初めの一杯なのだから、軽めを意識して注文したお酒は、予想以上に私の喉を焼いた。それだけで今日の自分は普段と違う調子なことを自覚した。調子が狂って居るのはやっぱりマーレインのせいだろうか。それよりも、きっと、久しぶりに揃った面子のせいだ。
テーブル席が空くまでと案内されたカウンターで、私の左隣にはククイが座っている。まあ右隣にはバーネットとマーレインもいるのだが。
まさかこんな、みんなで集まれる1日になるなんて。全く想像もしていなかった朝の自分に、私は思いを馳せた。
休日の今日。予定は前々から決まっていた。同僚の友人に誘われて、なんとロイヤルマスクのバトルを見に行くというものだ。
まず断っておくと、私はロイヤルマスクのファンではない。ロイヤルマスクはムキムキの肉体と熱い精神、そして見事なバトルで男性ファンを中心に人気の覆面トレーナーだ。友人は女性ながらそのロイヤルマスクの大ファンで、声やパフォーマンス、バトルスタイルまでが完璧にツボを押さえているらしい。
かっこよくて人気があることは理解できる。でも私にはロイヤルマスクは刺さらないなぁ、なんて思っていたのだが、友人に熱く誘われてしまったのだ。
『一度でいいから見に来て! あと物販で、限定品の代行を……!』
ファンとして好きなものを友達に勧めたい気持ちはわかる。そして多分後半も負けず劣らず、友人の狙いなのだろう。
まあ、あのスタジアムの歓声に埋もれるのは良い気分転換になるだろう。それに一度見に行って、経験してみるのは悪いことではない。何よりロイヤルマスクに夢中で、大好きパワーに溢れた友人を見るのは気分がいいものなので、私は初めてのバトルロイヤル観戦に出かけることにした、ということだ。
そして初めて生で見たバトルロイヤル。結論を言うと、楽しく過ごすことができた。初めてすぎてルールの確認で精一杯だったり、わざが派手だなとか、確かにロイヤルマスクは一番人気で歓声が大きいなとか、大雑把なことしかわからなかった。それでもスタジアムの熱気に気持ちが持っていかれるまで数分もかからなかった。
友人に、誘ってくれたことへの感謝と、初心者なりの感想を語りながら熱気のこもっていたスタジアムから風吹く外に出る。友人が顔見知りのロイヤルマスクファンに挨拶に行ってくる、と離れていった時だった。
ロイヤルアベニューの町並みに、見知った人影が目に入ったのだ。
ククイ、バーネット、マーレイン。その三人が私を見つけて、三者三様に驚いていた。
「え……」
「おお、ナマエ!」
「ナマエじゃなーい!」
上からマーレイン、ククイ、バーネットの反応である。私もこんなところでみんなに会うとは思わず、目を丸くしながら近づく。
「え、え、どうしたの、みんな揃って」
「どうしたのって、ロイヤルマスクの試合を見に来たに決まってるでしょ!」
そういえば、バーネットもロイヤルマスクのファンだった。一度サインを見せびらかされたことがあったけど、興味がなさすぎて軽く流していたなぁ、なんてことも思い出した。つくづくバーネットは気があうのに、男の趣味は重ならない親友である。
「ボクはバーネットの迎えだぜ! たまたま近くまで来ててな」
「ああ、な、なるほど。マーレインも試合を見に来てたの?」
私は驚きで落ち着きを失いながらも、もう一人を見上げた。
「ぼくはたまたま、このスタジアムの技術支援の相談を貰っててね、現場の確認に来てたんだ。折角だから試合も是非に、と誘ってもらったんで見てたんだ。そしたら見知った顔が揃ってたんだ」
「ええっ、じゃあみんな別々の理由でここに来てるんだ?」
「そう、本当にばったり会っちまって驚いてるぜ」
なんたる偶然。「ナマエにまで会えるなんて!」とはしゃぐバーネットに当てられて、私も年甲斐もなくきゃいきゃい騒いでしまう。
「本当に偶然だね。じゃあこれから3人でどこか行くの?」
「うん。折角だから飲みに行こうかって話になってた」
「ナマエも来るでしょ?」
「ええ? 私は友達と来てるからなぁ」
といっても、その友人はまだ他のロイヤルマスクファンに会いに行ったっきり帰ってこない。どうしてるんだろう、と端末を確認すると、やっぱりメッセージが届いていた。ロイヤルマスクファンの集まりと合流してしまって、紹介するからこっちに来ないか、と私をお誘いしてくれている。
「ナマエ」
どうようか、と迷う私を見透かして、バーネットがニッと歯を見せて笑う。そして私の耳に囁き声を吹き込む。
「マーレインは絶対来て欲しいと思ってるよ」
離れて行ったバーネットもやっぱり白い歯が見えている。バーネットって時々距離近いのよね。この不穏などきどきはバーネットのせいだ、うん。
「そ、んなことないと思うけど」
「あるって。私たちってさ、いつでも集まろうと思えば集まれるけど、実際なかなか揃わないんだからさ。ね、私たちと行っちゃおう?」
「………」
あえて、マーレインの方は見られない。となると間違えてククイを見てしまい、ククイにまで「行こうぜ」と声をかけられてしまう。なんか、ククイって私にとってはそういうポジションにいる存在だ。変にちょうどいいところに突っ立ってるんだからと、照れからくる苛立ちを理不尽にククイにぶつけてしまう。
「ナマエ」
「マーレイン……」
「せっかくの機会、だよ」
マーレイン本人が言うチャンスは、みんなが揃うことは滅多にない、という意味だとわかってるけど。マーレインにダメ押しされて、私はあっけなく頷いてしまった。
まあ、まだ知り合っていない私とは少し趣味のずれているであろう集団と、学生時代から続く友人たちだ。天秤はわかりやすく傾いている。
友人には素直にメッセージを打った。誘いは嬉しいのだけど、意中の人がいる飲みに誘われたから行かせて欲しい、と。次の出勤日は友人に質問責めになることは容易に想像できたが構うもんか。自己満足だけど、友人の気遣いを断るのだ。その代償としての質問責めならウェルカムだ。私は心を決めると、端末をカバンにしまって、皆の中に加わったのだった。
そして今、私たちはカウンターに一並びで座っている。スタジアム観戦終わりの客でお店はかなり賑わっていて、テーブル席が空いていないらしい。なのでまさかの4人カウンター席だ。
左からマーレイン、バーネット、私、ククイの並びだ。
バーネットはさっきからマーレインと話し込んでいる。漏れ聞こえてくるワードを聞くと、多分、研究絡みの話だ。お酒が入りすぎる前に話しておきたいのだろう、
二人の真剣な話には入り込めないし、邪魔もしたくない。仕方がないので私もククイの方を向き、あぶれてしまったふたりでまずは乾杯をした。
「くーっ! 沁みるぜ!」
「喉の動き、すっご。ククイてば、美味しそうに飲むねえ」
「まあ、一仕事終えたあとだからな」
「そうなんだ。仕事後にバーネットをお迎えかぁ、えらいなぁ」
近くまで来てただけだ、とククイは謙遜するが、二人の仲の順調っぷりが伺えて私もいい気分だ。
「ナマエは最近どうしてた?」
「え? 普通かなぁ」
「本当に? アイツとは?」
予想通りの詮索にふふ、と笑い出してしまう。ククイが言うアイツとは、マーレインのことだ。ククイは私の気持ちを知ってくれている。バレてしまったのかいつからか。なんだかんだでククイが一番最初に気づいたかもしれない。
まあ私もかなり早い時から、ククイとバーネットの相性の良さには気付いてた。他人から見る恋情は案外わかりやすいようで、私の気持ちはマーレイン本人にばかりは伝わってくれないのだ。世の中ってうまくいかない。でも伝わらないからこそ今の関係が続いてるのだから、これはこれで上手く回ってるとも言えるのかもしれなかった。
「報告は何もなし、だよ」
「変化なしか。一番だめな報告だな。まあそんな気はしたけどな」
「ええ? だめって言わないでよ。いい感じをキープしてるつもりなんだけどなぁ」
むしろ最近の私はそれに励み、常々頭を悩ませている。社会人になって別々の勤務先に別れた男女が会うこと自体が不自然なのだ。周囲に余計な詮索を受けない、本人の負担にもならなければ、変に思われない。そんなペースを掴むのは結構大変なのだ。
実際マーレインと顔を合わせるのはちょっと久しぶりだった。今までの頻度に比べたら、という話だけど。
「あとで席代わってもらえよ?」
「変な気使わないでよ。あんまり会わない方と話すのは理に適ってるでしょ」
私とマーレインは会う機会が多少はある。まあそれは私が突っかかっていけばの話だけど、私がマーレインにとってレア度の低い人物であるのは確かだ。
それに、天才と天才でしか通じない話もある。前提が近いもの同士でする会話は、前知識が省けて、心地よいテンポが自然と生まれるものだ。マーレインが好きな身としては、バーネットと相対することで良い時間を過ごしてるのならそんなに悪い気はしないのだ。
報われはしないけど、私の胸中は今日も身勝手な愛で溢れているのだ。
「ククイの方はどうなのよ。助手は誰か決まった?」
「いや、それがだな……」
私の近況を聞いてくれたお返しに、私もククイの近況を聞き返す。本当は旧友の活躍については、こまめにアンテナを張って居るのだけど、やっぱり本人の口から聞きたい。
ククイは、今やアローラ地方で指折りのポケモン博士だ。すっかり立派になったククイだけれど、最近の研究の苦労を語る横顔は、やっぱり私のよく知るククイだ。浜辺でポケモンのわざに向き合い、砂にまみれてたあの頃となんら変わりはない。
「……なんか、来てよかったな。気が休まる」
「ボクもだぜ」
グラスを口に寄せながら含みをもたせた笑いを交わした。こればかりは、学生だった頃はできなかったな笑い方で、互いに大人になったことを感じさせた。
「でだ、ナマエ。ロイヤルマスクの出てる試合はどうだった? 実は、前からスタジアムに来たことあったりするか?」
「ううん。今日が初めてだったよ。ロイヤルマスクの熱心なファンが誘ってくれたんだ。感想は、そうだなぁ……」
私が曖昧に言葉を選んでると、被せるように陽気な声がかかる。話し込んでたバーネットが私たちの方へ振り返って、会話に戻って来たのだ。
「そんなの決まってるよね?」
「え?」
「ロイヤルマスクは今日も最高だったよ!」
「いやぁ、”ロイヤルマスクくん”の人気はすごいねえ」
上機嫌なバーネット越しに、マーレインもヘラヘラ顔でグラスを傾けて居る。
「ナマエも、ロイヤルマスクが今日のお目当てだったんだよね?」
「え? まあ、そうなるのかな……?」
うん、そうなるか。友人にロイヤルマスク布教されに呼び出されたようなものなので、ロイヤルマスクを見に行った、ということになるのだろう。
バーネットは今日のロイヤルマスクの姿を思い出しては目を輝かせている。私も、スタジアムの白いライトがまだまぶたの裏に焼き付いている。それを思い返しながら私は自分の気持ちにどうにか言葉を当てはめてみる。
「ポケモンバトルは素直に迫力があって面白かったな。会場中がすごく盛り上がってて、楽しかった。けど……、ロイヤルマスクは私のタイプじゃないかな」
「「ええっ」」
反応を思い切りダブらせたのはマーレインとバーネットだ。ロイヤルマスクの大ファンのバーネットが信じられないと目を見開いてるのはわかるけど、なんでマーレインまで驚いてるんだ。
そんな反応されるとは思わず、私も不意を突かれてしまった。気持ちよく笑っているのはたった一人、ククイだけだ。
「ははっ! だよなぁ」
「う、うん。かっこよくて人気が出るのはわかるんだけど、こう、イマイチ刺さらないのよね……」
「なんでよ、なんでよー!」
「しょうがないでしょ、個人の趣味の問題だって」
「マスクの下が気にならないの!?」
「マスクがあっても、ロイヤルマスクさんの人柄は伝わってくるよ。その上で、まあタイプじゃないかなーって」
「そんなあ〜!」
軽い涙とともにバーネットがしだれかかってくる。私の肩を抱いた指先が熱い。観戦中に声を張り上げ応援してきたバーネットの体はアルコールをぐんぐん吸収して、彼女はどうやら早くも酔ってるらしい。
「そりゃバーネットがああいうのが好きなのはわかるけど、私はもうちょっと、その……。ねえ?」
「何よ、言って見なさいよ」
近くにマーレインがいるのだから、この先はあからさまに言う気にはなれない。なのにバーネットは続きを催促してくる。本人を目の前にして言えとか鬼畜か。
テンションを加速させていくバーネットに、さすがにマーレインも苦笑気味だ。
「まあまあバーネット。そのくらいにしてあげなよ」
「ちょっとお! マーレインは気にならないの?!」
「何がだい?」
「ナマエの好きなタイプだよ!」
「うーん、なんとなく見当ついてるからなぁ」
「え゛」
衝撃の事実に濁った悲鳴が出た。一瞬思考が石みたく固まってしまって、危うくグラスを落とすところだった。マーレインには私の好きなタイプの見当がついてる? 十数秒後にようやく考えられるようになって思う。
「っそれ、絶対外れてるよ!」
マーレインが私の好きなタイプを知っているはずがない。だって、マーレインはいまだに私からの気持ちに無自覚で、自分が男として見られてることにも気づいてない。
絶対に、絶対にその”見当”とやらは外れてる。なのにマーレインはなぜか余裕そうで、必死な私をけらけらと笑っている。
「わかってるつもりだけどなぁ」
「絶対に、ぜーーーったいにわかってない……!」
「じゃあ言ってみようか? 多分、男らしくて」
マーレインの第一声で私はウッ、と喉をつまらせてしまった。男らしいひとが好き。確かに間違ってはいない。私にとってマーレインの背の高さや手のひらの大きさ、口が大きくて食事の時、かぶりつくひと口も大きいところとかは、とても男らしさを感じてやまないのだ。
「包容力や懐の深さがあって」
「………」
「ポケモンバトルが強くて、みんなの先頭に立つタイプで」
「………」
「あと、友達や周りの人を大事にする、とか」
マーレインが私の好きなタイプをわかっているはずがない。でも否定できないのは、挙げられたそれらの特徴がなんだかんだマーレインにも当てはまっているからだ。
マーレインの包容力や懐の深さは言わずもがなだ。バトルの腕前も、マーレインは元キャプテンだったくらいだ。所長としてみんなをまとめ上げ、次世代の育成にも熱心なマーレインは本人は目立たないようにしているらしいけど、多くの研究員の先頭に立っている。友達や周りの人も大事にしてるからこそだ。
「う……、ぐぐ……!」
間違っているんだけど、間違っていない。言い返せない、むしろ言い返したら嘘になってしまう。嘘じゃなくて本当を言おうとしたら、私は本人に直接マーレインがタイプで刺さるってところを列挙することになってしまう。
二進も三進もいかないこんな状況、酷い。酷すぎる。
ぐうの音も出なくなってしまった私をマーレインは「ほらね」と言わんばかりに心底おかしそうに笑っている。邪気のない笑顔のはずなのに、加虐性を感じてしまうのは状況のせいだろうか。私を哀れんで、味方をしてくれるのはバーネットだけだ。
「あーあー、ナマエ黙っちゃったよ。もう、いじめないの」
「いじめてるつもりはないよ」
「マーレインは他にナマエに聞いておきたいこと、あるでしょ?」
「え? なんのことかな?」
「今日のデートの相手が誰だったか、とか」
何を言い出すかと思えば。右隣、ククイから聞こえてくるのは噛み殺された苦笑いの声だ。私も同意だ。バーネットは少しお水を飲んだ方がいい。
「バーネット、ちょっとペース落として。マーレインは別にそんなこと気にしないと思うよ」
そうだね、とマーレインも頷く。
「ちょっと考えればわかることだからね。もしナマエが大事なデートしてたんなら、ぼくたちにはついて来てないよ」
「でもさ。ナマエが誰かに狙われててコロッと行っちゃうかもしれない〜とか、マーレインは心配にならないの?」
「ならないな」
即答だった。マーレイン暦がそこそこ長くなってきた私にも、わかっていた答えだった。
「ナマエはとても一途だから。ポッと出の男にほだされて、コロッと好きになっちゃうようなひとじゃないよ」
一途さを認められ、褒められてるんだろう。けど、何も嬉しくない。全てを飲み込むために、私はグラスを傾ける。
報われなさをマーレイン本人にバカにされないだけ救いがあるだろうか。そんなことないな。望みの無さに慣れてしまった自分が、我ながらかわいそうで救えなくて、ヤケ酒気味にアルコールを流し込んでしまう。
「ちょっと、ちょっと待って」
そう、私はマーレインとこんなやりとりにすっかり慣れてしまった。だけどバーネットには刺激が強すぎたようだ。怖いくらいのしかめっ面が私を覗き込んで、懐疑を浮かべた目が訴えかけてくる。どういうことなの、と。
「……あっちで話す?」
本人がいる横ではバーネットも話しづらいだろう。カウンターの一番隅っこ、空席に移動を促すと、バーネットはまるで壊れたおもちゃのようにガクガクと頷いたのだった。
自分たちのグラスだけを持って離れた席に移動させてもらうと、バーネットは早速私に詰め寄った。
「どういうこと」
「別に。マーレインは私が長らく片思いをしているって知ってるんだよ」
「は……?」
「でもそのお相手が自分だとは全く、一切、気づいてない。おかしくて笑えるでしょ?」
「……っ、何にも笑えないよ!」
バーネットの反応は、正常だ。むしろ笑ってやり過ごすようになってしまった私が、だいぶ壊れていることはわかっている。壊れるとは自分でも思うけど、仕方がないことだ。だって自然とここまできて、自然と感覚がおかしくなってしまったとしか、私には言いようがないのだ。
「まあバーネットの気持ちはわかるけど、実際そうなんだよねぇ。仲は悪くないと思うんだけど、どうしても超えられない壁があるんだよねぇ」
壁を証明する、状況証拠は山ほど揃っている。ありがたいことに、バーネットは先ほどその証拠の一つを目の当たりにしてくれたので、私はその痛い記憶を押しつぶしたままにしておける。
「……バーネットはいつも私のこと、応援してくれてるよね。告白しなよ、とかも言って、励ましてくれてありがたかったよ」
「うん……」
「確かにマーレインは優しくて、私も勘違いしそうになることもある。だからバーネットも強気で押してくれるんだと思う。けどさ、ああ言うのに直面するとね、あ、無理だな、脈なしだなって分かっちゃうんだよ」
バーネットが時々私に言う押し切っちゃえとか、大丈夫とか。それは現実を知っている私には踏み出せない崖なのだ。飛び出せば真っ逆さまに落ちて、死んでしまうことがわかっている。
だから、バーネットが私に出してくれた恋の提案は、勝ち目のない勝負に出ろと言われてるも同然なのだ。
「……応援してたけど。今日初めて、マーレインなんかやめちゃえって思ったよ。ナマエだったらもっと良いひと見つかる」
「ありがとう。過大評価だよ。でも、うん。やめれたら即やめてやるつもり」
だって、叶わない恋なのだ。捨てれる時が来たら、そのまま捨ててやりたいのが本音だ。
「だから、バーネットには私がいつマーレイン以外の人を好きになっても驚いちゃだめだよ」
「……えー? うーん、頑張るよ」
なんだか納得いっていない様子のバーネットだが、わかってもらいたい。私は別に、マーレインに愛を誓って生きているわけではない。
マーレインはさっき、私の一途さを褒めてくれた。だけど、一途を貫こうと思ったことなんてない。何度だって片思いをやめようとしている。それでも今日まで、放り投げる方法がわからなかっただけなのだ。マーレインの中の綺麗な私を裏切ってしまって胸が痛むけれど、私の片思いは一途なんて、そんな素敵なものじゃないのだ。
「でも実際問題、マーレイン以上の良いひと探すのって難しいんだよね」
実は、時々夢を見る。マーレインじゃない人を好きになれたら、と。あれこれ妄想をしてみて、結局私はマーレインを忘れられるくらいの麻薬を探してるだけだなと気づくのがいつものパターンだ。
「うーん、私はマーレインは趣味じゃないからなぁ。もっとガッシリしてる方が……」
「まあ外見のことは個人の趣味だから置いておいて。ほら、元キャプテンってだけでポケモントレーナーとしての凄さは保証されてるし」
「キャプテン以上にバトル強い人かぁ」
「じゃあ、チャンピオンとか?」
「それアローラにいないって!」
「ほんとそれなの! おかしくない!? 正直アローラにもチャンピオン欲しくなって来たよね!?」
「ぷっ、くく、そんな理由あり?」
くだらないやりとりで私たちの間に笑いが戻る。ああ、楽しいな。ナッツが盛り合わせになっていたお皿も、いつの間にか底が見えている。お腹を抱えてぶり返した笑いを堪えていると、「おふたりさん!」とククイに肩を叩かれた。
「外のテーブル席が空いたらしいぜ」
「移動しよう」
「いいね、横並びだと4人はちょっと面倒だから、テーブルの方がいいよ。行こう、バーネット」
「うん」
声をかけて、私たちは隅っこの席から立ち上がった。いつも身軽で、本日も荷物が少ないバーネットは自分のグラスだけを持って先を歩く。
一方、カバンの重さに手を取られそうになる私はゆっくり後からついていく。さっき流し込んだ分がいい感じに体に回ってて、転ばないか少し怖かったのだ。もしグラスを割ったら弁償ものだ。というかカウンターにそのまま置いておけば、お店の人が移動してくれたかも、と後悔していた時だった。
「ナマエ」
「……ありがとう」
マーレインが覚束ない私に気づいて、グラスをひょいと取り上げた。壊れ物が手の中からなくなって安堵すると同時に入り込んだ、気をつけてね、という声がぐわんと耳奥で響く。
「心配かけてごめん」
「いいよ。お店もだいぶ混んでるし、ゆっくり行こう」
優しいなぁ、と率直に思うのと同時に、私の卑しい気持ちはマーレインの手を見ている。私の手にはそこそこの大きさに思えたグラスは、マーレインの手の中にあると華奢に見える。こんなことで私はやましくも元気をもらっている。
さっきの自分の言葉を思い出す。そう、やめれたら、自分がとんでもない損をしていると頭で理解しきることさえできれば、片思いなんてすぐやめているのだ。不意に、体がぶるりと震えた。
「どう? バーネットとは随分盛り上がってたけど、ククイくんとは話せてる?」
「まあね。半年以上しゃべってないとは思えないくらい普通だよ」
ククイと話すのは実際に久しぶりだったけど、先ほどのやりとりはかなりスムーズだった。時間の経過を感じさせないで、いつでも毎日会っていた頃に戻れる。こういうのが友人っぽくて私はなんだか嬉しい。
そしてそんなククイと比べると、ありありと分かることもある。会うたびにわずかな緊張を覚えて心臓に悪いマーレインは、私の中ではやっぱり友人ではない、ということだ。もっと、タチの悪い存在だということがありありとわかる。
マーレインの手の中にあるお酒は大して減ってなくて、それでこんなに頭がごちゃつき始めてるなんてやはりため息ものだ。実際、酒臭い熱いため息が出てしまう。
「マーレイン。私、今日少しおかしいかも」
「体調は? 気持ち悪いとかはないかい?」
「うん、体じゃなくて精神の方。舞い上がってるというか。すごく酔いやすいし。なんか変なこと言ってても気にしないで、忘れて」
「大丈夫だよ、ぼくがいるよ」
「………」
「ぼくが止めてあげる」
どういう意味で言ってるんだろうなぁ。マーレインが何を考えてそう言ってるのか、わからなくて脈が不穏に加速する。恥はかきたくない、見られてしまったらすぐに忘れてもらいたい。だけど何もかも元に戻らないくらい、暴走させたら、いっそ気持ちいいかもしれない。
だけどまた、寒くもないのにぶるりと体が震える。全身が酔いと共にフラッシュバックさせるのは、ホクラニ岳から見たいつかの星空だった。わざと悪酔いをして、マーレインに当てつけにいった真夜中のこと。あの日の寒さが蘇って、片思いをやめられなかった経験さえも蘇って、体が震えるのだ。
「マーレイン。ストッパー役、よろしくね」
私の好きになった人は本当にタチが悪い。任された、と頷く笑顔さえ、可愛さを感じてしまう。
やっぱり、私の調子が狂ってるのは懐かしい面々が揃ってるからじゃない。ただひたすらに、マーレインのせいだ。
(「マーレインさんのお話の続きをリクエストしたいです ククイやバーネットと一緒に飲みに行くお話だったら嬉しいです!」とのリクエスト、ありがとうございました!)