だろうか、それとも反り返った花弁だろうか、愛らしいじゃ済まさない色香だろうか。とにかくあの百合はいつの間にか、私の中で宗三左文字と結びついていた。
私の中で宗三左文字は特別なのだ、特別に心乱す存在なのだなと気づいた日。私はすぐさまその想いを躾けることにした。主のくせに、役目となんら関係ないところで贔屓なんてできるわけがない。宗三の方も私に気はないようだし、飼い慣らし、とにかく本丸での生活に支障がないよう努めようと心に決めたのだ。
だから私は宗三と顔を合わせない日は、内心で胸をなで下ろしていた。宗三に会わなければ、心の均整を保つのもそう難しくなかった。
だけどあの薄紅の百合が、私の視線を奪うのだ。
初めは宗三を思い起こさせる薄紅色だと微笑ましく見ていたのが、いつの間にか私の思惑を外れて表情を変える宗三の姿に重なり、やがて私を苦しめる花に変わり身を果たしていた。
だから花の美しさに目を奪われながら、常々根から掘り起こしてやりたいと思っていた。心のない、非常な考えをふつふつと煮詰めていた時に、ふと思い至った。宗三の刃で切ってもらえたらそれが一番胸のすく思いがするのだろうな、と。
「……行ってきます」
「え、今?」
遊んだばかりの花札を片付けもせず、宗三が立ち上がった。呆気に取られてるうちに、戸の向こうにひらりと消えていた。
まさか本当に、切りに行くと言うのだろうか? 私も札を放り出し、追いかけた。
なんなんだ、今日は。宗三が花札を教えましょうか、そう口にした時から、読めない展開ばかりが続いている。
宗三が早足で行ってしまうと、私は追いつくのに随分苦労した。
私がようやく中庭に着くと、宗三は仁王立ちであの鹿の子百合と対峙していた。
百合は花弁を大きく反り返らせ、鹿の背のような文様を見せつけながら咲き誇っている。昼過ぎに誰かが水を撒いたようで、百合は雫を身につけ、瑞々しく輝いていた。
「やっぱり、すごく綺麗」
「………」
「だけど育つ様を日毎に見ていると、とにかく嫌になるの。切ってくれるのなら……、正直助かる」
こんな綺麗な百合を、貴方自身で斬ってほしいだなんて、宗三は私を気味悪く思ってやしないだろうか。でも、願わくば彼の手で絶って欲しい。本丸の、私たちの日々を壊しかねない恋慕なのだから。私の手を離れるというのなら、息の根は絶ってやりたい。
「切ったあとの花は誰かに差し入れるなりしてくれていい、球根も薬研に渡してくれたらいいように使ってくれると思うか、ら、……」
御託は彼の袖の動きとともに途切れた。呆気にとられた。宗三が、まるで戦場に立つかのような殺気を込めて、あの百合を切り伏せたのだから。無力な、ただ咲くばかりの百合を、だ。
茎も葉も枝も花も、雄しべも雌しべも一緒くたに刃が通り抜ける。花弁も形を無視して切り分けられ、まるで絵合わせのようになってしまった。
斬ってほしいと願ったのは自分にも関わらず、あまりに無残な姿に私は呆気にとられてしまった。
「ず、随分派手に斬ったのね……」
「僕の恋敵ですからね」
「え?」
心臓を直に掴まれたか。そう思うほどの動揺が私の胸を突いた。恋敵という語句の意味は知っているはずなのに形が全く掴めず、目が泳いだ。
「恋なんてそんな話、私はしてない」
かろうじてそう口にする。ただ花を見てると思い出すものがある、だから斬ってほしいと伝えたまでなのに。自身を鞘に戻した宗三は、口端をあげていたが、目はすっかり冷え込んでいた。
「庇わないでくださいよ、ますます憎くなる。貴方がこれを愛でているのは知っていました。だが、その先に人間がいるなんて酷い話だ」
「宗三……?」
「でも、これで忘れられますよね?」
咲いていた花はもう斬ったのに。今度は宗三の崩折れそうな微笑が、私の胸に再び種を埋め込んだ。それは鼓動の中に即座に白い根を巡らせ、たった今砕いて土に混ぜようとしていた想いを絡め取っていくのだった。
(「両片思いな感じの宗三左文字のお話を…お願いします…!!」とのことでした、リクエストありがとうございました!)
(2021-02-19 加筆修正)