※ギャグ風味でラブコメ風味とはいえ、疲労で壊れかけキバナさんが職場でセクハラかましてくる描写含みます。ちょっとでも嫌な予感がしたら読まないでください
仕事終わりに、上司のキバナさんから呼び出された。、ちょっと話があるんだが時間はいいか。トレーナーでもなんでもなく、ただの学芸員兼、事務員である私がキバナさんからの呼び出しを受けるだなんて、滅多にないことだ。その時から、何か人前では言えない注意だとか、よくない話があるのだろうと思っていた。
実際まるで尋問のようだ。小さな狭い部屋で、上司と一対一の対峙。ただでさえ手足の長いキバナさんがこの小さな部屋に収まっていると、潰されそうなほどの圧を感じる。
重苦しく黙ったキバナさん。その表情にいつも私を含む部下に向ける晴れの日のような笑顔も、ヌメラを想起させる穏やかさもない。むしろ何か、緊張した様子だ。
「……」
「は、はい」
私は何をやらかしたんだろうか。過去の記憶を必死に洗い、重圧に負けそうになりながらもキバナさんに向き直る。すると彼は、机の中に小さな紙の小箱を差し出した。手のひらで包んで、少し余るくらいの大きさだ。何が入っているのだろう。
「開けてもいいですか?」
キバナさんが無言で頷くので、私は失礼して箱を開けさせてもらう。箱の隙間に指を入れれば天井がかんたんに開いた。中を見て私は小さく「あ」と漏らした。中に入ってたのは新品のマグカップ。
すぐにキバナさんの思惑に私は思い至った。だって私の仕事用マグカップが割れたのは、つい先週のことだ。
朝からコーヒーを溜め込んでいたマグカップを洗って、そして暖かい飲み物を入れ直す。こぼれ防止に付属の蓋をつけて、一枚羽織って裏口から石造りの階段を登る。
階段を上がりきればはるかに続くワイルドエリアが望めるのだから、つくづくナックルジム宝物庫に勤めることは贅沢なことだ。
忙しい仕事の合間の息抜きに、屋上で風に吹かれながら暖かい飲み物を飲む。宝物庫の学芸員、もしくは事務員としてナックルジム勤め始めた時からの私の楽しみだ。
書類を山ほどやっつけたぶんモヤモヤとする頭を抱え、階段を上る。だけど今日の屋上に先客がいる。そのことに、私は耳をくすぐる歌声で気がついた。
一見、女性の声にも聞こえるその音。ナックルジムで女性の歌声のようなものが聞こえたら、大抵それはキバナさんのフライゴンだ。
そっと覗けば、私は細身なのに広い背中を見つけた。やはり彼が、城壁に身を預けながら風に吹かれていた。青い目は下を見ている。やはり予想通り精霊とも呼ばれるポケモンが、このナックルジムの主に寄り添い、うっとりと羽を震わせている。
「お疲れ様です」
「おう……」
キバナさん。ナックルジムに勤める私からすれば上司でもある。こちらから挨拶をすると、かろうじて聞き取れるほどの小さな声で返される。一瞬はこちらを見たのだが、すぐにその目線は城壁の下へと戻されてしまった。
キバナさん、何を見ているんだろう。私も精一杯の爪先立ちをしてそっと下を伺うと、トレーナーとポケモンたちが対峙していた。と同時にポケモンが放った技と思われる光の刃が空へと吸い込まれていく。サイコカッターあたりだろうか。
「バトルですか」
「ああ、しかもダブルバトルだ」
「え、そうなんですか?」
街中で起こるバトルで、ダブルバトルとはかなり珍しい。キバナさんが無防備に目を留めるわけだ、と私は一人納得した。
そんな中でも城壁の下からは水しぶきが上がる。今度はみずタイプのわざか。
「見えないのか?」
「ええ、まあ。少しは見えてるんですけど、私にはちょっと身長が足りないですね」
キバナさんの背丈では悠々越せる城壁も、私だと下の全てを覗くまでには至らない。まあ私はここに涼みに来たまで。なのでダブルバトルにはさほど興味はなかったのだけど、私の上司は私が知る以上に優しい性格らしい。
「オマエ、フライゴンに触れるよな?」
「は、はあ」
「フライゴンもいいよな? 乗せてやってくれるか?」
キバナさんの横で羽休めをしていたフライゴンが任せろというように一声鳴いて、私のそばに寄ってくる。姿勢を低くして私を待つフライゴン。乗って、いいのだろうか。どぎまぎしつつ、キバナさんとフライゴンに「失礼します」と一礼してから、その龍の体に体を預ける。
「わぁ……!」
時々キバナさんを乗せて飛んでいるのだから、フライゴンが私の体重くらいものともしないとわかっていた。だけど直に触れて、私を乗せてもびくともしないそのパワーを感じるとやっぱりポケモンってすごいと思ってしまう。
フライゴンが背を伸ばせば、さっきまで壁に阻まれていた景色が、ぐんと広がる。キバナさんは下で行われているダブルバトルを私に見せたかったはずだ。けれど、私は今まで以上に広がった絶景に目を奪われていた。ワイルドエリアがいつもより遠くまで、ナックルシティの端の家までが見える。キバナさんとポケモンたちはいつもこんな景色を見ていたのだろうか。景色に隣に立つ人物の横顔に、吸い込まれそうになりながらそう思ったときだった。
……確かにさっきから、わざが上の方に飛んでよく外れてるな、とは思っていた。だけど、まさか城壁の上の見物客のすぐ横をかすめるとは。
フライゴンの頬、すれすれを通っていった冷気の光線。おそらく、れいとうビームだ。フライゴンとしては受けるとかなり辛いわざだ、そりゃフライゴンも反射的に避けるよね、しょうがないよね。なんて気付いときにはもう、私はフライゴンの体から放たれていた。
視界がぐわんと横倒しになる。
「ぎゃっ」
「おわっ」
カチャンッ、どさっ。
そんな物音がほぼ同時に、屋上の床に広がった。衝撃に閉じていた目をゆるゆる開けば、割れてしまったマグカップ、心配そうにするフライゴン。そして私を受け止めてくれたキバナさんが、押し倒されるみたいな格好で私の下にいた。
回想終わり。キバナさんが沈んだ顔で言う。
「……あの時は悪かった」
「いえいえ、そんな!」
確かにマグカップはあの時、割れてしまった。屋外で割れてしまったので修復する気にもなれず、もう厳重に包んでゴミ箱の中だ。
だけど、キバナさんにわざわざ弁償してもらうほどの出来事ではなかったはずだ。
「フライゴンも災難でしたし、私はキバナさんのお気遣いがありがたかったです。助けてもいただきましたし」
フライゴンの背中に乗せてくれたのは、珍しいバトルを観戦させてやろういうキバナさんの気遣いだった。フライゴンがれいとうビームを避けるのも、当たり前だ。
むしろそんな優しさに触れられたこと、自分じゃ会うことさえ難しいポケモンのフライゴンと触れ合えたことは貴重な経験だった。それに倒れこんだ時、キバナさんは身を呈して私を受け止めてくれたのだ。そんな、少女漫画のような行動がとっさにできるなんて、やっぱり人気が出た理由は見た目だけじゃないよね、このひとは、なんて感動していたくらいだ。
「気にしないでください。でも、このマグカップはありがたく使わせていただこうと思います」
突き返すのもなんだか悪い気がする。それに用意してもらったマグカップは、さりげなく蓋つきだ。一瞬の出来事だったのに、キバナさんはこんな小さなことまで覚えてくれていた。ことさら深く感動しているところへ、予想外のそれが起きた。
キバナさんが、また無言で机に物を置く。私は慎重にキバナさんに伺った。
「これは……?」
いや、これは何かはわかっている。包装紙とリボンにはナックルシティで一番高級なホテルの名前が刻まれている。少々お高いが、手土産にすればハズレなしと評判の菓子折りだ。でもなんでそんなお得意先に渡すような特別なお菓子が、私に差し出されたのかが、まったく理解できない。
なのにキバナさんはさらに机の上に物を並べ始める。紅茶セットや終売していたはずの限定グッズ、私の好きなチョコレートブランドなどなど。やはり無言で、次々と積み上げられる。机の上の街が広がっていくごとに、私は慌てた。
「あの、あのキバナさん……。すみません、状況が全く掴めないのですが……!」
私は何に巻き込まれたのだろう。不運な事故で割れてしまったマグカップのお詫びだけに止まらない、何かに巻き込まれていることだけは分かる。
「……あの時」
「ハ、ハイ!」
「オマエを受け止めた時だ。その、なんだ、結構密着しただろ、オレたち」
「密着って」
言い方が私の中で引っかかる。上から落ちて来た私を、キバナさんが下敷きになるように受け止めてくれたのだ。
「その時に、そのオレさまの顔が、オマエの胸に思いっきり……」
「え!?」
考えたことなかった指摘に、私はあやうく新品のマグカップを落とすところだった。私の胸にキバナさんの顔が……? 確かにあの時のポジショニングを思い出すと、私の頭はキバナさんの頭上にあった。だからすぐにはキバナさんを見つけることができず、上体を起こした時ようやくキバナさんを見つけ、かなり驚いたものだ。
そうか、折り重なって倒れたあの時。
マグカップが割れたのと、下敷きになったキバナさんに怪我をさせたんじゃないかということばかりに気を取られていた。全然気付いてなかった。そうだったのかと思うと同時に急に体が熱くなってきた。今更恥ずかしくなってきてしまった。
「あ、もももももしかして、セクハラになってしまった、とか思ってます……? だからお詫びにこんなに用意してくれてるってことですか? あの私、そんなこと一切思ってませんので大丈夫です! 訴えたりとかもありませんから!」
体が触れ合ってしまうのは仕方がないことだ。むやみに触れられるのはもちろん断固拒否だが、あの時はキバナさんが庇ってくれたおかげで私は痛い思いをせずに済んだ。その分の痛みを、キバナさんが引き受けてくれた。
申し訳ないやら恥ずかしいやらで体温がとんでもなく上がってるが、そんな自分に言い聞かせる。あれは事故、事故なのだ。
「なら! オマエに頼みたいことがある!」
「はぁ」
「オレ、あの時すげえ疲れてて、精神的にも割とキていたっていうか、悔しいが潰れそうになってたんだ」
それもまたキバナさんの口から聞いた新事実だった。確かに、街を見下ろすキバナさんの横顔はやけに暗く沈んでいた。休憩がてらダブルバトルに見入っているせいだと思い込んでいたけど、違ったのだ。彼はあそこで一人、誰にも打ち明けることなく苦悩していたのだ。
「そう、だったんですね……」
私は思わず、目の前の男性に同情した。自身もチャンピオンへの挑戦を繰り返しながら、同じく上を目指すトレーナーたちをまとめあげ、同時に壁となる責務もある。そのトップジムリーダーとしての責任、一人のポケモントレーナーとしての重圧。想像だけでは測れないけれども、比べ用もないほど重いものが彼にはのしかかっているはずだ。
「ここは信じてほしいんだが、オレさまも下心はあったわけじゃない。あれは事故だった。だが、オマエを受け止めた瞬間にものすごく、癒された、今までの疲れが吹き飛んだ気がした」
「はい? 癒さ、れ……?」
「だからその、もう一度オマエを抱きしめさせてくれないか……?」
「………」
私はどうにかこうにか息を吐き出して、震える手で今まで持っていたマグカップの箱を机に置かせてもらった。このまま手に持っていると落とすか、思わず壁に投げつけるかしてしまいそうだったからだ。
なるほど。机の上に広がる数々の品はこの頼みにくい頼みごとのためだったらしい。
「あの。もっとお胸の豊かな方ならごまんといますよね……。なんで……わたし……」
「胸もそうだが、胸だけじゃないんだ。こうぎゅっとした時のフィット感と柔らかさを考えるとのは絶妙で。しかも、なんかこういい匂いで、オレさまもあんなぶっ飛ぶとは思わなかっ」
「そこまでで結構です!」
「オレさまもただ人肌が恋しいのかと思って乾燥機であっためたもちもちクッションとかで試して見たんだが全然違ってのは」
「結構です!!!」
もうさっきから、何もかもが恥ずかしくて爆発してしまいそうだ。あの時胸がキバナさんに当たってたことも恥ずかしい、抱きしめさせてくれと言われたことも恥ずかしい、自分の抱きしめ心地を詳細に語られたのも恥ずかしい。
しかも私の感触を求めてクッションを乾燥機に入れたとか、そんなキバナさん、シュールすぎる。
「あのキバナさん、ご自身の発言のマズさ、わかってますか!? 訴えられたら、仕事吹き飛ぶレベルですよ……!?」
「ああ、そういえばそうだな」
そうだな、じゃない。パワハラ、セクハラもろもろで、確実に問題になる発言だ。
でも今の言い方で私は確信を持った。キバナさん、確かに相当疲れている。私の知るキバナさんはもっとコンプライアンス意識がはっきりしてる。正直彼自身が炎上経験もあるし、私たちがキバナさんに注意を促されたことの方が多いくらいだ。そのキバナさんが、こんな適当な発言をするなんて、かなりおかしい。
「まさか他の方にこの話はしてないですよね」
「だけだぜ」
それを聞いてほっとした。うん、ホッとしたのはキバナさんが起訴されたり、免職されたりする可能性は今のところないと言うことだ。
「……やっぱり、胸が触りたいんですか?」
「いや、抱きしめたいんだ。オマエの全身をオレも全身で感じたい、ってところだな」
改めて聞いてもアウトな発言だ。ただの口説き文句ならまだ許されたかもしれない。なのに、口説く意図なく発言してるところがかえっていけないように思える。
「やっぱり不快だよな……。すまない、聞かなかったことに……」
「……一回だけ、ですよ」
ぽつり、とこぼした声はひどく小さいものだった。だけどキバナさんには届いたらしい。みるみる瞳を丸くして、顔をぱぁぁっと明るくするから、届いてしまったのがわかった。
「いいのか!?」
「こ、これは! あなたを慕ってるジムトレーナーさんのことを思って、問題起こしてほしくないから! だから仕方なく応じるだけなんですからね!?」
「ああ!」
「それから! 次は別の手段をちゃんと見つけてください。キバナさんのストレスや悩みが人一倍多いのはわかります。私にできることがあったらお手伝いしますので」
誰も代わりになれないキバナさんの癒しに、私が、なんて信じられない。けど、抱きしめられたい、誰かのぬくもりを感じたいという気持ちは下心抜きでも成立する。キバナさんに抱きしめられるのはそんなに嫌じゃないことも、自分の心によくよく聞いて確認済みだ。
同じ場所で働くもの同士なのだ。拒絶しすぎると今後の仕事もやりにくい。変に意識することはせず、よく戦ったポケモンを労わるみたいに、キバナさんを受け入れよう。今一度意気込んで、私はキバナさんに向き直った。
「き、来てください」
恐る恐る両手を広げて、キバナさん受け入れ態勢を整える。キバナさんにとってはずっとお預けされていたものを手に入れる許可が降りた、ようなものなのだろう。勢いよくガバッと広げられた手が大きすぎて一瞬怯んだ。ヒッ、という小さな悲鳴も出た。
だけどずるいくらいのギャップを持った優しさで抱きしめられる。
あの事故の中ではわからなかったけど、彼のパーカーは意外に柔らかい。その着込んだ証のような手触り越しに、彼が深く深く息を吸い込んだ音が聞こえた。連動して肺が膨らんで、さらに私を圧す、包む。……これ、いつ離してもらえるのだろう、時間制限を設けておけばよかったなと、逃げ出した思考を射止めるようにそれは起きた。
「………」
「……っ」
あ、れ。なんかおかしい。
確かに二人で倒れこんだあの時と感触は近い。なのに、触れたところがじんと痺れだすのだ。痺れは不意に大きくなって、背筋でぞくぞく感に変わり、脳に至るとじわじわとまた暖かく痺れ出す。
ぼうっとして、何も考えられなくなって行く。1秒の感覚が不明になり、目隠しをされるように、頭に霞がかかってくるのだ。
気付けば、私はキバナさんを突き飛ばしていた。すっかり気を抜いていたキバナさんは、私程度の力でも簡単に倒れてしまって、尻もちをついた。申し訳ないとは思うけれど、キバナさんの顔が視界に入るかもと思うと理由の無いの怖さがやってきて、見ることはできなかった。
「ご、ごめんなさい……!」
あの日はこんなことなかったのに。激しい心臓の音がする。
マグカップも、キバナさんの罪悪感を示すものたちも、キバナさん自身も。全てを置き去って、私は、私自身も知らぬ熱情から駆け出したのだった。
(「キバナさんとラッキースケベのお話が読みたいです!!!」とのリクエスト、ありがとうございました!)