畑当番をこなし、だけどそれ以上によく畑を見てくれている桑名くんに、専用のゴム長靴を買ってあげよう。そう思い立ったのが全ての始まりだった。それは実のところほぼ少し日程が圧している書類からの逃避であったが、桑名くんの喜ぶ顔が見られるかもしれないという大義名分を得て、私は快く筆を寝かせたのだった。今日の仕事を祝い事にまく紙吹雪のように放り出し、私は政府から支給されたカタログから、畑当番で何か必要なものがあればこちらから、と言われていた分厚い一冊を引っ張り出したのだった。

「えっと……。ゴム長靴、ゴム長靴、っと」

 ぺらりぺらりめくると、代わる代わるアピールしてくるのはすべて農業用品である。農業組合から出ているカタログなので、ホースから支柱から防虫シートまで、ありとあらゆる農業用品が掲載されていて、マニアックな世界を覗いているようでなかなか楽しい。価格もお手頃ばかりで、つい物欲が刺激されてくる。
 今は畑当番になるたびにみんなで代わる代わるゴム長靴を使ってるけれど、不足しているサイズがないか聞いて見ても良いかもしれない。というかこの際だから皆の畑仕事が円滑に進むよう便宜を計らうというのも、主としてのあるべき姿ではないだろうか。いやそうに違いない。ついに私は本日の仕事どころか、当初の目的であるゴム長靴すら忘れて、カタログのページをめくりに没頭しだしたのだった。
 そんな怠惰な昼下がりを過ごす私を、見つけた刀剣男士が一振り、いた。小夜左文字である。これは絶妙な遭遇であった。これが歌仙兼定あたりのもう少し生真面目な刀剣男士だったら一発アウトで主の威厳が損なわれていたところだけれど、小夜左文字なら話は変わってくる。小夜は率先してふざけるような性格ではないが、堅物というわけでもない。あまり表情を変えない性格であるけれども、案外冗談が通じたりするのだ。
 目の前の小夜には今の所、軽蔑の色はない。むしろ小夜左文字の大きな瞳が、疑問の光を浮かべている。どうやら、私がごろ寝しながら見ている分厚い冊子が珍しいようだ。
 私も思わず頭を捻る。うーん、カタログって、なんていったら伝わるんだろうか?

「これ、目録っていうのかな? 畑仕事に使える道具が載ってて、買いたければ買えるの」
「へえ……」
「小夜、おいで。一緒に見よう」

 目録という言い方は無事通じたらしい。懐まで誘うと小夜は素直に私の横に収まり、カタログに視線を落とした。

「桑名江には畑の面倒を他の刀の何倍も見てもらってるからね、彼には専用の長靴を買ってあげようと思ってるんだ」

 桑名くんの目を見張る頑張りは、小夜も感じていたらしい。いいと思う。そうぽつりと呟きながら、小夜も頷いてくれた。

「畑が良くなることは、私にとっても嬉しいことなんだよね」
「そう、なんだ」
「うんうん、桑名くんには感謝してるよ」

 本丸になぜそこそこの広さの畑が併設されているか。もちろん兵糧の備えを得ることも大きな目的だろう。自立した食料自給のシステムを持つことで、この本丸がたとえ世界と切り離されても持続的な運営を可能にする狙いもあると思われる。
 けれど、本来ならば万屋からの仕入れのみで済ませればいいものを、政府が地産の作物を食させる本当の理由は、別にあると私は踏んでいた。ずばり言おう、刀剣男士のためだ。おそらく本丸という空間からできたものを刀剣男士が体内に取り込むことで、刀剣男士と本丸という次元をより強く結びつける作用がある、と私は考えている。具体的に言うと、送り出した歴史から無事に帰還させるための大事な一因だと思っている。極の修行に出たいと言い出した刀剣男士には、なるべく本丸の畑のものを食べさせてから送り出すのもそのためだ。
 これに理論や科学的な実証はない。私が審神者を続ける中で、経験則に基づいた、”なんとなく”の気づきである。

「ね、見たことない農業用具が色々載ってるでしょう。だからなんか見てるうちに楽しく……じゃなくて、良いものがあったらみんなのために買い足しちゃおうかな、って思ってるんだ。小夜は何か気になるものがある?」

 本丸にも予算があるのでなんでも買ってあげるとは言えない。けれど、何かには興味を示してほしい。それが畑仕事になるなら、なおさら良い。喜んで与えてやりたい。そう願って、私は小夜の表情を伺った。

 畑仕事で作られた本丸の作物には、本丸と刀剣男士をよる結びつける作用がある。なんとなくで形成されたその推論には、毛ほどの根拠もない。けれど私にはそうである気がしてならなくて、小夜には、畑のものをよく食べて欲しいと密かに思っている。

 半年ほど前のことだ。小夜左文字は、己が極となる修行に出た。そこで小夜は自分の存在する由縁は復讐の念の中にあると悟った。小夜は未来永劫、復讐の苦しみから解き放たれることがない。その刀に名に宿る怨念がなければ、彼は存在できないのだ。復讐を否定してしまったら小夜左文字の全てを否定することになる。救えない事実に直面し、本丸の皆が受け入れることしか許されなかった、苦い記憶である。

 私には、小夜左文字の存在を否定することはできない。こうやって隣にちょこんと座り、農業用具のひとつひとつを見る小夜は、掛け値なく愛おしい存在だ。
 それならば小夜は小夜のままでいいから、別の結びつきを持って欲しい。私が与えられる限りものを与えてあげたい。そう、冴えない人間ながら思ってしまうのだ。

「ん?」

 私はぱちぱち、と瞬きをする。
 不真面目な私にしてはシリアスな物思いに耽っていたら、小夜左文字がいつの間にか、ページの一端を指差している。指先の細い影が落ちる先を見て、またも私は目を瞬かせた。
 これが欲しいの? とは聞かなかった。その疑問で彼が自分の欲求を引っ込めてしまったらもったいない、と思ったからだ。小夜が指差したそれに、私は赤ペンですぐ囲む。

「うん、これ、買っておくよ」

 私の横で、南風のようなゆるりと淡い波動を感じる。小夜左文字が微かに浮き足立った証拠だった。




「うーん。南瓜、かぁ……」

 桑名くんのためにゴム長靴を買うなら、桑名江本人に足のサイズを聞かねばならない。そんな当たり前のことに気づき、私と小夜左文字は桑名江の元を訪れていた。
 桑名が毎日使えるような長靴を買うことに加えて、小夜が希望した南瓜の苗を買う気でいたことも、雑談がわりに話したのだ。そこでまさかの農業的洗礼を受けるとは思わずに。

「え、だめだった?」
「南瓜の生育には普通よりは少し手間がかかるよね。土地も広めにとるし。開花の時期にきちんとお世話しないと受粉しなくて実らないこともあるんだ。だから人工授粉をした方が安心かな。あとこの品種なら多分、つるの整枝も必要になるかな」
「せ、せいし、とは」
「不要な蔓を切って、実にしっかり栄養が行くようにしてあげるんだ」

 桑名くんから流れ出る南瓜の知識に、私と小夜は思わず圧倒されてしまった。そしていかに思いつきで南瓜を育てようとしていたかも、思い知らされてしまう。どうやら植えて寝て待てば美味しい南瓜ができる、とは思ってはいけないらしい。

「あと、苗で届くならその少し前に土も作ってあげないとね」
「あのあの桑名さん、少し前って、具体的にいつから?」
「もう注文するなら、今から場所を決めて土も作ってあげたほうがいいよ」
「そうだったんだ……」

 カタログを見て、苗の入ったポットを買うのは簡単だ。だけど、土を作るとなると話は全く違ってくる。今から畑を見に行って、日当たりの良い場所を探し、土を掘り返して、この南瓜にあった割合の土で堆肥を混ぜなければならないのだ。
 思っていたのと違う。その思いは私も小夜も同じだろう。

「小夜、どうする?」

 肉体労働に加え頭脳労働も不可避とは、どうやら相応の手間がかかることを覚悟しなければならないらしい。南瓜を育ててみたいと言ったのは小夜だ。気持ちを確かめたくて、隣に立つ小さな姿を恐る恐る見る。
 やっぱりやめる。そんな声が聞こえてもまあ仕方がないと思っていたのに、小夜左文字はしかと頷いた。まるで彼が部隊長を引き受けるかのように頼もしい頷きだった。
 彼がやる、と言ってるのだ。ならば私のやることも決まっている。

「あの桑名くん」
「なんだい?」
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!!」

 そして畑の一角が新しく掘り起こされ、”小夜の南瓜”という立て札がその日のうちに立てられたのだった。







 私はものぐさな性格ではあるが、本丸の中でも指折りの早起きだ。朝は早めに起き物事を済ます。刀剣男士のいない本丸全体を見回って、場に乱れや異変がないかの確認などなど。主として、刀剣男士に知られずに先に済ませておきたい用事が多々あるのだ。早起きした分、短時間だが昼寝も日課となっているのでそう辛くはない。
 新鮮な朝の空気を肺いっぱいに吸い込みながら、今日も朝の用事をひととおりこなす。その中には内番の指定も入っている。本日の内番はもう指定して、本人にも事前に言い含めてある。なので、私が知らせるのは明後日の内番だ。あくびをかみ殺しながら刀たちの名が入った名札を扱っていると、私は朝日の中に溶けそうな、小さな背を見つける。
 今日も頑張ってるな、と思う。それは毎朝、欠かさず南瓜の様子を見に行く小夜の姿だった。

 桑名江の指摘通り、南瓜の生育は、植えっ放しとはいかなかった。初日の土作りにはある意味言い出しっぺの私も参加させられ、翌日筋肉痛になったのは言うまでもない。その時点で私は散々自分の貧弱のなさに悪態をついて、八百屋から買わせていただく野菜のありがたみに合掌していた。この苦労に比べれば、農家の皆様のなんと尊いことだろう、と。そんな私に比べて小夜左文字のえらいところは、文句の一つも言わずに今日まで南瓜の世話を続けているところである。
 桑名くんの知識は本格的なもので、彼に従っていれば良い南瓜が実るのだろうな、と想像はつく。想像はつくものの、全てを言われた通りにこなすのは恐ろしく困難だ。そう私は感じている。だけども今朝も、小夜は甲斐甲斐しく南瓜の元へと通っている。

 青緑の波に消えていった背中に、私は今朝も笑顔をもらっていた。
 あの日、苗を買ったことは正解だったようだ。小夜の心を埋めるものがひとつ増えたのだ。そして率先して世話をする小夜に、他の刀剣男士も力を貸してくれている。あの日のカタログを引っ張り出したのは些細な物事、というか私のものぐさがきっかけであったが、それらは螺旋のように良い出来事を運んできてくれている。
 うん。よかった、よかった。万事好調、とはいかないのがこの小夜と南瓜の物語である。

「主」

 時は過ぎて同日の昼過ぎ。仮眠を経て、熱いお茶で頭に再起動をかけている私を呼び止めたのは、宗三左文字だった。彼がいつも以上に眉尻を下げてる。問答無用で話を聞けば、宗三左文字はどこぞの姫のような風情で嘆きを訴えた。

「主、おそらく小夜は……」

 聞かせられた事情に私は目を丸くし、素っ頓狂な声をあげた。

「南瓜が気になりすぎて、戦闘に身が入らないって?」
「ええ。戦に出ても、作戦を伝えても上の空でいることが多いんです。どうやら本丸が在ると思える方角を見ているようで」
「そうだったんだ……」

 あの時買った南瓜がこんなことになるなんて。私はめまいを覚えて頭に手を当てた。
 対象が何であれ小夜には新たな結びつきを持って欲しい。そう願って苗を買い、育てた南瓜だがまさか、戦場に出ても心残りとなるほど強く小夜の魂を惹きつけるとは思いもしなかった。
 でも確かに私は毎日、朝夕と南瓜の元に欠かさず通う小夜の姿を見ているのだ。戦場に出ても南瓜のことを気にかける小夜左文字もまた、想像に難くないのであった。

「何人かで都度、気を引き締めるよう伝えています。けれど、やはり本丸を離れると南瓜が気になって仕方がないようで。今は彼の力量のおかげもあって大事には至っていませんが」
「いや、教えてくれてありがとう。油断はいずれ命取りになるよ」

 目の前の敵に集中できないのなら、いずれ命を持っていかれる。当たり前の事実だが、声に出すと空恐ろしくなってしまった。
 これは早急に何か手を打たねばならない。宗三に再度お礼と、引き受けたことを伝え、私は足早に自分の執務室を目指した。頭はぐるぐると考えている。小夜と南瓜の結びつきをどうにか大切に守りながらも、小夜左文字を失わない方法を。

「……よし」

 私が引っ張り出したのは、やはりあの、分厚い農業用品のカタログだった。





 私は、ものぐさな性格もあって、子供の頃から自分の服装に頓着はなかった。親に渡された服をはいはい、と言って着てしまう性分だ。それゆえに服装を笑われたことは何度かあったが、気に留めたことはない。そんな私でも、今の自分がものすごくおしゃれとはかけ離れていることはわかった。

「はい、主。できたよ」

 桑名くんは満足げに頷く。私は自分の服装を見渡した。
 長袖、長ズボンに、ゴム長靴。全身がガードされて、これで虫刺されの心配はゼロだろう。日避けの帽子とともに、汗のためのタオルも首元に装備済みだ。熱い日差しの中、作物の様子を見に行くこともこれで可能だ。

「……なかなか重装備だね」
「これが、主を守ってくれるんだよ」

 着ているだけで汗をかいて疲れそうな気がするが、桑名くんがそういうのならば、私の服装に間違いはないのだろう。
 私はふう、と息をひとつ吐いて、歩き出す。これから出陣する部隊を激励し、見送るためだ。

「お待たせ、みんな。準備はできてるよね」

 いつもの立ち位置に現れた私の、いつもと違うどころか、とても似つかわしくない服装に部隊の面々が息を飲む。その中にはもちろん、小夜左文字もいる。
 反応については予想の範囲内だ。ぴりりと、緊張感が走るはずの出陣前に「これから畑仕事に向かいます」と全身でアピールする主が出て来たら困惑するのも無理はない。みんな、困らせてごめん。胸中で謝りつつも私は再度、此度の任務の内容、主目的、そして必ず生きて帰ることを真剣に伝えた。
 一通り、伝えるべくことを伝えた最後に、私は一振りの刀剣男士へと視線を落とした。

「小夜」
「は、はい」

 少しおびえた様子の小夜左文字と目が合う。その一瞬で私の中に溢れ出すのは積み重ねて来た小夜との記憶、小夜との物語だ。日々を過ごし、様々な感情と表情を交わした。そうやってあなたの性格を知ることができたから、サボりの見つかった私は自分の横へとあなたを導けたのだ。そこから始まり、今日も続くこの物語を、私は尊んだ。
 つん、と鼻の奥が痛み出すのも飲み込んで、私は小夜左文字に告げる。

「小夜、安心して行って来なさい。あなたの南瓜は私が守る」
「あなたは……」
「小夜が歴史と、私を守る限り、南瓜も必ず守られるから。大丈夫だよ」

 小夜左文字が一生懸命に、言葉を探しているのを、私は首を横に振って止めさせた。欲しいのは感謝や賞賛ではない。ただ、彼が彼で在ることを存分に生かし、その結果、無事に帰ってくることが願いだ。

「いつも守られてばっかりだったけど、私にも小夜の大事なものを守れるなら嬉しいよ」

 また、南風のような揺らぎを頬に感じた。小夜左文字が、憂いから解き放たれていて欲しいと、願った。




 部隊はもう見えなくなってしまった。見送って間もないが、私が命じた通りの地点に着いている頃だろう。

「さ、行こう」

 桑名くんが畑へと、私を呼んでいる。隠れて見えないが、彼の瞳が輝いていることは間違いないだろう。
 気合いは十分。だけど服装ばかりでは小夜の大事な南瓜は守れない。美味しく実ろうとする南瓜を狙うのは、何も時間遡行軍ばかりではないのだ。

「勉強することはいっぱいあるよ?」
「ご指導、ご鞭撻を賜りますようお願いモウシアゲマス」
「堅いなぁ」
「私も本気で臨もうとしてるってこと!」
「そうだね。一緒にがんばろう!」

 彼の足には、ぴったりサイズのゴム長靴がある。私が小夜の南瓜とともに注文したもので、もう彼の足に馴染んでいるようだ。だけど、ふと思う。もしかしたら、桑名江にはお金では買えない、ゴム長靴よりももっと貴重なものをあげることになったかもしれない。そんなことを思いながら私は首元の手ぬぐいをきゅっ、と引き締めたのだった。




(「小夜左文字と畑の作物のお世話をする話(恋愛感は無しでお願いします」とのリクエストでした、どうもありがとうございました!)